第44話 『ラプラスの悪魔』
バサリと自分の上に掛けていた毛布を乱雑に剥ぐ。昨日の一件があったせいか中々寝付けなかった。今日から学園生活が始まるというのに、ゾンビみたいな顔である。
爆発した髪を撫で付けながら顔を洗い口を濯ぐ。そうか。制服を着るのも髪を整えるのもこれからは全部私一人でしなくてはならない。さらに早起きの必要が出て来て深くため息をついた。
前世できっちり全て自分でやってきた私でもこうなのだから貴族の子女たちはそれもう大変なことになっているだろう。メイクも自分で出来なくて遅刻する人続出とかも不思議じゃない。
その点、王子はどうだろう。なんでもそつなくこなせそうだ。
「あ、また王子って呼んじゃった」
誰に聞かせる訳でもなくポツリと呟いて昨日のことを思い出してしまい一人悶絶する。あれは恥ずかしかった。今思い出しても顔が赤くなる。二度と名前を間違えないように暫くずっとディラン様、と呟いていた。
◇◆◇
新しいクラスを見てみると、なんとアリアとアズと同じクラスだった。とんでもない奇跡が起きている。
教室に向かうまでもじろじろと品定めされるような視線を浴びていたが、私はそれを気にしないようにずっと学園の内装を見ていた。
廊下には赤いカーペット。壁にはちらほら金の刺繍がしてあっていかにもお金持ちの学校って感じだ。所々に置いてある花瓶はいくらするんだろう。天井も細々と細工がされてあって真ん中にシャンデリアが飾られてある。
ちらりと教室を覗いてみると教室にもシャンデリアは勿論のこと、一人一つの綺麗な机と一人掛けのソファー。そんなにいらないでしょってくらい豪華だ。
教室に入ると確かにアリアとアズはいた。私に気付くと二人して手招きしてくれる。
「おはよー!」
「おはよう、ベル」
「お、おはよう、アリア、アズ」
普通に挨拶してくれるのが無性に嬉しくて仕方がない。かつての学生生活が思い出されるようだ。
「二人と同じクラスなんて、凄い偶然ね」
私が何気無くそう言うと二人は互いに視線を交わらせてアリアは意味あり気に目を細めた。
「うーん、まぁ偶然と言われれば偶然だけど、必然と言われれば必然ね」
「なにそれ? どういうこと?」
「アリア、そんな分かりにくい言い方するなよ。俺たちは正式にベルと仲良くする権利を頂いたんだ」
「……えぇ?」
訳が分からなくて二人を見比べてみるがアズもそれ以上は言わず、アリアも追及しないで欲しそうに肩を竦めるだけだった。
なんだか仲間外れにされた……? 眉を寄せるとアリアはふっと笑う。それと同時に担任であろう先生が入ってきた。
アリアが自分の席に着こうとするので私も席に戻ろうと踵を返した。その時アリアに少し強く肩を引かれる。
「今日の夜、ちょっとお話しない?」
私はその声に勢いよく顔を向けて頷いた。アリアは満足したように笑って自分の席に戻っていく。
私も早く席に着かなければ怒られてしまうと足を少し早めた。
担任の先生は有り得ないくらい美人だった。
「チェレン・ルストだ。今日からこのクラスの担任になる。生意気言った奴は頭かち割ってやるから覚悟しろ」
恐ろしい言葉にクラスメイトは肩を震わせた。そりゃ、頭をかち割るぞなんて今まで言われたことないから怖いだろう。学校の先生ってこんなに口が悪かったっけ……。
ルスト先生は女ながら長身でズボンのスーツを着ていた。艶のある黒い髪の毛は全て後ろに一つで纏めてあり、気の強そうな鋭い瞳は鮮やかな赤色である。
そして新学期特有の自己紹介が始まった。ドキドキと順番が来るまでは本当に緊張する。
「アリア・プラータです。よろしくお願いします」
にこりとディラン様に匹敵する程の悩殺スマイルをアリアが繰り出せば、男の子たちが色めき立つのが分かった。可愛いもんね。顔は。
「アスワド・クリルヴェルです。よろしくお願いします」
アズはペコリと頭を下げて至極普通の挨拶をする。騎士志願として申請しているアズは帯刀を許されている。勿論、人前で無闇に抜刀すればそれなりの処罰が下るし、騎士団へは入れなくなるだろう。
つまり逆を言えば、この学園で申請が受理されていたら騎士道まっしぐらということも意味する。専用の稽古場もあるみたいだし。
