第64話 『ミラ・シャトレーゼの葛藤』
生まれ落ちたその瞬間から、私の人生は決まっていた。
ヴェルメリオ王国には、国王にのみ伝わる秘密が存在する。それはまさに"正しい歴史"と呼ばれるものらしく、歴代国王はその真実を死ぬまで隠し通さなければならない。
王家の秘密とやらは王城の隠し部屋に眠っており、歴代の国王をそれは驚かせてきたようだ。
国王が退位すれば、次の王が立つ。その時に国家秘密を詰め込んだ隠し部屋に案内する必要があった。その案内人を務める信頼の置ける家臣。それが"王家の番犬"と呼ばれる私たちシャトレーゼ家だった。
ヴェルメリオ家に古くから仕え、その信頼を一心に受ける重臣。隠し部屋を守り、その場所を誰かに漏らすことは許されない。もしも王家を裏切るようなことをすればたとえシャトレーゼ家の者であっても秘密裏に始末されるのが我が家での暗黙の了解だった。
そのため、使用人も家族も誰一人甘やかすような人はいなかった。皆暗殺者のように目を光らせ常に気を張り王家にとっての邪魔者は排除してきた。
王の側近であり、護衛であるのが我が家の役目。建国してからずっとそのようにして生きていた。激動の時代では暗殺者のような役回りもあったと聞いたから、その時の気質ももっているような気がする。
そんなシャトレーゼ本家の長女として生まれた私━━ミラ・シャトレーゼ━━は、ほぼ確実に次期王妃となることが約束されていた。ヴェルメリオ家とシャトレーゼ家の絆は深い。現国王も父もそのつもりであったらしく、私は父に連れられてよく王宮へ足を運んでいた。
美しい花が咲き乱れ、小川まで流れる王宮は都会のど真ん中にあるはずなのに、まるで清らかな森のような場所だった。色とりどりの花たちと、ひらひらと舞う蝶や鳥。天国のような光景に、幼い私は昔から言い聞かされていた王家の権威に萎縮したものである。
ヴェルメリオ家は魔法の使える唯一の血筋。
天に愛された美しき我らの主。
シャトレーゼ家は少々盲目的なほど王家を崇めている部分があったから、そんなお伽噺話のような話でさえ寝る前によく話される物語だった。
「お前は、王太子殿下を支える立派な妻となるのだぞ」
父が頭を撫でながらよくそんなことを言った。最初は刷り込みのようなもので、己の人生は"こうである"と疑いようもないほど信じきっていた。そこに私の感情が入る余地はなく、王太子妃になるのは至極当然のことだと思っていたのだ。
だから、王宮の庭で王太子を見て驚いた。
金色に、緑の瞳。教会に描かれた天使のように美しい少年がそこにはいた。
王太子と思われる少年は、もっと小さな子供と遊んでいる。あれは、噂の第二王子だろうか。互いに花を送り合い、年上である王太子は花冠を作って見せる。それを真似しようと第二王子も頑張るが、花は結局茎が折れてしおしおになっていた。
太陽の光をいっぱいに吸い込み、光輝くような金色を互いにくっつかせて遊びにのめり込む二人は美しい兄弟愛を体現しているかのようだった。
呆然と、その様子を見ていれば人の気配に気付いたのか小さい少年がこちらを向き、不思議そうにパチパチと瞬きしていた。一瞬少女ではないかと思ったが、王家に女児が生まれてないことは知っている。
父に「遊んでいなさい」と背中を押され、その庭に一歩踏み出した。弟の様子に気が付いた王太子もこちらを振り向く。色違いの瞳が私を見ていることに言い様の無い緊張を感じた。
二人は母親が、違うと言えどもよく似ていた。それは幼いからというのもあるだろうが、やはり兄弟なのだと再認識する。
「シャトレーゼ家の長女か?」
子供らしい高い声に一瞬びくりとした。まさか私のことを知ってるなど微塵も思わなかったのだ。
「は、はい。ミラ・シャトレーゼと申します」
花畑から立ち上がった彼の周りに花弁が舞った。風が吹き、彼の硬質な髪を揺らす。髪の隙間から見える緑色の瞳は透き通っていて、きらめく光を反射した。
こんなに美しい人に、私は会ったことがなかった。
彼は、戸惑う弟をほったらかしにして私の元へずんずん歩いてきた。片手には花冠が握られていて、私はどうするべきか目を泳がせた。
「王太子殿……」
下、と続ける前に頭に何か乗せられた。
目の前には、美しい彼がいる。
「私はギルヴァルト。ギルヴァルト・ヴェルメリオだ」
ギルと呼べ、と彼がはっきり言った。
頭に乗せられた何かを反射で触っているうちに、それが彼の作った花冠であることを知る。庭に咲き乱れる黄色い花はフリージアという名であることをあとで聞いた。
彼は花冠を乗せ呆然とする私を見てから、満足そうに頷いた。
「ミラ、君は美しいな。可愛らしい花が、よく似合う」
無邪気な満面の笑みを浮かべて、ギル様がそう言った。その笑顔を見て、私はいとも簡単に━━
ポロリと恋に落ちてしまったのである。
◇◇◇
私は元来体が弱かった。特に気管支が弱くて、咳き込むことや熱がでることも多々あった。それでも、どうしてもギル様の妻になりたくて、死に物狂いで勉強をした。
苦しくても、乗馬の練習をした。眠たくても、学習を怠ったことはなかった。令嬢には必要なくても、刺繍や料理を完璧になるまで練習した。
