第50話 『逢瀬』
正直考えると、ディラン様が私の部屋に来るのは大変不味い気がする。
「別にいいんじゃないの? だって婚約者だし」
「……え」
恥を忍んでアリアに相談すれば、そう素っ気なく言われた。口に運ぼうとしていたパスタを持ったまま固まる。固まった私を見て、アリアは呆れたように溜め息を吐いた。
「約束したものはどうしようもないし、今の様子だと王子もベルにひどいことはしなさそうだし」
学生が犇めく食堂で、私とアリアはひっそりと1つの机を囲んで昼食をとっている。前世のような光景に少し懐かしさを覚えた。さすがに貴族が通うだけあって、メニューもシェフが作った本格的なものだけれど。
「でもさ、よく考えたら思春期の男子を部屋に招くなんてよくないと思うの」
「うーん、まぁ普通ならね。でも相手は王子よ? ベルが嫌がることはしないと思うわ。それに婚約者なら許容範囲よ」
アリアはステーキをぱくりと食べて、そう言った。婚約者というのはそんなに大胆なものだろうか。
「第一、恋愛を経験したことのない少女じゃあるまいし……。急に初心になっちゃってどうしたの?」
「いや、それが分かんないのよね」
うーん、と考えながらパスタをフォークに巻いているとアリアからじっと見られていることに気が付いた。
「……意識してる?」
「そりゃ、多少は」
私は自分自身が敏い方ではないが鈍感でもないと思っている。他人が感じていることはなんとなくなら感じられるから、ディラン様にも嫌われていないとは確信が持てる。しかしそれが恋愛的なものなのか友情的なものなのかは判別できない。
彼は私が知り合ってきた人の中でも群を抜いて分かりにくいのだ。
おや、と思っても私にとっては婚約者やらお見合いやらの感覚がないため、まだ距離間を測りかねていた。
「またごちゃごちゃ考えてるでしょ」
「うっ」
「ベルはさ、考えなくていいとこまで考える癖あるから。だいたいフィーリングで生きていけるって」
この肉うまっ! と感動しているアリアに今度は私が呆れたように溜め息を吐いた。逆にここまで感情任せに生きている人も珍しいと思うのだけど。
「最悪、肉体言語」
「それは止めて」
「大丈夫よ。私の拳を受ければみんな納得してくれるわ」
ふんっと鼻息を荒くして力説する彼女は本当にそう思っている節があるからたちが悪い。だから、令嬢はそんなことしないの。
「それに私もアズの部屋行ったし」
「はああああ!?」
思わず叫んで立ち上がってしまった。アリアにしぃーっと言われ慌てて座る。周りを見るが、私の叫び声はどうやら食堂の喧騒にかき消されたようだ。
「声が大きい!」
「ご、ごめん……。一体どんな理由で?」
「特に。話したかったから?」
そんな友達みたいな軽い感じで遊びに行ったのか。
「でもちょっと怒られた」
「そりゃそうよ。だって付き合ってもないでしょう?」
「まぁね。でもアズなら何されてもいいかなって」
何でもないようにさらりと告げたアリアの言葉になぜか私が赤面してしまった。よくそんな恥ずかしいことが言えるものだ。
「ベルが初心になってる」
「いや、だってそんなノロケられても!」
「これは庶民の感覚だからね? 私は前世も普通の女子大生だったし今も大して変わってないけど、ベルはもう貴族の令嬢だから。常識が違って当然よ」
ナイフの先端を私に向けて、核心を突くようにアリアが言う。
「いいことよ。私も、貴女も昔とは違うんだから。15歳を繰り返しているのなら、後先考えずに突っ走っても青春じゃない?」
アリアは楽しそうに笑って、ステーキの最後の一口を口に詰め込んだ。数回噛み締めてから、やっぱり美味しいと幸せを甘受していた。
私は、ディラン様とどうなりたいのだろう。どうなるべきなのだろう。答えはやはり見つからず、私もパスタを食べてしまおうと慌てて口に詰め込む。ミートソースのかかったパスタは口がとろけそうなほど美味しかった。
◇◆◇
控えめなノックがして、ふと意識が浮上する。課題を終わらせている途中で寝てしまったようだ。取り敢えず返事をして、扉を開けた。
「ディラン様!?」
「ベル、そんな不用心に扉を開けてはいけないよ。誰がきたのか確認しなくちゃ」
「は、はい。あ、ちょっとまって下さい! 部屋を確認するので!」
時計を見ると18時頃で、確かにそのくらいに来ると行っていた。完全に寝過ごしてしまったようだ。慌てて部屋に戻り、部屋の状況を確認する。課題を片付けて、飲みかけの紅茶も台所へ持っていく。
「お待たせしました……」
「ごめんね、もしかして寝てた?」
