第43話 『依存症幸福論』
ヤンデレ注意報
ヤンデレ度★★★☆☆
第183代目生徒会長。
それがこの学園での、俺の地位だった。
「……面倒」
山積みになった資料を見上げて俺は深いため息をつく。聞いてない。この学園での王たる生徒会長がこんな雑務係だなんて聞いてない。
「これじゃ、王宮の補佐見習いとなにも変わらないじゃないか……」
「生徒会長様!」
バンッ! っと壊れそうな勢いで扉が開く。俺は寄りすぎた眉間の皺をさっと伸ばして素早く笑顔を張り付けた。
「お疲れ様です。あの、これ、わたくしからの差し入れなんですけど……」
「あ、わたくしもですの! 宜しければ、その……」
濁流のように押し寄せる令嬢に仮面が音を立てて壊れそうになる。
差し入れだと称して持ってこられるものはほとんど令嬢たちの手作りのものだ。料理とか、縫い物とか。大して美味しくないし上手くもない。ついでにそんなものを持ち歩けるほど俺も優しく無かった。
つまり、面倒くさい。
書類より何よりこいつらが最も面倒くさかった。俺には婚約者がいる。それを分かっているのか。
「ごめんね。そういうのは、貰えないんだ。私にも婚約者がいるし……」
あぁ、ここで俺の婚約者が嫉妬してしまうから、なんて言えればどんなに嬉しいだろう。しかし俺がやんわりと拒否すればするほど相手は過激になる。
「ですが、わたくしは未だに公の場で婚約者様を見たことがありませんわ」
「屋敷に引きこもっておられるようで、病弱との噂も」
「そのご様子ではお世継ぎも難しいのでは?」
「ディラン様の素晴らしいお力は継承していくべきものですわ」
ベルティーアは婚約者に相応しくないと暗に告げられている。止めてくれ。本気で怒ってしまうから。
あと、勝手に俺の名前呼んだ奴。許可した覚えはない。残念ながら俺の名前を呼んで良いのはベルだけだと六年前から決まっている。シュヴァルツはまた別枠なので除外するが。
小さくため息をついて口を開いた。
「私の婚約者を愚弄しないでいただきたい」
ピリッと空気が張ると、令嬢もピタリと口をつぐんだ。
俺の支持率は、歴代でも群を抜いて高いらしい。当たり前だと思った。自分の見られ方は把握しているし声色や仕草にはボロが出ないように特に気を付けている。誰よりも上手く立ち回れている自信があった。
パンパン、と手を叩くような音がして全員の意識がそちらに向く。そこには不機嫌そうに眼鏡を押し上げたシュヴァルツが立っていた。
「皆さん、僕たちは忙しいので今日はお引き取り下さい」
眼鏡の奥にある赤黒い瞳を苛立ちに染めながらシュヴァルツがそう言えば令嬢たちはばつが悪そうに帰っていく。最初からそうすればいいものを。
「只今戻りました」
「ご苦労」
ギシリと音を立てて思い切り椅子に寄り掛かる。
「もうやめたい。生徒会長やめたい」
「明日になればベルティーア様がいらっしゃいますよ。一つ屋根の下でいちゃいちゃなさればいいじゃないですか。その為に僕も生徒会に居るわけですし」
「まぁ、確かに。明日になればベルはこの地に堕ちてくるわけで」
「ディラン様も随分頭ヤられてますね」
シュヴァルツは顔色一つ変えず、残念そうな表情で俺を見た。余計なお世話だ。
この学園で絶対権力を持つ俺の前に立ちはだかるものは最早存在しない。親も国も最低限関与しないように作られているのだ。
どういう経緯でそんな異質な学園が出来上がったのかは定かではないが俺にとってはこれ以上ない帝国である。
「取り敢えず抜けた生徒会員の分を新入生で補おう」
「その新入生と言うのはベルティーア様ですか?」
「当たり前だ。ベルが居なければこんな所すぐにでも辞めてやるのに」
前三年は生徒会で結構な割合を閉めていたから抜けた分が大きい。どう穴を埋めるか。ベルは絶対として、他のメンバーも埋めなくてはならない。仕事のできる奴がいい。
これから一年間の算段を立てながら一人で唸っているとチリンと鈴の音が聞こえた。ピクリと反応して背凭れから身体を起こす。シュヴァルツも少し顔を強張らせた。
チリン、チリンと鈴の音は大きくなり生徒会室の扉の前で止まる。そしてコツコツと軽やかなノックをされた。
どうぞ、と声をかけるときぃっと重たそうな扉が開かれる。
実質、この学園での王は俺である。が、しかし。見逃せない勢力があるのもまた確かなことだった。
俺はにこりと笑顔を浮かべてその女を見据える。こいつからも、ベルを守らなければ。
「何かご用ですか? 義姉上」
◇◆◇