もしも国を追われたら。もしもやむを得ない状況で今のような生活ができなくなったら。
あらゆる可能性を想定して、全てに置いて彼を支える努力をした。
あまりにも慣れない料理は何度も手を切ったが決して止めなかった。もし使用人がいなくなったら誰が彼に食事を用意できるのだろう。
体の弱い私が短剣を振り回し、体術を覚えることは拷問にも近い苦痛だった。だけど、彼が怪我をしたら彼を最後まで守れるのは私だけなのだ。
最悪の事態まで全て含めて、あらゆることをした。私の人生を、ギル様に捧げた。
私は、賢くなった。
なんでも一人でできるようになった。
それでも体は弱いままだった。
「なんと、小賢しい」
「理屈ばっかりで可愛くない娘」
「体も弱くて跡継ぎも産めないようなら、お飾りの王妃ね」
「ならば、今のうちに側室として娘を王太子殿下に近付けよう」
結局、どれだけ努力したところで私の評価などその程度だった。どれだけパーティーへ出ても、切り捨てたような瞳でみられるだけ。私が勉学に励んでいる間に、いつしかギル様は弟であるディラン様を妬み、張り合うようになった。
私を見て、美しいと微笑んでくれた彼は気が付けば幻になっていた。
いつもいつも違う令嬢を侍らせる彼を見ていられなくなって、私は自分の体を言い訳にパーティーを休むようになった。今までは一生懸命、他の貴族との繋がりを持とうとしていたのにそれすらも苦痛だった。
ギル様がかつてはよく遊びに来てくれていた我が家にもなかなか訪れなくなり、私は心にぽっかりと穴が空いたような心地がしてなおさら塞ぎ込んだ。
「ミラ、お前は次期王妃だ。自信を持て」
そんな家族の言葉すらも重荷になっていった。だって、こんなに恋い焦がれても、ギル様は全く私を見てくれない。こんなに頑張っているのに声すらかけてくれない。いつも、弟を追ってはその魔力に嫉妬する。私なんて、全く見ていないの。
そう思ったら、悔しくて憎らしくて、彼を殺したいほどだった。それでもまだ私は彼を愛していたから、今度は彼の周りを探るようになっていた。
彼に近付いた令嬢。
彼を殺そうとする派閥。
彼が妬む、腹違いの弟。
国家の秘密を守る貴族であるだけあって、シャトレーゼ家は情報を搾取することに長けている。自分の侍女を使って沢山調べた。そして、辿り着いたのが━━現王妃。彼の母である。
それでも決定的な証拠は得られず憶測しかできなかった。……でも、それでも十分な情報だ。
彼の弟━━ディラン様の秘密を探るついでに彼の婚約者についても調べたが、彼女はあまりパーティーに出席しておらず情報は少なかった。ただ、体が弱いという噂には思わず救いを感じてしまった。
同じ王族の婚約者として、同じような悩みを抱えている人物がいるのだと安堵した反面、彼女がディラン様に寵愛を受けているという噂を聞いて途方もない憤りを感じたのも事実である。同じ王族の婚約者で、なぜこれほど違うのか。愛される彼女と、見向きもされない私の違いはなんなのか。悔しさと悲しさでごちゃ混ぜになり、嫉妬で焼き狂いそうだった。
そして私が15歳になる頃。数年重ねた心労のせいか、具合は悪化し学園に通うことすらままならなくなっていたため、休養することにした。
二年の休養で体はきちんと成長し、他の生徒より年上であるものの平均的な健康体にまで回復出来た。
そう、だから。
満を持して、"彼"に接近した。
「わたくしの、願いを叶えてほしいの」
"彼"はゆっくりとこちらに振り向き、ニヤリと笑った。
「お前は来ると思っていたよ」
ヘラヘラと笑いながら、私に近付いてくる男は煙草臭かった。
「あぁ、可哀想にねぇ。君はただ愛されたかっただけなのに。どうして彼は君を見てくれないのだろう」
"彼"はその目を三日月型に歪めて皮肉げに私に問う。
「━━壊さなくていいのか?」
「……私の願いは、ギル様を壊すことではありません」
男はふぅんとつまらなさそうに煙を吐いて、その吸殻を机に押し付けた。
「いいだろう。ただし、この魔法に必要なのは魔力じゃあない」
覚悟はできてるな? と"彼"が言った。
「えぇ、私の命に変えても。それで、ギル様のお心に残れるのならば」
怖い女だ、と男は呆れたように笑う。この男になんと思われようと構わない。私は、必ず願いを叶えたいのだから。
「今は僕も成し遂げたいことがあるからな。それに協力してくれるならお代はいらない」
「それは、承知の上ですわ」
「契約成立だな」
"彼"が笑う気配がして、私に近付いてきた。
「精神魔法は、お前の命を代償とする。だから、強く願え。体が壊れるほどの狂おしい欲望が魔法をさらに強固なものにしてくれるだろう」
男が私の額に手を翳すと床に魔方陣が浮かび、私の腕に光が集まる。あぁ、もう後戻りは出来ない。それでも、私は━━。
「わたくしの願いは、あの日からただ一つ。
"ギル様の寵愛を受けること"」
光の向こうで、"彼"が笑った。学園長と呼ばれる、学園トップの男が。
━━いいね、お前みたいな狂った女、僕は嫌いじゃないぜ。
嘲笑う"彼"の声がやけにはっきり聞こえた。




