第28話 『賽は投げられた』
誕生日パーティーの日から約一週間が過ぎた。
「はぁ……」
何度目か分からないため息をつく。
ベッドの上で仰向けになって天井を眺めていると誕生日パーティーの日の王子を思い出してしまった。
『じゃあね、ベル』
もしかしたら、王子はもううちに来ないつもりかもしれない。無防備に外に出て、王太子に会ってしまった婚約者を王子は呆れ怒っていた。
いや、だがしかし。
弁解をさせてくれる余地があっても良かったんじゃないかと今さらだが思う。
普通あんな所に王太子がいるなんて思わないし、私だって無視できるものならしていた。だけど、やっぱりこの世界には地位が存在する。
私だって没落するわけにはいかない。
「……あぁ、なるほど」
不意にピンときた。
もしかしたら、これが世界の強制力とでも言うべきものなのか。こうやって嫌われていくのだろう。私は。
そう考えればなんて理不尽な世界なんだ。
王子と仲良くなれたのに、全てが水の泡だなんて悲しすぎる。王子だって楽しかったはずだ。シュヴァルツとウィルと私と、四人で遊んだあの日々に偽りは無かった。王子も心から笑ってくれていると、確かに感じた。
別に大したことを願ったわけじゃない。
今を楽しく生きようと四人で子供らしく遊んだだけだ。学園に入ったら私はきちんと身を引く予定だった。それでお母様に激怒されても、お父様に泣かれても、王子の幸せだからと身を挺して彼を応援するはずだったのに。
そしてあわよくば私は将来騎士となるアスワド様に恋するつもりだった。本当だ。王子に対する下心なんて今まで微塵も持ったことがなかった。
友達以上、恋人未満。そんな関係だったと思う。というか、精神年齢が成人している私にしてみれば、小学生の子供を恋愛対象として見れるかと言ったら大変微妙である。
王子は今絶賛風邪を引いているらしく、お見舞いも拒否された。これは流石に堪えた。会ってすらくれないのかとちょっぴり絶望した気分だったくらいだ。
「姉様」
コンコンと優しいノックの音がして、次いでウィルの声が聞こえた。ウィルは最近初恋をしたらしい。こっちは人間関係で悩んでいるというのに洒落た奴め。
私はベッドから起き上がって身なりを整えて扉を開けた。
「ウィル? どうしたの?」
「ディランお兄様が」
「王子がどうかしたの?」
目をきょろきょろとさ迷わせ、私をちらりと見てから残念そうに肩を落とした。
「なんでそんなにボサボサなわけ?」
「ひどいわね。さっきまで横になってたのよ」
「ディランお兄様が来てるけど……」
「……は!?」
何拍か置いて思わず叫んでしまった。
ウィルに口を塞がれてようやく我に返る。
今ここで大声を出せば気づかれてしまう。
「どど、どうしよう! 身支度もなにもしてない!」
「だから言ったじゃないか! 少しは女の子らしくしたらどうだって! 大体、シエルはそんなはしたない真似絶対しない!」
「貴方の初恋の相手はいいの! 今から待たせるのは悪いかしら? それとも……居留守を使う?」
「居留守だって? 馬鹿じゃないの!? オレが殺されるって!」
二人でヒソヒソと言い合いをしている間にも時間は過ぎていく。
「取り敢えず、今から十分で仕度しろ!」
「無理よ! 女にはすることが沢山あるのよ!?」
なんとか櫛で髪を鋤きながらくるくるの天然パーマを鎮めていく。
「くっ! このしつこい天然パーマ……!」
「分かる分かる。オレも毎朝大変だもん」
「呑気に見てないで侍女を呼んで、王子のお相手をしてて!」
一人でできることは最低限やっておく。
前世の日本なら大声で妹とか弟を呼んでいたけど今、そんなことできるはずもない。玄関にいるはずの王子に聞こえてしまう。
慌てて駆けてきた侍女たちに仕度をしてもらい、小走りになりながらも階段を下りると客間でウィルと王子が話をしていた。
「いきなり来て悪かったね。ベルは仕度してなかったみたいだけど」
「淑女としてあり得ませんね。部屋から出てきた時は髪がボサボサでしたから」
「へぇ、ベルが? 珍しい。見てみたいな」
「お目汚しにしかなりませんよ」
ウィルと王子の会話を聞いてギリギリと一人で歯ぎしりしてしまった。
ウィルの奴、覚えていろ!!