入学式が終わり、ベルを探すために学園内を走り回る。まだ、帰っていないはずだ。ベルに会える日も随分減ったし、久しぶりに会いたい。
昨日の生徒会室でのあの女との会話にも神経を使いちょっと気が滅入ったことも相まって、癒しが欲しかった。息を切らしながら校舎周辺を探すが中々見付からない。もう寮に帰ってしまったのだろうか。
今日は諦めようかとスピードを落として角を曲がろうとした時、ベルの声が聞こえた。嬉しくなってベルと呼ぼうとするが、他の男の声が聞こえる。
思わず足を止めた。
「友達ですよね。喜んで友達になりましょう。俺のことはアズって呼んでくださいね」
「ほ、本当ですか!? わ、私のこともベルでいいです!敬語いらないです!」
「ふふ、うん。ベルも敬語使わなくていいよ」
浮わついたベルの声と低めの男の声。
一年前感じた怒りが再熱しそうになる。随分昔の記憶のはずなのにあの時の事だけは嫌な程覚えている。脳が焼けそうなくらい、嫉妬で死にそうだった。勿論それは全て魔法に還元されて部屋をめちゃくちゃにしたわけだけれど。
パチパチと光を帯びだした腕を反対の手で抑え込む。本当にベルのことになると加減ができないな、と自嘲気味に笑った。
ちらりと角から男の様子を垣間見て、自分の詰めの甘さを呪った。王都では見たことがない男だ。恐らく地方貴族だろう。地方までは手を回していない。
まさか、都外の奴とは、甘かった。顔は覚えたし後で消しておこうか。そう思い、ベルをもう一度みると今度は女と話していた。
「そこで何をしているのかな?」
思わず女の話を遮って声をかけた。女は驚いたが予想していたような顔で気まずそうに俯き、勢いよく振り返ったベルは驚愕したように固まった。
「あ、王子……」
この怒気を悟られないように笑顔を浮かべて話しかける。しかし、怒気は自然と魔力になって俺の気配を助長させただけのようだった。ベルは恐怖からかプルプル震えている。
あぁ、可愛いなぁ、震えちゃって。
「ベル、入学おめでとう。君はベルの友達?」
話しかけられた女は少し目を見開いたが、すぐに礼をして挨拶をした。
「お初お目にかかります、殿下。アリア・プラータと申します」
「あぁ、君がプラータ家の……」
確かプラータ家は庶民の娘を養子に取ったはずだ。音楽の才能を持つ美しい少女らしい。まさかこの娘だったとは。
桃色の見たことない髪色に黄金の大きな瞳は潤んでいて、確かに目を見張るほどの可愛らしい。この容姿だったら世の中の男はすぐに堕ちてしまうだろうな、と確信した。どうでもいいけど。
じっとアリアと名乗った女を見つめていると、しまったというようにフッと俺から目を反らした。どうやら、自分の行いを反省したらしい。プラータ家にはきちんと伝わっているし、彼女もしつこく当主から言われたはずだ。
「じゃあさ、知ってるよね?」
ベルに近付いたらどうなるか。
俺の邪魔をしたらどうなるか。
「彼にもちゃんと伝えておいてね?」
「御意に」
怯えたように返事はしているものの、震えてはいない。中々芯のある女だ。
庶民の彼女がなぜベルと友人なのか気になるところだが、納得はする。その心の強さを見ればベルの友人なのも頷けた。
「では、私はこれで。殿下、ベルティーア様、失礼します」
アリアは優雅に挨拶をし、颯爽と去っていった。睨まれた気がしたがそんなことはどうでもいい。
「さて、ベル。ここで何をしていたのかな?」
「え?」
不安げにこちらを向いたベルの顔が凍った。きっと俺は笑えてない。何年経っても俺を振り回せるのはベルだけだよ。良い意味でも悪い意味でも、ね。
「ベル、俺は怒ってるよ」
そう、俺は怒っている。
本当はなにを話していたのか、アイツがベルの好きな人なのか、問い詰めたくてしょうがない。それをギリギリ残っている理性で抑えているのだ。
ベルがさらに顔色を悪くする。さっきとは比べものにならないほど震えていた。
ベルの恐怖を少しでも軽減できるよう、笑顔を浮かべたつもりだったが逆効果だったようで、彼女はひぃと短く悲鳴を上げた。
あの男の前ではそんな顔しなかったくせに。嬉しそうに笑っていたくせに。俺じゃダメなのか。六年間も一緒だっただろう? 俺の方がベルを知っている。なのに、なんで。
「好きな人って彼?」
ベルは狼狽えた。
「いえ、違います。彼は友達です」
うそつき。少なくとも君は俺よりも彼のことを想っているようだった。婚約者である俺よりも、彼を。
「友達の彼のことは愛称で呼ぶのに、俺のことは一回も名前で呼んだことないよね?」
