第54話 『親友』
コンコン、と扉を叩く。
誰もいない廊下にぼんやりと灯る蝋燭がちょっと不気味だ。
「……だれですか」
警戒するような声色で扉を開けたのは、桃色の美しい髪の少女。彼女は黄金色の瞳を大きく見開く。
「……ベル?」
「アリアぁ……」
「どうしたの、何かあったの?」
「アズは、いない?」
「え、うん。さっき遊び行ってたけど……。酷い顔じゃない。入って」
アリアの心配そうな表情に、また涙腺が緩む。
「どうしよう。私、取り返しのつかないことしちゃったかもしれないの」
「一体どうしたの。とりあえず落ち着いて、椅子に座って」
アリアは慌ててキッチンに飛び込み、机の上にお茶を乗せる。お菓子代わりのつもりかお煎餅も一緒に置いてあった。……なんでお煎餅なのだろう。
私がソファーに座ると、アリアはその隣に静かに腰かけて私の顔を覗き込んだ。
「どうしたの? ついに監禁するって言われた?」
「……え?」
「よく逃げてこれたわね。大丈夫。私が一発殴ってやるから!」
「なんの話?」
突然シャドーボクシングを始めたアリアに呆然とする。
「え、違うの? "俺の子供を産むまで出してあげないよ"とか言われたんじゃないの?」
「何その、危ない人。誰の話をしてるのよ。学園にそんな人がいたら今頃追放されているでしょう」
私の言葉を聞いて、アリアは分かりやすく目を泳がせて狼狽える。
「だって、今日生徒会に来なかったでしょう? 王子から逃げたんじゃ……え、ベル!?」
王子、という言葉でボロボロと涙が溢れた。アリアが慌てて私の背中を擦り、お茶をすすめてくる。お茶を一口飲んで、やっと落ち着いた。
「貴女がここまで取り乱すなんて珍しいわね。何があったの?」
「……今日の放課後、ミラ・シャトレーゼ様に会って、話したの」
「……ミラ・シャトレーゼ、ね。知ってるわ。王太子の婚約者でしょう」
アリアは一瞬だけ思案するように目を伏せたがすぐに答える。私は、静かに頷いた。
「……そう。それで、彼女と話して、思ったの。私は、あまりにも王族の婚約者に向いていない」
ぎゅっと手を握って、涙を我慢する。
「私は、本来この世界にいるべき人間じゃないから、ずっとずっとゲームの中にいるような感覚でいたの。貴族とか社交界とか、全然馴染めなくて、だからきっとお母様もお父様もパーティーに出なくていいって、言ってくれていた」
絞り出すように出した声は震えていた。
「だけど、私はちゃんと向き合うべきだったのよ。ディラン様の、婚約者であるならば。しっかり勉強して、完璧な婚約者として……。じゃないと、示しがつかない。責任の重さが分かってなかった。私が、ディラン様の隣に立てるなんて━━」
「はい、そこまで!」
ビシッとアリアに人差し指を突き付けられて思わず言葉が止まる。険しい顔をしたアリアが、呆れたようにため息をついた。
「また考えすぎてる」
そう、だろうか。
でも彼女も私と同じ転生者で、説得力は人一倍あった。
「終わったことを考えても仕方がない。いいね?」
「……はい」
「貴女は王子の婚約者として上手く立ち回れていなかったことの方が多かったかもしれない。だけど、それは過去の話であって、これから変えていけるものだわ」
アリアの言葉に軽く頷く。彼女は険しい顔をふわりと緩めて笑った。
「一番大事なことはこれからどうするかってことと、ベルの気持ちだよ」
綺麗な金色が、まっすぐ私を見つめる。
しっかり聞けと言われているようだ。
「ベル、もしかしたら貴女には辛いかもしれない。だけど敢えて言わせて貰うわ。私しか、貴女に言うことはできないから。貴女は王子をどう思っているの?」
「私、は」
渇いたはずの涙が頬を伝う。
そうだ。口に出せ。そして覚悟を決めるんだ。
「好き、なの。ディラン様が、好きなの」
口に出したらまた胸が締め付けられるように痛かった。
