第25話 『愛情失調症』
ヤンデレ注意報
ヤンデレ度 ★★☆☆☆
ベルは、可愛い女の子だった。
それは勿論外面もあったけれど、何より俺は口を開けてケラケラと屈託なく笑うベルが好きだった。
ベルと婚約して、楽しい日々を送った。
それはもう、疑いようがないほど楽しくて、幸せだったと思う。
『私と、友達になってくれませんか?』
庭を案内されてベルが言ったのはそんな言葉だった。ベルは同情じゃないなんて言っていたけれど、ベルの目には確かに同情の色が浮かんでいたと思う。
人助けなんて同情がないと出来ないし、慈悲なんて憐れみの延長でしかない。それは、よく知っている。人間は、無意味なことなどしない。利益があるときしか行動しない。
利益なんて人それぞれで、ベルにとって俺を救おうとすることはきっと彼女の良心を守るためだったのだろう。
同情してないなんて、嘘ばっかり。
冷めた気持ちでベルを見て、酷いこと言って少しは反省したけれど後悔はしてない。
だけど、あんまりベルが必死に俺を懐柔しようとするから、可笑しかった。乗ってやってもいいか、なんて思って仲良くした。
適当に乗っかった船は思ったよりも心地よくて、気がつけば一緒にゲームをしてシュヴァルツまで巻き込んで。初めて、自分の世界を感じた気がした。
ベルと俺とシュヴァルツと後からウィルも来て四人で隠した秘密基地。俺らの小さな幸せの国。
ベルは俺が何を言っても許してくれた。俺の機嫌を敏感に感じ取って先回りする。俺を刺激しないように神経を尖らせる。ちらちらと俺を見て、笑うと嬉しそうにほっとする。
それは俺の無くなったはずの優越感を鳥の羽で擽るようだった。
ベルは俺の後を必ずついてきた。待ってと追いかけて、笑顔を見せれば安心したようにベルも笑う。
恋に擬似した優越感。
すきだなぁと思った。こんなに人に求められ、認識され、許されるのが嬉しいなんて幸せなんて知らなかった。ベルを独り占め出来ているような気がして楽しかった。ベルの唯一になったみたいで嬉しかった。
王宮は窮屈で部屋に結界を張り、いつも息を殺しているけれど、ここには楽園がある。
誰も俺を否定しない。誰も俺を忌避しない。
泣きそうなほど幸福で夢かと思う。
その度にベルが笑い、彼女の匂いが胸を満たす。
ベルは俺の幸福の象徴。
陽だまりみたいな彼女は、いつも俺の側にいる。俺の大切なものはここにある。気持ちは日に日に大きくなり、優越感はいつしか本物の恋に変わった。
好きって叫びたくなるほど恋しくて、思い焦がれる。明日も会えるのに、別れが惜しい。
だから、本当に、俺、ベルのことが好きだったんだよ。虚飾も何もなくて、本当に。心から君を想えた。
だけど、ベルを想えば想うだけ、怖くなった。
いつか離れていってしまうんじゃないか、いつか他の奴のところに行くんじゃないか。
そしたら、俺はどうしたらいいの? 置いていかれたら、どうしたらいいの?
もう、無くしたくない。大切なものを奪われたくない。君が居なくなると思うと苦しい。君が誰かのものになってしまうと思うと堪えられない。
不安で不安で仕方ないのに、ベルは安心させてはくれなかった。
ベルのせいじゃない。わかってる。
だって兄上は王太子だ。話し掛けられて無視するなんて言語道断。
分かっていたけど、途端に暗闇に放り込まれたような、背後に迫る……いや、背中に這ってくる、この感じ。
失望の、前兆だ。
話さないで。触らないで。
俺の、俺の、宝物。
奪わないで。
気が付けば、正気じゃないような行動に乗り出した。とにかく、ベルを取り戻さなきゃ。俺からベルを取ろうとする兄上を排除しなきゃ。じゃないと、また奪われちゃうから。
ベルをしばらく肩に抱いているとだんだんといつもの意識が浮上した。
何してるんだろう。ベルを危険に晒したりして。兄上の射抜くような視線が心に刺さる。
「ディラン、お前は自分の婚約者に感謝するんだな」
兄上の言葉にヒヤリとした。
息を飲むと、ふとベルの体が弛緩し、慌てて抱き止める。ベルのアイスグレーの髪といつもの匂いを嗅いで、また憤激がぶり返した。
ベルは悪くないのにどうしても怒りの矛先がベルに向いてしまう。
汚い。
過去に捕らわれ、苦しもがいている自分が一番嫌いだ。見苦しくて、汚くて、消してしまいたい。なのに、ベルを失いたくはない。自分勝手だ。我が儘だ。
だけど、それでも、好きなんだ。
愛しくて、恋しくて仕方がないんだ。
好きになった。
好きになってしまった。
