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第79話『王宮の主』

注意

暴力的な表現があります。

「招待状……?」


 手紙には、王家の会食にディラン様の婚約者である私を招待すると書かれてあった。王家……つまり私以外みんな王族ということだろうか。


 サーッと血の気が引く。

 そんなプレッシャーの中で食事を楽しめる気がしない。想像しただけでも口から胃が出てきそうなほどなのに。

 しかし、王妃様の命令に背くことなど出来ない。


「……ルティ、封筒と便箋の準備を」

「御意」


 取り敢えず、ディラン様に報告して今後すべきことを訊こう。どうせこの招待は受けることになるだろうが、心構えができているのといないのでは雲泥の差だ。

 王太子にも尋ねた方が良いのだろうか。


「……ん?」


 手紙の最後には日時が書いてあり、ぎょっとする。何度見ても変わらないその日付に、悲鳴をあげそうになった。


「二週間後……」


 意外と早い。

 これは急がなくてはならないと、ディラン様に送る手紙の内容を考えた。


 ◇◆◇


 ベルから送られてきた手紙を見て、兄上に視線を送る。


「ベルの家に王妃からの手紙が届いたようです」

「内容は」

「王家の会食にベルを招待すると」


 兄上が深いため息を吐く。


「やはりお前の婚約者を巻き込んできたな」

「これもガルヴァーニの作戦でしょうか」

「……そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ガルヴァーニの指示じゃなくても母上のしそうなことだ」


 焦っているのか、ベルの文章がいつもよりも荒くなっている。慌てて書いたのだろう、インクが滲んでいるところもあった。必死に手紙を書くベルが脳裏に浮かぶようで、思わず笑みが溢れた。


「まずいな」


 兄上が呟いたことで、現実に引き戻される。なぜ長期休暇(ホリデー)まで兄上の補佐をし、毎日のように顔を合わせないといけないのか。毎日会うならベルがいい。兄上の顔を見たってなんの特にもならない。


「お前、とんでもなく失礼なことを考えていないか?」

「まさか」


 訝しげに顔をしかめる兄上に向かってにこりと笑顔を浮かべた。残念ながら彼と顔を合わせる度に心のなかで悪態を付いているので、失礼なのはいつものことである。こんな無駄な時間を過ごすくらいなら、ベルに送る手紙の内容を考えていたい。


「まぁ、なんでもいいが、ベルティーア嬢に王宮に来られるのはあまり嬉しいことじゃない」

「……えぇ、まぁそうですね。王妃の懐なわけですし」

「ディランではなく婚約者を狙うとは……小癪な」


 王太子とは思えない品のない舌打ちをして、兄上は悔しげに歯噛みした。


「いいか、ディラン」


 念押しするように、兄上が指を立てた。


「決して、決して魔力を暴走させるな。もしベルティーア嬢が害されたら、お前は怒り狂うだろう」

「はい、絶対に加害者を殺します」

「……それを止めろと言っているんだ。我慢しろ。何があっても、問題だけは起こすな。母上は必ずそこを突いてくるはずだ」

「……」


 頷くことは出来なかった。もし、ベルが傷つけられたとして、俺は我慢なんてできない。そもそも感情任せに魔力が暴走するのだから、止められるわけがなかった。


「王太子ではお前を庇いきれない。……だから、先手を打つ」

「ベルに魔法道具を与えることを許可してくださるのですか?」

「あぁ。許可しよう。ベルティーア嬢にはお前の魔法道具と、クラウディアの魔法道具を渡す」

「なぜクラウディアの……?」

「お前の魔法道具は危険だからだ」


 どうして王女であるクラウディアの名前が出てくるのか分からなかったが、取り敢えず頷いた。


「もし、ベルの魔法道具が反応して誰かを傷付けたら?」

「私が与えたと言えばいい。最悪折檻で済む」


 折檻。

 王太子には縁のない言葉に聞こえるが、この人はそうではない。平気な顔でそう言った兄上を、思わず同情するような心境で見つめた。


 俺はかつて、王妃と兄上によって王宮で孤立させられた。昔は恨んだし呪い殺してやろうと思っていたが、五年も経てばなにもかもどうでもよくなる。俺の気の持ちようも理由だったが、何より兄上自身も中々不憫だった。


