第36話 『月に叢雲、花に風』
ここら辺から短編の話になってきますが、かなり相違点があるので注意してください。
ガラガラと地面を車輪が滑る音にハッと目を開ける。いけない。少し寝てた。
化粧が崩れていないか侍女にチェックをして貰って立ち上がる。
「……よし」
小さく拳を作り、握りしめた。
玄関近くを通ると、右側にある姿見に自分が映った。春が来て、夏になり、秋を感じて冬が過ぎて行く。必死に勉強をして、王子妃の教育も頑張って私は14歳になった。王子は15歳。
この意味が分かるだろうか。
そう。学園に入学する歳である。
大切なことなのでもう一度言おう。
王子が学園に入学するのだ。
それは何を意味するのか。運命の歯車が回りだしたって言葉が1番似合うかもしれない。
この世界が乙女ゲームに酷似した世界だと気付いて約五年。私は未だにディラン第二王子の婚約者であるし、そのための修業も受けてきた。
王子と友好関係も築きながら、私は安全地帯を模索した。正直特に変わったことはしていない。強いていうなら、シエルと若干交流し、シュヴァルツやウィルと仲良くなったことだろうか。
ぶっちゃけ、私が何もしなくても運命というものは勝手に変わるものだと思う。まず、悪役令嬢が違うし。すべてがゲームそのままなんて有り得ない。だって私たちは現にこうやって生きている。一寸先は闇で、世界の強制力に従って生きているわけではないのだ。
ただ確実なことは、私がゲームのベルティーアほど王子に執着していないこと。婚約破棄されてもいいですくらいには思っている。
小さなズレが大きな変化をもたらすものだと私は信じている。
鏡の中には少し大人びた14歳の私がいた。
ゲームで見た悪役令嬢はもっと色気たっぷりだった気がする。私の方が地味に見えるのは気のせいだと信じたい……。
考え事に耽っていると、ガチャリと扉が開く音がした。ハッと我に返って慌てて礼をする。
「ようこそ我が家へお出でくださいました」
ぱっと顔を上げて齢15歳の王子を見る。
親友が見たら鼻血ものにちがいない。
輝く金髪は光を帯びて輝き、青い瞳は優しそうに眇められている。すらっとした長身と長すぎる足。スタイルがいいなんてレベルなのか。もはや黄金比。
顔つきは大人っぽくなり、美少年から美青年にグレードアップした。最強なんじゃないの、この人。私も美人な方だと思うけど、この人の隣には立ちたくない。ただでさえ少ない輝きが掻き消される。
「王子、ご入学おめでとうございます」
「ありがとう、ベル。いつも言うけど俺のことはディランって呼んでいいんだよ?」
にっこり笑った王子は親友から見せられたイラストと相違ない。生で見ると輝きとかオーラが半端ないな。芸能人に会ったらこんな感じになるのだろうか。
そして私は未だに婚約者である王子のことを仰々しく王子と呼んでいる。そろそろディラン様って呼んでもいいと思うんだけどね。今さら恥ずかしいし。呼んでって言われると呼びにくくなるこの気持ちはなんだろう。
「学園に入ったらベルの家にも通えなくなるね」
王子は寂しそうに視線を床に落とした。本当に悲壮感漂う表情だ。そんな無理して来てもらう方がこっちとしては申し訳ないから良いんだけど……。
寂しそうに笑う王子を見て、私は隠れて拳を握った。
あと一年で、私の運命が決まる。王子は必ずヒロインを好きになるだろう。何故か私にはそんな確信があった。そうなれば私は婚約者として用済みだ。ヒロインがいるなら私は邪魔なだけ。いつか告げられる別れを私は受け止めて、承諾する。これが円満に全てを解決する方法なのだ。
そのあとも私と仲良くしてもらえれば、万々歳である。
ヒロインと王子の物語。暗い闇を持っている王子とそれを救うヒロインの話は涙無しには語れない大作となるだろう。
それを私は傍観してアスワド様と青春をする。私が入学式でハンカチか何かを落として、アスワド様がそれを拾うことで出会いが始まる。次の日には偶然隣の席で話が弾み、意気投合した二人は友人からかけがえのない存在となっていく……。完璧! 素晴らしい人生だわ!