内心毒づきながらも客間の扉をノックして二人の視線がこちらに向いたのを感じながら綺麗にお辞儀をした。
「ようこそ我が家へお出でくださいました」
これはいつも言う公式的な挨拶。
王子も手を上げて頷いた。
「いきなり来てごめんね」
「いいえ、大丈夫です」
ふわりと笑った王子につられて私も微笑みを返す。
なんだろう。いつもと変わらない優しい微笑みなんだけど……。目が笑ってない? いや、そんなことはないか。
謎の違和感に首を傾げるが、取り敢えず王子が怒っていなさそうなことに安心した。
「王子殿下、先日のご無礼をお許しください」
私はお辞儀したまま誕生日パーティーでの過ちを謝罪する。正直自分が悪いとかあまり思ってないけど、謝らないよりはいいと頭を下げる。
王子は少し困惑した雰囲気を出したが、暫くして思い出したようにあぁ、と呟いた。
「あの事か。いやいや、俺こそ巻き込んでごめんね。実はあの後魔力不足で倒れちゃって……。本当、恥ずかしい限りなんだけど」
へらっと笑った王子に私はほっと胸を撫で下ろす。良かった。本当に怒ってないようだ。
なんとなく違和感はあったけれど、その後も普通に会話できて別段嫌っている感じもしなかった。私の勘違いかもしれないが。
「もうすぐ本格的に補佐の仕事を覚えなきゃいけないからここに通う日も減るだろうね。宰相にも付き合って貰うからあまり遊んでいられないんだ」
「え、いらっしゃらなくなるんですか?」
思わず顔を上げて王子を見ると、王子も驚いたように目を開いていた。が、すぐに目を細めて優しく私を見る。
「いや、ちゃんと三ヶ月に一度は来るつもりだよ」
「じゃあ、その時はまた遊べますね」
安心したように笑うと王子も擽ったそうに笑った。
「ベルも王子妃教育があるから頑張ってね」
「うっ……」
思わず顔をしかめるとウィルからため息をつかれた。王子は申し訳なさそうに眉を下げる。
「王子妃教育は嫌だって前も言ってたもんね」
「嫌ではないのですが……。教師がスパルタで」
教師は勿論母である。
あの怖すぎる鬼と毎日レッスンなんてストレスと恐怖で胃痛がしそうだ。
大方見当がついたのか王子も曖昧に笑うだけだった。ウィルは身に覚えがあるらしく、ぶるりと身を縮ませ青ざめる。
最近は王子も忙しいようで、その日は遊ぶことなく帰っていった。本当にパーティーのことが無かったかのようにいつも通りだった。
ただ一つを除いて。
王子が部屋を出て、ウィルがその後に続く。私も見送ろうと玄関に向かうと声をかけられた。
「ベルティーア様」
さっきまで一言も喋らず影のように佇んでいたシュヴァルツだった。なんだか不気味だと思ったんだ。ずっと、気になってはいたが触れなかった存在。
怒られるだろうと検討はついている。
「……はい」
「やけに反応が遅いですね。何か疚しいことでも?」
「……なんのことでしょう」
おほほと淑女の笑みを湛えて感情を押し殺すが、シュヴァルツは怒った様子も無く至って普通だった。
ただじっと私を見る。
「王太子に会ったらしいじゃないですか」
「……えぇ、まぁ、そうですね」
目をせわしなく泳がせているとこつりと靴の音がしてシュヴァルツが近付いてきた。
「一生ディラン様のために生きてくださいっていいましたよね」
「そんなこと、仰りました?」
にっこりと笑って誤魔化す。
そんな重たい話を掘り返すな。王子のために生きる奴なんかお前くらいだって。
シュヴァルツは無駄だと思ったのかはぁ、と深い深いため息をついてからその赤黒い瞳に私を写した。
「足の腱は大事にしといた方が、身のためだと思います」
「……え?」
言いたいことは言ったとばかりにシュヴァルツは踵を返して玄関に向かう。
「え、意味分からないです!」
「忠告はしましたから」
「怖い! 何ですか!? 暗殺の依頼とかきてるんですか!?」
私の悲鳴を無視してシュヴァルツは王子の側に戻る。その、王子至上本当に腹立つ。
王子に何をしていたのか聞かれてもすっと瞳を細めただけで王子も了解したかのように微笑んだ。
まさか共犯? 怖すぎる。
王子の考えていることは本当によく分からない。




