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第69話 『救済』

 螺旋階段を下り、特別棟の外へ出る。生徒が襲ってこないか慎重に進んでいたが、杞憂に終わった。外には糸が切れたように力なく横たわっている生徒が多くいたからだ。


「これは……」

「ミラの精神魔法が限界なんだろう。洗脳が解けた結果だ」


 急ぐぞ、と言った王太子の後をついていく。


「ミラ様の場所は分かりますか?」

「あぁ、魔力を感じる」


 王太子に続いて、私とディラン様、そして王太子の護衛であるグラディウスとハルナがついてきていた。グラディウスは実姉と対峙することになる。大丈夫なのだろうか。


 私が追い詰められた廊下まで来た。あの時を思い出して一瞬顔をしかめたが、それもすぐに掻き消される。


「ミラ、様……」


 荒い息がこちらまで聞こえてくるようだった。

 倒れた生徒の中心に、唯一立っているのはミラ様だ。しかし、その姿は優雅さとはかけ離れていて美しいドレスは真っ赤に染まっている。肩は苦しそうに上下していて、誰が見ても彼女が限界だと分かる。


 私の言葉に反応したのか、ミラ様がゆっくりとこちらを振り向き、目を見開いた。


「ギル様……どうして、ここに」


 その表情は絶望を色濃く示しており、声さえも震えていた。口の端には固まった血がついていて、お世辞にも美しい姿とは思えなかった。


「ギルヴァルト様、捕らえますか」


 なんの感情も伴わない声色でグラディウスが静かに言った。その声は廊下によく響いて、冷たく沈んでいく。実の姉の前で言えるような言葉ではない。背筋が凍るようにゾッとする。


「お前たちは手を出すな」

「御意」


 王太子が止めるように言えば、あっさりと引き下がる。グラディウスはまさに忠臣なのだろう。敵対するのが家族であっても、彼には関係ないのだ。


 恐ろしいような、悲しいような。ふと視線を下げると、背中を擦るように撫でられた。ディラン様だ。隣を仰ぎ見れば、優しく微笑んでくれた。


「ミラ、自分がどんな罪を犯したか、分かっているか?」


 王太子がミラ様に近付く。立っているのがやっとなのだろう。ミラ様は青ざめたまま後退することもせず、うつむいた。


「魔力を持たない者が、精神魔法……よりによって禁忌と呼ばれるその魔法に手を出すことは許されない。しかも、生徒を操るなど言語道断だ」


 ミラ様はうつむいたまま、ドレスを握りしめる。力一杯握っていることが、ドレスのシワを見たら分かった。


「━━わかっています」


 喉から絞り出したような、少し枯れた声だ。


「分かっています! 私が貴方に相手にされていないことも、見られていないことも、愛されていないことも!!」


 血に濡れた顔で、涙を流しながら叫ぶ彼女は━━正直見ていられないほど痛々しかった。


「あの子が羨ましかった。無知で馬鹿で、鈍感で、ヘラヘラ笑うことしかできないくせに!! ギル様に側室に誘われたから、どんな子かと思ったら私よりもずっと劣ってる!」


 あの子、とは確実に私のことだろう。ディラン様が真顔でミラ様に近づこうと足を踏み出したのを片手で止める。これはきっと、二人の問題だから、私たちが口を挟めることじゃない。それに、ミラ様の言葉は事実だ。


「こんな屈辱がありますか……? 私は貴方のために努力したのに、そうでなかった子が選ばれるなんて……! そんなこと、許せない!」


 悲痛な叫びが、廊下に響く。王太子は黙って聞いていた。

 ギッとミラ様が王太子を睨み付ける。


「ギル様、私は貴方が憎らしくて仕方がない。私を選ばなかった貴方が、憎い。嫌い! 大っ嫌い……!」


 嫌い嫌いと繰り返しながら、ミラ様は寂しそうに眉を下げ、ボロボロと涙を流す。ゆっくり彼女に近付く王太子に暴言を吐き続けるが、王太子は気にせず歩みを進める。

 私は、ハラハラしたまま二人を見ていた。


「止めて! 私に近付かないで! いや! 嫌い!」


 抱き締められるほどの距離に王太子が来ても、ミラ様は癇癪を起こす子供のように叫ぶだけだ。力なく王太子を叩いたり、押し退けたりしている。


「━━君に拒絶されるのは、思いの外苦しいな」


 今まで一言も話さなかった王太子の発した言葉にミラ様がハッと顔を上げた。


「きっと、君には、謝罪も言い訳も不要なものだ。今さら気づくなんて、我ながら私も相当鈍いな」


 王太子はへらりとミラ様に笑いかけた。ミラ様は信じられないようで、王太子を凝視している。

 ミラ様のその横顔を見て、分かった。ミラ様は王太子のことが大好きで、きっと今も王太子が笑ってくれたことに喜びを感じている。恋する乙女とは、きっと彼女のことを言うのだろう。