そうと決まればやはり、早めに布石を打っておくのが大切だろう。失敗は許されない。王子を客間に通して暫く談笑した後、私は思いきって切り出した。
「あの、王子」
「ディランでいいって言ってるのに」
少し頬を膨らませる王子はやはり美しい。最近は男らしさが倍増してさらにかっこよくなった。
「王子は、恋をしたいと思ったことはありませんか?」
「恋?」
彼は不思議そうに首を傾げる。ふわりと金色の髪が揺らめいた。眩しくて少し目を細める。
「えぇ、王子もこの五年でさらに格好よくなりました。きっと学園に行ったら私よりも相応しい方がいらっしゃると思うのです」
「……どういうこと?」
「今だけでも婚約者のことなど忘れて青春を謳歌されてはいかがですか? 様々な経験をすることも大切だと思うのです」
私は王子の恋路を絶対に邪魔しません。婚約者なんて忘れていいんです。私は王子の味方ですよ、という意味を込めて言葉を紡ぐ。
王子は、私にとてもよくしてくれている。それでも所詮は政略結婚なのだ。本物の恋に比べれば、私たちの関係など鼻息で吹き飛ばされるほど脆いものだろう。
私的にはかなり言葉を選んだ。三日三晩考えに考え抜いた台詞だ。
しかし、どうやら失敗したらしい。
「馬鹿にしてるの?」
ヒッと喉から微かな悲鳴が漏れる。
王子はいつものように笑っているのに目が据わっていた。碧眼が不愉快だと、物語っている。
怖い。怖すぎる。どうしよう、地雷を踏んだ気がする。いや、踏んだ。ぶち抜いた。失言をしたつもりはない。彼の気に障ることを言った自覚もない。どうしろっていうんだ。
「め、滅相もない!」
「じゃあ、俺を試しているのかな?」
「そんなこと……」
「好きな人でも出来た?」
「いえ……」
そんなことはない、と言い切れないのが悔しい。アスワド様と青春しようとか企んでるし。でも、それは悪いことじゃないはずだ。王子はヒロインと幸せだし、独り身になった可哀想な王子の元婚約者が誰と幸せになろうが勝手でしょう?
しかし、参った。どこがどう地雷だったのか全く見当もつかない。フォローもできない上に、取り繕いもできない。
その間にも王子はずっと微笑んだまま。
真顔も怖すぎるけど、笑顔もなにかと迫力ある。これは私の弁解を待っているのだろうか。
微妙な空気を壊したのはシュヴァルツだった。いつもと変わらず空気に徹していた彼が何か発するのは珍しい。というか、初めてだ。
「ディラン様、お時間です」
「もうそんな時間? じゃあね、ベル。また今度」
「は、はい……。お気をつけて……」
付き人に促されて部屋から出ていく王子を呆然と見つめる。王子が出ていってしまった後、自分も見送ろうと立ち上がるとシュヴァルツから突然声をかけられた。
「ベルティーア様、あまりディラン様を怒らせないでください」
「え、あの、私のなにがいけなかったのでしょうか?」
「……はっきり口にしないディラン様も少し詰めが甘いですが、貴女も察しが悪すぎると思いますよ。まだ自由に生きていたいなら頭くらい使ってください」
私、自由に生きられなくなるの……? 本当に破滅一直線? 数年前に足の腱を大切にしろと忠告されたことを思い出した。というか、なんだか失礼な言葉を次々と言われた気がする。
顔色を悪くし、目に見えるくらい震えだした私を見てシュヴァルツは溜め息をついた。
「ベルティーア様がディラン様を本気で怒らせたのは今回が二度目ですね」
思わずびくりと肩を揺らした。一度目は、もしや王太子に会ったこと?
二度目は今……つまりさっきので王子は兄弟喧嘩のレベルで怒ったってことになる。
「一度目はベルティーア様に非はありません」
ちろりと赤い瞳が私を捕らえる。
「しかし、今のは完全な失言ですよ」
残念そうにシュヴァルツが私を見る。何が失言なのか、何が駄目だったのか、この際教えてほしい。
「では、私の何が悪かったのか教えて下さいます?」
「何が悪かったか……ですか。それが分からない様なら、知ったところでどうにもできませんね」
ビキッと私の額に見えない青筋が立った。ハッキリ言え。伝わらないのは言ってないこと同じことだぞ。
「意味が分かりません」
イライラしている私の雰囲気が伝わったのか、シュヴァルツが困ったように微笑んだ。シュヴァルツが笑うなんて。驚いてピタリと固まる。
「あの手紙の言葉は嘘でないと信じていました」
「……え?」
ボソリと呟いたシュヴァルツの言葉は聞き取れなかった。代わりに赤い瞳がじっと私を見つめる。
「逃げられるなんて、思わないことですよ」
ゾクッと背筋に悪寒が走る。
「……それは、どういう……」
「さぁ?」
不敵な笑みを浮かべてシュヴァルツは肩を竦める。
「所詮僕はディラン様の狗ってことです」
それは知ってる。
私が聞きたいのはそういうことではない。意味深な発言を連発するシュヴァルツに焦らされる。え? なに、死ぬの? 私、死んじゃうの?
「では、僕はこれで。失礼します」
「え、まっ……」
綺麗に頭を下げてシュヴァルツは制止の声も聞かず出ていく。玄関で見送っても王子とは一度も目が合わなかった。
王子が我が家に訪れる回数は極端に減った。




