第77話 『思わぬ客人』
学園での事件の後、すぐに長期休暇に入った。ホリデーは前世で言うところの夏休みや春休みのようなものである。
あの後全生徒を部屋に運んで、私たちも泥のように眠った。次の日には皆なにも覚えておらずいつもの日常が過ぎるだけだった。あれは夢だったのではないかと錯覚したくらいだ。生徒だけでなく教師まで倒れていたことには驚いたが、ディラン様曰く教師は魔法の副作用で倒れていたわけではないらしい。
グラディウスとハルナは睡眠薬を飲んだような症状だと首を傾げていた。
精神魔法の攻撃を受けたであろうアリアとアズも元気いっぱいで、いつも通りだったので密かに安心した。何も覚えていないようだったが。
しかし、不思議なことにシュヴァルツとシエルだけは最後まで見つからなかった。シエルはまだしも、なぜあの場にいたシュヴァルツが姿を消したのかが分からない。ディラン様は全く気にしていなかったが、私は嫌な予感がして気分が悪かった。シュヴァルツだけは、ディラン様を裏切ってほしくなかったのに。
みんなの無事にほっとしているとあっという間にホリデーに入った。貴族の生徒は実家に帰り、長い休暇を家族と過ごす。もちろん私もディラン様も例外ではなく、ホリデーの間は文通をすることになった。毎回書かれてあるディラン様の甘い言葉に、私は発狂したようにベッドの上を悶え転がっている。しばらくすればお母様も呆れ返って何も言わなくなった。
ミラ様のお見舞いに王宮にも何度か行ったが、彼女は未だ目を覚ましていない。王宮の病室で見た彼女の顔は白く、今にも息を引き取ってしまいそうで、言葉が出なかった。回復へ向かうよう祈る他にないのだろう。
現在はホリデーも四分の一終わり、家族団欒を楽しみながらもディラン様やアリアからの手紙を心待ちにするという幸せを感受していた。
「うわああああ!!」
アリアから来た手紙を読んでいたら、下の階からウィルの聞いたことがないほどの悲鳴が聞こえた。驚いて立ち上がり声の聞こえた方へ慌てて行くと、そこにはウィルにのし掛かる令嬢がいる。
今度は私が悲鳴をあげそうになるのを、淑女としてのプライドで押し込め、すぐにハッと思い直す。そうだ、ウィルももう年頃で、社交界でもタイバス家の嫡男として有名になっていた。ウィルはイケメンだし、ディラン様のように笑顔が爽やかだ。甘い言葉をさらりと囁くこともあるらしい。家では生意気なままなので正直実感は沸かないが、まぁ上手くやっているのだから私は口を挟まないようにしよう。
恋人の一人や二人……いや、もう婚約者もいるかもしれない。
あのウィルがねぇ、と感慨深く頷いていると、姉上! と危機迫った声色で呼ばれた。階段の踊場から玄関ホールを見れば、令嬢に押し倒されたウィルが懇願するように私を見ている。
「こいつを、こいつを早く退かしてください!」
「ひどい! 私のこと忘れちゃったの~!?」
きゅるんっと目を潤ませわざとらしく体を捩る人物を思わず凝視した。よく見れば、女の子にしては背丈があるし……というか見たことのある顔だった。
「……シエル?」
「お久しぶりですわ、ベルティーア様!」
キャッと楽しそうに頬を赤らめるシエルはどう見たって令嬢にしか見えないのだけど……。
「え、シエル、どうして我が家へ……?」
「あらぁ? お手紙を書いたのだけど届いていなかったのかしら?」
「お前は一度俺の上からどけ!」
吠えるように叫んだウィルを見て、シエルがてへっと舌を出す。
予定のない訪問に驚いて階段を下りれば、シエルは男装(?)姿で待ち構えていた。やはり驚くほど着替えが早い。
「美しいベルティーア様! ご挨拶が遅れたことをどうかお許しください」
「えぇ、それはいいのだけど……」
予想外の人物に戸惑っていると、ウィルが額に青筋を浮かべたまま、シエルの首根っこを掴んで私から距離を取らせた。
「きゃぁ! 乱暴に扱わないで~!」
「うるっせぇな! その格好で女声出しても気色悪いだけなんだよ!」
「相変わらずウィルは冗談が通じないなぁ」
「誰のせいだ、誰の!!」
ここまで猫の皮を破り捨てたウィルを久しぶりに見て、思わず感心する。家の中でも敬語を忘れなくなった彼に、素を出せる人物がいて少し安心した。
……といってもそれはシエルなんだけど。一体いつ二人は出会ったの……?
