第65話 『幸福に潜む欲望』
ヤンデレ注意報
ヤンデレ度★★★★☆
おかしい。
未だ苦しむベルを抱えたままひたすら走る。後ろからは目から光を無くした生徒たちが追い掛けてきた。来るな、と言っても聞く耳を持たない。俺が生徒会長であることは知っているはずなのに、一体なにがどうなっているのだろう。
これではまるで━━━生徒が義姉上に操られているようだ。
「ディラン、様……」
ベルが頭を抑えながら潤んだ瞳でこちらを見た。
ベルを姫抱きしているという事実をなるべく意識しないようにしていたにも関わらず、彼女は容赦なく理性を揺さぶってくる。ベルの軽くて柔らかい感触を直に感じて頭が可笑しくなりそうだ。
「ベル、出来るなら俺に捕まって」
前方に現れた生徒を見て、対処法を瞬時に考える。ベルが一つ頷いて遠慮がちに首に腕を回してくれた。少し顔を赤くした様子が可愛すぎて死にそう。
腕二本はもちろんベルを抱えるために使っているので足を使って生徒を蹴飛ばした。蹴飛ばされた男子生徒は有り得ない距離飛ばされて校舎の壁にぶつかった。
まずいな。肉体強化してると生徒を殺しかねない。幸いベルはぎゅっと目を瞑っていたので、俺の足蹴りを見ていなかった。……キスしたい。
馬鹿なことを考えている間にも生徒は増えていく。まぁ、俺一人だけ狙っているみたいだからいいんだけど、鬱陶しいな。
魔法を使おうと意識をすれば眼前にパチリと火花が散る。肉体強化と風魔法。魔法を同時に使うことは並の魔力では太刀打ちできない。これだけで、俺が化け物級の魔力を持つことが分かるだろう。
静電気で髪がふわふわと靡く。ベルはこれから何が起こるのか分からず混乱していた。人が電気を帯びるなんて明らかにおかしいことは知っている。
「ディラン様……」
「大丈夫。安心して」
不安げにこちらを見つめるベルにニコリと笑いかけた。途端、俺らを囲んでいた生徒が感電したように体を震わせてその場に倒れこんだ。
「死っ……」
「ちょっと痺れさせただけだから、死んでないよ」
……多分ね。
曖昧なことは口に出さずに、俺の言葉を信じて安心したベルの額に軽く口付ける。ベルは一瞬呆然としたあと、かぁっと顔を朱に染めた。
「な、な、なんっ」
「頑張ったね、ベル」
労るようにそう言えば、ベルはカチリと固まった。よしよし、と肩を撫でればボロボロと泣き出す。
「ごめ、ごめんなさい! わた、私、パーティー行かなくて……」
「うん、いいよ。何かあったんでしょ?」
ベルはこくこくと何度も何度も頷いて必死に溢れる涙を拭う。慰めるようにキツく抱き締めていると遠くから声が聞こえた。あぁ、今良いところだったのに。
内心舌打ちをしながら声のする方向とは逆に走り出す。ベルは鼻をずるずると啜りながら俺に抱き着いた。さっきのただ首に手を添えるようなものではなく、抱擁のように体をくっつけて。
今度は俺がガチリと固まった。予想外。これは予想外だ。
ベルは俺をぎゅうぎゅうと強く抱き締める。長い髪が顔にかかって擽ったいがそれどころではなかった。思考が停止して動かない。
今までベルがこんなに積極的になったことがあっただろうか、いやない。
このまま死んでいいと本気で思った。
「ディラン様……あの噂は、本当に嘘です」
「うん、分かってるよ」
「……分かってないです」
ベルは拗ねたようにそう言って、目元を俺の肩に押し付ける。じわりと服が涙で濡れる感触がしたが、全然気にしない。この服は洗えないな、と沸騰した頭でかろうじてそれだけは考えることが出来た。
「ディラン様、優しいですから。パーティーに私が来なくて凄く凄く、傷付けたと思ってます」
これにはさすがに閉口した。図星だったから。
「でも、それなのに、私を庇ってくれて助けてくれてとても嬉しかったです。ありがとうございます」
ベルは顔を押し付けたままか細く礼を言った。俺の脳は、ベルに抱き締められたせいで腐るほど幸福に浸っている。むしろこんな褒美が待っているのだったらパーティーなど何度放り出されてもいい。
考えに耽って何も言わない俺に不安になったのかベルがそろりと顔を上げる。バッチリと目があったことが恥ずかしいのかベルは視線を下に向けた。彼女の瞳が自分だけを写していることに言い様のない喜びを感じて、顔を覗き込むように近づける。
「ディラン様は……言ってくれましたよね」
ベルは言うか言うまいか戸惑ったように視線を泳がせてから腹をくくったように俺を真っ直ぐ見た。彼女の飴玉みたいな透き通った紫の瞳に自分が写っている。幸せの絶頂にいるような蕩けた表情をしている自分に思わず笑いそうになった。あまりにも間抜けな面だ。
「なんて言ったっけ?」
「……そ、その、私を……あ、あ、あ」
ベルは急に顔を真っ赤にしてあうあうと口を開けたり閉じたりしている。その姿が可愛すぎてそのまま閉じ込めたくなる。
できれば分かってあげたいけど、さすがに思考までは分からなかった。
「無理に言わなくても━━」
「愛していると!!!」
拳を握り締めて大声でベルが言った。幸い、誰もいない特別棟の近くにいたため、生徒には気付かれなかった。
「え、うん、言ったけど……」
言った記憶はある。なぜ、ベルを助けるのかと義姉上から聞かれた時だ。
俺からすればごくごく当たり前の、ほんっとうに基本的なことを聞くものだからさらりと答えてしまったのだ。俺がベルの味方じゃないなんて天地が引っくり返ってもありはしない。
それがどうかしたの? と首を傾げたらぐいっと首が引かれる。ネクタイをベルが引っ張っているのだと気付いた時には遅かった。
近付くベルの顔が、ぎゅぅと目を瞑っているのが何故かその時ははっきりと見えた。心にその表情を刻み込んでいると、頬に柔らかい感触がする。
……??
