第35話 『愛してるって言って』
家族旅行で行った島はとても美しく、自然に溢れていて、それはもう幸せな一時だった。
まず、海が青い。
当たり前なんだけど久しぶりに見た海には感動した。海底の砂まで見えるこの海は飲んでも地球ほど塩辛くない。
しかし、これでもご令嬢なので海へ行って泳ぐことなどしない。焼けたりしたら困るから。そもそも、海で泳ぐという習慣すらあまりないらしい。
海にいるのは漁をしている人か、素潜りする人だけ。どちらかというと、私たちは海の観賞。飽きて途中で寝てしまったらお母様に結構本気で怒られた。
島名物の貝殻の身を食べ、王子へのお土産に風鈴を買った。こんなところにも風鈴があるんだ。懐かしい。
自分のお部屋に飾るのと、王子にあげるプレゼント。色ちがいになっちゃったけど、これくらい許されるだろう。
久しぶりに穏やかに過ごした3日は本当に楽しかった。
◇◆◇
「うぅー」
羽根つきのペンにインクをつけながら未だ真っ白な紙を見て唸る。あまりにも考え込むものだから新しくした白い紙に黒い染みが落ちた。
何度目か分からないため息をついて、再び新しい紙を取り出す。机の回りにはたくさんの丸まった紙が転がっている。
王子に早くお土産の風鈴を渡そうとプレゼント用に包んだ贈り物に添える手紙。私は今それを書いているのだが、一向に進まない。手紙って何を書けばいいんだっけ?
「まずは典型的な挨拶から……? でも、なんて書けばいいの?」
王子の手紙を参考にしてみようと思ったが、お誕生日おめでとうから始まっているこの手紙はある意味特殊で参考にはなりにくい。
そして、最後の文を書くか否かである。
頭が痛くなってすっかりシワのよった眉間を押さえる。どうしよう。面倒臭くなってきた。もう手紙なんか無くてもいいかな。
手紙の一つや二つ無くったって変わらないでしょう。
真っ白な紙をメッセージカード程度の大きさの厚紙に変える。これで手短にお土産です、くらいは言おうか。
……いや、でもなぁ。私の誕生日にわざわざ手紙をくれた王子に不誠実だ。
再び悩み始めた頃にコンコンと小さなノックがした。これはウィルかな、となんとなく予想して返事をする。
案の定入ってきたのはウィルだった。
「姉上。来月、殿下がお越しになるようです」
「あら、そうなの。報告ありがとう。あぁ、ちょっと待ってウィル」
もう用は無いとばかりに部屋を出ていく弟を慌てて引き留める。引き留められたウィルは面倒臭そうに顔をしかめた。
「そんなめんどくさそうな顔しないでよ!」
「なんですか? 手短にお願いします」
なんて酷い弟だ。
口を尖らせながらも、手紙について聞いてみようと白い紙をヒラヒラと揺らした。
「この前島で買った風鈴を王子に送るついでに手紙を書こうと思ったの」
「……はぁ」
「それで何を書いたらいいのか分からなくて」
「風鈴を送る必要がありますか? 何故来月では駄目なのですか?」
あ、確かに。今度王子が来るときに渡せばいいのか。
「うーん、でもねぇ」
「なにか理由でもあるんですか?」
「私、誕生日の時に王子からプレゼントを貰ったの。その時に手紙もあって、私もなにか返事を書いた方がいいのかなって」
「……手紙?」
ウィルが見せて欲しそうな顔をしていたので、机の引き出しから手紙を取り出す。しばらく眺めてから、私を一瞥して便箋を開いて読んだ。
視線を上から下へ滑らせて、恐らく最後の文で目がピタリと止まった。
「……なんですか、これ」
「もしかして婚約者にはこんな風に書くのが決まりなの?」
「王族は知りませんけど、普通は書きません。はぁ……俺への当て付け?」
ため息をついて、ウィルの口調が崩れる。ギロリと睨まれたので慌てて手を振った。
「違う違う。ただ、アドバイスをして欲しいなぁって」
「こんなラブラブの婚約者たちにアドバイスなんかあります? 初恋を儚く散らせたこの俺が」
あのウィルが自虐に走っている。これかなり重症だ。触らぬ神に祟りなしか。そっとしておこう。
「ごめんね。自分で解決するからいいよ」
「……」
素直に謝って、再び白い紙に視線を落とす。決めた。私は決めたぞ。何時間かかろうと、王子に手紙を書く!
