第66話 『凶報』
王太子は着いてこい、と言っただけですぐに背中を向けた。ディラン様と顔を見合わせて、大人しく着いていく。下ろしてほしいという意思を込めてディラン様の肩を軽く叩くが彼はまったく下ろすつもりがないようで、離してくれなかった。
でも、さっきの告白があった後でのこれは普通に恥ずかしい。……いや、どう考えても今は色恋に浸っている場合ではないか。
さっきとは打って変わってピリピリとし始めたディラン様と王太子は互いが嫌っているからってだけではなさそうだ。恐らくミラ様の行動について何か裏があることは間違いない。
王太子は素早く特別棟を歩き、等間隔に並んでいる像の口にカードを差し込む。螺旋階段を登った先は、はじめて生徒会に呼び出された時に訪れた生徒会室だった。普段は使わないこの部屋には不思議と埃が溜まらないようになっている。おそらくなんらかの魔法が仕掛けられているのだろう。
豪華な赤いカーペットの上で王太子はピタリと止まった。そして、気まずげにこちらを見る。
「ディラン。少し彼女を下ろしてくれないか」
あの気の強い王太子にしては珍しい下手な態度だった。ディラン様に下ろすよう催促するとしぶしぶながら下ろしてくれた。
私は床に足を着けて、慌てて淑女の礼をとる。
「このような形での挨拶になること、どうかお許しください」
王太子は驚いて目を見開いた。
彼は、9歳のころの私しか知らないから余計に驚くだろう。少しだけ嬉しくなってしまった。私だって成長しているのだ。
「ずいぶんと、変わったな」
「ディラン様のお側に相応しいよう、日々精進しております」
王太子の表情は分からない。普通は王族に会うとき、まずは顔を上げる許可を得なければならないのだ。どうやら彼はお忍び、というわけでもなさそうだし。
「……顔を上げろ。そんなに畏まる必要はない」
「はい」
私が顔を上げたのと同時に今度は王太子が頭を下げた。思わず絶句する。
もともと王太子のプライドが高かったのは知っているが、それ以前に、国王は簡単に頭を下げられるような身分ではない。王太子の教育を受けている彼はこういうことに人一倍敏感なはずだ。
「ベルティーア嬢……君には申し訳ないことをした。その、私の婚約者が……すまなかった」
拙く区切って謝罪した王太子はずっとその頭を下げたままだった。そもそも頭を下げるなんて今までの人生でしたことがないだろう。
私は、王太子に謝罪されたのがあまりにも衝撃で、きっちり数秒固まってやっと取り繕うことができた。
「だ、大丈夫です! そんな、王太子殿下に頭を下げさせるなんて……!」
本当にその通りである。王太子に頭を下げさせるなど言語道断。貴族の身分制度を学んだ今ではこれがどれだけ異常なのかよく分かる。あわあわと一人で狼狽えていると、コツリと靴の音が聞こえた。
「ギルヴァルト様」
静かに王太子の名前を呼んだのはグラディウスである。彼はいつもの制服ではなくスーツのような洋服を着ていた。この国の正装だ。
グラディウスの後方には同じ服装姿のハルナが生徒会の扉を押さえて立っている。パンツスーツに身を包んだハルナはSPのようだった。
そう言えばグラディウスとハルナは王太子の部下だと言っていた。二人はかなり身分の高い人物なのだろう。たしかグラディウスの家名はシャトレーゼだった。今まで気付いてなかったけど、グラディウスはミラ様の弟にあたるのか。全然そんな素振り無かったのに……。
そんなことを考えていると突然腰を引かれる。なんだと思って隣を見るとディラン様が険しい表情で王太子を見ていた。体が密着したことに恥ずかしさや嬉しさを感じたが、一瞬で吹き飛ぶ。いつも爽やかに笑っているディラン様が険しく王太子を見つめているからだ。
「兄上が何か俺に用があるということは、それほど手に負えない案件なのですか」
