第XX話 『追憶』
かつて、サーラ王国と呼ばれる国があった。
魔力なしと魔力持ちが混在する大国。
その国の王家に、双子が生まれた。
金色の輝く髪と、宝石のような瞳。
兄であるガルヴァーニの瞳の色は青。
弟であるヴェルメリオの瞳の色は緑。
まるで対のような二人は、性格も真反対だった。穏やかな兄と、少しヤンチャな弟。
双子は大層仲が良かったが、唯一決定的な違いがあった。それは、兄は魔力なしで、弟は魔力持ちだったこと。
国王には、魔力持ちしかなれない。
そのため、弟の方が何かと優遇された。弟はそれをいつも申し訳なく思っていたが、兄は全く気にしていなかった。
自分の片割れが、ちやほやされて嫌な気持ちになるわけがない。自慢の弟は可愛くて人懐っこい上に魔法まで使えるのだ、と兄は鼻高々だった。
たとえ周囲が双子を差別しようとも、兄弟仲は良好で喧嘩をすることなどあり得なかった。兄は弟を可愛がり、弟は兄を慕う。
「ヴェルメリオ、お前は本当に可愛いな」
「同じ顔してるくせになにいってんだよ! でも俺はガルヴァーニの目の色も好きだぞ」
「僕もお前の宝石みたいな緑の瞳が好きだ」
正反対のようで、気の合う二人はいつも一緒で、これから先もそうであることを信じて疑っていなかった。
しかし、ある日。
彼らの目の前に一人の少女が現れる。
「初めまして! わたくしはティーン王国の第二王女、クラーラよ」
隣国からはるばるやってきた王女が、二人の前でふんぞり返る。隣国は双子たちの国であるサーラ王国と同じぐらい大きな国だ。
双子は自分たち以外の人間に驚き、警戒した。
彼らの世界にはお互いしかいなかったし、それ以外はいらなかった。兄は弟さえいればよかったし、弟は兄さえいれば良かった。
兄を冷遇する大人が嫌いだ。
弟の意思を無視する大人が嫌いだ。
世の中の人間は皆欲に眩んでいてみっともない。みんな自分たちを利用しようとする連中ばっかりだ。だから、心を許すのはお互いだけにしようね。━━それが、双子の約束だった。
しかし、目の前にいる王女はそれをことごとく破る。邪魔されたくない二人の時間を、この王女が突撃して入ってくる。
双子の心に、ポツリポツリと影が落ちてきた。自分たちを邪魔する人間が恨めしくて仕方がない。しかも、彼女は双子のどちらかの婚約者になるというではないか。ありえない。ありえない。
それは、兄か弟かが、あの王女のものになってしまうということである。
「僕たちはこんなに愛し合っているのにどうして結婚出来ないのだろう」
「兄弟だから駄目なのか? それとも男同士だから駄目なのか?」
「ねぇ、ヴェルメリオ。お前の魔法で男でも子供が産めるようにしてくれよ」
「試してみる価値はあるが、でもそれは肉体改造だぞ」
「僕を実験台にしていいよ。お前の子を産んであげる」
「じゃあ俺も実験台になってお前の子を産もう。交互にすれば辛くない」
双子には、双子の世界があった。
歪んだ兄弟愛は、どろどろとした王宮にいたことを考えれば至極当然の結果ともいえた。人間の欲が露になる王宮でご法度など存在しない。
愛し愛され、憎み憎まれ、殺し殺される。
それが、宮というものだ。
「お前、邪魔なんだよね」
「近寄るな」
双子は王女を拒絶した。
隣国の王家など、双子にとっては障害にすらなりはしない。ただ、邪魔なニンゲン。それだけ。
「私は二番目でいいわよ。だから、仲間にいれて!」
王女は諦めなかった。
もともとの打たれ強い性格もあって、王女を無下にする双子にも果敢に立ち向かっていった。
「二人は仲がいいのね」
「うるさい」
「あっちいけ」
「二人はどんなお花が好きなの?」
「邪魔だな」
「鬱陶しい」
「好きなものはある?」
「……そろそろ本気で怒るよ」
「あまりガルヴァーニを困らせるな」
「ほら、もう出会って二ヶ月も経ったわ。お友だちになりましょう」
「他人なんて興味ない」
「誰がお前なんかと」
「わたくし、国に帰ることになったの」
「……ふぅん。よかったね」
「……うるさいのがいなくなってせいせいするな」
