第33話 『家族旅行Ⅰ』
侍女が部屋に来る前にすでにある程度の支度を整え、未だにしっかり開いていない眼を擦る。顔を洗い、口をすすいでから今日のドレスを決めようとクローゼットの取っ手に手をかけようとした時、丁度ノックがした。
「どうぞ」
くるっくるの癖毛を手のひらで撫で付けながら返事をすると、侍女が礼をして音もなく私の側に寄って来た。
「お早う御座います、ベルティーア様。お誕生日おめでとう御座います」
慣れない言葉に一瞬脳が停止してから、すぐに思い出す。
そうだ。忘れてた。今日は私の誕生日だった。
この世界では、誕生日っていうのはあまり大きなイベントではない。それよりは、建国記念日とか星の采配の日とかいう教会が絡んだ祭りごとの方がよっぽど賑わう。
一つ例外があるとすれば、王族の誕生日パーティーくらいで。それでも正式なものではないので、やはりその様な文化自体ないのだろう。
「ありがとう。ルティ」
「いいえ。滅相もございません」
無表情で淡々とした言い方をするのは私付きの侍女であるルーテリヌだ。仮面メイドのように能面でシュヴァルツ以上に表情筋が死んでいる。
しかし、内心は物凄くテンションが高くてビビりで面倒見がいい。我が家の侍女をしているのも、家族のためだと聞いたことがある。ただ、感情が表に出なさすぎて色んな屋敷をたらい回しにされてきたらしい。
うん、まぁ、子供だったら怖くて泣くね。
恋に関してはそれはもう奥手で、シャイですぐ赤くなる。分かりやすい。
ウィルに付いている執事に絶賛片思い中で、時々恋ばなをしたりするほど仲はいいと自負している。
「お嬢様。こちらを」
ルティが無表情のまま私に渡したのは、白い小さな箱に紫のリボンが巻き付いているもの。
一見プレゼントのようにも思える。
「これは?」
「ご自分でご確認なさってください。お嬢様宛です」
頷いて、ドレッサーの前に慎重に置く。
丁寧にリボンを開けたらフワリと箱がひとりでに開いた。それは、もう魔法のように。
驚いて手が止まる。ルティも息を飲んだ気配がした。
中には花の髪飾りと手紙がある。
表には私の名前。裏を見るとディラン・ヴェルメリオと子供とは思えない達筆さで差出人の名前が書かれてあった。
手紙を開けてみると、花の匂いがふわりとする。これは王子が魔法で出した花と同じ匂いだ。
菫の花のようなものが描かれた便箋に、綺麗な文字でお祝の言葉と、今日は事情があって家を訪問できないことへの謝罪。
それから、これからも仲良くしようとか、また遊ぼうとか。
極めつけには最後の一文。
『愛してるよ。』
愛してるよ? 愛して……。え??