ベルが今までにないほど顔を真っ赤にして、もはや睨み付けるように俺を見つめた。
「わ、私もっ、ディラン様を、あ、あい、愛しています!!!」
え、なに?
何も理解できなかった。
ベルが俺のネクタイを引っ張って、顔が近づいて、頬に柔らかい感触がして、ベルに愛してるって言われて……。
完全に混乱してしまった俺は頬を赤らめながら不安げにこちらを見るベルになにか言おうと慌てて口を開く。
「えっと……それは俺が好きってこと?」
なんとも初歩的な問いに、ベルはこくりと頷く。そこでやっと理解できた。
ベルは俺が好きなのだ。
そう思った瞬間、ぼろりと目から涙が溢れた。
「え、ディラン様、泣いて……!? ごめんなさい、ほっぺにキスは嫌でした……?」
今度はベルが泣きそうに顔を歪めたが、彼女の服には際限なくぼたぼたと涙が落ちていく。
止まらない。彼女の前で泣くなんてカッコ悪いし恥ずかしいのに全然止まる気配がしなかった。
「やじゃ、ない」
「じゃあどうして泣いて……」
戸惑い、俺の涙を拭おうと手を伸ばすベルを俺の顔が見えないように抱き締めた。
「顔、みないで」
ベルは息を吐いてから宥めるように背中を擦ってくれた。その優しさにすら今は涙が出そうだ。
ベルが俺を好きになってくれた。
でも、それは完璧な王子である自分で。泣いている時点で少し子供扱いされている気はしなくもないが、それでも生徒会にいる俺と、本来の俺は全然違う。ベルが俺を好きになってくれたことが死ぬほど嬉しいのに、ぽっかりと心に穴が空いたように虚しくなる。俺の"好き"は君の"好き"とは全く釣り合いが取れないものなのだと。
本当は俺以外の男と話してほしくないしなんなら学園に来てほしくない。もっと言うなら彼女の父親もウィルも駄目だ。
彼女が頼るのは俺だけにしてほしい。アリアと仲がいいのも嫉妬する。女同士で分かることがあるのも理解できるが、それでも彼女の心の拠り所が自分以外にあることが耐えられない。
でも、それはきっと俺がベルに依存しているから。俺にはベルしかいないから、彼女の唯一も自分でなくてはならないと傲慢な考えを持っている。
彼女の笑顔が好きなのに、自分に縛り付けていたいとも思う。
「ありがとう、ベル。俺も君が好きだ」
ベルは驚いたようにはっと息を飲んだが、すぐに嬉しそうに頭を俺に擦り寄せてきた。
その仕草がかわいくて、この時間があまりにも幸せで心臓が壊れそうになる。
好きになってもらうだけでいいと思っていたのに、俺は自分に嘘をつき続けていたのだと今理解した。どろりと濁った感情が溢れて止められそうになかった。あぁ、可愛い。俺だけのものにしたい。
しかし、深呼吸して感情を抑えつけた。
彼女が好きなのは、完璧な俺だ。分かっている。誰にでも優しくて、いつも馬鹿みたいに笑っている俺。そんなもの、幻想でしかないのにね。
俺の嫉妬も我が儘も独占欲も気持ち悪い執着も全部全部受け止めてって。しまい込んだ感情がいつか爆発することを予感しながら、今だけは幸福に浸っていた。
「━━逢瀬は終わったか?」
第三者の声に、はっと意識が戻りベルを抱きなおす。ベルも驚いたように声のする方へ顔を向けた。
「え、兄上……?」
そこには眉間のシワを深く刻んだまま、こちらを睨み付けるように見る兄上がいた。