「父上も母上も領地の視察に行く日に合わせてやったんだから感謝しろよ」
「もちろんさ! ベルティーア様とウィルの両方と過ごせるなんて僕は幸せ者だね!」
ニコニコと朗らかな笑顔を向けるシエルに、ウィルも満更でも無さそうだった。
「にしても、ウィルは背だけは伸びないんだねぇ、かわいいー!」
「は? 殺すぞ、テメェ」
いい雰囲気だったのが、シエルの一言でウィルの機嫌が氷点下まで下がった。ウィルに身長の話は禁句だ。なにせ、ウィルは私と身長差がほとんどない。むしろまだ私の方が高いかな、くらいなのだ。
私は、女子の中では高い方なのでウィルより低身長の女の子は沢山いる。しかし、皆一様にヒールをはくので目線がウィルと同じになってしまうのだ。社交界でダンスすることもあるため、余計にコンプレックスを刺激されるのだろう。ウィルに身長の話をすれば、父上や母上でさえ呪われそうな顔で睨まれる。
ニコニコとウィルの視線を全く気にしていない(おそらく地雷を踏んだことに気付いていない)シエルをさっさと客間に通す。このままホールで騒いでも埒が明かないし、みっともない。お父様とお母様がいないと言えど、度の過ぎた言動は止めておいた方が無難だ。
「━━で、話すこととは一体なんだ? いままでそんな事を言い出したりしなかっただろう」
ウィルの横に座り、シエルと向かい合う。シエルは出された紅茶を無駄にじっくり嗜んでいた。それにウィルが苛ついたように眉を動かす。
「まぁまぁ、ゆっくりしようよ」
「ここはお前の家じゃないぞ」
「冷たいなぁ。学園に入ってからウィルとは会えないし、手紙のやり取りの頻度も減ったっていうのにさ!」
むぅっと頬を膨らませるシエルは美少女と見間違えるほど可愛らしい。ウィルは不機嫌そうにふんっと鼻を鳴らしただけだ。
「ええっと、ウィルとシエルは一体いつから知り合いなの? 私は、全く聞いていなかったのだけれど……」
「僕とウィルの出会いは、6年くらい前になるかな。色々あって交流を持つようになったんだよ!」
「その色々が気になるわ」
「知らない方が幸せなこともありますよ、姉上」
疲れたような顔をして、ウィルがすかさず言葉を挟む。
「……ちょっと待って。たしかウィルの初恋は、シ━━」
「うわあああああああ!」
思わず思い付いたまま口にしようとしたところをウィルが大声を上げて遮った。顔が真っ赤になっているのを見て、なんとなく罪悪感を感じる。
「姉上! それは! どうか! 内密に!!」
「え? ウィルが僕を好きだったこと?」
「お前はちょっと黙れ!!」
「今では僕もウィルが好きだから、相思相愛だね!」
「だから、黙れっつってんだろ!」
顔を真っ赤にして必死に否定するウィルは貴族子息の皮がすっかり剥がれ落ちている。取り敢えず落ち着かせようと、ウィルの腕を軽く叩く。
「……すみません。取り乱しました」
「取り乱し方が尋常じゃないわね。もうシエルとウィルの関係については深く言及しないから、安心して」
「えぇ!? ベルティーア様には僕とウィルの馴れ初めをもっと聞いて貰いたかったのに!」
「お前は誤解されるような発言をするんじゃねぇ」
静かに暴言を吐くウィルを、再び宥める。
「本題に入るけれど、シエルの話は何? ウィルに用事があるのなら、私は席を外すけど」
「いやいや! ディラン様の婚約者であるベルティーア様にこそ伝えたくて来たんだ!」
シエルは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。
「ダンスパーティーの直後に、兄上に呼び出されて実家に帰ったんだよ。ほら、僕いなかったでしょう?」
ダンスパーティーの後はミラ様の件でバタバタしていたが、たしかにシエルは一度も見なかった。……シュヴァルツも。
「でね、暫くの間、ディラン様の護衛をしてほしいと頼まれたのさ! どう? とんでもない名誉じゃない?」
「ディラン兄上の!?」
「急に食いついてくるじゃないか、ウィル」
ディラン様の話に食い付いたウィルが気にくわなかったのかシエルは少しだけ頬を膨らませた。