「なんてね!! うそよ! びっくりした?」
「「ふざけるな!」」
気がつかぬ間に、王女はするりと双子の間に入っていた。双子の世界には、いつしか王女が居座るようになった。
「クラーラ、お前は遊ばないのかい?」
「まって、ガルヴァーニ!」
兄は王女を妹のように可愛がった。
「ほぅら、見てみろ。カエルだぞ!」
「きゃあああ! なんて気持ち悪いの!」
弟は王女と幼馴染のようにじゃれあった。
そうして、ついに双子は気付いてしまった。
「僕はクラーラを愛している」
「俺はクラーラを愛している」
それは、双子が互いに感じていた愛とはまた違う感情だった。双子は、王女に対して兄弟に抱かなかった感情を抱き、これが恋だと自覚した。欲を孕んだその感情は、今まで感じたことも無いほど強烈で彼らの身を焦がした。
そして双子であるがゆえに、彼らはお互いが王女を好いているのだと理解した。
大人になった彼らはお互いに口に出すことは無かったものの、色違いの瞳に移る感情はよく似ていて様々な感情に苛まれた。
兄も、弟も、互いに愛し合っていた。
だけれど、彼女も愛しい。
兄弟のことは大好きだ。だけど、彼女を渡したくはない。双子は彼女が大好きだった。しかし運命とは残酷で、隣国のお姫様は次の王様の妻になることが決まっていた。
王様には、魔力持ちしかなれない。
次期国王に選ばれたのは弟だった。
婚約者となった王女と微笑みながら、その緑色の瞳を甘く溶けさせる。
兄は、弟を愛している。
そして、王女のことも愛していた。
兄は恨んだ。魔力を持たない自分を。王になれない自分を。弟を魔導師として支えられない自分を。彼女に思いを伝えられない自分を。
兄は憎んだ。彼女を奪う弟を。弟を奪う彼女を。自分を残して、二人だけで幸せになる二人を。
兄のなかで、いつしか愛は憎悪に変わった。
兄は、弟の結婚式を見届けた後、国を出た。そして魔力なしの自分でも使える魔法を模索した。
探して、研究して、歩いて、彷徨って、やっと見つかった。それは黒魔法と呼ばれる精神干渉の魔法だった。
作ったのは隣国の山奥に住む草臥れた科学者で、彼は兄にその術を伝えたあとこと切れた。
その魔法は、分厚い本に長く長く書き込まれていた。冒頭に書かれた言葉を、兄がゆっくりと囁くように音読した。
「超越した力には、代償がいる」
魔法を使える者は、その力を使うために生まれた時から魔力を持つ。それはまさに恩恵と言われるもので、魔力持ちは神の愛し子と言われた。
しかし、この話は逆に考えれば代償さえあれば魔法は使えるということに他ならない。だけど、魔法を使えるのは魔力を持つ者のみだ。
それはなぜか。
魔力と同じように、神に代償として捧げられるものとは、人間の生気だからである。
命、魂、寿命、気力。様々な言い方があれど本質は同じ。人間は、生きるために命を削ることなどできない。そういう風に本能が無意識に自分を守るから、魔力なしは魔法を使えない。
魔力なしが、超越した力を使うにはあまりにも代償が大きすぎる。
その事実を知った瞬間、兄の心は嫉妬に燃えた。神は、意図的に人間を差別したのだ。それも生まれる前から。
兄が王になれないことは生まれた時から決まっていた。クラーラが王女であることは生まれた時から決まっていた。兄と王女の運命は、すでに神の手によって決まっていたのだ。
ひどい理不尽だった。
その怒りが、彼を狂わせた。
「ならば僕も、王になればいい!!」
己の命を贄として、魔法を使うことを決意した。相手の精神を操る精神魔法は、黒魔法と呼ばれる禁忌の魔法である。
魔法使いがこの魔法を嫌った理由は、非道だからではない。この精神魔法は使い手の心にまで干渉する。つまり使い続ければ自分が狂ってしまう。
精神魔法が他の魔法と異なり、魔力だけでなく感情や願いも贄とすることはこの世で兄のみが知っていた。精神魔法をより強化するため、兄は怒りを燃やし続けた。
まず、隣国━━ティーン王国の王家に取り入った。肺が焼けるように痛かったが、魔力なしと侮られたお陰ですぐに洗脳することに成功した。王女の親族である彼らは兄の思いのままに動いてくれた。
