第55話 『必要なのは愛だけ』
パチッと何の前触れもなく目が覚めた。個人的な見解だが、ゆるゆるとした緩やかな目覚めよりも一気に目が覚めた方が二度寝がしにくい気がする。
ぼーっとする頭でどうでもいいことを考えながら天井を見つめ、隣に体温を感じて飛び起きた。隣にはぐーすかお腹を見せて寝るアリア。
「やべぇ」
久しぶり口に出したのは大変汚い言葉で、ここ数年使ってなかった俗語だった。
昨日は散々アリアに相談して、解決して、満足してそのまま後先考えず泊まったのである。
やばいって。たとえ友人の部屋にいたとしても、令嬢の朝帰りは普通にイケナイことである。
「あぁー……ま、いっか」
あっさりと一人で納得し、爆発した髪をアリアの櫛を勝手に拝借して整えた。ま、見れる顔ではある。大丈夫大丈夫。顔はそこそこ可愛いはずだから。
謎理論でスッピンを晒すことを肯定する。それに朝帰りとは言っても疚しいことはなんにもしていないわけで、昨日は精神的にも参ってたから仕方ないのだ。
バレなきゃいい。
浮気をする最低男と同じ思考回路に至ったことにうんざりした。うん、でも結局は友達とのお泊まりだし。
誰に言うでもなく言い訳をつらつらと並べて、時計を見た。時刻は朝の4時半。今日は学園が休みだから、遅くまで寝ている人の方が多いはず。
ある程度の身支度を整えて、まだ寝ているアリアに近付いた。少し息を整えて、アリアに近付く。
「……アリア…っぁぶな!」
肩を揺らした瞬間、ガッと足が飛んで来る。それをなんとか避けた。アリアはとにかく寝起きが悪い。彼女を自力で起こすのは至難の技なのである。
「あれ……ベル?」
「あ、起きた」
目を擦りながら目覚めたアリアはボリボリとパジャマからはみ出たお腹を掻いていた。寝起きも可愛いとか本当に罪である。
「あー……ベルに一応謝っとく。ごめん」
「え、なんで?」
「いや、友達でも泊まりは悪かったなって。送ってこうか?」
「大丈夫だよ。もう帰るね」
心配そうにこちらを見るアリアに笑って、扉まで歩いていく。アリアもパジャマのままついてきた。
「アリア、本当にありがとうね」
「……送っていかなくていいの?」
「心配しすぎだよ」
「いや、もしかしたら部屋に入ったら王子がいるかもしれないじゃない」
「なにその展開」
好きな人が部屋に来るってドキドキしちゃうね、と言うと、は? と真顔でさらに心配される。
「施錠された部屋に無断で入るとか可笑しいから」
「あ、そっか。たしかに」
「好きになると突然ポンコツになるの本当に止めて。だから変な男に引っかかるのよ」
ぐうの音も出ないので、大人しく頷いておく。アリアは私が頷いたのを確認して、扉を開いてくれた。
「くれぐれもバレないようにね」
「もちろんよ」
二人で目配せして、私は部屋を出た瞬間小走りで廊下を掛ける。私の部屋まではそこまで遠くない。ドキドキとかくれんぼのような緊張感を感じながら周りをしっかり確認して部屋に戻る。
鍵を開けて、体を素早く部屋に滑り込ませて音がしないように締めた。大きなため息を吐いてずるずるとしゃがみこむ。
「はぁぁぁぁ。よかったあ。バレずに戻れたっぽい」
ふう、と息を吐いて靴を脱ぎ、部屋に上がる。リビングにたどり着き、ソファーに座ろうとしてぎょっとした。見ているものが信じられず、何度も目を擦る。
「……ディラン様……?」
なんとソファーには座ったまま腕を組んで寝ているらしいディラン様がいた。アリアの言ったことが現実になり、思わず呆然とする。そして部屋が汚れていないかさっと確認してほっと息をつく。
よかった、ちゃんと綺麗にしてある。
それにしてもどうやって部屋に入ったのだろうか。取り敢えずディラン様を起こそうと近付くと、ふと私の気配に目を覚ましたらしいディラン様と目が合う。
「あ、起き━━」
起きましたか、と言おうとした瞬間、ぐるんっと視界が回転した。そして天井が真上にくる。
何が起きたのか目を白黒させていると、天井と私の間に、ディラン様が滑り込んだ。
