第41話 『ヒロインと邂逅Ⅱ』
「アズ、先に帰ってていいよ」
突然彼女が言った言葉に、アズは驚いたように目を見開いた。
「え? でも……」
「久し振りに会ったんだ。ほら、二人きりで話させてよ!」
親友がアズをぐいぐい押して、校舎の角から追い出す。アズも気を遣ってくれたのか、あまり抵抗もせず、名残惜しそうに帰っていった。
折角いいところだったのに!
むぅっと膨れた私を見て、悪友はクスッと笑った。と思えば抱き付いてきた。ヒロイン独特の桃色の髪が可愛らしく揺れる。
なんとか受け止めたけど、驚いた。彼女がこんなことしてくるなんて。小学校以来じゃないの。
「どうしたの?」
「やっぱりあんただね」
桃色の髪からはいい香りがしてシャンプーなに使ってるのかな、なんて場違いな考えが頭を過る。それともヒロイン仕様の体臭か。羨ましいぞ。
「絶対いると思ってた」
またまた予想外のことを言う。
ごめんね、私は微塵も思わなかったよ。
だけど、久し振りの再会をこんなに喜んでくれるのは素直に嬉しかった。口調も何もかも変わってなくて安心する。
「ヒロインにはそんなことも分かるの? 私は貴女がいるなんて夢にも思わなかったわ」
「なによ、感動の再会だって言うのに冷たいのね」
親友は泣き真似するように顔を手で覆って、しくしくと効果音を付けだした。馬鹿な所もそのままだ。
私の反応が無いと分かると、パッと顔を上げてアズなら乗ってくれるのに……と愚痴を溢す。
「でも、まさかあのベルティーアに転生しちゃうなんて、とんだ災難ね」
「はぁ、本当、全くよ」
「主要人物は全然マークしてなかったわ……。だって、貴女いかにもモブって感じだったじゃない?」
ヘラヘラ笑いながらさらっと人を貶すことも忘れないこの荒業には最早感嘆すらする。減らず口も相変わらずだ。まじで失礼な奴だな。
「腐れ縁って、来世まで続くのねぇ」
感心したように頷く悪友だが、私は早くも人選を間違ってる気がするよ、神様。
不意に私は彼女に重要なことを聞いていないことに気づいた。
「貴女の名前ってなんだっけ?」
「はぁ? 今さら? ヒロインよ、ヒロイン!」
流石にそれは分かる。
「いや、分かってるんだけどさ。自分の名前入力してプレーしてたからデフォルト名覚えてないんだよね」
頬を掻きながらそう言えば、彼女は一瞬ポカンとした後ケタケタと笑った。
「あは! 相変わらず抜けてるねぇ!」
可笑しそうに笑う親友に、お前も全然変わってねぇよと言ってやりたい。
彼女はスッと腰を下げて、淑女の礼を取った。美しい髪がハラリと彼女の首を滑り、伏せた睫毛が影を落とす。ため息が出そうなほどの美少女だ。
「わたくしはアリア・プラータと申します。以後お見知りおきを」
わざとらしく挨拶をするアリアをじっと見下ろす。こうしていると超絶可愛いヒロインなのになぁ。中身が違うとこうも違うのか。
「残念な……」
「失礼なこと考えないでくれる?」
哀れみを込めて視線を送れば、アリアは不機嫌そうに顔を歪めた。大方私の言いたいことは伝わっているようだ。
実際、前世で彼女は可愛かった。目が大きくて、茶髪っぽくて普通に可愛かった。だけど、ガサツで荒い言葉遣いのせいか告白の数は歳を重ねる事に減っていった気がする。
そんなことを言えば、私に明日は無いだろうけど。
「ところで、ベル」
「いつから愛称で呼ぶ仲になったのよ」
これでも、私はタイバス家の令嬢なのだ。親友と言えど、少しくらいは敬って貰わなければ。
そんな考えが頭を過って、何か貴族に毒されてきている気がした。やばいな。このまま行けばただの我が儘な悪役令嬢になりそうな気がする。いや、大丈夫だ。私には常識がある。
これから寝る前に自分の言動を振り返ることにしよう。
私の生意気な台詞にも、アリアは全く気にした様子もなく無邪気に笑って見せた。
「ほんと、昔からそうだよね。変な所に細かいんだから」
「そ、そんなこと、ないわよ」
言い淀んでしまったのは半分図星だったからだ。よく家族に言われてきた。変な所を気にする、と。兄弟に言われたときは、あんたらも人のこと言えないだろうとよく思ったものだ。
