第3話 『彼の記憶』
━━人生は退屈だ。
そう思ったのはまだ齢5歳の時だった。
ヴェルメリオ王国の国王と側室の間に生まれた子供、ディラン・ヴェルメリオ。王族の中でも群を抜いて成績がよく、出来ないことはない。眉目秀麗、天資英邁。逸材だと言われる第二王子。それが俺である。
幼い頃から何をしても上手くいった。
語学を習えばすぐに読み書きができ、魔法を使えばすぐに上達してしまう。
父上と同じ金髪に母から受け継いだ碧眼をもつこの容姿も美しいと言われ、父上もそれなりに構ってくれた。
母は体が弱く、俺を産んだ時に亡くなられたらしいから父上も可哀想に思ってくれたのかもしれない。側室の子供なのに頻繁に王と面会することが許された。
俺は嬉しかった。たとえ、兄上ほどではなくても出来たら褒めてくれる。
そうか、よくやったな、その一言だけでも俺は十分だった。兄上ほどじゃなくてもいい。少しでも俺を認識してくれていればそれで……。
周りも俺を特別だと言う。その才能を王のために使えと。
もちろん頷いた。大好きな父上のために。そうしたらもっと俺を認めてくれる。特別なことを望んだつもりはない。ただ努力して、認めてもらいたいだけ。少しでも父上に褒められたいだけ。
この時は幸せだった。まだ俺は子供でいられた。
幸せを打ち砕いたのはまず兄上だった。王と王妃の間に産まれた兄上だったが、俺ほど成績は良くなかったと聞いている。
俺は王になる気は全くないので、彼が次期王になることは約束されたも同然なのに自分よりも出来の良い弟、良くできる側室の子供が父上の周りをうろうろするのが気に食わなかったのだろう。
兄上の気持ちは嫉妬なんて可愛いものでは無かった。自分より出来る弟に自尊心をズタズタにされ、コンプレックスを抱えていた。王妃との間に妹君が産まれ、構ってもらえなくなったのも一つの要因だと思うが。
子供のすることは容赦がなく、残酷なものだ。
兄上は王宮内で王太子の権力を行使した。
次の日から俺のことを褒め称えていた家庭教師は来なかった。王子は天才ですわ、と嬉しそうに笑った侍女のカトレアも故郷に帰ったらしい。
あの人も、この人も俺の周りにいた人達は一人、一人と消えていった。兄上がしたことだと気付いた頃には既に王宮に俺の居場所はなかった。
みんなが俺を避けて通る。今や話しかけてくれる者もいない。ヒソヒソとこちらを見て何か言っている。
「第二王子と仲良くしたら王太子に何をされるか分からない」
そう言われているのを聞いたりもした、第二王子よりも王太子の方が立場は上だ。母方の家族も聞いたことすらなく、後ろ楯もない。
心配そうにこちらを見ている者もいたが、手を差し伸べてくれる者は結局現れなかった。
一日、一日と独りで過ごすうちに心が冷えていくのを感じた。裏切られたと思った。何より辛かったのは、父上が会いに来ず兄上を止めてくれなかったことだった。
王宮の状況は知っているはず。いくら王妃との間に長女が産まれたからってこのまま放置するだろうか。
そこまで考えて、ある一つの結論に至った。
父上は俺を愛していない。
気付いた瞬間、目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた。
じゃあ、俺が見てきたのはなんだったんだ。何のために頑張ってきたんだ。
俺は━━愛されていない?