ベルと呼んでいいのは俺だけだ。俺のことをディランと呼んでいいのも君だけなんだ。
「王子、王子って。君のなかで俺は友達以下なんだね」
「そ、そんな、つもりは……」
そんなつもりは、無かった? そんなこと言わせない。あれだけ熱心に彼を口説いておいてとぼけるなんて許さない。
「しかも、友達なんて、懐かしい響きだと思わない?」
━━ベルが最初に俺に言ったことと同じだ。
君のことは信じてる。
あれが君の優しさだって知ってるよ。分かってる。こんなことを言うのは意地悪かもしれない。だけど今は苛立って仕方なくて、君の弱い部分をぐちゃぐちゃにしてやりたいよ。
トドメと言わんばかりの言葉と、冷たい視線に少しの侮蔑を含めばベルは傷付いたような顔をする。その表情に荒んだ波が少しだけ引いた。そして最低だ、と誰かが囁く。
違う、違う。傷付けたい訳じゃない。ただ、俺の気持ちに気付いて、俺をもっと見てほしいだけなのに。
衝動のままに、アイスグレーの髪にキスをした。ベルは驚いたように目を見開く。当たり前か。こんなこと初めてした。ベルが俺を見ないなら、いいよ。攻め方を変えよう。
「……ベルは俺を受け入れてくれたんだと思っていた。でもそれは勘違いだったみたいだね」
「違います!」
鋭く返答をして叫んだベルに内心ほくそ笑んだ。そうだよね。ベルは情に訴えられると弱い。
「ベルは俺のものだよね?」
立て続けに言葉を浴びせて少しずつ呑み込んでいく。ゆっくりと、自分に取り込むみたいに。
君は優しい。今まで出会ってきた人間の中で一番純粋で綺麗だ。相手を思いやることがどんなに人を救うか君は知らない。
そんな優しい君は今の俺を見てどう思う? ベルは俺を見捨てない。いや、見捨てられない。親の愛を受けられずに育った可哀想な子。同情は俺の最も嫌う感情だが、それでもいい。ベルが自分の意思で俺を選ぶことが重要なんだ。そうなる過程はさほど大切ではない。
ベル、受け入れて。君は俺のものだ。俺だけのものだ。決して放さない。誰にも渡さない。
俺を求めて、感じて、愛してほしい。
腕に閉じ込めたベルが身動ぎする気配がした。じっと見つめると、懇願するような瞳と目が合う。
「違います。王子は、独りなんかじゃありません。私がいます。シュヴァルツもいます。ウィルだって、貴方を慕っています」
あぁ、本当に君は思うように動いてくれない。俺の望む言葉をくれない。
瞬時にベルの手首を取って壁に押し付けた。
「じゃあ、俺をちゃんと君の婚約者にして」
君が一筋縄でいかないのはよく分かった。これだけ俺がやきもきしてるんだから当たり前と言われればそれまでなんだけど。
婚約者の自覚の無さを咎めればベルは困ったような焦ったような顔をする。
慰めるようにベルを抱き締めて頭を撫でた。怒ってないとは言ったものの落胆してしまうのは許して欲しい。俺も少し焦りすぎたかもしれない。
これから少なくとも二年はベルと、この学園で過ごせる。一年かけて作り上げたこの帝国がある限り焦る必要もない。
ゆっくりゆっくり堕としていこう。だから、これくらいは許してくれないかな。
「せめて名前で呼んで欲しいな」
些細な俺からの願い。
ベルは意を決したように俺を見つめて息を吐くように名前を囁いた。肩の力が抜ける。心が安堵と歓喜に打ち震えた。
たとえベルが望んでいなかった婚約であっても俺は本物の恋人としてベルを愛したいし、愛されたい。
ならば、ベルの隣に他の男が存在する余地など与えてはならない。
「友達を作るのは良いことだ。彼と仲良くすることも」
ベルは俺に言った。折角だから学園生活を大切にしろと。俺の世界にはベルがいればそれでいいけれど、ベルの世界は俺ほど狭くない。友人も、クラスメイトも彼女には必要なものなんだろう。
それは咎めない。ベルが俺の隣を選んでくれればいいんだから。だけど。
「これだけは覚えておいて欲しいんだ」
ベルの耳元で囁くように告げる。
「あまり仲良くし過ぎると俺、何しちゃうか分からないよ?」
ベルは俺のことを可哀想な奴だと思っているだろう。親の愛情を受けられなかった哀れな王子。
だけど、俺は君が思っているほど弱くない。自分が不幸だと思ったことがないし、これが世界の理不尽だと割りきれるほど冷めている。俺が変わったのは愛だの恋だののお陰ではない。ベルのお陰だ。君がいるから俺は腐った世界を生きている。
愛を受けられずに育った俺は、不幸じゃない。
だって君が俺を選んだ瞬間、俺は永遠の幸福を手に入れられるのだから。




