第32話 『淑女と仮面』
丁寧に髪を編み込み、最近買ったドレスを着る。爪の先まで磨いて、素晴らしい淑女になったことをアピールするように姿勢を正した。この数ヵ月で血を吐くような努力をして真面目に頑張ってきたレッスンの成果を見せなければ。
今日は三ヶ月に一度王子が訪ねてくる日である。毎日のように来ていた時からすれば、意外と寂しい日々だった。
「ベルティーア様。ディラン第二王子殿下がお見えになりました」
部屋に入ってきた侍女が恭しく礼をする。
時間の約束より30分も早い。どうしたのだろう。
「予定より早くないかしら?」
侍女は下げていた頭をゆっくりと上げて、少し困ったように眉を寄せた。そしてまた、繰り返す。
「殿下がお見えになりました。ベルティーア様、お出迎えのご準備を」
暫く呆然とし、はっと我に返った。早くお出迎えしないと。
バタバタと階段を降りることなく、ゆっくりと静かに背筋を伸ばして階段を降りていく。意外としっかり日々のレッスンが身についているようだ。良かった。
「やぁ、ベル」
「ひょっ」
自分の姿勢と足元に集中していたせいか、前方が疎かになっていた。トンと肩に手を置かれ、突然名前を呼ばれれば驚いて変な声が出てしまう。
しまったと思いながらも恐る恐る前を見ると口元に手を当てて笑いを堪えている王子と、奥には苦笑を押さえられていない使用人達が立っていた。
「お、王子……。あの、あ、失礼しました!」
慌てて頭を下げれば、頭上からまたクスクスと笑い声が聞こえた。
再び顔が青くなる。綺麗な謝罪からは程遠い荒い礼。うわぁぁ。こんなのお母様に見られたら説教3時間コースだ……。
「相変わらずで安心したよ。久し振り」
そう言って笑う王子も、相変わらず優しい。と言うか……。
「お久し振りです。……背が伸びましたか?」
「ん? どうだろう? 確かに伸びたかもね」
自分の頭に手を当てて、私の身長との差を測る。同じくらいだった身長が少し抜かれている気がする。
まぁ、私も絶賛成長期なんだけれど。
二人で客間に入り、向かい合って座る。王子の仕事の話などを聞けば、難しい単語が多くてよく分からなかった。宰相様からも沢山のことを教わっているようで、最近は充実しているとか。
話だけを聞けば勉強漬けで、本当に忍耐の世界なのだが、王子が楽しそうなのでよしとする。
私には絶対に出来ないけれど。
「ベルはどう? 上手くやってる?」
「そうですね、私の教師は母なのですがとても丁寧にご指導を受けています」
にっこりと微笑めば、王子は少し瞠目した。
どうしたのだろうと首を傾げると、苦笑する。
「なにか……?」
「いいや、随分と頑張っているみたいで。淑女らしくなっているよ」
「ほ、本当ですか……!?」
若干素が出てしまいそうになったが、お母様の修行のお陰か露骨に出ることは無かった。人はこうして態度を矯正していくのだとしみじみと思う。
「本当だよ。俺も嬉しい」
王子は本当に嬉しそうに笑っていた。もしかしたら、好きなタイプは清楚で楚々とした子なのかもしれない。ゲームを思い出してみても、ヒロインは基本静かであまり自分を出すような性格では無かった。ただ、誰かを侮辱されたり、自分の生き甲斐である音楽を貶められると人が変わったように激怒する。
と言うかこの世界、大体の男は物静かで優しい女が好きだ。淑女じゃないと即恋愛対象から除外されてしまう。そう思えば庶民の出であるにも関わらず、礼儀正しく相手を立てることの出来るヒロインが万人受けされるのは当然だと言えた。
「王子と釣り合えるように、日々精進して参ります」
「ふふ、うん。ありがとう」
王子は楽しそうにニコニコとご満悦の様子。
本当に王子と釣り合える日が来るなんて微塵も思っていないけど、これでも中身は大人なので。お母様に叩き込まれた台詞を淡々と述べた。
「そう言えば、わたくし今度旅行に行くんです」
手を頬に当てて、ちょっとした話題転換のつもりで切り出した。が、私の思惑とは裏腹に王子の表情が固まる。
にっこりと微笑んだまま一瞬紅茶を口に持っていく手が止まった。暫く止まった後静かにティーカップをソーサーに戻す。
「……ベル、それは誰から?」
「ち、父が申しておりました」
「ふぅん。へぇ。聞いてないな」
王子がゆっくりと後ろを振り返り、私はギョッとした。さっきまで誰も居なかったはずの扉の脇に、シュヴァルツがいたのだ。
まてまて。お前はいつからそこにいた。
隠密スキル上がってないか?
