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第38話 『運命の日』

「遂に来てしまった……」


 チュンチュンと可愛らしい小鳥の鳴き声を聞きながら、私はどんよりとテンションを下げた。緊張で眠れなかったせいか、目の下にはうっすらと隈が出来ている。


 時は流れてあっという間に一年。

 早い。早すぎる。

 嫌だと思えば思うほど時間は無情にも過ぎてしまうものなのだ。そう、夏休みのように。


 王子が学園に入学してからというもの、忙しいのかあまり家に来なくなった。当たり前と言われれば当たり前なんだけど、あの日王子を怒らせてしまったこととか、シュヴァルツに言われたこととかが頭を過って中々平常ではいられなくなってしまった。

 シュヴァルツのあれは単なる脅しか、王子を怒らせてしまったことへのちょっとした復讐だと思っている。本気になんか、してない。大丈夫。大丈夫。


 平常心を保とうと深呼吸を繰り返すが、憂鬱なのは変わらない。


「……はぁ」

「お嬢様、お着替えの時間です」


 後ろから突然声をかけられてビクッと肩を竦める。能面のような無表情を浮かべた侍女がコトリと首を傾げた。


「驚かせてしまい申し訳ありません。声をかけてもお気付きにならないものですから」

「そうだったの。ごめんなさい」


 侍女のルティは相変わらず無表情のまま、綺麗な礼をする。

 私は顔を洗われ、髪を結われ、服を着させられた。勿論、学園の制服である。


「はぁ……」

「どうかされましたか?」


 私の小さなため息をルティが拾って、心配そうな声色で話しかけてくれた。


「憂鬱なのよ……」

「まぁ、学園生活は楽しみでは無いのですか? 確かにベルティーア様はあまり社交界に出ることが出来ず、お知り合いも少ないことだとは思いますが……」

「まず、私ってどうしてパーティーにも出られないのかしら?」

「それは、殿下の婚約者だからだと思われます」

「王子がいないと王家の招待も受けられないのよ。お父様とお母様とウィルは行くのに」


 面倒だわ、と言いそうになったのをグッと堪える。ルティと言えど、侍女に愚痴を吐くなど淑女としては勿論、貴族としてもアウトである。


「王家の婚約者がどのようになっているのか私も詳しくは分かりませんが……。ベルティーア様のご苦労はお察し致します」


 堅苦しく他人行儀な言い方だが、その言葉だけでも私の心は軽くなる。そうだ。私だって遊んできた訳じゃないのだ。二十代前半で止まった精神年齢も、淑女の嗜みやら貴族の規則やらで相当成長したはずだ。

 やはり人の上に立つのも楽ではないと、思い知らされた五年だった。


「そうよね。怖じ気づいてなんかいられないわ!」


 世界(ゲーム)なんかに負けはしない。

 私は私のやりたいようにするだけなのだから。


 ◇◆◇


 お淑やかに、気品と威厳を持って。

 その言葉が今ここでフラッシュバックするなんて、不幸なのか幸運なのか。


 ただ歩いているだけで色んな視線に晒される。珍しそうに一瞥する人、媚びるような視線を送る人、嫉妬を露に睨み付ける人。

 自分で言うのもなんだけど、私は自分がかなりの権力者で、大物であるという認識はある。なんせ、王族の婚約者だ。それくらいの自覚はそろそろ持った方がいいだろう。


 だけど、私はあまりパーティーにも出席したことがないし、王子以外の男性からエスコートされたこともない。パーティーで他の貴族の方とまともに話したのも、最初の王族の誕生日パーティーくらいだし……。


 要は、何が言いたいのかと言うと。

 私は慣れていない。注目されなれていないのだ。平然と歩いているが、心の中は常に嵐が巻き起こっている。私を見ないで! って叫びたい。


「生徒会長様の婚約者がこんな色気も足りないような子供だなんて」


 ボソリと言われた悪口にピクリと肩が揺れてしまった。幸い、歩く時に誤魔化されたので気付かれてはいないだろう。

 というか、生徒会長? そんな制度がこの学校に存在するなんて初耳だ。

 それに子供って、恐らく年齢は1、2歳ほどしか離れてないのに大袈裟な人達だ。色気がないのは認めるが。


「全くですわ。生徒会長様もお気の毒に。美しい娘なんて、嘘ばかり」


 "美しい娘"。この台詞に思わずガッチリ固まってしまった。なぜ、その恥ずかしすぎる二つ名を!

