第61話 『味方』
ドンドンッと遠くで鳴るけたたましい音で目が覚めた。日はうっすらと上っており、今が朝であることに気付く。
アルコール臭くない髪と着替えたであろう寝間着を見て、昨日のことをじんわりと思い出した。汚れたドレスのまま大泣きして眠気に襲われたが、なんとかシャワーを浴びたのだ。そう。多分そうだった。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、聞きなれた声がすることに気付く。扉はまだ叩かれたままだ。
「ベル! いるんでしょう!? 開けなさいよ!」
あぁ、頭がくらくらするからあまり叫ばないでほしい。アリアが怒ってるなぁ、という霞がかった頭でなんとか体を起こして玄関の扉を開けた。
「ベル! 貴女、何したか分かって……」
アリアが叫ぶようにそういった後、ピタリと言葉を止めた。私の顔をまじまじと眺めて驚いたように目を見開く。
「風邪、引いたの?」
アリアの言葉に首を傾げたがサッと額に手を当てられた。アリアの手がひんやりしてて気持ちがいい。うっとりと目を細めるとアリアは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……風邪を引いてる貴女に問い詰めることは出来なさそうね」
アリアは私をベッドに寝かせてテキパキと看病をする準備をした。アリアが誰かに尽くすところなんてはじめて見た、なんて回らない頭で的外れなことを考える。
寒い、と呟けば湯タンポを布団に入れてくれた。
「ベル、今の貴女に言うことじゃないかもしれないけどね、どうしても気になるの」
一通り私の世話をしてくれたアリアが氷嚢を私のおでこに乗せながら言ってきた。ぼんやりと彼女を見つめる。
「……どうして、昨日のパーティーに来なかったの?」
それは、至極当然の質問だった。
昨日、私は情けなくもディラン様とミラ様が踊る姿を見て怖じ気付き、逃げ帰った。ディラン様に挨拶もせず、ただただ劣等感に苛まれた。
熱のせいか、昨日の感情がぶり返したせいか、ポロリと瞳から涙が溢れる。アリアはこんなに良くしてくれるのに、私は昨日アリアにさえ嫉妬したのだ。情けなくて、消えてしまいたい。
こんな弱い心では王子妃など到底務まらないというのに。
私の涙をアリアが無言で拭いてくれる。そして何も言わない私に一つため息をついてからさらりと頭を撫でてくれた。
「貴女は、昔からそう。一人で溜め込んで自分の中で解決しようとする癖がある。意外とプライドが高くて人に頼ることが何より苦手であることも知ってるわ」
それは、アリア。貴女もよ、と言いたかったが喉が乾いてうまく言葉にならなかった。何か喋ろうとする私を手で制してアリアは困ったように笑う。
「言いたくないなら言わなくていいの。だけど、取り敢えず王子には謝ってあげて。貴女も勿論分かっていることだと思うけど」
アリアの言葉に深く頷いた。ディラン様にだけは、必ず謝らなくてはならない。彼は、何も悪くないのだから。
「今、夕方なの、知ってた?」
「うそ!?」
勢い良く起き上がって、喉が枯れているせいで咳き込むとアリアが慌てて水を持ってきてくれる。一口飲んでやっと落ち着く。
「ダンスパーティーは昨日で、今日は普通に登校日。ベルが来ないから大変だったのよ」
「ディラン様は……?」
アリアは迷うように目を泳がせたが、ゆっくりと口を開いた。
「王子も、寝込んでるらしいの」
「……え?」
「シュヴァルツが言ってたんだけど、魔力切れなんだって」
「魔力、切れ?」
それはディラン様が王太子と喧嘩した後になった症状と全く同じだ。魔力が切れることが昨日起こったとも考えにくいのに。
「まぁ、学園の裏山が爆発して無くなったわけだからそう言うことでしょうね」
「ディラン様が、爆発させたってこと?」
「そう考えるのが妥当でしょう。王子の部屋に行ったシュヴァルツが、部屋が壊れて使い物にならないって言ったのよ?」
部屋で魔力を暴走させたということだろうか。あのディラン様が? もしかしたら、とてつもなく怒っているのかもしれない。だって、山を一つ壊したのである。その怒りのエネルギーが魔力に影響を及ぼしたと考えるのが普通だ。
「どうしよう。私、ディラン様を怒らせてしまったわ……」
「かもしれないわね。だって王子はずっと貴女を待っていたんだもの。ミラと踊っていた時は人形のようになされるがままで見てられなかったわ」
「うぅ……」
「でも、あの王子は怒る、というより━━」
「悲しむ」
私の言葉にアリアは驚いたように目を見開いた。そして感心したようによく分かったわね、と溢す。
