第40話 『ヒロインと邂逅Ⅰ』
パクパクと口を忙しなく開閉させ、必死に呼吸を整える。
ほ、本物のアスワド様!? どうしよう、変な顔してないかな。まさか今日会えるなんて思ってなかった。なんて嬉しい誤算!
興奮している私をみて、アスワド様が首を傾げる。王子にも負けないこの可愛さ。流石だわ!
これはきっと神様が憐れな私に与えてくださった千載一遇のチャンスね。この幸運をものにしないなんて女が廃る。
私は努めて冷静に、アスワド様に向き合ってスカートを少し持ち上げる。
「お見苦しいところをお見せしました。わたくしはベルティーア・タイバスと申します」
いきなりの挨拶に一瞬ポカンとしたアスワド様だったが、流石貴族と言うべきか、直ぐに姿勢を正して挨拶を返してくれた。
「これは、タイバス家のお嬢様でしたか。失礼しました。私はアスワド・クリルヴェルと申します」
人好きする顔を向けられて失神寸前。このまま死んでいい。幸せすぎる。
生で見るアスワド様は筆舌に尽くしがたい程イケメンだった。王子に比べると少々男くさいがまたそこがいい。タコの出来た手とか、角ばった骨格とか。シャープな輪郭も素敵だし、男らしい凛々しい目付きも堪らない!
目の前のドタイプな異性に私は内心、乙女の溜め息を溢す。罪だ。こんなに素敵な男性がいるなんて、この世界は可笑しい。
そして、そんな顔面偏差値が麻痺した世界で生きている私はなんて幸せ者なんだ。その彼と友達か、それ以上になれる機会を得ていることもまた幸福。
崩れそうになる顔の筋肉をなんとか引き締めていると、アスワド様は「では、私はこれで」と言って踵を返した。
え、それだけ? 折角のチャンスなのに!?
このまま何処かへ行ってしまわれては困ると、何とかアスワド様を引き留められるような台詞を考える。そう言えば、ずっとアスワド様に会うことだけを考えていたから、何を話すかなんて全く考えてなかった。
アスワド様が何処かへ行く前に頭を振り絞るが……駄目だわ、何も思い付かない。
前世でゲームをしてた時ヒロインはなんて言ってアスワド様と知り合ったんだっけ?
100回以上繰り返したストーリーをなんとかして思い出す。できる。私なら思い出せる筈だ。
ふっと頭に過ったのは、湖で会話をするヒロインとアスワド様。ヒロインが可愛らしい顔を綻ばせて、彼に言うのだ。
そうだ、思い出した!
「あ、あの!」
「はい? どうかなさいましたか?」
帰る気満々だったアスワド様が驚いたように振り返った。まさか、引き止められるとは思ってなかったのだろう。
切れ長の目を丸くしている。
言わなければ。私は、ここでゲームのヒロインと同じ事を言う。チャンスは待ってはくれないのだから!
「その、アスワド様が宜しければなのですが……是非私と、とと……友達に、」
私が言葉を発した瞬間、アスワド様が笑顔のままピタリと止まる。
すうっと息を吸って、拳を握り締めた。
「なってくれませんか!?」
思いの外デカイ声が出た。アスワド様の肩がびくっと震える。やめて。恥ずかしすぎる。
確か、ヒロインはアスワド様と初めて出会った時「私と友達になろうよ!」みたいなことを言っていた気がする。今考えたら、私が王子に言ったのと同じだ。
恐る恐る顔を上げると、アスワド様は固まったままピクリとも動かない。やっぱり悪役令嬢がするのとヒロインがするのとでは違うのか……。かなりショックを受けているとクスクスと声が聞こえた。
「くっ……ははっ……」
笑われた!?
声が大きすぎたから? ダサって思われたの!?
