第57話 『放課後の影』
ダンスパーティーまでの時間が一週間切った。生徒会は慌ただしく準備を進めていて、最近はとても忙しい。
「ベルちゃんは殿下とパートナーなんだよねぇ?」
隣の席のラプラスからそう問われ、私はこくりと頷いた。別に隠すことでもない。
「あーあ。そーだよねぇ、僕、休も~」
「ララはパートナー……」
「いるわけないでしょ!」
プリプリと憤慨したようにララは頬を膨らませた。パートナーがいるいないはかなりナイーブな問題である。高校の時に体育祭の項目でフォークダンスがあったが、その時も自分達で相手を探すシステムだった。たしかにあれは一種の罰ゲームだと言える。
「……ルスト先生に頼んだら良いって言ってくれると思う?」
「え!? ルスト先生に!?」
「やっぱ変だよねぇ」
ララはむう、と目を細めて顔をしかめるように歪めた。え、先生とって、ありなの?
「ララは、ルスト先生のことが好きなの……?」
「ん? 好きだよぉ、だってあんなに美人さんなんだもーん! 怖いけどぉ」
ララはそう言ってあははと笑った。彼はいつも笑顔だが、結構いい加減なのでどれが本気かよく分からない。だけど、ルスト先生は若いし、ありなのではないだろうか。
下世話なことを考えていると、あっ、とララが声を上げた。
「殿下に魔法見せてもらえるか聞いてくれた?」
「ええ。一応聞いたけど、今は大変そうだから難しいわ。だけど、またいつか暇な時になら見せてくれるって」
ディラン様に聞いたのだが、魔法研究者というのは少ないが一定数はいるらしい。実際に王宮にも仕えている者がいるくらいだから、ララは相当頭がいいはずだ。ディラン様も嫌がる様子はなく快く承諾していた。
本来なら魔法はあまり人様に見せるものではないのだが、研究者、しかも学園に属することができるほどの人物には協力的なようだ。
ディラン様が魔力を測られるのは慣れている、と言った時にはなんとなく闇を感じたが……。王族でも魔力の高いディラン様は研究者にとっても貴重なものなのかもしれない。
「ベルちゃんは、先祖返りって知ってる?」
突然の話題転換に驚いたものの、ひとつ頷く。マーティン先生が言っていたことを思い出したのだ。
「聞いたことあるわ。子孫に継承するほど魔力は薄まるけど、まれに先祖と同等の魔力を持つ人が産まれるって」
「さすが殿下の婚約者だね! じゃあ、殿下が先祖返りって、知ってた?」
今度はさすがに瞠目した。マーティン先生もそう仰っていたけれど、まさかララもそう思ってるとは思わないし、そこまで踏み込んでくるとも思えなかった。だって、ディラン様は王族で、なにより魔法は王族の象徴とも言える。軽々しく話題に出すようなものではないのだ。
「ララ、あまりそう言うことは言わない方がいいわ」
「わかってるよぉ? だから婚約者のベルちゃんに言っているんじゃないか」
ララはへらへらと笑いながらも言葉を訂正するつもりはないらしい。
「殿下はね、先人の記憶が無いタイプの、魔力だけを受け継いだ方だよ。とても珍しい」
「……そんなこと、話していいの」
「僕も最近知ったんだぁ。これでも研究者だからねぇ、探求のためならなんだってするよぉ?」
マッドサイエンティストのような言い方だ。ふふ、と微笑みながら国家秘密であろうことをペラペラと喋る。
「その情報を一体どこで仕入れたの?」
「そんなこと、どうでもいいよぉ。ただ、君には殿下が先祖返りってことを知っててもらいたかったんだ」
「……どういうこと?」
さっきから質問ばかりな私に、ララは笑みを深めて言った。
「殿下はねぇ、とぉっても尊い人なんだ。その魔力量は数百年の王族の中でもトップだよ。だけどねぇ、使いこなすっていうのはとても難しくて、それだけの魔力量があるだけに感情で暴走しやすい」
ララは眼鏡の奥の瞳から真っ直ぐに私を見つめて諭すようにゆっくりと告げる。