「ベルティーア・タイバス……いいえ。私の親友さんに忠告よ」
突然フルネームで呼ばれて、少し驚いた。親友だと断言するのも小学校以来だ。
アリアの顔は、私も無駄口を慎もうと思うほど真剣だった。懐かしい。大切な話をするとき、彼女はこんな表情をした。
すぅっと彼女の唇が緊張したように息を吸い込むのをただじっと見ていた。
「アズには、近づかない方がいいわ」
分かりやすく、区切ってアリアが話す。
私はしばらくその言葉を全く理解できなかった。
「はぁ!? なんでよ!」
一拍置いて、叫ぶ。
令嬢らしからぬ態度だ、恥ずかしい、とどこかで声が聞こえた気がするがそれどころではない。
キーキー喚く私を一瞥してアリアは溜め息をつく。まるで、こうなることが分かってたかのような反応だ。当たり前だ。彼女は私がどれだけアズに入れ込んでいたかを知っている。
しかし、アリアは容赦はしなかった。キリッと意思の籠った瞳を向けられて、私はぐっと押し黙る。
彼女は滅多なことでは自分の意見を変えない。芯があると言えば聞こえはいいが、頑固で融通利かない人だった。私が騒いだ所で彼女が訂正するとは思えない。
「あとね、私、アズを攻略するから」
そして衝撃の告白を突然宣う。
おいまて。話が違う。今までのは何だったのか。アリアが王子を救う物語ではなかったのか。
じゃあ、王子はどうなるの?
「な、なんで……アリアは王子が好きなんじゃ……?」
茫然とそう問えば、アリアは申し訳なさそうに眉をひそめてごめんと言う。
その表情で十分だった。数十年と一緒に過ごしてきた私たちは、お互いが感じるよりももっと深く、互いを知っている。
彼女は、口は悪いし言いたいことをはっきり言いすぎるし、配慮を知らない。だけど、無闇に人を傷付けるような子ではなかった。
「理由は?」
私は静かに言った。
なにか事情があるのだろう、きっと。
なら聞いてやらないこともない。
そんなことを思いながら、同時に私は自分の判断の浅はかさにもうんざりした。何故、今までヒロインが王子を選ぶだなんて思っていたんだろう。王子とアズと、それから他にもきっと攻略対象者がいるはずなのに。ヒロインが誰を選ぶかなんて、そんなの分からないじゃないか。だって、主人公はプレイヤーなんだから。
そこまで考えて、はたと気づいた。
世界は、主人公の為にある。それが、恋愛シミュレーションゲームの根本的な概念だ。
そして、主人公は、アリアに決まった。
私の前世の親友である、彼女。
推しは王子だった。王子を愛して愛して止まない彼女はそれはもう熱烈だった。
だからヒロインが王子を選ぶと思い込んでいた?
主人公が、彼女だったから。
ゾワッと鳥肌が立った。
王子が自分を婚約者に指名したことに戦いた時以来の悪寒だった。世界の、強制力を感じた瞬間。
だがしかし、事がそう上手く運んでないのもまた事実だ。私は前世を思い出し、アリアは親友であった。他人からみれば偶然か奇跡とでも呼べそうな現象。
私はたまたまそういう前世を持ち合わせていたから、強制力だとそんな風に思ってしまうだけ。
私が色々なことを考えている間も、アリアは思考していた。言うか、言うまいか、顔色をくるくる変えて迷っているようだった。
なんだか気の毒になってしまって、私は咄嗟に助け船を出す。
「別に、責めてるわけじゃないのよ。アズのことは好きだし憧れるけれど、まだ、崇めるようなそんな対象なのよ」
私の言葉にアリアは瞠目し、眩しそうに目を眇めた。そして、ゆるく首を振る。
「違うの。あのね、王子は実は……」
アリアの言葉が不自然に止まった。
それに首を傾げる。なんだろう、と思っていると空気が揺らいだ気配がした。
「そこで何をしているのかな?」
聞いたことのある、響き通る声。変声期が終わって大人の声になった。よく知る気配だった。
なんだか幼い頃にもこんなことがあった気がする、なんて昔を思い出して焦りを隠す。そうだ、シュヴァルツと二人で王子の誕生日のお祝いを計画していた時だ。
思い出してスッキリしたなんて言っている場合ではない。冷た過ぎる空気に私は背筋を震わせた。




