第34話 『家族旅行Ⅱ』
ガンッと頭を打ち付けたような音が遠くで聞こえた。暫くしてから鈍い痛みが頭に響く。
「いたぁ……」
ぼんやりと目を開けると馬車の外には見たことも無い景色が広がっていた。田地が多く緑に溢れ、時折清々しい風が木々を揺らしている。
遠くの方からは鈴の鳴るような音楽にも思える音色が聴こえてきた。
打ち付けた頭を押さえて私はゆっくり瞬きをする。眠っていたせいか、まだ頭が回らない。
揺れの少ないこの馬車ではすぐに寝てしまう。案の定、ウィルも寝ていた。ふと目の前を見ると、なんとお父様とお母様が互いに肩を貸し合って寝ている。
すやすやと眠る無防備なお父様は幼く見え、お母様は可愛らしい。
どうしようレアすぎる。
この世界にカメラがないのが悔やまれた。
「ん……」
ウィルが身動ぎして、不意に目を開けた。大きな欠伸をしてから目を瞬かせ、涙を溢す。
ぐっと背伸びをすると肩がパキリと鳴った。
「んぁ……よくねたぁ……」
舌足らずなお前も可愛いな。
可愛らしい弟に内心悶えていると、今度はお父様がカッと目を覚ます。思わず驚いて肩を揺らしてしまった。
本当に覚醒という言葉が似合う目覚めだった。毎回こんな風に起きるのだろうか。心臓に悪い。
「お、おはようございます、お父様……」
「ん? あぁ、ベルか。久しぶりによく寝た」
ゴキゴキと首を鳴らしてお父様が体を伸ばそうとするとお母様が不機嫌そうに唸り、気だるげに目を開けた。
焦点の合っていない目をゆらゆらと揺らしながら、再び瞼を落とそうとする。
「まだ眠たいみたいだね。着いたら起こしてあげるよ」
お父様がそっとお母様の肩に手を置くが未だ寝ぼけているようで、一つ頷いて今度は膝に頭を乗せた。頭をグリグリと押し付けながら、寝心地の良い体勢を探しているようだ。
「可愛いだろう? シリィは寝起きが一番弱いんだ」
いつになく素直なお母様に私もウィルも唖然とし、こくこくと何度も頷いた。
◇◆◇
「着いたよ」
目を覚まして5分もしないうちに到着したのは見たことのない屋敷だった。我が家とはまた違う感じで、長い歴史を感じるような古い屋敷だった。
お父様が優しく起こしてもお母様は全く起きない。屋敷についてから数分格闘して、なんとか起こすことに成功した。ほぼお父様のお陰である。私たちが話しかけても返事すらしない。
どうなっているんだ……。
「お父様、ここは?」
「あぁ、言っていなかったね。実はここを通るついでに領地の当主から招待されてね。若い方なんだけど中々切れ者なんだ」
お父様がにっこり笑った。
「そう言えば、クリルヴェル家にもベルと同い年の男の子がいたような……」
それ聞いた瞬間私はピタリと固まった。それはもう、唐突に。ギギギと錆びたブリキのおもちゃのように首を回してお父様を見る。
「お父様、今、なんと?」
「え? あぁ、殿下には秘密だよ」
唇に人差し指を当ててお父様は困ったように笑った。殿下に報告するの忘れてたけどまぁいっか、なんて声が聞こえるが王子に言う必要はないと思う。
それより、待って欲しい。
色々と待って欲しいよ神様。
急に汗をかき始めた手のひらをこっそりドレスで拭う。なんということだ。今、お父様は"クリルヴェル"と言った。間違いない。絶対言った。ここに関して私の耳は誤魔化せない。
汗を滲ませ、さらに震えだした手を押さえ込むように握りしめる。駄目だ。なんだろう、この湧き上がる気持ちは。嬉しさのような、焦りのような。
形容しがたいこの気持ちは!