押し倒されている、と気づいた途端、かぁっと顔に熱が集まる。
「あ、あああのディラン様!」
「遅かったね、どこに行ってたの?」
いつものゆったりした口調だったが、ディラン様の顔を見て固まった。綺麗なブルーの瞳が淀んだ海のようにどろりとしている。
「答えなよ。どこに行ってたの?」
捕まえられている手首がさらに強く握られる。このまま首を絞めて殺されそうな気さえして、恐怖で体が縮こまった。
ディラン様は怪しげな色を濃くして目を細める。
「服が昨日と同じ。俺にバレるとまずいことでもあるの? 誰のところに行っていた?」
見たことのない感情を瞳の奥に携えて、ディラン様が私を問い詰める。びくりと体を震えさせながらも、なんとか弁解しようと口を開いた。
「アリアの、部屋で一晩過ごしました……」
「……本当に?」
「ほ、本当です。ちょっと、昨日は気持ち的に余裕が無かったので……。すみません」
ディラン様は思い当たる節があるのか、みるみる顔が強ばる。その過程で瞳にも光が戻ってきたので安心した。
「は、はぁぁぁ、ごめん、ごめん、ベル」
「いや、紛らわしい私が悪いんですし!」
「いや、でも、部屋で待ち伏せするなんて。あぁ、もう」
ディラン様は髪をかきあげて感情をもて余すようにガシガシと頭を掻く。その表情には後悔が滲んでいた。見たことのない男らしい仕草にキュンとした私は本当に救えないほど馬鹿だろう。
アリアとの話からいくとディラン様は完全な不法侵入で、普通にヤバい奴である。だけど、私もディラン様の誕生日にサプライズだとかこつけて無断で彼の部屋に入ろうとした前科があるので、お互い様でいいのではないだろうか。
「……くそ、焦りすぎた……」
「なにをですか?」
「……なんでもないよ」
ディラン様がぼそりと何事か呟いて私の上から退く。私もソファーに座りなおして、はっとした。━━とんでもない恐ろしい事が起きている。
「ああああ!」
「え!? 急にどうしたの!?」
突然ソファーから飛び上がって、壁の方に逃げた私を、ディラン様が驚いて見る。発狂して、とにかく距離をとろうとする私にディラン様はひどく傷付いたように顔を歪めた。
「ごめん、ごめんね、ベル。怖かったよね。なんでもするから、拒絶しないで……」
「いや! むしろ私の方が拒絶されそうな顔でごめんなさい!」
どんどん尻すぼみになるディラン様の言葉を遮って、私は声を張り上げた。やけに下手なディラン様に胸が高鳴ったとか、そんなことはないぞ。断じてない。
「顔?」
「私、お化粧を、していないので。ほんとうに、見ないでください。あんな至近距離で……過去最高の屈辱です!!」
顔を手で覆い、涙を飲む。本当に有り得ない。化粧したらもっと化けるんだからな!!
「ベルはそのままでも可愛いんだから、化粧なんて気にしなくていいよ」
「でも! どうせなら、一番綺麗な状態で見てもらいたいじゃないですか……」
今度は私の言葉がだんだんと小さくなり、途中で自分のセリフにん!? と疑問を抱く。
これは事実上告白なのでは!? こんな、あからさまに……。いや、でもいいんだ。これくらい言ってまずは意識してもらって。
指の隙間から恐る恐るディラン様を覗くと、ディラン様は自分の手のひらで口元を覆って目を見開いている。手からすこしはみ出した頬が真っ赤に染まっているのを見て、私もつられて赤くなってしまう。
感じたこと無い甘酸っぱい空気が流れて、いたたまれなくなったのは私の方だった。
「じ、じゃあ、あの、身支度してきますね!」
「……うん」
私は慌てて寝室に引っ込む。もう、ホントに恥ずかしい。けど、だけど、あれは意識してもらえたってことでいいの? 照れてくれたってことだもんね。
恥ずかしさに身悶えながらも嬉しさにニヤニヤしてしまった。鏡に写る自分が気持ち悪すぎて引く。
「覚えてろよ……」
一方リビングに取り残され、赤くなった顔を必死に冷ましながら悪態をついたディラン様が、熱っぽいため息を吐いたなんて私は知るよしもないのである。