今度は、自分の寿命を削って民を洗脳した。死が近付いてくる気配に、毎晩発狂した。
しばらくして用済みとなった隣国の王家を惨殺した。それでも彼に反抗する者などいなかった。
国を出るときに着いてきた側近は洗脳もしてないのに己の行動になにも言わない。ただ表情が変わらないまま兄の後ろにじっといるだけだ。
「お前は、僕を止めないのかい」
隈のできた虚ろな瞳をギラギラと輝かせながら兄は問うた。もうそろそろ、自分が死ぬことを悟っていた。
「我が主のお気に召すままに」
側近はそれしか言わない。
ティーン王国の王である兄のもとに、祖国から手紙が届いた。
それは、祖国の王である弟からの手紙だった。
突然現れた男が王となり、国民を洗脳している。しかも魔力持ちの王家さえ惨殺した。
このことが祖国に伝わらないはずがない。
弟は立派な王になっていた。
兄はふっと目を閉じて自分の手を見つめる。もう、魔法が使えるのはあと一回だ。
「はじめての、兄弟喧嘩とやらをしようか」
戦争が始まった。
友好関係にあったはずの国二つが、激しく衝突した。攻撃魔法に特化した弟の国と、兄に洗脳された民が戦う兄の国。
結果は歴然だった。
兄は、自分が死ぬことを知っていた。
殺されることも、地獄に落ちることも。
兄は狂っていた。弟を愛し王女を愛し、狂愛の末に魔法にさえ精神を蝕まれた兄はまさに廃人に等しい。しかし皮肉なことにその執着はさらに兄の精神魔法を強くする。
兄は、弟の目の前にいた。
サーラ王国の王城にある謁見の間で、王座に座った弟とボロボロになった兄。どうやってここまで侵入できたのかはわからない。
ただ、今は敵となってしまった兄弟二人が互いを静かに見据えていた。
「我が兄、ガルヴァーニ。久しいな」
「我が弟、ヴェルメリオ。お前を殺しにきたよ」
弟は困ったような顔をした。
それは、幼い頃よくした仕草だった。兄は激しい頭痛に見舞われたがすぐに彼を現実に引き戻すような感情が渦巻く。
必要ない。慈しむような感情は必要ない。
ただ、燃えるような激しい憎悪さえあればいい。
実の兄弟が殺し合う様はあまりにもおぞましく悲しい。顔のよく似た双子が、その身を削り削られながら死へと近づいていく。
王女が扉の近くで目を見開いて震えているのに兄は気がついた。
愛しい人だった。
弟と、同じくらい美しく優しい人だった。
彼女が、欲しかった。
「クラーラ……」
彼女を見るために反らした視線を弟は見逃さず、兄の体を弟の剣が貫いた。床を汚す鮮血に兄は己の死を理解した。
ドサリと力なく体を投げ出した兄に、血のついた剣を放り出した弟が近付く。
「ごめん、ごめんなさい。ごめんなさい、ガルヴァーニ」
弟は王とは思えない顔で泣きながら兄を抱き締めた。上等な服に血が付くのも厭わずに、必死で兄を抱き締める。
(泣くな。僕のために、泣くんじゃない)
声に出そうとしても、口から血が吐き出されるだけで音にもならなかった。
ぼんやりとした視界には、弟と王女がいる。
「ごめんなさい、ガルヴァーニ。全部私が悪いの」
(うるさいうるさいうるさい!)
王女が涙を流しながら兄の手を握った。
弟は兄の頭を撫でたまま兄の目元に手を翳す。いよいよ視界が閉ざされた。
「愛している。俺の半身。俺の兄弟。これからも、ずっと」
「優しい貴方が大好きよ、ガルヴァーニ。貴方に安らかな眠りを」
この時、兄の狂気が消えた。純粋無垢なあの頃の自分が戻ってきた。
しかし、後悔しても遅かった。
兄は自分が死ぬと同時に発動する魔法を設置していた。それは、己の魂を一つの本に封印する魔法だ。精神魔法を応用したその魔法は、魂に多大なダメージを与えながら時を過ごす。
ずっと本に閉じ込められたまま、あの憎悪に身を焦がされ続けるのだ。
地獄よりも辛い魂を削られるという罰に、兄はひっそり目を閉じた。自分の愛した二人が、これからも幸せであるように。
「さようなら。愛しい君たちに幸あらんことを」
彼の最初で最後の、他人の幸せを願った瞬間だった。