あぁ、感謝します。
アスワド様に出会えるなど、まさに僥倖。
転生してこれほど喜んだことはありません。
あわよくば、これが私たちの恋の始まりになりますように! そうなれば私も王子も皆ハッピー、シナリオ通り。全ては私の思うままね!
心の中で凱歌をあげる。寝起きだけど最高に元気だ。
お母様のお化粧直しが終わり、ようやく中へ案内されることになった。
「ようこそ、我がクリルヴェル家へ。長旅ご苦労様です。私はクリルヴェル家当主のアーノルド・クリルヴェルです」
「はじめまして。私はタイバス家当主のジーク・タイバス。よろしく」
アーノルド・クリルヴェルと名乗った青年は、確かに当主になるには若かった。アスワド様と同じ青かかった黒髪に、特徴的な糸目。時折覗く青緑色の瞳は鋭く、喰えない狐みたいな人だった。
「妻のシルヴィアに、娘のベルティーア。そして息子のウィル」
お父様に紹介されて出来るだけ優雅に頭を下げる。アーノルドさんはにっこりと笑って頭を下げた後、客間に案内してくれるようだった。
これは、今しかないのでは。
まさに今、アスワド様のことを聞くべきなのでは!
「あ、あの!」
私が声をかけたのが意外だったのか、糸目が少し開く。お父様も訝しげな表情を浮かべたが、アーノルドさんはすぐに笑顔に作って、なにか? と声色を変えた。私は臆せず聞く。
「私と同い年の子供がいらっしゃると伺ったのですが」
後ろでお父様が焦ったような顔をしたのが横目で見えた。何をそんなに驚くのだろう。お父様が言ったんじゃないか。
アーノルドさんは微笑んだまま、表情筋が全く動かない。
「気になりますか? ベルティーア嬢」
「え、まぁ、気に、なります……」
尻すぼみに小さくなる私の声に、アーノルドさんはクツクツ喉の奥でからかうように笑った。
「申し訳ありません。アスワドは只今外出中でして。屋敷にはいないのです」
「そ、そうですか……」
目に見えて落胆の色を浮かべてしまった。
いないのか……としょぼんとする私にアーノルドさんが目線を合わせてしゃがむ。
「婚約者で在らせられる第二王子殿下よりも、私の弟の方が気になりますか?」
ボソリと耳元で言われた言葉に固まった。
図星だ。かなり図星である。私も王子もハッピー! とか思っちゃってた手前、何か反抗できるわけがない。
反応が無くなった私にクスリと艶やかな笑みを湛えてアーノルドさんは囁く。
「どうぞ、御贔屓に」
やはり喰えない狐である。
よく分からないととぼけて首を傾げると、アーノルドさんもにこりと……いや、ニヤリと笑って、では行きましょうかと立ち上がった。
アーノルドさんの言葉を受けてようやく理解する。ヤバいことをしてしまったのかもしれない……と。
恐る恐る後ろを振り返るとお父様が眉間を押さえてため息をついていた。青白くなる私とお父様にお母様とウィルだけはよく分かってないような顔をした。
「えーっと、ジーク? ベルは無法なことなどしていないわよ? ちゃんと殿方の半歩後ろで声をかけたし、話を遮ったわけでもない。妥当な態度だったと思うのだけど」
「いや、違うんだよ……」
おや? 私はてっきり婚約者がいるのに男の子のことを話したから怒られるものだと思っていたが、そこは追及されなかった。お母様的にはセーフらしい。ならいいや、と安心して息を吐く。
「ベル、いいかい。このことは絶対に殿下に言うのではないよ」
「え? クリルヴェル家に男の子がいることですか?」
「それもそうだが……。この家を訪問したこと自体言っては駄目だ」
「えぇ……」
不満気な声を漏らすとギロリと睨まれた。やめて欲しい。お父様は怒るとめちゃくちゃ怖いんだから。
「……分かりました」
「ベルは殿下の婚約者が嫌?」
こそこそと話していたが、その声を一層小さくしてお父様が聞いてきた。
正直嫌だとかそういうものじゃないと思う。結局は攻略結婚というか、決めたのは私じゃない。最終的にはヒロインと結ばれるのだから実際私なんて意味がない。一定期間のお飾りの婚約者だと思えば当たり前だか少々やるせなく思う部分もある。
だけど、それを言ってどうする。決まったものは仕方がない。というか、考えるだけ無駄なことだ。だからこそ私は王子と仲良くなれるように頑張ったし、それなりの友好関係も築けた。あそこで臆せず行動できたのは本当に偉かったと自分でも思うほどだ。
だんだんと思考が脱線してきているのを感じて慌てて返事を考える。
「私は」
「どうされました?」
唐突にアーノルドさんがくるりと振り向いてこちらを見た。驚いて言葉が止まる。
「先程から何かお話をされているようで」
アーノルドさんとは多少距離が空いている。かなり小声で、しかもお父様とは至近距離で話したから勝手に聞こえてないものだと思っていたがまさか聞こえていた?