「だって、ディラン様はとても優しい方だもの。勿論怒ることもあるけど、悲しむことの方が多い」
「へぇー、恋ってすごいのね。そんな風に変換されちゃうの、へぇー」
アリアの呆れ返ったような棒読みにむかっとして睨み付けてしまう。ディラン様が優しいことは私がよく知っている。
「変換なんてしてないわ」
「優しいのは無関心の裏返し。悲しみも怒りも愛情も全て貴女にしか向けられないものだと思うけど?」
「そんなことないわよ。だって、アリアにもアズにもシュヴァルツにも、誰にだって敬意を忘れないし、仕事も皆の倍こなしているの。それでも文句一つ言わずにいつも笑顔なのよ。優しさ以外にないじゃない」
「うーん、そう言われるとねぇ……」
アリアは困ったように首を傾げたが全て事実だ。
ディラン様はいつも仕事を完璧に仕上げる。完璧じゃなくてもいいけれど、仕事を一生懸命こなす姿がとても魅力的で、それなのに弱音も吐かずに気配りまでできる。なんて出来た人だと思ってしまうだろう。
「確かに王子のあの姿勢はもはや感嘆すらするわ。生徒会長という役もきっちりこなしているわけだし。だけどまぁ、その原動力が、ね」
アリアは分かりにくく言葉を濁して曖昧に笑った。疲れたような表情をしている彼女には本当に申し訳無くなる。
「……アリアには迷惑をかけてばっかね。ごめんなさい。貴女のお陰で大分気分が良くなったわ」
「気にしないで。前世の借りを少しずつ返しているだけよ」
「それでも。自分が情けなくて仕方がない」
がっかりと肩を落とせばアリアに呆れたような目をされた。
「貴女は自分でなんでも出来ると思いすぎ。王子にだって沢山甘えていいのよ」
「む、無理! 好きな人の前でカッコ悪い姿なんて見せられないもの!」
「貴女ってそういうタイプよねぇ」
くすくすと可笑しそうに笑うアリアを見ていると肩の力が抜ける。そこで彼女の耳に青緑色のピアスが輝いていることに気が付いた。
「それ、アズから?」
「え? あぁ、そうなの」
照れたように微笑むアリアは可愛らしい。良かったわね、と言うと小さく頷いた。良かった。心からの言葉を言えてる。
羨ましいとか、悔しいなんて気持ちは微塵もなくて心から祝福できた。
「ついに付き合うの?」
「いや、それがまだ告白されないのよ! ちょっと可笑しいわよね!?」
「うーん、アズは意外と慎重よ。それに幼なじみだから意識されるのを待ってる可能性もあるわね」
私が考えながらそう言えば、アリアは首を傾げた。
「どうしてわかるの?」
「だって私がどれだけ攻略したと思ってるの? 全部のルートを解放してめちゃくちゃ頑張ったんだから」
そう言えば、アリアも納得したのか引き下がったが次の瞬間目を輝かせて詰め寄ってきた。
「って、ことはベルはアズ攻略の生き字引ってことね!?」
「まぁ、アズの行動ならなんとなく予想できる、かな」
「さいっこう!」
アリアは喜んだようにぴょんぴょん跳び跳ねて満面の笑みを浮かべている。いや、そんなゲームみたいに上手く行くとも限らないと思うのだが。
「でも、主人公が貴女ならまた変わってるかもしれないわよ」
「それでもいいの! 本質は変わらないでしょ!」
「……そういうものかしら?」
アリアも恋愛になると大分面倒くさくなるタイプだなぁ、と私はしみじみ思った。
微熱ではあるものの体調もかなり良くなり、軽食も作ってもらって時間も遅いのでアリアには帰ってもらうことにした。
「あ、言うのを忘れてたんだけど、今学園で凄い噂になってるから」
「……え?」
「端的に言えば貴女が王子を差し置いて浮気してるんじゃないかって」
「はぁ?」
それは忘れたら駄目な情報だ。じわじわと意味を理解し、さぁと血の気が引いた。
「……やばいわ」
「やばいわねぇ。ま、でもどうにかなるわ」
アリアのその楽観的な考えはどこから来るのだろう。貴族にとって醜聞は命取りである。これが実家に伝わって勘当なんてされたら……。
それこそ命の危機である。
「一体どうすればいいの……」
「最悪王子に泣きつけばいいのよ」
途方に暮れる私に簡単に言ってくれるな。
恨めしくアリアを見つめると、ため息を吐かれた。
「ちっぽけなプライドなんか捨てて、好きな人の胸に飛び込んだ方が上手くいくこともあるのよ」
私が保証するわ! とアリアが胸を張った。今度は私がため息を吐く。
「いえ、でもそうね。私だってタイバス家の令嬢だもの」
母にビシバシ教育された私をあまり舐めないでもらいたい。しかし、噂だとかは私にとってもはやこの際どうでもよかった。とにかくディラン様に謝らなければなにも始まらないのだ。




