第58話 『プレゼント』
生徒会室の扉を開くとみんなが一斉に私を見た。
「す、すみません。遅れました」
そんなに見なくてもいいのにというくらい見つめられる。私は、いたたまれなくて目を逸らしながらディラン様の机に向かったが、その席は空っぽだった。
「ディラン様はどちらに?」
「一通り仕事が片付いたようなので、仮眠室で寝ていますよ」
シュヴァルツが答えてくれたので、私はいつものようにお茶を出そうとしたがアリアに止められた。
「ベル、王子の所に行ってあげて」
「え? いや、でも寝ているみたいだからそっとした方がいいんじゃ……」
「それがね、ちょっとしくじっちゃって」
アリアがひそひそと喋るのに合わせて私も耳を寄せる。周りのみんなも深刻そうに顔を曇らせていた。
「ベル、貴女ラプラスと話していたでしょう?」
「え、ええ」
「それをね……言っちゃったの。ベルが遅い理由を聞かれたから、ついうっかり……」
申し訳なさそうな顔でうつむいたアリアに私はため息を飲み込んだ。好きな人に他の男の子と話していたと言われるなんて悲しすぎる。勘違いされたら困るのに……。
「ディランは怒っていなかったぞ?」
「……グラは自分に向けられる殺気には敏いくせに……他人の恋愛には疎いんだから……」
「ハルナにはわかるのか?」
「……生徒会長は、分かりにくいけど……」
いつものようにお茶と饅頭で寛いでいるグラディウスとハルナの会話を聞いて、ディラン様が怒ってないことに安心したようながっかりしたような複雑な気持ちになった。
取り敢えず、ディラン様がいないと秘書の仕事もできないので、仮眠室に行こうと決める。
「お茶なら心配しないでください。みんな各自勝手に用意しますので」
「えー、シュヴァルツ様がいれてくれないの?」
シエルが非難するように言うとシュヴァルツがギロリと睨んだ。
「お前は何様のつもりだ? 僕はディラン様以外に茶を出すことなどしない」
「ごめんなさい……」
シエルがしゅんと肩を落とすが、シュヴァルツはふんと鼻を鳴らしただけだった。ちょっと心配ではあるが、ここはシュヴァルツの言葉に甘えよう。
「えっと、じゃあよろしくお願いします」
「はい。お任せください」
さっきの態度は何だったんだと言わんばかりの笑顔である。シエルが何とも言えない表情をしていた。
他のみんなが心配ではあるものの、ノックをして仮眠室の扉を開ける。
「ディラン様ーー……ベルティーアです……」
なるべく小声で部屋に入ると一番奥のベットが上下していることに気が付いた。恐らくあそこでディラン様が寝ているだろう。
一番奥の窓際はこの時間にはほどよく日差しが入ってくるのでディラン様のお気に入りの場所だった。そうっと近付くと布団がモソモソと動く。
「……ベル?」
ディラン様の眠りは驚くほど浅い。少しの物音で覚醒してしまうし、人の気配に敏感だ。膝枕をするときもかなり気を遣う。
「はい。遅れてしまい申し訳ありません」
布団の中から腕を出してこっちにくるようにジェスチャーをされたので素直に従ってディラン様に近付いた。金色の髪が白いシーツに広がっていることに言い様のないドキドキを感じてしまう。
「また枕を抱いて寝たんですか」
ベットの中からこちらを見てくるディラン様の色気から気を逸らすように話しかけた。ディラン様は基本的に枕を使わずに寝る。そんなのでなぜ寝られるのか甚だ疑問であるが、彼は昔からそうだ。ちなみに私は枕が変わると寝られないタイプの人間である。
ディラン様は枕を抱き枕にしたことを指摘されたのが恥ずかしかったのか、照れたように枕を離した。……相変わらず美しさが爆発している。
「何かを抱いていないと寝れないんだよね」
思わず、幼く微笑むディラン様の頭に手を伸ばし、さらさらの髪を撫でる。ディラン様は甘える猫のように目を細めた。顔が赤くなるのを唇を噛んで堪える。
かわいくて美しくてかっこいいなんて罪すぎる。目に毒だ。
「あ、そうだ。ベルに渡したいものがあったんだ」
「え! そうなんですか」
「そうだよ。用意してたのに遅いからさ」
ディラン様はくすくすと笑いながら私の手からするりと抜け出して、ベットから降りた。今の彼に怒った様子はない。
そこでふとララに言われたことを思い出した。ディラン様の魔力は危険だと。
ララから言われたことを言おうか悩むが、話題の本人に聞くのはなんだか可笑しい気がする。特に魔法はディラン様にとって気軽に話すようなものではない。