父に拒絶され、兄に拒絶され、世界に絶望してから、もう何かに希望を持つはずがなかったのに。嫉妬も恨みも憎しみも愛も幸福も全部捨ててきた。あの日に捨てたはずなのに。
君に愛されたいと願っていながら、醜い本性を隠し続けていた俺は君の何かになれるのか。
君が突き放してくれれば、今度は本当に死ねるのに。人間に失望して死ねるのに、君が俺を捨てないから。気にかけてくれるから、認めてくれるから、生まれてきてくれてありがとうって言うから、ベルが俺の全てになる。
貪欲で醜い感情を恋だの愛だのを免罪符に隠して誤魔化す。もっと、衝動的に感情的に己の赴くままにベルを愛して、貪欲に利己的にベルの愛を求めたい。愛を奪われた俺には、その権利があるはずだ。ベルが、隣に居てくれればそれでいい。俺を見てくれたら、それでいい。
俺とベルの関係を揺るがす者は、誰であっても容赦はしない。邪魔な奴は消えてしまえばいい。
大事に、大事にしなくちゃ。大切なものは囲って、隠して、誰にも見られないように。誰にも取られないように。
君が側にいないなんて耐えられない。嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
幸せにするから、君を囲いたい。
愛し続けるから、君を拐いたい。
なんでもするから、俺を愛してほしい。
「ベルと、どうしたらずっといられるのかな」
頭の中は、君のことで。
君を思えば胸が切なくなる。
会いたくて、会いたくてたまらない。
好きだと伝え、愛を囁く。慎ましく、美しい君と俺だけの世界が欲しい。誰もいない。何もない。ベルが笑って、側にいてくれるだけでいい。君の全てが、俺であればいい。
胸に広がるこの感情は、それは、きっと狂気だろう。これを愛と言わずして、なんと言うのか。
「結婚したら……じゃないですか?」
「……そうだね。でも、それじゃあ、足りないと思わない?」
足りない、足りない。なんにもたりない。
もっと、もっと、あいしたい。
もっと、もっと、あいされたい。
嫉妬と欲望と、全部がごちゃ混ぜになって少しずつ歯車を狂わせていく。俺の中の何かが壊れていく。離れないでって、可笑しいかな。こんなに君が好きなんだよ。君の存在は俺のなかで、とてつもなく大きい。
それはもう、取り返しのつかないくらいに。
「俺、いつも考えるんだ。どうしたら永遠に一緒にいられるかなって」
君を、奪いたい。
一人で結界の張られた部屋に着く。
フッーフッーと獣のような息がやけに部屋に響いた。ポタポタと太ももからは血が伝う。
荒い息が部屋に吸い込まれてすぐに消える。ぼんやりと自分の血を眺めた。
「エスコート、したかったな」
頬に伝うのは、頭から流れた血ではない。
ぽつりぽつりと上等な絨毯に見えないシミを作っていった。
どうして俺の気持ちは、こんなに歪んでいるんだろう。普通に、愛したいのに。普通に、恋をしたいのに。でも、ねぇ、普通ってなんだろう? 止まらないんだ。気持ちが溢れて胸が苦しい。
苦しいくせに、すごく嬉しいんだ。
君を好きでいることが、とてつもない幸福に思えて仕方がない。
軋む胸には気付かないふりをして、今だけ見ておこう。過去も、未来も考えずにぬるま湯に浸っていたい。自分自身から目をそらしてただなにも考えずに抱き締めてもらいたい。
それでもギシギシと胸が痛いなら、雁字搦めにして蓋をしよう。降り積もっていく気持ち悪い程の狂気に目を閉じて彼女がその痛みすらも包み込んでくれる未来ばかりを望む。
俺のすべてを受け入れて、愛して。馬鹿みたいに汚い執着なんて知らないで、俺の唯一の家族になってよ。俺と結婚して、子供を産んで、俺たちだけの箱庭で腐った世界を生きよう。死んで骨になっても同じ土の下で魂まで共に。
大好きな、愛しいベルティーア。
時間をかけてゆっくり君を囲っていこう。気が付いたときに君の逃げ場はない。
君が俺だけを想って、俺だけのために微笑むと思うとゾクゾクする。
頭の中は、君のことで。
君を思えば胸が切なくなる。
会いたくて、会いたくてたまらない。
ベルが、好きだ。大好きだ。
独り占めしたい。離したくない。見られたくない。触れられたくない。愛したい。愛されたい。
優しく、優しく大事にしたいけど、俺の手で壊してしまいたい。君に近付く者は全員殺してしまおう。
君の欲しいものは全て与えてあげる。君が望むなら世界を焼こう。君が死んだら俺も死のう。
逃がさない。俺から逃げるなんて許さない。
あぁ、君を、どうしようもなく━━━愛してる。