しかもなぜこの絶妙なタイミング……。
「いえ、お気になさらず」
すぐにお父様が外面モードに切り替えて対応する。流石です。
「私もお話に混ぜて頂きたいほど仲睦まじいので」
ヘラヘラと笑うアーノルドさんはそれが本来の笑い方なのか、それとも私たちを馬鹿にしているのか分からない。
「ベルティーア様も私の弟がお気に召すのであればそれはもう、是非我が家へ遊びにいらしてください」
やけに是非を強調してアーノルドさんは爽やかな喰えない笑みを浮かべる。これは、あれだ。取り敢えず名家の後ろ楯が欲しい人のするゲスい笑み。
しかも、それが丸分かりなのが逆にすごい。
「クリルヴェル家も今お忙しいと伺いました。今年は不作で経営が厳しいとか」
「ははは、中々手厳しいですね。こちらです」
お父様の嫌みをさらりとかわしてアーノルドさんは私たちを客室に案内した。
お父様の額に青筋が……いや、え? 笑ってる。ものすごい真っ黒の笑顔を浮かべている。
戸惑う私にお母様がこっそり教えてくれた。
お父様はこういう駆け引き、というか腹の探り合いみたいなのが大好きらしい。いや、可笑しいでしょ。腹の探り合いが好きってどんな趣味してるんだ。
「そのお陰でタイバス家の経営も立て直してくれたから、文句は言えないのよね」
お母様はそう言って困ったように笑った。
そう言えば、没落しかけたことがあるって……。
「いやぁ、アーノルド君。君は中々面白い」
「お褒めに預り光栄です」
どうやらお父様はガッツリアーノルドさんを気に入ったらしく、上機嫌に笑っている。
「でも、アーノルド殿は凄く嘘っぽくないですか? 明らかに我が家の後ろ楯を狙っている気がします」
ウィルが二人の笑い声に被せてそっとお母様に聞く。それは私も思っていたことだ。
「やぁね。それが好きなのよ。あの人は」
お母様は可笑しそうに扇で口許を隠してクスクス笑った。私もウィルも訝しげに首を傾げる。
「アーノルド様はああやってジークを釣ってるのよ。ジークが変わり者なのはよく知られているから。お互い笑っているようで実際は何を考えているか分からないわよ? アーノルド様もちょっとは骨のある会話をしないとジークに飽きられちゃうわ」
面白そうにお母様が笑った。
客室で会話をするアーノルドさんとお父様は端から見ても普通に談笑しているようにしか見えない。時々、ご冗談をとか、言いますねなんて声が聞こえるけどごくごく平凡だ。
隣でウィルはお父様たちを凝視してじっと黙考している。
殿方の会話なんて気にしないでいいのよ、とお母様が囁く。私は考えるのも面倒になったので、取り敢えずアスワド様が生活しているこの屋敷を知ろうと壁の絵をずっと見ていた。




