第71話 『愛する覚悟』
「……ミラ様は大丈夫でしょうか……」
王太子に抱えられていたミラ様は、生きているのか不思議に思うほど顔が白かった。最悪の事態を想像して、唇を噛み締める。
「今回の件はベルは何も悪くないよ。義姉上も、承知の上で精神魔法を手に入れたはずだ」
「そう、ですね」
生気が削られると言うあの魔法をそこまで乱用してしまった彼女が、無事であるとは思えなかった。
もちろん、助かって欲しいと思っている。せっかく王太子と思いが通じあったのだから彼女の努力が報われればいい。
「ベル、兄上は君が思うほど甘い人ではないよ」
「え?」
視線を感じて横を向いたら、ディラン様はいつもと変わらない優しげな瞳で私を見ていた。……そういえば、あの怪しい学園長も瞳の色は青かった。
「兄上には、いくつも裏がある。正義感に溢れる慈悲深さを持ちながらも、非道な一面があるのもまた確かだ。そうじゃないと、たとえ王妃に操られていたとしても俺を排斥することなんて出来ない。王妃は兄上を利用したけど、兄上も王妃を利用していたんだ。━━それが意図的だったか無意識だったかは別としてね」
私は、ディラン様の言葉を聞きながら、一人呆然とした。
「王太子殿下は、素直で真面目で、非人道的なことを出来る人には思えませんでしたが……」
「そうだね。確かに兄上は素直さも真面目さもあるけど、残虐非道な面も持ち合わせてる上に自分自身にさえ残酷になれるよ。そういう人だ」
「で、では、ミラ様にかけたあの言葉は全部演技なんですか!?」
ディラン様は困ったように微笑む。
「兄上は義姉上を愛してるだとか好きだとか、一度も言わなかったよね?」
「はい」
「義姉上をどう思っているって言ってた?」
「自分に、必要な人間だって……あ」
必要な人間って、利用価値のある人間って意味だったの? 王太子として、必要のある人物だと?
確かにシャトレーゼ家は大きな家だし、王族にも忠誠を誓っている。彼女の頭の良さも器量もすべて王太子が利用できると判断した結果だとしたら。
「愛が分からないとおっしゃっていたのは、恋愛感情を経験したことがないという意味ではなく、ただその感情が王位につくのに必要ないという意味ですか」
「多分ね。それに義姉上も精神魔法のせいで興奮状態だった。本来であれば、被害者への謝罪を忘れて、あんな無様を晒す人じゃない」
そうだ。ミラ様は礼儀に厳しい人だ。そんな彼女が、あれほど感情を昂らせていること事態が異常。
「ごめんね、ベル。怖いよね。でも、王宮ってそういう所なんだ」
国の中枢に関わるというのは、闇を覗くことと同じ。綺麗事ばかりで終わらせられるような話じゃない。
一枚岩の国なんてありはしない。
「今回の件で俺は兄上側につくことになった。兄上は恐らく王妃と徹底的に対立するつもりだ」
生徒会室で話していた時は、それほどの覇気は感じなかったけど……。いや、一国の王太子の裏を見極めようとすること自体が無理な話なのか。
「……分かりました」
「どのみち、俺の婚約者である時点でこの争いは避けられなかった。俺は、利用価値のある人間だから」
ディラン様の瞳が、窓から差し込む光の反射で輝いて見える。先祖返りである彼は、存在そのものが巨大な力だ。
上手く使えば国の繁栄に、間違えれば国の滅亡に。
不覚にも、この時ララの言葉が頭に響いた。
「……ベル?」
思わずうつむいた私をディラン様が不思議そうに見ている。なんだか、無性に悲しくなってしまった。大きな運命を背負うことになった彼に、同情したのかもしれない。
「私、何があってもディラン様の味方ですから! 絶対に!」
突然ディラン様の手を握ってそう言い放った私を、彼はポカンと見つめた。そして、くすくすと可笑しそうに笑う。
「そんなに気負わなくていいよ。俺も、今度こそベルのこと絶対に守る」
軽やかに笑うディラン様をそれでも真剣に見つめた。私が本気であることを分かって欲しい。
ディラン様に守ってもらうばかりでは駄目なことくらい分かる。でも、私は魔法なんて使えないし、戦える術があるわけでもない。ディラン様が学園長に狙われているのならば、人質のように私が利用されることも考えられた。
何もかも一人で解決できるなんて、思わない。手を伸ばして全てを救おうとするのではなく、大切なものだけを決して離さないようにしよう。
そう、決めた。
私の本気が伝わったのか、ディラン様は泣きそうに顔を歪めた。