決意を新たにペンを握りなおすと、近くで深いため息が聞こえた。
「いいです。俺も手伝います。変なこと書かれても困りますし」
「本当!? 助かるわ!」
やれやれと呆れたようにこちらを見るウィルはなんだかんだ優しいのである。ツンツンしているが、ちゃんとデレも持ち合わせたシャイボーイなのだ。
「いいですか、手紙は心です。とにかく姉上の真心が伝わればこっちの勝ちです」
「真心……ねぇ。はい! 先生、質問です」
「なんですか」
私の隣で腕を組んで教師面をしたウィルが発言を許可するように片手を上げた。
「真心をどうやって伝えるべきですか?」
「そんなの、姉上の思ったことをそのまま書けばいいんですよ。島は楽しかった、とか、海は青くて驚いた、とか」
「えぇ、そんな手紙を貰って嬉しい……?」
「バッカだなぁ!」
突然ウィルが暴言を吐いてきたのでジロリと睨み付ける。馬鹿って何よ。馬鹿って。
ウィルはしまったと顔をしかめ、誤魔化すように咳き込んだ。
「えー、失礼。大丈夫ですよ。殿下は姉上のことがそれはもう、大好きですから」
「……そうかしら?」
「では、逆に姉上は殿下から手紙を貰って、その内容が殿下の一日だったらどうします?」
「うーん」
王子の一日……。それはそれで面白そう。
「面白そうね」
「でしょう? それと同じです」
「でも、他人の旅行の話なんか聞きたくないって思われないかしら? ヤマもオチもないし」
「誰がヤマもオチもある話をしろと言いましたか。というかそれは殿下が、というより、人として冷たすぎじゃありません?」
「そう? 王子なら思いかねないと思うけど」
ウィルがピタリと動作を止めた。そして暫く考えるように黙ってから、小さく頷く。
王子って腹黒だし、何考えてるか分かんないよね。ウィルもそれはよく知っている。というか、お父様と王子を見て育ったのならお腹真っ黒になるのは避けられない。
「……とにかく! ほら、手紙を書いてください」
パンッと両手を叩いて、早く書けと催促される。渋々、誕生日プレゼントのお礼と家族旅行のことを書く。プレゼントについてはまた直接お礼を言おう。
海の色を王子は知っているのかな。一応海に面した国ではあるけれど、王都からは随分遠い田舎の方だ。山も挟んでいるし、町が栄えていたかも微妙なところである。
「最後のこれ、どうする?」
ある程度書き終わった後、恐る恐るウィルに尋ねた。王子の手紙の最後の文。
『愛してるよ』
これを書くか、否か。
じっとウィルの瞳を見つめていると、キラリと光った。
「当たり前です。心を込めて書いてください」
何故か熱意のあるウィルの言葉に思わず頷いてペンを走らせる。
「……これでいいかな?」
「上出来です、姉上」
「はぁ、疲れたぁ」
ぐったりと椅子の背凭れにもたれ掛かる私とは対照的にウィルは満足そうににんまりと笑っていた。
「貸し一つですかね、ディラン兄上」
◆◇◆
数日後、王宮にディラン第二王子宛の手紙が届いた。
「ん? 珍しいな。ディラン殿下宛に手紙だ」
「へぇ。婚約者様が出来てからはずっとご令嬢からのラブレターも無かったのに」
「あれ、違うぞ。殿下の側近であるシュヴァルツ様が事前に全部回収されてたんだよ」
「え、なんで?」
「さぁ? お偉い様の考えることなんて俺にはわかんねぇよ」
珍しい封蝋の付いた手紙を門番の二人は興味深そうに眺める。彼らは届いた荷物たちを事前に検査する仕事を担っていた。毎日太陽に晒されながら門を見張るよりは断然いいこの仕事は門番の中でも特に信頼に置ける者しかなれない。
「今時封蝋なんて中々無いぞ。差出人も分からないし、どうするか? これ」
「どうって……怪しいだろ。荷物あるけど捨てちまうか」
「だよなぁ。書かねぇのが悪い」
「勿体無いけど……あ!」
門番の数メートル先に、運よく殿下の側近であるシュヴァルツが通った。門番の一人が慌てて駆け寄る。
「お忙しいところ、失礼致します」
「……なんだ?」
