第4話 『彼女の記憶』
王子が帰った後、私は一人考えていた。
王子を攻略したことがない私は王子の過去も、王子がこれからどうなるのかすらも知らない。ヒロインに出会って心の傷を癒していくのか、学園に入る前にヒロインとの接触はあるのか。
あぁ、もっと親友に聞いておくべきだった。
今さら後悔しても遅いとは思ってるけど、ここまで深い闇があるなんて、私はこれっぽっちも予想していなかったのだ。私が攻略した騎士様はどちらかというとポジティブな方で、悩みもこんなに深刻なものではなかった気がする。
幼なじみということでヒロインとは小さい頃から一緒にいるわけだし。
王子が騎士様のようにヒロインと今の時期に出会うならまだいい。言い方は悪いが、彼のセラピーを全てヒロインにやってもらえれば良いのだから。
だけど、一ヶ月王子と話してみて、あまりそういった雰囲気は感じないし、婚約者ができた王子が他の女の子と会えるとは考えにくい。それもヒロインはまだ庶民。未だ庶民のヒロインが運よく王族に会えることができるか。9年と半年この世界で過ごしてきたベルティーアには分かる。それは不可能だ。この世界が乙女ゲームの世界であったとしてもさすがに有り得ない。
そう推測すると、王子は学園に入るまでずっとヒロインとは会えず、傷を抱えたまま残り5年弱を過ごさなければならないのだ。
それは、いくらなんでも酷すぎではないか。このままずっと好きでもない婚約者と過ごして、救いの手が伸びるのを待つだけ。庶民のヒロインと出会わない限り、彼は救われない。こんなの拗らせるに決まっている。
しかもその間私はひたすら見ていることしか出来ない。傷付いている子供を何年も放置する。
━━そんなのは無理だ。
私は前世で妹が二人、弟が二人という今時では珍しい五人姉弟の長女だった。妹二人はいい子であまり手がかからなかったけれど、下二人の弟は本当に苦労した。共働きの親の代わりに、部活もせず家事をするために急いで家に帰って弟たちの面倒も見る。男の子特有の喧嘩とか、危険な遊びとかをいくら叱ってもその場凌ぎの謝罪しかなくてまた傷を作って帰ってくる。
一番歳の近い弟は特に荒んでて、私の忠告なんか聞きもしない。そんな弟を見て育った六歳離れた弟も生意気なガキに育ってしまった。
私もまだ高校生で、荒れまくった馬鹿な弟のことでいっぱいいっぱいだった。親友も何かと手伝ってくれたけど、短気な彼女はすぐに弟と取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。
『あんた、姉に迷惑かけてるんじゃないわよ! いい加減にしないとブッ飛ばす!』
ってぶちギレて弟を殴り飛ばした。さすがに焦って、急いで鼻血を出した弟に駆け寄ったがそんな私を突き飛ばして、弟は家を出て行った。
家出したのではないかと当時はヒヤヒヤしたが、無事帰って来たので良しとした。しばらく
口は利いてもらえなかったけれど。
しかし、一番幼い妹の誕生日の日。親が仕事で家に帰れず、姉弟五人での晩餐だった。妹が大好きなオムライスを振る舞って、荒れた弟たちも引っ張って食べようとした時、妹が泣き出した。
『お母さん達はどうしてこないの?』
誰も、何も言えなかった。姉弟の、馬鹿な弟達ですら触れなかったこと。それは、まだ子供な私たちの暗黙のルールだった。でも妹は幼くてまだ分からない。仕事だよって言ってもきっと納得しない。
重たく、冷たい沈黙が小さなリビングに落ちた。皆の顔が無邪気な妹と対照的に暗くなる。私が言いあぐねているといきなり、髪を金色に染めた弟が立ち上がって叫んだ。
『俺たちのことなんかどうでもいいからに決まってるだろ。あいつらは俺たちのことなんか忘れてるんだよ!』
そう言って、椅子を蹴った。
『いっつも家に居ねぇし、俺たちのことなんてどうでもいいんだろ!』
ガンッと耳を刺すような音がして、弟が壁を殴ったのが分かった。力を入れすぎて手から血が滲んでいる。
『止めなさい!』
『姉さんも姉さんだろ!』
鋭い視線を受けて少し怯んだ。睨む弟の目にはうっすら水の膜が張っていた。
『なんで、笑っていられるんだ。なんで俺みたいな奴のこと面倒見れるんだ。俺たちのせいで大好きだった剣道止めたんだろ? 姉さんだって母さん達みたいに俺達を捨てればいいのに』
そう叫んだ弟の目からついに涙が溢れた。
知らない。こんな弟、知らない。
『俺だってお前ら捨ててこんな家出ていきたい。帰ってこない親なんかいらない。……けど、誰も、俺を、見捨てないから━━』
そう言い、泣き崩れて、床に涙を落とす弟に私はなにも弁解することが出来なかった。弟の言うことは正しい。私だって、あんたみたいに好き勝手に生きて、青春したいと思った。剣道を、好きなだけしたいと思った。なんで私なのって親を恨んだりもした。頼る人がいないという孤独感を感じたりもした。