「殿下は兵器とおんなじだよぉ。上手く使えば国の繁栄に、間違えれば国の滅亡に……」
「やめて!」
私が声を荒げたのをララは驚いたように見ていた。気がつけば教室には誰もいない。放課後で、アリアとアズは生徒会に行ってるから当然か、と頭で素早く納得した。良かった。こんな会話が他の人に聞かれないで。
「ディラン様を、物みたいに扱わないで」
私がそう訴えると、ララは瞠目したあと困ったように眉尻を下げた。
「……ごめんね。僕、興奮するといつもとんでもないこと口走っちゃって……」
しゅん、と俯いたララは手に持っていた食べ掛けのキャンディーを歯でカリカリと引っ掻く。
「いえ、私もごめんなさい。声を荒げたりして」
ララは飴を口元から離して、ゆるく首を振った。
「ベルちゃんには知っていてほしいんだ。殿下は、とっても危険な人だよ。怒らせたり悲しませたり喜ばせたり、殿下の感情を左右させるくらいなら、離れていた方がいい」
「……っ、そんなこと。それじゃあ、あんまりだわ。ディラン様に感情を無くせと言うの?」
「そんなつもりはないよ! だけど、僕も資料見て、吃驚して、ベルちゃんに言わなくちゃって……」
どんどんと顔を俯かせるラプラスに、私はなるべく優しく声をかけた。ディラン様が王宮で孤立した理由にはこれも絡んでいるのかもしれない。王宮の人が怯えていたのは、王太子じゃなくてディラン様だった可能性もある。もちろん、王太子も悪いがそれに拍車をかける形になったのは間違いない。あの王太子がディラン様の魔力の危険性を理解していたのはこういうことだったのだ。
「ありがとう、ララ。私を心配してくれたのでしょう? だけど、私は大丈夫よ。ディラン様の婚約者だもの」
「ベルちゃんは、分かってないよ……」
「でも、ディラン様は先祖返りである前に一人の人間なのよ? それなのに感情を無くすだなんてあんまりだわ。私は、ディラン様と一緒に怒ったり悲しんだり喜んだりしたいのよ」
ララはまだ言い募ろうと口を開くが、諦めたようにため息をついて肩を落とした。
「……そうだよね。殿下に押し付けちゃいけないよね。……ごめんね、ベルちゃん。嫌な気持ちになったよね。ベルちゃんの婚約者なのに……」
「でも、ララのお陰で知らなかったことを知れたわ。ありがとう。ただ、その情報をどうやって仕入れたのか本当に疑問だけど。危険なことはしない方がいいわよ」
「そうだよねぇ。好奇心がうずいちゃって」
えへへ、と笑ったララはいつも通りの笑顔を浮かべていた。沈んだ気持ちが少しは晴れたようだ。ディラン様の魔力量だとか先祖返りだとかが王族の秘密だろうことは容易に想像がついたが、どこから知ったのかは聞かないことにした。ララが王宮の誰かと繋がっているのか、それとも裏から入手したか。
ろくなことはないだろうから、知らぬが仏だ。
それにしても、そんなにディラン様の魔力は異常なのだろうか。魔法を研究しているララならばその異常さが分かるのかもしれない。でも、ディラン様が取り乱すことなんてめったにないし、怒ったりしても魔力が暴走することなんて無かった。圧力のようなものはあったけど、あれは魔力があろうが無かろうがディラン様は怒ったら怖い。
「引き留めた僕が言うことじゃないかもしれないけど、時間大丈夫? 今忙しいんじゃなかったっけぇ?」
「あ、本当だわ! じゃあまた明日ね」
にこりと微笑みかけるとララも笑顔のままひらひらと手を振った。教室を出て、頑張ってるみんなに出すお茶とお菓子を考えなから早足に生徒会室まで急いだ。
赤い夕日が差し込む教室に、ぽつんと一人机に座っている少年が、憂いたようにため息を吐いた。
「あーあ。ベルちゃんは殿下から離れないのかぁ」
ガリッと鋭く飴を砕く音が響く。
ララは青色の瞳を細めてにやりと嗤った。
「ふふ、やっぱりあの子が欲しいなぁ」
ベルの瞳と同じ紫色の飴を舌で転がしながら、ララはうっそりと微笑んだ。