 彼女たちの近くで立ち止まってしまったのは仕方がないことだった。まさかその噂がこんな身近にまで迫っていたとは。恐ろしすぎる。


 今、このまま立ち去ってしまえば、彼女たちは図に乗る。それだけは避けたい。

 そこそこ人数のいるこの廊下でそんなことをしては他の生徒にも見下されかねないし、タイバス家の名誉に関わる。

 生徒会長様をやってるらしい王子にも迷惑がかかるだろう。私はそんなお荷物になるためにこの学園に来たわけじゃない。


「ごきげんよう」


 意を決してクルリと後ろを振り返り、さっきまで壁際でコソコソお喋りしていた令嬢3人を見る。明らかに気の強そうな子たちだ。悪役令嬢面の私が言えることでもないんだけどね。

 まさか話しかけられるとは思わなかったようで、三人組の令嬢はビクリと肩を揺らした。


「な、なんですの」

「挨拶をされたら挨拶を返すのが正しい淑女の姿ではなくて?」


 すぅっとそれらしく目を眇めれば、令嬢は言い返すこともできないようで、ごきげんようと小さく頭を下げるだけだった。


「先ほど、わたくしのことを話していたようですが、何かご用かしら?」


 にっこりと微笑んで3人を見つめる。

 最初は驚いていた令嬢達が、キッと私を睨み付けた。その中でも一番気の強そうな子が前に出てくる。


「この学園に入学すれば、身分なんて関係ないのですよ。先輩には敬意を払うべきですわ」


 ツンッと顔を上に突き出して胸を張るご令嬢。これは完全に喧嘩を売られている。

 ……いいだろう。売られた喧嘩は買う主義だ。

 私を敵に回すと面倒臭いんだぞ!


「それは、それは、失礼しました」


 フッと顔に影を落とし、お母様直伝の高飛車な笑みを浮かべる。悪役令嬢としては百点満点だろう。私もこんなに自分に似合う表情があるなんて驚いた。


「……ですが、わたくしが王家に次ぐ歴史ある高潔な、タイバス家の娘であるという事実は変わらないことだと思いますわ」


 ついでにギロリと睨んでやる。

 そう。忘れてはならないのは、私が位の高い令嬢であり、王家の婚約者ということ。


「わたくしは学園に入学しましたが、わたくしの両親や貴方のご家族らは関係ないのではなくて?」


 そう言えばやっと理解できたのか、令嬢達はザッと顔を青くした。

 無駄なことを言わなければいいものを。私もそこまで無慈悲な訳じゃないし、権力を乱用するような我が儘娘でもない。

 だけど、あまり家を侮辱するような態度をとるなら、こちらも相応の対応をする。


「ご自分の発言には気を付けた方がよろしいと思いますわ。……これから、よろしくお願いしますね?」


 握手をしようと手を差し出すと、青ざめたまま動かなかった令嬢がハッとしたように目を見開いた。そして、今度は怒ったように顔を赤くしてふいっとそっぽを向く。


 リーダー的な令嬢が私の顔もまともに見ずに踵を返して帰っていった。両サイドにいたご令嬢達もオロオロしながらもその後に続いた。

 捨て台詞を言わなかっただけでも上出来だろう、と私は気にせず再び廊下を歩き出す。


 ……何か視線を感じる。


 ちらりと辺りを見ると廊下を歩いていた生徒が勢いよく前を向く。野次馬のように回りに集まっているわけではないが、時折視線は感じた。

 しかし、あそこで彼女たちを無視するのは果たして正解であったのか。


 自問自答して、さっきの態度で良かったと納得する。これからの学園生活が不安になったのは言うまでもない。



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