でも見捨てるなんて選択肢、あるわけがない。
『馬鹿!』
見捨てられるわけがない。
『本当に……馬鹿だよ。あんたは』
反論することなくひたすら喚くように泣く弟を優しく抱き締めた。弟はなされるがまま。鼻水を啜るような音がした。
私たちを見て、ぼろぼろ泣き出した妹たちも手招きして抱き締める。生意気な弟も今だけは素直にこちらへ来た。泣かないように唇を噛み締めているけど、すでに涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
姉弟の体温を感じて私も涙が出てきた。
『なんで姉さんも泣いてんの……』
泣き止んだ弟がこっちを睨んでいた。目が真っ赤に充血してるので全く怖くない。
『あんたは私に好きなことしろって、俺達なんか捨てろっていうけどさ。そんな事出来るわけないじゃん?』
明るく振る舞おうとするけど、どうしても涙声になってしまう。情けない。
『だって、私たち姉弟なんだよ。世界に四人しかいない私の唯一の弟妹なんだよ』
そう言うと弟はまた泣きそうにくしゃりと顔を歪めた。
私はありったけの力を込めて四人を抱き締める。皆痛いって言ってるけど気にしない。
『姉さんが皆を捨ててどうすんの! 姉さんは皆のこと大好きなんだから!』
そういう私もぼろぼろ泣いてしまった。だって、金髪の弟が抱き締め返してくれるから。そういうの反則だよ。
『お、俺もすきだよっ!』
声を裏返しながらそう言ったのは六歳離れた弟。それに続いて、三歳離れた妹も、一番幼い妹も言い出す。
『わ、私も大好き!』
『みゆも! みゆもみんなすき!』
そして必然的に皆の視線が金髪に集まった。充血した目を見開いて、え、俺? なんて顔をして固まっている。皆の視線に耐えられなくなったのか、逃げ出そうとしても私ががっつりホールドしているので逃げられない。
『っ、俺だって、俺だって好きに決まってんだろ! じゃなきゃこんなとこいねーよ、バカ野郎!』
泣いて赤くなった顔をさらに赤くして叫んだ。バカ野郎は余計だけど、この弟から好きなんて単語を聞いたのは何年ぶりだろう。
嬉しくて、寂しくて、でも嬉しくて、私たち姉弟は妹の誕生日だというのにわんわん泣いた。抱き合いながら、団子になって大号泣した。
私はこの日、初めて姉弟たちの孤独に触れた。弟が荒んだのも、妹がひたすら我が儘を言わなかったのも形は違うけれど一種の孤独の表れだったと思う。弟は自分を見てもらいたくて。妹は褒めてもらいたくて。
王子を見ていると、弟たちが重なる。弟たちを見てきたからその孤独はなんとなく分かる。実際、私も親がいなくて寂しかった。その孤独を埋めるように剣道をしたし、親友もいたから頑張れた。他の姉弟と同様に弟は夜遊びを始めたし、妹はよく友達と遊びに行っていた。それがなんだか家から必死に逃れているようで切なくなった記憶がある。
だけど、どうやら王子には孤独を紛らわすようなものがない。
私はヒロインになれない。弟や妹にとっても私は最期まで"姉"だった。唯一無二の母親にはなれなかった。だからヒロインのように私は王子の傷を癒すことが出来ないだろう。
だけど、気を紛らわすことなら私にも可能だと思う。……多分。
遊ぶなり、話すなりしてこれ以上傷が広がらないように孤独を埋める。それなら私にだって出来るはずだ。
趣味とかあったらそれをすればいいと思うけど、今の王子にそんな様子はない。というか、何事にも淡白そうな印象を受ける。
ならばどうする?
正直、友人を作るのが一番手っ取り早い。何でも相談できる友人。信頼できる友達。人とは結局縁だから気の合う友達と出会うことは難しい。あの繊細そうな少年に、事細かに気の利く友人候補はいるだろうか。答えは、います。
実に運の良いことに、ここに一人、婚約者と言う名の子供がいる。しかも中身は成人女性。これを利用しない手はない。
王子と友達かぁ……。難易度高過ぎない?
ヒロインってどうやって王子の心を掴んだんだろう? 私のアスワド様の時はどうやって仲良くなったっけ?
うーん、と考えていると綺麗なヒロインとアスワド様(幼少期)のスチルとセリフが浮かぶ。
『私と友だちにならない?』
……かなり直球だった。
いや、これはもう直球しかないのかもしれない。女子の理想を詰め込んだヒロインが言っているんだ。正解に決まっている。
考えれば考えるほど、それ以上の解決策はないように思えてきた。正面突破で行くしかない。大丈夫。今の私は小学生だ!
一時的な痛み止めでもいい。ヒロインが現れるまで私がなんとか王子を引っ張ろう。
いずれ婚約破棄されるとしても今私は彼の婚約者だし、彼も私の婚約者だ。なら多少振り回してもいいだろう。どうせあちらは私を好きじゃないんだ。嫌われたら嫌われたなりに遠慮なく振り回せばいい。
王子よ、待っていろ。私が君の友人第一号だ。
決行は明日。名付けて━━お友達大作戦!