「いつ好きになったのかは分からない。幼少期から好きだったのか、アリアが現れてから好きになったのか。だけど、最近意識し始めたのは間違いないと思う」
「うん、いいと思うよ」
アリアは清々しいほど明るい声で、微笑んでいた。あっさりと認められて思わず拍子抜けする。
「驚かないの?」
「うん。だって、三ヶ月も生徒会で二人のやり取りみてたんだよ? どう考えてもラブラブだった。ベルが自覚なかっただけで、ずっと前から好きだったんだと思ってたよ」
よかったよかった、とアリアが満足そうに頷いた。そして反り返るほど胸を張る。
「なら、もう何も怖くないわ! 立場が、とか前世が、とか考えるよりももっと身近に、やることがあるでしょう」
「……ディラン様に、伝えること?」
「そうよ! わかってるじゃない!」
アリアはぱあっと表情を明るくし、強く肯定する。しかしその提案に私は怖じ気づいた。
「でも、私はきっとディラン様に相応しくな……」
「何いってんのよ! 好きになった途端、奥手になるのは仕方ないかもしれないけど、伝えないと何も分かんないわ。後悔しない選択を選ばなきゃ」
そうでしょ? と問いかけるアリアに私は強く頷いた。
伝えないと、伝わらない。いつも、後悔しないような選択を。なんで忘れていたのだろう。これが私だったじゃないか。前世を思い出してから、未来の分からない中で必死に自分を信じて頑張ったじゃないか。
「━━私たちはきっと一生、社交界にも階級制度にも慣れないと思う」
「……うん」
「だけどそれが何なのよ郷に入れば郷に従えって言うけどね、受け入れられないことだってあるわ。それは大なり小なり皆おなじでしょう」
「うん」
今日のアリアはやけに説得力がある。とても失礼な話だが。
「それでも不安なら私が皆に聞いてあげる!」
自信満々に、アリアが私の手を強く握った。
「ベルが前世を思い出したせいで、誰が不幸になったんだ、って!」
ふわっと心が軽くなった。今までの悩みがすべて吹き飛ぶような、そんな一言だった。
「だって、もとはベルティーアって悪役でしょう? 人の恋路を邪魔する嫌なやつ。だけど貴女がベルティーアだったおかげで、私はなんの憂いもなくアズを好きでいれるわ。なぁんにも、悪いことしてないでしょう?」
やっぱり、ヒロインは偉大だ。
いつもいつも彼女にお世話になってばかりかもしれない。
「……ありがとう。私はいつも貴女に頼りっぱなしね」
「貴女は昔から恋愛相談は結構面倒くさいタイプよ?」
「……それは、本当に申し訳ない」
「あははは、私も結構迷惑かけてるから、貸し借りなしよ!」
屈託なく笑うアリアに私もつられて笑ってしまった。
「やっと笑った!」
まるで少女漫画のヒーローのようなセリフである。またプッと吹き出して、大笑いしてしまった。
でも、そうだね。アリアは私のヒーローだ。
「私も大分この世界では可笑しいからね?」
「私も貴族としては異端みたいよ? お互い様ね」
「でもベルは大変だわ。求められるものが多過ぎて。アズなんて何も考えてないよ」
「うん。だけど、もういいの。私は、私だから。私が彼女になれないように、彼女も私には決してなれないもの」
「それはミラのこと?」
「そう。完璧なミラ様に憧れに似た嫉妬をしちゃったの。だけど大丈夫。私は私なりに、ディラン様に好かれるように頑張る」
「……それって余計依存しない……?」
どういうこと? と首を傾げるとアリアは慌てて首を振った。
「ミラ様に、ディラン様のパートナーを替われって言われたけどちゃんと断らなくちゃ」
「えっ、……そんなこと言われたの?」
「ちゃんと断るよ」
晴れ晴れした気持ちで笑顔を作ると、アリアの目が死んでいた。綺麗な黄金色の瞳が、遠い地を眺めているようだ。
自分のやるべきことを定めた私に怖いものはない。恋愛においてすることはただ一つ。相手に好かれるように努力をすること。それだけだ!
それだけは曲げない、と心に誓う私には、隣で深くため息を吐くアリアには気付かなかった。