「……ベルには何でもお見通しなのかな」
「いいえ。ただ、私が伝えたいだけです」
「……そっか、うん」
ディラン様は何か心得たように頷く。
「━━もし、もしも。俺が殺されそうになったら、どうする?」
驚いて握られている手を見る。ディラン様の手が震えているのを感じた。切羽詰まったような雰囲気に、彼も余裕がないのだと気付く。
「それは、王妃様が何か仕掛けてくるということですか? それとも、今まで殺されそうになったことがあるんですか?」
「俺も、王族だから暗殺されかけたことなんていくらでもある。何度か、噂も耳にした。俺の魔力を恐れて国王が俺を処刑しようとしてる、とかね」
ニコニコと気にしてないように無理にでも笑おうとするディラン様に、思わず抱きついた。無理しているのがまる分かりだ。
「ベル……? 急にどうしたの?」
「その時が来たら、一緒に逃げます」
体を離して、彼の目を見る。
「殺されそうになるなら死んだように偽装してそのまま国外に逃亡するとか、そもそも殺される前に逃げるとか。ディラン様は強いですし、何かあれば魔法で━━」
言い終わる前に強く抱き締められた。行き場のなくなった腕を、震える背中に添える。
「逃げるって言ったらベルも一緒に来てくれる?」
「もちろんです。ぜひ私もお供させて下さい。あ、ただアリアとか家族には別れの挨拶をさせて欲しいなーとは思いますが……」
素直に答えれば、さらにぎゅうっとキツく抱き締められた。
「もう、俺幸せだからこのまま死んでいいや」
「それは駄目です!」
脱力したように息を吐いたディラン様は体を離してからふにゃりと微笑んだ。国宝級の笑顔である。
「ありがとう、ベル。心が軽くなった」
「いえ、大したことはしてないですよ」
顔が近いことに照れて視線を泳がせていると、さらに顔を近づけられた。顔がとても良い……。ディラン様の肌はつるつるで睫毛は驚くほど長い。加えて宝石のような瞳とさらさらの金髪。香水を使っているのか、恐ろしいほど良い匂いがした。好きな人、というフィルターのせいかディラン様が黄金に光っている気さえする。
私の婚約者はとても素敵だ……。
頬を赤らめるより先に顔をガン見してしまった。
「うっ……」
背後で聞こえた呻き声に、ハッと現状を思い出す。そうだ、話し込む前にするべきことがあった。
ディラン様から離れて、声のした方に駆けていく。そこには横たわるアリアとアズがいた。さぁっと血の気が引く。
「アリア! アズ!」
「うぅん、うるさいなぁ……」
思わぬ返答が返って来たことに驚いたが、アリアは依然として目を瞑ったままだ。
「え、これって……」
「皆見事に爆睡しているね」
ディラン様が困ったようにそう言った。
「寝てるってことですか……?」
「精神に干渉されたから、その分の体力を回復させようとしているんだろうね。取り敢えず、生徒を皆部屋に送ろうか。グラディウス、ハルナ。そろそろ起きろ」
そうだ、あの二人も壁に叩きつけられていたはず……。
そう思って二人を見ると、二人ともノロノロと起き上がって難なく立っていた。時々頭を痛そうに押さえているが、酷い怪我では無さそうだ。
「気を利かせて俺とハルナは気絶するふりをし続けていたんだぞ」
グラディウスが得意気に胸を張った。
その言い方だとまるで最初から起きていたかのようではないか。
「……大丈夫。"私、何があってもディラン様の味方ですから!"からしか聞いてない……」
「それ結構最初ですよね!?」
「……とても、よかった。舞台を見ているみたいで、面白かったよ……」
「見せ物じゃありません!」
顔を赤くしてハルナに詰め寄る。人の会話を面白がらないでほしい。こっちもかなり必死だったのだ。
「貴女の強さは尊いもの。とても美しい覚悟だった」
ハルナが真剣に私を見つめる。
「生徒の移動はディランとグラに任せよ……。私たちは、怪我した生徒の手当てをしとく……着いてきて……」
ディラン様は数人の生徒を魔法で浮かせて移動させていた。グラディウスは腕力だけで生徒を運んでいる。……二人とも常人とは思えないな。
ハルナに着いていくと、一人の生徒が壁にめり込んでいた。怪我人は彼だけだというが、何をどうすれば壁にめり込んだりするのか。
幸いにも、壁は古くて脆かったのでその生徒もあまり怪我はしていなかった。ただ、彼の背中に靴の裏の痕があったことだけが不思議だった。