書物を王宮の隣にある王城の図書館から持ち出そうとした途中なのか、引き留められたことを鬱陶しそうに目を眇めた。
赤くも黒くも見える瞳に門番はゾッと背筋を震わせる。この方も殿下が引き籠ってしまわれてから変わった、と長くこの王宮に遣えていた門番は思う。
「今日、このような物が届きまして……」
包みと手紙を差し出すと、面倒臭そうにため息をつく。シュヴァルツが包みを持つのに合わせてサッと本を取った。
「また、どこぞの令嬢か」
チッと静かな舌打ちを聞いて門番も思わず肩を揺らす。情けない。人間、権力には抗えないのだ。
深い深いため息を聞いて、また肩を揺らす。
「全く、またディラン様の機嫌が━━━」
不自然な言葉の切り方をして、シュヴァルツがピタリと止まった。封蝋を見つめて、そのまま固まってしまった。
何かあっただろうか、と門番も首を傾げた。
「シュヴァルツ様……?」
「あぁ、これは大変だ」
大変だとか言うわりには、口角が徐々に上がってくる。その不敵な笑みに門番は震え上がった。
「ディラン殿下のご機嫌を損ねてしまうものでしょうか。でしたら、こちらで……」
「いや、いい。これは僕が届けよう」
「シュヴァルツ様のお手を煩わせる訳にはいきません! 私が持っていきます」
率先して包みを持とうと手を伸ばすが、ヒョイと避けられた。門番が目を白黒させていると、シュヴァルツが再び笑った。
「あまり触らない方いい。これはディラン様の宝物だからな」
シュヴァルツは急いだ。
手に抱えた可愛らしい包みを守るようにしつつ、足早に王宮のデカイ廊下を歩く。
数分でディランの部屋へ着いた。一見、装飾品の散りばめられた豪華な扉に手を掛ける。シュヴァルツはこの装飾品がディラン手製の魔法道具であることを知っていた。
「ディラン様、失礼します」
「あぁ」
覇気の無い返事と共に、扉が数センチ開く。この扉は主の許可、つまりディランの許しが無いと開かない。
シュヴァルツが扉を開けると、据わった瞳と目が合う。ペンを持ったまま、資料を片手に足を組むディランの心は退屈の一言に尽きた。
「どうですか? 捗っておられますか」
「つまらない。楽しくない。ベルに会いたい」
謎の三段活用でシュヴァルツの問いを一刀両断する。ベルティーアが家族旅行に行った日と、ディランがタイバス家を訪ねる日が被ったせいで、かれこれ数ヵ月はベルティーアに会っていない。
「死ぬ。もう、死ぬ。癒されたい。逢いたい。褒められたい」
「いいもの持ってきましたよ」
気持ち悪い笑顔を浮かべたシュヴァルツにディランは思い切り眉を寄せた。
「嫌な予感しかしないんだけど」
「酷いですね。これ、どうぞ」
うんざりしたように包みと手紙を見て、シュヴァルツと同様封蝋で視線を止めた。そして瞬きを繰り返し、信じられないと口を開ける。
「タイバス家の家紋だ……」
封を開け、手紙を見る。途中で、付属の包みはふうりんという島特有の物であると知った。
じっくりと舐めるように文字を見て、最後の一文でディランは血を吐くような呻き声を出した。
「どうしましたか。鳩尾を殴られたような声を出して」
「は……ぁ……。俺は今日から頑張れる」
「良かったですね」
「一ヶ月経てばベルに会えるんだ……」
虚ろな瞳で手紙を握りしめるディランを見る者は幸運なことにシュヴァルツしかいない。
さすがのシュヴァルツも、癒しのないこの王宮はディランにとって辛いものだろうことは理解している。
さて、手紙にはなんと書いてあったのか。
シュヴァルツがこっそりと主の机を覗き込む。追い払われないということは見ても良いということか。
『私も愛しています』
綺麗な繊細な文字で書かれた言葉。これが本心かどうか、そんなことはディランにはどうでもいいのだろう。純粋に書いてくれたというその事実が嬉しいのだ。
「……なるほど」
ベルティーア様も分かっておられる、と主の破顔を見ながらシュヴァルツは一人頷いたのだった。