「馬鹿を言え。お前に助けを乞うほど私は腑抜けではない」
王太子はグラディウスをちらりと一瞥してから不愉快そうに顔を歪めた。しかし次の瞬間にはその表情に影を落とした。
「……しかし、今回のことはすべて私の責任だ。私のせいで、こんな結果になった」
王太子はまっすぐにディラン様を見つめる。
その瞳は輝いていた。
「お前は強い。私よりはるかに魔力に恵まれている。しかし、王となるのはこの私だ」
強い意志が宿るその瞳には常人は持ち得ないような情熱が燃えていた。王というのは彼のことを言うのか、となんとなく腑に落ちた。
彼にはカリスマ性がある。人を惹き付けるような、覇気が。揺るぎない信念があって、それを疑わずにまっすぐ突き進んでいる。
それが私にも感じられるのだから、恐らくみんな感じていることだ。王として愚直すぎるくらいだが、だからこそ人に好かれる。
彼に会うたびに感じる違和感は、これかもしれない。まだ二回しか会ったことのない人物だけど、どうも人を苛める人のような卑怯な人物には見えないのだ。もしかしたらとんでもない裏の顔があるのかもしれないけれど。
私が思考に耽っている間にも王太子の話は続いた。
「私はお前に助けを乞うことはない。ただ命令するだけだ。ディラン、お前の力を貸せ」
ディラン様は軽くため息を吐いてから、膝を折った。私もそれに伴って跪く。
奥を見ればグラディウスもハルナも膝を付いていた。第二王子であるディラン様が跪いているのだからそれより身分の低い者が立っているわけにはいかない。
「御意に」
頭を垂れて静かにディラン様がそう言った。
「それで、俺は何をすれば?」
「まずは順を追って説明しなくてはならないな。生徒会室に来い。……お前もだ」
王太子の視線が私に向かった。戸惑って目を泳がせると、王太子はさっさと背を向けて扉の方へ向かう。
「これからの話は国家機密だ。グラディウスもハルナも外で待機させる。━━だが、お前は話に混ざってもらうぞ、ベルティーア嬢」
なぜ私が指名されるのかよく分からないが、とんでもない話を聞かされるってことだけは理解できた。つまり、これを他言すれば命はない、とか。
ちらりとディラン様を見ると、彼も私を見ていた。
「大丈夫?」
「……はい」
一瞬迷ったものの、深く頷いた。大丈夫だ。ディラン様も聞くわけで、私一人が背負い込むものでもない。分からなかったり不安であれば、彼に言えばいいのだから。
「ベルが気負うことじゃないからね」
にこりと微笑んで私の手を引いてくれるディラン様は私の心を読んでいるかのように欲しい言葉をくれる。胸がぎゅうっと締め付けられて抱き着きたくなったが、今そんな雰囲気ではない。
生徒会室に入って、ディラン様と二人で王太子と向き合った。王太子が手を翳すと空間がゆらりと歪んだ。……前に一度見たことがある。
「防音魔法だ。これで声が漏れることも聞かれることもないだろう」
魔法って便利だなぁ、と感心していると王太子がこほんと咳払いをした。
「まずはこの場にいる誰もが今から話す内容を他言しないように誓約を結ぶ。これを破れば直ちに私の方に連絡がいく」
謎の記号が書かれた紙を王太子が取り出した。魔方陣と言えば分かりやすいかもしれない。
「手を翳せ」
王太子とディラン様を真似して手を翳すと、突然魔方陣が光りその光が三人各々の手に吸い込まれる。
「まぁいいだろう。魔法道具の試作品だが役目は果たしてくれる」
王太子はその紙をしまってから、その代わりとばかりに使い込まれたであろう教科書を机の上に置いた。そして印や付箋が多くついた教科書を何度も叩きながらゆっくりと話し出す。
「まずは順を追って説明しよう。これが今最も他言してはならないことだ」
静かな瞳で、私たちを王太子が見つめる。
「王がもうじき退位なさる」