「ありがとう、ミラ。ずっと私のために努力してくれて。ずっと私を想っていてくれて、本当に、ありがとう」


 ミラ様はぎゅうっと唇を噛み締めて、耐えるように顔を歪めた。王太子はまた笑って、ミラ様の顔についた血や涙を自分の裾で拭ってあげていた。その行動にすら、ミラ様は思考が追い付かないようでポカンとしている。


「私には愛する、ということは分からない。そのような感情は王にとって必要のないものだと、思っていたからだ」


 ゆっくりと話し出した王太子の言葉をミラ様はじっと聞いている。


「だが、私の正妃はミラ以外にいない。君は賢くて自分の意見を流されずに言えるから、私は安心してしまった。君のその強さに甘えてしまったんだ」


 一度目を瞑り、王太子は覚悟を決めたように深呼吸をする。


「今までしたことの許しを請うことはしない。私がそれをすれば、君は許さざるを得ないから。その代わり、私はこの罪を一生をかけて償うと誓う。ずっと君の側にいて、君が側室を望まないなら側室は娶らない。子供が出来なくても、他の血縁から次期王を選ぶ。だからどうかもう一度私の側にいてくれないか」


 ミラ様を抱き締めて、王太子はそう言った。


「━━ギル様は狡いです……。その言葉、私が元気になったら100回は言ってもらいますよ」

「あぁ、何度でも言う」

「側室は、いらないです。お世継ぎは私の命に代えても産んでみせます」

「それはまた二人で話し合おう」

「ふふ、ディラン様にやたらと執着したのは、あの子への腹いせと、あと魔力量の多いディラン様をこちら側にすれば貴方が王位につきやすくなると思ったからです」

「━━私のためか。ありがとう」


 隣にいるディラン様が二人を射殺さん限りに睨み付けているが、今はとめておこう。とてもいい雰囲気だし。「ベルが傷付けられたのにありがとう? 意味が分からない」と隣でブツブツ文句を言っている。私は一人で苦笑するしかない。上手く纏まりそうだからここは王太子に任せた方がいい。謝罪はミラ様が元気になってから聞けばいいのだから。


「ギル様は、愛が分からないとおっしゃいましたね?」

「ああ」

「不思議ですね。私は、貴方が今向けてくれている感情が、愛以外の言葉で表せられません」


 ふわりと、幸せそうにミラ様は笑った。


「人生ではじめて、貴方を好きで良かったと自分を認められそうです」


 みつめあう二人は本当に幸せそうで、王太子が愛を知らないと言ったことが嘘のようだと思う。互いを愛しいと雄弁に語る二人の瞳がキラキラとしていて、私は一人で胸のトキメキを感じていた。


「ギル様、この精神魔法についてなのですが━━」


 ミラ様がそう言いかけた瞬間、ぷつりと意識が途切れたように体から力を無くす。王太子が焦ったように彼女を抱きとめる。


 そこへ、手を打つ乾いた音が聞こえた。


「うーん、よく出来たハッピーエンドだ」


 廊下の向こうから表れたのは長身の男。素早くグラディウスとハルナが王太子とミラ様を守り、ディラン様も私を庇うように前へ出た。


「こんなクソくだらない幕引きになるなら、見なければ良かったと思うくらいだ」


 ケラケラと笑いながら男は近付いてきて、足を止めた。


「━━お前だな」


 王太子の言葉に、男がニヤァと嗤ったのが私にも分かった。ゾッとしてディラン様の後ろに隠れる。


「全ては、お前が原因だろう。聖ポリヒュムニア学園、学園長」


 その言葉に男はただただ満足そうに再び手を叩いただけだった。



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私はミラを許さん!
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