私は手紙とか出したこともないし書いたこともないから分からないけど、この世界では最後にこの一文を加えるのが普通なのだろうか。
拝啓で始まり、敬具で終わるというくらいポピュラーなことなのだろうか。
こっそり隣のルティに聞いてみたら無表情のまま赤面したので、多分普通では無いんだと思う。誕生日だから特別仕様なのかも。
王子の気遣いはとても細かい。勝手に開き勝手に消えたこの箱は王子の魔法だろうし、匂いの香るこの便箋も多分魔法だと思う。
王子の魔法以外でこんな花の香りは今まで嗅いだことがない。
爽やかさの中に甘さの混じる、でも不愉快じゃなくて不自然でもない。たしかに人工で作り出された香りであるはずなのにここまで自然なのは魔法しか考えられない。
手紙を丁寧に直して机に閉まった。
私も今度手紙を出してみよう。
「ベル、入るよ」
「お父様。お早う御座います」
ノックもほどほどに入ってきたのは朝からビシッとスーツを決めたお父様。私と同じくせ毛のはずなのに跳ねている髪なんてどこにもない。
挨拶を返しながらにっこりと微笑んだお父様はなにやらご機嫌のようだった。
「可愛いベルティーア、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
ふんわりと笑ったお父様につられて私も笑うと、次の瞬間ニヤリと悪人のようにお父様の口角が上がった。
「さあ、ベル。パティオス島に家族旅行だ」
「……え?」
突然の言葉に疑問符を浮かべた私にお父様は背を向けて、それ以上は何も言わず部屋を出ていこうとした。
「え!? 今からですか!?」
「そうだよ? 他に行ける日も無いだろう。詳しい話は馬車の中でしてあげるからついてきなさい」
「まだ支度も何もしていません」
「だが、家を出られるだけの格好にはなっている。なぁ、ルーテリヌ」
「御意にございます、当主様」
確かに髪はきちんと整えたし、王子の突然のお宅訪問からは部屋でダラダラするようなことはしないと決めていた。
時々昼寝をしたりするけど、それも最近はしていない。授業やレッスンで忙しいから。
慌ててオロオロする私をルティが視線で促す。長年の付き合いのためか、無表情でも何を言いたいのかなんとなく分かる。これは取り敢えずお父様に従っておけという目だ。
私は了解したと静かに頷いてお父様の後に続いた。
家を出ると、門の外に大きな馬車があった。遠出する時によく使用する旅行用の馬車である。荷物と乗り心地のため、一回り大きく作られている。
普通の物より格段に快適であるが、小回りが利かず狭い場所を通れないのが弱点だ。
「ほ、本当に今から……?」
「勿論だよ。もうウィルもシリィも乗っているよ」
驚いて馬車を二度見すると窓からひょっこりウィルが顔を出した。
「姉上! はやく!!」
相当楽しみなようで、お母様に怒られないギリギリのラインではっちゃけているようだ。
ポカンとしていると、お父様が私の背中を押した。
「ベルには日程を秘密にしていたんだ。誕生日だし、サプライズの方がわくわくするだろう?」
「確かに……。ありがとうございます、お父様。とっても、楽しみです!」
お父様を見上げて笑顔でお礼を言うと、お父様は微笑んだまま続けた。
「実はね、どっかの誰かさんが殿下に家族旅行のことを話したみたいでね」
私の体がギクリと硬直した。
どっかの誰かさんって私? 王子に話すのは不味かったの……?
「殿下から納得できる説明を要求されたよ。この僕が言いくるめられそうになった時はヒヤヒヤしたなぁ。ベルは優秀な婚約者がいて幸せだね?」
明かに嫌みを含んだ言い方をされて、何が悪かったのか分からずに顔色を悪くする。お父様は怒ると怖い。正直お母様より怖い。
お父様の逆鱗に触れることは我が家では死を意味するのだ。
しかし、お父様は私の様子に気付いたようでいたずらっ子のように目を細めて見せた。
「君は愛されているね。ベル」
わけがわからなくて首を傾げる。
お父様はまたにっこり笑った。
「君の行動は逐一殿下に報告。外出やパーティーなどは殿下が出席するもののみ」
「……え?」
なにそれ。私、監視されてるの?
何か悪いことした?
再び青ざめた私を見てもお父様は微笑みを絶やさない。
「怖がるのは分かるけれどね」
私の頭を撫でて、お父様は肩を竦めた。
わけの分からないことを言う。話が噛み合ってない気がする。端々を誤魔化すから分かりにくい。
何かあるのならハッキリ言ってくれればいいのに、とお父様を見つめたらお父様は目を眇めた。
「殿下は応援したくなるんだよね」
私の頭から手を離し、唐突に明るく言った。
そしてくるりと私の方を振り返り、ニヤリと笑う。
「シリィを大好きな僕に似てるから」
お父様の言いたいことはいまいちよくわからない。だけど何となくゾワリと悪寒がして自分の腕を軽く擦った。