ガーンと頭の中で効果音が鳴る。やっぱり可笑しかったかな……。いや、絶対可笑しかった自信はある。せめて頭がヤバい奴だとは思われたくないし、廊下で目を反らされるような気まずい関係にもなりたくない。
「あ、あのっ……」
祈るようにアスワド様を見つめると、彼はようやく気がすんだようで、目に貯まった涙を拭っていた。
「くくっ……はぁ、すみません。まさか友達になってくれなんて言われるとは思わなくて」
涙が出るくらい笑われて、顔が赤くなるのが分かった。もう二度と言わない。
「意外だったんです。友達になりたい、なんて言われたのはアイツ以来ですから」
「アイツ?」
「俺の幼馴染です。馬鹿な奴なんですけどね」
楽しそうに笑うアスワド様とは対称的に私ははっとする。それは、もしかしなくてもヒロインではないか! 私の記憶と合致する人物は一人しかいない。アスワド様の幼なじみで、友達第一号であるヒロイン。
何か色々な物に打ちひしがれていると、アスワド様がにっこり笑った。
「友達ですよね。喜んで友達になりましょう。俺のことはアズって呼んでくださいね」
「ほ、本当ですか!? わ、私のこともベルでいいです! 敬語いらないです!」
「ふふ、うん。ベルも敬語使わなくていいよ」
ベル……ベル……ベル……。アスワド様が言った私の愛称がエコーを効かせて脳内で響く。
今世初めての記念すべき友達、アスワド様。
しかも、愛称呼び可!
一気に親しい感じがして気分が上がった。
が、しかし。楽しい時間というのは中々続かないものなのだ。
「アズ、なにしてんの?」
私が幸せの絶頂を味わっていると、後ろから可愛らしい声が聞こえた。
可愛い声には似合わないガサツな言葉遣い。
声の主を確かめようと少女を見た瞬間、王子とのお見合いの時のように頭が痺れた。雷で貫かれたような衝撃が脳を揺らす。思わずよろけて、校舎の壁に手を着いた。ちらりと前を窺うと、少女も顔色を悪くして耐えるように俯いている。
ミディアムの薄い桃色の髪に、黄金色の大きな瞳。揺れる髪飾りはヒロインそのもの。見た目は絶対にこの世界の主人公。
けど、違う。こいつはヒロインじゃない。
不思議な違和感が私の脳内を支配する。この違和感の正体は分かってる。でも、そんなことあるはずないでしょう?
だって、彼女がここにいるなんて、そんな奇跡はあり得ないよね?
期待しちゃ駄目だ。でも、確実にパズルが嵌まっていく。私は一人で死んだわけじゃなかった。キミ奏のグッズを買いに、二人で出掛け、そこで事故に遭って死んだ。
彼女と一緒に。
ヒロインも私をみて固まっていたが、はっとしたかと思うと貴族らしくスカートを持ち上げてにっこりと……いや、ニヤリと笑った。
この顔にはよく覚えがある。
嬉しいとき、悲しいとき、悔しいとき、苦しいとき、彼女はずっと隣にいたから。気付かないなんてそんな薄情なことはしない。
「お久し振りです。ベルティーア・タイバス様」
やっぱりお前は………前世の悪友か!!
頭では分かっていたけど、私は驚きすぎて声が出ない。まさか本当にお前まで転生したとは。いや、こうしてまた出会えるなんて。感動以外の何者でもないだろう。これが腐れ縁の力か。
「なんだ、知り合いだったのか!」
アズが嬉しそうにそう言って笑った。いや、可愛いんだけどね。ちょっと混乱しすぎてそれどころじゃない。
ニヤニヤとにやつきながらも、喜びが溢れる親友の顔を見ていると私も自然と頬が緩んだ。
顔も変わって、お互いに分かるはずもないのにこうやって気付けたのは神様からの細やかなプレゼントだろうか。
やはりこの世界はゲームに酷似した別の世界だ。
私はそれを痛感する。だって、あの横暴な親友が、人と関わることが納豆よりも嫌いな彼女がヒロインなんてできるわけがない。
きっと彼女もそれを分かってる。
ほんと、運命だよ。
私達は互いに安心した顔をしているだろう。
前世を思い出した当初、突然過去の自分の死を目の前に突き付けられて、なのに転生して訳がわからなかった。心細くて、どうせなら記憶を消して転生させて欲しかった。
本当は前世を話して楽になりたかったし、ここはゲームの世界なんだって誰かに吐き出してしまいたかった。
だけど、そんなの転生した人にしか分かりはしない。それが分かっているから尚辛くて誰にも言えなかった。
しかも、この世界の人間にどうやってゲームだなんだと伝えるのか。貴方たちの感情はプログラムで決まっているなんて彼らの意思を壊すようなことは言いたくなかった。だって目の前で生きている。心臓が動いて、怪我をしたら血を流す。自分で考えて、自分で動いている彼らは確かに生きていた。
私たちが地球で生きていたように、彼らもまた生きている。
私は、本当に幸せ者だ。
こうやって目の前に親友がいるのだから。
可愛らしい私の親友が、泣きそうにくしゃりと顔を歪めた。