所詮は側室の子供だった。王子といえど王妃との子供に敵うはずがないのだ。褒められて、浮かれて。結局父上は母親がいない俺へ同情していただけだった。愛情なんかじゃない。
地位の低い、貴族の息子。卑しい側室の王子。
父上、どうして助けてくれないのですか。
どうして、よくやったなんて褒めたのですか。
どうして俺に会ってくれたのですか。どうして、頭を撫でてくれたのですか。どうして、どうして愛してくれないのですか━━。
薄暗い自室で独り、しくしく泣いた。意地を張って、一週間程引きこもった。もしかしたら、自分の思い違いかもしれない。ドアを蹴破って父上が来てくれるに違いない。
そう、望んだ。
しかしドアが蹴破られることはついぞ無かった。
また、独り、しくしく泣いた。
信じていたものが壊されたのは一瞬で、俺の中の何かが音をたてて崩れていった気がした。
それから何年か経って、俺の心はすっかり冷え固まった。
もう、どうでもいい。退屈だ。
良くできた俺の脳みそはスポンジのように知識を吸収しては蓄える。ならば運動はどうだとやってみたが、真似すれば出来てしまう。なんて色の無い、つまらない人生だろう。齢10歳にしてここまで心が死んだ俺は異常だ。
誰か、何かが俺を変えてはくれないだろうか。愛してくれないだろうか、なんて期待を抱くことにすら疲れてしまった。
唯一心を許せたのは兄上が追い払いたくても大臣の息子ということでずっと俺の側近であったシュヴァルツだけ。
「ねぇ、冒険者になろうと思うんだけど、どう思う?」
最近読んでいる冒険物の書物を指差してシュヴァルツに聞く。
「早まらないで下さい」
「別に死に急ぎじゃないよ。ただ強い魔物を倒すってどんな感じなのかな? って。ほら、俺でもわくわくするかもしれないじゃないか」
「はぁ……魔力を持つのは貴方達王族のみですよ。そこら辺に魔物がいたら困るでしょう」
「なんだよ、夢がないなぁ」
クスクスと笑うとシュヴァルツは呆れたように肩を竦めた。
人と話すのに無表情ではいけない。それはシュヴァルツに散々言われた言葉だ。笑顔というのは武器であり、政治や取り引きの時に使える。自分の感情を相手に読み取られずにすむ、とかなんとか。一番表情が抜けているシュヴァルツが言うのが可笑しくて笑うと、よくキレられた。
こんなのでも一応王族の端くれなので、シュヴァルツにより無理矢理やらされた。死んだ目をして外を眺める俺には尚更必要だと感じたのかもしれない。
分厚い猫の皮を手に入れ、今日も笑顔を張り付けて過ごしている。当たり障りのない返答、天狗にならない謙虚な姿勢、相手を敬う態度。それを示して初めて人間は心を開いてくれる。自分が心を開いたかのように偽造して、笑って隠す。それが俺の唯一できる精一杯の道化だった。
「恋をしてみたらどうですか?」
「恋?」
至極真面目な顔をして言ったシュヴァルツに腹を抱えて笑いそうになった。
「恋の何が楽しいんだ? お前、そんなつまらない冗談を言う奴だったか?」
「恋をすれば人は変わると聞きました」
「女なんて色目を使ってすり寄って来る連中ばかりだぞ? くっさい香水を振り撒いてる奴らに態々会いたいと思わない」
「はい、そこでディラン様、お見合いをされてはいかがですか?」
「………それが目的だな」
ジロリとシュヴァルツを睨むが彼は驚く様子もなくまた肩を竦めた。
「陛下直々のご命令です。そろそろ婚約者を決めてもいいんじゃないかと」
「……国王の……」
「というか、既に手遅れなんですけどね。お見合いの手紙は各貴族の家に送ったらしいですし。ただ伝えただけです」
婚約者。
将来妻となり、夫を支えていく者。
俺を支えられる人は現れるのか。それが率直な疑問だった。
笑って、誤魔化して、絶対に本心を晒し出したりなんかしない。誰も触れないように、深く深く核心を沈めて、触れられそうになれば狼の如く牙を剥く。近付くな。触るな。関わるな。放っておいてくれ。
そうすれば、もう二度と傷付くことはない。
苦しい思いをしなくてすむ。
そう思っているはずなのに、今から会う婚約者候補達に仄かに期待をしている自分がいた。俺を、変えてくれるんじゃないかと。矛盾する感情をくすぶらせて、拗れさせてるもんだから本当に救えない。
こんな俺を受け入れてくれる女が現れるはずがない。それも婚約者として、俺の目の前に。そんなに世界は上手く出来ていないことを俺が一番よく知っている。
自嘲するように笑って、目を瞑った。
助けてと叫ぶ誰かの声が聞こえた気がした。