アズが座るとかちゃりと金属の音がして隣の席の女の子が怯えていた。その中にも熱烈な視線を向けている子もいるから、やっぱりアズは格好いいんだよなぁ。
暫く自己紹介が続いて私の番になった。私はよくも悪くも注目を浴びる。あぁ、帰りたい。
お母様のレッスンが身に染みている私はもう挨拶くらいで膝を震わせたりしなくなったけれど嫌なものは嫌だ。
「ベルティーア・タイバスです。宜しくお願い致します」
クラス中の視線が痛い。ヘマしたらお母様からなんと言われることやら。目は伏せたまま、クラスメイトの反応を見ないようにそっと席に座った。
ほっと息を吐いているとガタガタと豪快に椅子を引いて立ち上がる音がしたのでそちらに意識が持っていかれる。隣の席の男の子が髪をガシガシ掻きながら棒付きキャンディーを舐めている。
私は思わずその光景にポカンとしてしまった。他の子たちもそうだったようで絶句している。
「ラプラス・ブアメード。よろしく」
そのまま彼はドカリと自分の席に座って飴をゴリゴリと噛み砕いた。彼は規格外の人物だった。ボサボサの蒼髪に、眠たそうで怠そうな目。制服は釦が所々掛け違えていて、サイズが合ってないのかダボダボだ。身長も私と同じくらいで男性にしては小柄で、着崩した制服の上には汚れた白衣を纏っている。
四角の眼鏡をかけ直してまた新しい飴を咥え出した。
隣の席で上手くやっていけるだろうか、と一人でこっそりため息をついた。
「ねぇねぇ」
クラスでの顔合わせが終わり、始めての授業も午前中で終わりだった。ほぼ全部オリエンテーションだったんだけど。
さぁ帰ろうと鞄に教科書を詰めていたら話し掛けられた。私はキョロキョロと周りを見る。
「おぉーい、ここにいるじゃぁん」
ヒラヒラと目の前で手を振られて思わずびくっと肩を揺らしてしまった。悪戯が成功したようににやりとレンズの奥の深い青目を輝かせるのは隣の席の男の子。
ラプラス、だっけ。科学者っぽい彼にお似合いの名前だ。
「僕、ラプラスって言うんだぁ。ララって呼んでよ」
正面に向かい合って始めて気付いたが、彼は随分綺麗な顔をしていた。ララという女の子のような愛称が似合いそうなほど可愛らしい男の子だった。
寝癖だらけの髪を申し訳程度に赤いピンで止めている。彼の綺麗な蒼髪によく映えた。
「君は?」
「え?」
「君の名前は教えてくれないの? あの、生徒会長の婚約者なんでしょぉ?」
間延びしたような口調で眠たそうな目をさらに垂れさせて彼は呑気に尋ねた。私が自己紹介したのを忘れたのだろうか。
「えっと、ベルティーア・タイバスです」
「あぁ! そうそう。ベルちゃん」
ヘラヘラと笑いながら彼はまた飴をガリッと噛んだ。不意打ちでその音がされるとちょっと怖い。
「僕ねぇ、ベルちゃんとお友達になりたいなぁって」
「へ、あ、え!?」
「あはは、すっごい驚いてる」
ラプラスの青い瞳は冗談を言っているようなものでは無かった。
「あのねぇ、実は入学式の時、ベルちゃんがこわぁい女の子に絡まれてるの見たんだ」
たまたまだよ? とラプラスは笑う。
「僕、女の子怖くて。苛められたこともあったから苦手なんだ。ベルちゃんが女の子に絡まれてた時怖くて怖くて仕方なくなっちゃったんだよね。昔の自分を見てるみたいでさ」
ラプラスにも色々あったのか、と一人で考える。そりゃ、そうだよね。人間、誰にだって暗い部分はある。
「だけど君はそれを全部堂々と突っぱねてて、格好いいなぁって思ったんだよ」
不意に手を握られた。私は驚いて咄嗟に手を引っ込めようとするが思いの外ラプラスの力が強かった。
「な、なに!?」
「僕とお友達になって! そんで、ベルちゃんのこともっと知りたいなぁ!」
「お、お友達? それくらいなら、こちらこそ……」
「本当? やったあ!」
ラプラスはわぁーい、と両手を上げて大喜びする。そしてにんまりと笑った。
「僕、君っていう人間が凄く気になる」
まるで実験されるモルモットのような心地になる。知的欲求が盛んらしい彼はなんでも見透かすような瞳で私を見つめた。
そのまま前世まで知られそうで怖い、なんて口が裂けても言わないけれど。
これは友達、というより被験者ではないのか、と私は一人頭を悩ませたのだった。




