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第74話 『王家の正史』

 深呼吸を繰り返し、落ち着いた頃にようやく机の上にあった本に手を伸ばした。埃にまみれた本を開くとカビの臭いに鼻の奥がツンとした。


 五千にも及ぶであろう本の数。これはすべて初代ヴェルメリオ国王陛下の日記だった。日記の始まりは文字の練習からで、古典的な言い回しが多くて読み取りづらい。年齢的には5歳くらいだろうか。王家の教育は普通より早いから、もっと幼いかもしれない。

 拙い筆跡に、昔の国王もただの人であったのだと妙な親近感を覚えた。


 初代国王の日記には、必ず双子の兄が現れた。兄は優秀だとか、優しいだとか。

 そこから分かったことは、その双子の兄は魔力を持たない王族であり、王宮では冷遇されていたことだ。魔力を持たない王族と魔力持ちの王族は全く別のものと言っても良い。なんなら王家と平民くらい違う。

 魔力持ちは必ず王位継承権を持つが、魔力なしはどう足掻いても王にはなれない。この差は想像するよりずっと大きい。王になれない王族などなんの価値もないからだ。


 ひたすらに読み進めていると、だんだんと私の知っている歴史とは全く違うことに気がついた。書きづらそうに綴っている双子の兄の名前。その名前がガルヴァーニだった。

 初代国王の片割れの名前が忌々しいガルヴァーニ王国の名前と同じという偶然などあり得るのだろうか。日記に国の詳細が書かれることはなく、双子の兄と過ごす穏やかな日々が書き記されているだけだ。初代国王は双子の兄を大層愛していて、時々本気で双子の兄に恋をしているのかと錯覚するほどだった。

 まさか、血の繋がった兄弟に、しかも男に恋情を抱くはずはないと思うが……。こればっかりは分からない。


 その後も日記は続き、今度は隣国の王女が現れた。地形的に、山を隔てた海の方に王女の国があったらしい。初代国王はそこを隣国と表現しているが、現在はこの国の領土となっている。そして、その領土を得たのはヴェルメリオ・ガルヴァーニ魔法戦争後のはずだ。


 しばし考えるが、読み進めなければ分からないと再び日記に目を通す。そこには王女と双子の関係がこと細かく書かれていた。初代国王の日記の最初の方には王女の愚痴ばかりで、相当嫌っていたのだと分かる。しかし途中から、絆されたのか好意を持ったのか、やけに照れたような心情が記されていた。


「……"どうやら、兄上も王女が気になるようだ"、か。なるほど、流石双子といったところだな」


 私は途中から恋愛小説を読んでいるような感覚で、初代国王の日記を読んでいた。偉大な祖先の日記を陳腐な恋愛小説と同じように見ていたなど罰当たりも甚だしい行為である。


 この日記を読む頃には全体の三分の一を読み終えていて、恐らくこの王女に恋をした頃がもっとも日記を書いていたのだろう。彼女に対する愛情と、兄に対する罪悪感を吐露するように書かれていた。



 ◆◇◆



「シャトレーゼ卿」


 見知った後ろ姿に声をかけると、シャトレーゼ家現当主がくるりとこちらを向いた。銀髪とミラによく似たたれ目が印象的な初老の男だ。


「これは王太子殿下。本日も書庫へ?」

「あぁ、今日も案内してほしい 」


 王家の国家秘密を守るシャトレーゼ家は、あの書庫を管理している。国王の絶対的家臣として"王家の番犬"と称されるほど厳格な家だ。

 そのシャトレーゼ家は書庫への行き方とそこに通ずる場所を代々当主が口承してきている。その開き方は国王とシャトレーゼ家当主以外に知られることは決してない。さらに、入ることができるのは魔力を持つ者と決まっているので王族以外が入ることも有り得ないのだ。