「……で?」
「え?」
「教室で、友人と、何を話していたの?」
やけにゆっくりと言葉を区切るディラン様に内心冷や汗をかきながら、あまりのタイミングの良さにこのまま勢いで言ってしまおうかと思った。ララと教室で二人きりで話していたと言っても話題はディラン様だったわけで……。
心の中だけで言い訳を述べてもそれがディラン様に聞こえるはずもなく、彼は終始ニコニコとしているだけだった。
「何の話をしていた?」
「…ディラン様は先祖返りって知ってますか?」
ディラン様の圧ある笑顔に耐えられなくなって思わず考えていたことが口から滑り落ちた。言った瞬間に後悔する。一瞬だけディラン様の瞳に怪しい色が浮かんだからだ。
私は、思わず息を飲んだ。
「それはその友人から聞いたの?」
「いえ、言葉を知ったのは王子妃教育を受けていた時で、国学史の先生から聞きました……」
「じゃあ、俺がその先祖返りだって話をしたの?」
ディラン様の責めるような目に耐えきれず俯いた。
「すみません……」
「ふ、ふふふ」
堪えるような笑い声が聞こえて、勢いよく顔を上げた。
「そんなに反省しなくてもいいんだよ? ベルはすでに知ってるものかと思ってたし」
「そ、そうなんですか?」
「まぁ、学者が勝手に言ってることだから信憑性は低いし俺も興味ないしね。もう誰も俺の魔法になんか期待しないし」
扱いにくいから、とディラン様は笑った。その仄暗い笑みにゾッとする。
「でも、あんまり迂闊に魔法を話題に出すものじゃないよ。わかった?」
ディラン様が私の顔を覗き込んで優しく微笑みかけた。私が素直に頷くと、サラリと頭を撫でられる。
「いい子」
聖母のような笑みを浮かべるディラン様を見ているとなんだか新しい扉を開きそうになったので、自分の手の甲を思い切りつねった。
「……ベルが話してたのって、ラプラス・ブアメードだよね?」
「は、はい」
「魔法学者の彼、ね。魔法を見せて欲しいっていってた子でしょ?」
「そうです」
ディラン様は仮眠室にあるアンティークなキャビネットから綺麗な刺繍の施された白い箱を取り出しながら尋ねてくる。
「仲がいいんだね」
「……隣の席なので……」
これはもしや疑われてる……!?
確かに婚約者が他の人と教室で二人きりだなんて、大変よろしくないことである。迂闊だった。私だってディラン様が他の女の子と二人きりで話していたと聞いたら心穏やかではない。
どういう風に言うか悩んでいると、ディラン様がくるりとこちらを向いた。
「仲がいいのはいいことだよ」
偉い偉いとまた頭を撫でられた。
……ん? これは子供扱いされてる?
ディラン様をちらりと見ると、顔には兄のような優しげな笑みが浮かんでいた。かなりショックである。兄。兄って……。
「ベル、これを君に」
一人で落ち込んでいると目の端にふわりと深い藍色が煌めいた。
「これ、って……」
ディラン様が箱から取り出し、広げていたのは夜空を写し取ったようなドレスだった。ネイビーの生地に無数に細かく散らばったラメ。その上には沢山のレースがふんわりと重ねられている。
「ダンスパーティーでこれを着て、俺と踊って欲しいな」
「よ、喜んで! ありがとうございます!」
嬉しい気持ちのまま思い切りお礼を言うとディラン様は安心したように微笑んでくれた。
「気に入ってくれた?」
「もちろんです!」
ドレスを丁寧に箱に戻すと、隣に一回り小さい箱もあった。それが靴であることは想像に難くない。
「ベル」
ドレスの箱と靴の箱を入れた紙袋をひょいとディラン様に取られる。
「寮の近くまで送るよ」
片手で袋を持つディラン様が空いている方の手を私に差し出した。思わずポカンとしてしまう。
「……え?」
「手、つなごう?」
まさかまさかの提案である。断る必要など無いのでおずおずと手を差し出すと思いの外強く手を引かれた。
「エスコートして差し上げますよ、お姫様」
「……照れます」
華麗にウィンクするディラン様はおとぎ話の王子さまのように格好良かった。……本物の王子様なんだけど。
仮眠室を出ると生徒会室には誰もおらず、がらんとしている。時計を見るといつも解散する時間はとうに過ぎていた。
「俺らも帰ろうか」
「そうですね」
ディラン様の手はあったかくて、角張っていて、意識を逸らすのが一苦労だった。