しかも全身黒ずくめだから、今にも影に溶けてしまいようで表情すら見づらい。元々豊かな方ではないのだが。
「なぁ、シュヴァルツ。お前は聞いたか?」
シュヴァルツが主の言葉に瞬きをしてから、すぐにいいえ、と返事をする。
「私には、何も。タイバス家当主からの報告は一切ありません」
「後で話を聞かなきゃならないなぁ」
不気味に笑った王子に何事かと不安になる。
「あの、父が何かご無礼を……?」
「あぁ、ごめんごめん。そう言うわけではないさ。ただ、報告が無かったから……ね?」
不自然なほど綺麗な笑顔を浮かべた王子に、私は大人しく引き下がる他ない。
「何か不都合があれば何なりとお申し付け下さい」
本当に。
私の知らない間に王子に嫌われて、知らない間に家が没落しました、とかまじでシャレにならないから。せめて真っ向から言われた方が分かりやすくていい。
王子ってこう、時々怖いほど残酷だから心の準備もさせずに地獄に落としそうなんだよね。精神的苦痛を与えるタイプっていうか……。
ねちっこい?
私が物凄く失礼なことを考えているとは露知らず、王子は悲痛に顔を歪めていた。
「ベル、俺……悲しいな」
「え!?」
急に? なんで!?
まさかさっきのが全て聞こえていたなんてないよね? 声に出ていたはずはない。それならシュヴァルツに殺されてる。
心を読む魔法……とか?
明日マーティン先生に聞いてみよう。
戸惑う私を見て、王子は苦笑した。
そして真っ直ぐ私の目を見つめる。綺麗なブルーの瞳を見ていると無性に落ち着かなくなる。
「ベル、俺はね、臣下と話に来た訳じゃない」
「は、はい」
どうやら私の心の声が聞こえたわけではないらしい。危ない。死ぬところだった。
「将来の自分の妻と話に来たんだよ?」
「は、はぁ……」
間抜けな返事しか出来なかった。
勿論、王子との結婚に異議があるからこんな返事をしたわけではない。えぇ、断じて。
ただ、思うところが無いと言えば嘘になる。だって自分の命が懸かっているわけだし。
私のその返事に何を思ったのか、王子がゆっくりと瞳に影を落とした。
なんだろう、この視線で殺されそうな感じは。まるで、地雷をぶち抜いたようなこの手応えは。今日が命日なんて笑えない。
「わ、分かっています。私は将来貴方の妻になるでしょう。えぇ、それはもう、疑いようもなく」
ニコニコと淑女の笑みを貼り付けながら一気にまくし立てた。だって怖いから。死にそうだから。
黒い霧でも出せそうな勢いで王子は黒く笑っている。黒い笑顔ってこんなことを言うのだと2回目の人生で初めて実感した。
真っ黒な笑顔を浮かべていた王子が、ぱっと表情を変えて微笑んだ。
同じ笑みなのにここまで違いをつけられるのはなぜだろう。彼の笑顔一つで喜怒哀楽が手に取るように分かるのは付き合いが長いためだろうか。
「やだなぁ、ベル。吃驚するじゃないか。会えなくなった数ヵ月で気持ちが離れてしまったんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
ヒヤヒヤしたのはこっちですけど!?
なんて言えるはずもなく、乾いたように笑うだけに留めた。難しい……。王子は難しい。
「確かに知識を蓄えることも、淑女としてレッスンをすることも大切だけど。何も二人のときまで畏まることは無いんじゃないかな?」
「いえ、ですが、いつかボロが出てしまわないように常に淑女を意識しろと━━━あ、なんでもありません」
王子の目が「ん?」と凄んできたので大人しく口を閉じる。こんな風に減らず口だから可愛くないなんて言われるのか……。主にお母様から。
「だから、ね? 俺の時はそんなこと考えなくていいんだよ。いつもみたいに話してほしいな。公の場では勿論それでいいから。せめて二人の時は」
後ろにしっかりシュヴァルツいるけどそれはノーカンですか。無表情で壁に同化してるけど確かにそこにいるんだよね。大丈夫かな。
しかし、これ以上王子に反抗するのは得策ではないと踏んでこくりと頷いた。王子がいいなら是非そうさせてもらう。もしお母様に怒られても王子の言を質に取ってやる。
「淑女だろうがそうじゃなかろうが大して変わらないと思うのですが」
「いやいや。まずその言い方だよね」
ケラケラと可笑しそうに笑った王子は数ヵ月前と変わってないように思えた。もしかしたら王子も気後れしてしまったのかもしれない。淑女と化した私に。
ほほう。なるほど。そう言うことか。
そんなに完璧な淑女を手に入れることができたのか。高笑いを噛み殺す私を見ても王子は終始愉快そうに笑うだけだった。