「え、分かりますか」
「寝癖」
ディラン様はくすくすと笑って、私の前髪を整えてくれる。時折額にふれる指があったかくて、なんだかドキマギしてしまった。
「えっと、紅茶と珈琲はどちらがいいですか?」
「うーん、紅茶」
ディラン様はアリアと違ってちゃんと客人用の椅子に座ってくれた。紅茶を出して、向かいの席に座る。
「ベルとこうして二人っきりで話すのは久しぶりだね」
「そうですね。早い時期にウィルも来ましたし」
「ウィルは元気?」
「はい。来年は学園に入学する予定です」
ディラン様と二人きりで会話をするのは……あの校舎裏以来だろうか。思い出すと悪寒がするので心にそっと閉じ込めておく。
「でね、今日はベルにちょっと言いたいことがあってね」
「なんですか?」
「ベルは、ミラ・シャトレーゼって知ってる?」
私は首を傾げて、王子妃レッスンの時に学んだ知識を捻り出す。たしか、
「王太子殿下の婚約者、でしたか?」
「そう。兄上の婚約者だよ」
ディラン様は神妙に頷いた。
「彼女はね、この学園にいるんだ」
「……え? たしか私の4歳年上では……?」
「そうなんだけど、丁度15歳の頃に体調を崩したみたいで、田舎の別荘で2年間休養したみたいなんだ。それから17歳で入学したから、今は3年生だよ」
「そうなんですか……」
銀髪の美しい人だと聞く。どんな方なのだろう。会ってみたい。
「彼女に接触するのを極力減らして」
しかし、ディラン様から言われたことは想定外のものだった。
「接触を減らす……?」
「彼女はこの学園で最年長者であり、生徒会と同等の勢力なんだよ。厄介なことにね」
3年生ということはディラン様より1年早く入学したということだから、その可能性は大いにある。それも、王太子の婚約者だ。ディラン様は第二王子だけれど……よく考えれば同等かそれ以上の地位である。だって、彼女は次期王妃の座を約束されたも同然なのだ。
「彼女はディラン様にとって脅威なのですね?」
「そうだね。俺もあまり逆らえないし、でも公式上は俺の方が上だ。生徒会が学園のトップだからね。ある意味、勢力が拮抗してるんだよ」
ディラン様はぐったりと椅子に背を預けて溜め息をついた。なんとなく疲れているように見える。
「彼女は優しげにみえて、そうではない。完全に兄上に肩入れしていると言ってもいい」
「私に接触してほしくないのは何故でしょう?」
「怪しいから、かな」
ディラン様は立ち上がって、私の座っているソファーの隣に腰かけた。えっと驚く暇もなく、距離を詰められる。
「最近、なにか変わったことはあった?」
「……いえ、特にありませんが……あの」
「義姉上は容赦がないからね。俺のことも嫌っているようだから、ベルになにか仕掛けないか心配で」
「あの、ディラン様、顔がちかっ……」
「この前もね、婚約者に会わせてくれと来たんだよ。丁寧にお断りしたけど時間の問題かな」
「っ、ディラン様! 近いです!!」
こちらに向かってぐいぐい来るディラン様に我慢が出来ずに声を上げた。話なんか途中から入ってこない。気がつけばソファーの隅に追い詰められていて、彼はこんなに大きかったかと戸惑った。
「く、ふ、ふふ」
押し殺したような笑い声が聞こえて、顔を上げるとディラン様が堪えるように喉の奥で笑っていた。私はかぁっと赤くなる。
「か、からかっているんですか!?」
「ごめんごめん。顔が真っ赤でかわいくて」
「もう! 退いてください!」
こんなの破廉恥だ。まだ結婚もしてない男女が抱き合うなど言語道断!
ぐいぐいと容赦なくディラン様の体を押すと逆にこちらに傾いてくる。
「なんでですか!?」
「ベルが可愛くて」
にっこりと微笑んだディラン様はゆっくりと私に近付くと頬っぺたにキスを落とした。可愛らしい、子供じみたキスだったけど破壊力は抜群である。
「な、な……!」
言葉を発せなくなった私を見て、ディラン様は満足そうに微笑んだ。そして私の髪をくしゃりと撫でる。
「意識してもらえているようで嬉しいよ」
ディラン様が離れていくと同時に私は飛びすさって距離を取った。こんなの、こんなの。
「駄目です! み、密室でこんなこと!」
「許可してくれたのはベルじゃないか。でも不安になるなあ。嫌ならちゃんと抵抗するんだよ?」
「っ、!」
もう何も言えない。恥ずかしくて、訳がわからなくて、目がぐるぐる回った。
「ふふ、可愛い」
追い討ちをかけるようにぎゅっと抱き締められるから、私は諦めて空気の抜けた風船のようにぷしゅーっと脱力してしまった。