 気がついたのは、俺がまだ幼く、たまたま王宮を歩いていた時のこと。王城の図書館から本を持ち出し、自室へ帰る途中だった。

 不意に王宮の廊下で微かに悲鳴が聞こえた。

 王宮で悲鳴など、碌なことではない。不敬を咎められて折檻されたのか、それとも間者を拷問しているのか。王宮の主たる王妃は、あの面の裏にとんでもない加虐心を燻らせている。誰かの悲鳴はよく聞こえるものだ。


 興味を失って部屋に帰ろうかと思ったが、その声が兄上によく似ている気がした。微かな悲鳴でそんなこと分かるはずがないが、小さな好奇心に誘われて王妃の部屋まで足を進める。

 都合よく扉がちょっと開いていたのでこっそりと中を覗き見た。


『やめ、やめてください! 痛いです、母上! いたい!!』

『誰が泣き言を申せと言いましたか。お前に必要なのは謝罪です』

『ひっ、やだ! いたい!!』


 バチンバチンと肌を叩くような乾いた音が扉の外まで聞こえた。鞭が打ち付けられる音だとすぐに気づく。王妃はよく愛用の鞭で人を罰するから。

 何度か俺にも怒りの矛先を向けたことがあったが俺が暴れるととんでもないことになると分かっていたため、その鞭が打ち込まれることは今までなかった。そもそも、目が合うこともあまりない。ただひたすら忌み子と罵られるだけだ。


『ごめんなさい! ごめんなさい! いい子にするから許してください!』


 兄上は体を守るように床に丸くなって、何度も謝罪を繰り返す。剥き出しの背中は鞭の跡で真っ赤になっていた。


『上手にごめんなさいが出来たわね。いい子よ、ギルヴァルト』


 王妃の顔は子供を叱りつける母親の顔ではない。ただ人を痛め付けて悦びを感じているようだった。やはり、碌でもない。

 ため息を吐いて、そっとその場を離れる。すすり泣く声は聞こえたが、俺が助ける義理もなかった。

 それから一度も王妃が息子を折檻する場面に出くわしたことは無かったが、俺が知らないだけで何度もあったことだろう。だからと言って、口出しすることはないし兄上を許すということもない。あのとき同情心すら湧かなかった時点で、もはや兄への情など消えてしまっていた。


「どうした、急に黙り込んで」


 突然無言になった俺を、兄上が不思議そうに見る。


「いえ。ただ、まだ折檻されているのだと」

「母上は王宮にいる者なら誰でもそうする。父上とお前には恐れて手を出さないが、私は別だ」


 王宮にいる者なら誰でも━━その中にはクラウディアも含まれる。

 はぁ、と深いため息を吐いた。自分の子供に手を上げて愉悦を感じるなど、神経を疑う。


「王妃にベルを近付けたくないですね」

「それは当然だ。私もなるべく協力する」


 本当は、ベルを守るのに兄上の力など借りたくはない。ベルを傷付けるなら全部壊してしまえば済む話だ。

 だけど、きっとベルはそれを良しとしない。なんでも欲望のままに破壊したとして、果たして彼女はまだ俺を好きでいてくれるだろうか。


 ベルの嫌がることはしない。絶対に。


「お前の護衛として、シエノワール・マルキャスとアスワド・クリルヴェルも側に置け。気休めでもベルティーア嬢の壁にはなるだろう」


 誰があいつらをベルの側に侍らせるか。

 他の男に守らせるなど、絶対に嫌だ。


 心の中でひっそりと反発しつつ、表面上は穏やかに頷いた。



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