『まだ王でない私を書庫に招くというのは、王家の番人であるシャトレーゼ家当主としては許せないことではないか?』


 父上に書庫を教えてもらった次の日に当主を訪ねてそう問えば、彼は優しく笑っただけだった。


『国王陛下が望むのであれば、私はそのお心に従うまでです』


 王が罪人といえば、どんな善人も彼らにとっては罪人となるのだろう。

 シャトレーゼ家の王家に対する執着は異常だ。他の臣下の比ではない。


「許されるならば一つだけ、お尋ねしたいことがございます」


 私の半歩後ろを歩いていたシャトレーゼ卿のその声にはっと意識を戻す。


「なんだ」

「"正しい歴史"というものは、それほど興味深いものなのでしょうか?」


 彼はただただ純粋に疑問だったようで、不思議そうに瞬きを繰り返していた。


「陛下は、即位された後あの部屋へ行きましたがものの数時間で飽きられたようです。即位した日以来、あの部屋へ近づくことはありませんでした」

「……それは、父上が王家に興味が無いからだろう」


 私がそう言うと、彼は困ったように曖昧に笑った。そして小さく、そうですね、と呟く。


「ところで、ミラの体調はどうだ? 今年から学園に入学できると聞いたが」

「はい、地方での休養後、かなり体調はよくなりました」


 シャトレーゼ卿は顔色も変えずにすんなりと教えてくれた。


「殿下が気に病まれることではございません。あれも少々手癖が悪いじゃじゃ馬ですから」

「ミラは大人しく、思慮深い女性ではなかったか」


 大して会ったこともないくせに、まるで彼女を知っているかのような言い方だ。シャトレーゼ卿は瞠目してから、クスクスと笑った。


「お言葉ですが殿下、人間というのはどこかに必ずおぞましい部分があるのですよ」

「それは、分かっているが」

「あの子をじゃじゃ馬にしたのは、殿下でしょう」


 ピシャリとそう言われれば返す言葉も無かった。パーティーの時、私はミラに挨拶をしたことがあっただろうか。いつから彼女を顧みることがなくなったのか。彼女は、私の前ではいつも笑顔で、苦しんでいる様子など微塵もみせてはいなかった。


「少し、気にかけて頂くだけで、我らは救われます。王の願いに応えることこそがシャトレーゼ家の誇りですから。お好きなように我々をお使い下さい」


 いつもの笑顔を絶やさないまま、シャトレーゼ卿は言った。気がつけばいつもの扉の目の前だった。複雑な鍵を回したり捻ったりしてシャトレーゼ卿が扉を開ける。


「私は外にいますので、終わればいつものようにベルで知らせてください」

「いつも手間をかけるな」

「滅相もございません。どうぞごゆっくり」


 深々と頭を下げるシャトレーゼ卿に背を向けて、階段を降りる。何度来てもこの部屋は埃臭い。


 初代国王の日記は、ついにヴェルメリオ・ガルヴァーニ魔法戦争の時代まで来ていた。結局、双子の兄弟が恋をした王女は、初代国王である弟を選んだ。二人の挙式後、兄のガルヴァーニは失踪した。しかし、その数年後にガルヴァーニは王女の祖国である隣国を手中に納めていたのだ。

 魔力なしの兄が、どうやって国を掌握したのかは分からない。だが、この日記によると魔力なしであるはずの兄は精神魔法を使っていたらしい。


 そんなことはあり得ない。

 後天的な魔力持ちなど、前例がないはずだ。


「……魔力なしでも精神魔法は使えるのか? しかし、あれは魔力と同時に自分の精神さえも犯される禁忌の魔法のはず。魔力持ちでさえ嫌がるあの魔法を魔力を持たない者がなぜ……」


 最後の日記を読み終え、埃だらけの部屋をぶつぶつと呟きながら歩く。そして晩年の国王の日記には、兄への懺悔が綴られていた。


「……ん?」


 パラパラと日記に目を通していると、日記の最後に書き殴ったような文字があった。


 "ガルヴァーニは死んでない"


 その一言は、邪悪な精神魔法に犯された兄への警戒か、愛した兄が生きているという願望か。


「……愛というのは分からないな」


 初代国王は、最期まで兄を愛していた。学園が教会という面も持つならば、もしかしたら兄の遺体もそこに埋めてある可能性がある。あの学園が、ガルヴァーニの大きな墓だと考えたら━━ゾワッと悪寒がして無意識に腕を擦る。


 初代国王から現代までに、この最後の一文を解読しようと多くの王が取り組んだ痕跡があった。何百年も調べて取り組んだ結果、ガルヴァーニの魂だけが現代まで封印されていたという説が一番濃厚らしい。


「なるほどな、輪廻の悪魔か」


 己の魂を封印し、条件を満たした者が封印を解くまで待ち続ける。魂を縛り付けるなど正気の沙汰ではない。仕組みは理解できるし、理論的には可能性だが今までそれをした者は誰一人といなかった。剥き出しの魂をどこかに閉じ込めるなど、考えただけで吐き気がするような話だ。


 だが、その禁忌をガルヴァーニは犯した。精神魔法で正気を失ったせいだと考えれば説明はつく。 ……ただ、理解ができないだけで。

 初代国王の日記を見れば、ガルヴァーニの目的も望みもなんとなく分かった。恐らく彼は双子の弟に羨望に似た憎悪を抱いていた。それは魔力なしであることや、王になれなかったこと。そして王女を弟に取られたという小さな不満の積み重ねだったに違いない。だからこそ、兄のガルヴァーニは王女の祖国である隣国を掌握し王座に登り詰めた。


 歴代王の考察も似たようなもので、ガルヴァーニの目的は"輪廻の悪魔による復活"と"王となること"だ。人が魂を売ってまで望むものと言えば、権力か情。王女に対する愛情がいかほどだったか知る術はないが大きく外れてもいないはず。

 聖書の場所は、恐らく学園だ。王家に干渉されない場所はそこしかないし、学園の特別棟には魔法で隠された部屋がいくつもある。

 劣化した黄ばんだ紙には"ガルヴァーニは魔力を望む"と書いてあった。歴代の王の考察だ。


「なるほど。魔力なしだったガルヴァーニは手っ取り早く魔力を持った肉体を手に入れたいはずだ」


 であれば、狙われるのは魔力を持つ王族。しかし、今日に至るまで彼が復活した痕跡はない。魂を解放する条件が相当厳しいということか。

 どこかパズルがはまっていくのを感じながら、嫌な予感がしたのもまた確かだった。



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