第24話 『壊れた絆』
「だめなの!」
激しい突風が吹き荒れ、バチバチと電気の弾けるような音が響く中、可愛らしい声がガラスの無くなった温室によく響いた。
「喧嘩は、めっ!」
目に刺さる閃光のせいで声の主が分からない。なんとか見ようと目を凝らすが、チカチカして潰れてしまいそう。
「喧嘩はめっなの!!!」
恐らく少女であろう高い声が木霊した瞬間、風が止み、閃光が消えた。荒れきった温室でプラチナブロンドの髪を靡かせながらキラキラと光っていたのは幼女。
王太子も王子も驚いたように目を見開いて幼女を凝視している。特に王太子は若干青ざめていた。
「お前……!! こんなところで何をしているんだ!」
「お花を見に来たの! お暇なんだもん!」
むぅっと可愛らしく頬を膨らませる幼女は誰かに似ている気がする。プラチナブロンドって確か王妃様? え!? 王妃ってことは、クラウディア王女!?
彼女が王族なら、二人の魔法を相殺できたのも頷ける。同じように魔力を使って食い止めたのだろう。魔法が得意なのかもしれない。
なにはともあれ、魔法で死ぬことは免れた。ほっと安心していると王女は勢いよく方向転換して私たちを睨んだ。
「あなた! わたくしのお花をぐちゃぐちゃにして!!」
ビシッとクラウディア王女が指を差したのは王子だった。
腹違いと言えど、兄に向かって貴方って……。
ちらりと王子を見て、思わず短く悲鳴を上げてしまう。王子はクラウディア王女を塵でも見るような蔑む目で見据えていた。
殺気も交えたその雰囲気に、王女も後退りし、うるっと瞳を潤ませる。しかし果敢にも王太子の前に出て両手を広げた。
「お、お兄様をいじめちゃ、だめなのっ!」
プルプルと震えて兄を守ろうとする姿に場違いにもキュンとする。年は五歳くらいだろうか。王子も気を削がれたようで、舌打ちをして魔力を纏わせていた手を下ろした。
幼い子供に向かって舌打ちはないんじゃないかな!?
「クラウディア、どけ。私はこいつと決着を付ける。ディランが私に反発するのならこちらから消すまでだ」
「お兄様もあのかだんを壊したのね! ひどいわ!!」
王太子の言葉に被せるようにして王女が叫んだ。王太子も言葉に詰まり、ため息をもらす。
妹パワーが凄すぎる。
「……もう一度言う。クラウディア、帰れ」
「やっ! お暇なの!!」
いやいやと首を振って王太子に抱きつく王女様。王太子様でも妹のわがままにはお手上げらしく、やれやれといった風に王女を抱き上げ、鋭い眼光で王子を睨んだ。
「今日は邪魔が入ったから見逃してやる」
前世で聞いたことあるような典型的な捨て台詞を吐く王太子。一気に小物感が出てしまうのは致し方ないと思う。
一国の王太子が妙な台詞を吐いたことに笑いが込み上げ、それを必死に噛み殺していると、震えていると思われたのか王子はぎゅっと私の肩をさらにキツく抱いた。
「……だが、」
王太子の視線が私に移る。思わずびくりと体を縮ませた。
笑ったのバレた……?
「ベルティーア・タイバス。お前には処分が下るだろう」
「……っ!?」
え、なんで!? 私は何もしてないよね!?
青ざめ、開いた口が塞がらないでいると王子が小さく囁いた。
「大丈夫。ベルを殺す奴は俺が消してあげる」
いや、それ何も大丈夫じゃないから!!
どこまでもズレた今日の王子には着いていけない。早く目を覚ませ。
「しかし、……まぁ、それでは可哀想だ」
王太子の思わぬ助け船に勢いよく顔を上げる。王子の雰囲気がまた殺気立った。
王太子は呆れたように肩を竦める。
「側室にするのもいいんだがな。それじゃあ、不毛だろう。ベルティーア・タイバス。さっきの答えを聞かせてくれ。そうすれば、今回のことは不問にしてやろう」
王太子が真剣な表情で私をじっと見た。
さっきの答えってなんだろう……?
生き残れる唯一の方法で、ここでしくじることは許されない。必死に記憶を漁っていると、王子が来る前に肩を捕まれ、すごい形相で迫られたことを思い出した。
『私は、王になれると思うか』
「思います」
王太子は目を見開き、王子は肩を強く握った。そろそろ肩に指が食い込みそうなんだけど。
「なぜ、そう思う」
「素質があると思いました。人を従わせるような覇気も、ついていきたくなるようなカリスマ性もあります」
王になるべき人だ、とは言わなかったが言外に言いたいことが伝わったのか、王太子の唇が震える。そんな王太子の腕の中で王女様はぐずっていた。
「もう一つ、聞いてもいいか」
「なんなりと」
王太子にしては下手な言葉に少し瞠目する。本来は真面目な性格なのかもしれない。ただ、やり方がおかしいだけで。
勿論、王子にしたことを許すわけでも、無視するわけでもないが。心のなかでネチネチ文句を言うのは許してもらいたい。
「私に無礼をはたらけば、お前はただでは済まぬだろう。それが分からぬほど馬鹿ではあるまい。なのに、なぜ私に進言したんだ……?」
心底不思議で不可解だと言うように王太子が眉間にシワを寄せて私を睨むように見る。
「そんなの、簡単ですよ」
あっけらかんと言うと王太子はますますシワを深くし、王子には関節が外れるんじゃないかと思うほど肩を捕まれた。
「貴方様は将来私の君主になる方でしょう。そうすれば、私は臣下になります。臣下とは、主に意見を申し上げ、主の手となり足となる者。少しでも貴方様の助けになるよう、先程は失礼を承知で愚考を申し上げました」
王子に肩を抱かれているから膝は付けないけどせめて誠意が伝わるように頭を下げた。自分でも馬鹿だなと思う。このワガママ王太子に何か一つ仕返しをしてやりたかったのが正直なところだが、自分が成長した後、彼を王様とは呼びたくないと純粋に思ったからでもある。自分の代が暴君だなんて迷惑以外の何ものでもない。
王太子は毒気を抜かれたようにため息をついた。
「……それだけか。それだけの動機で……私に進言したのか」
「はい」
「……お前は、馬鹿なんだな」
「そう思われても仕方ありません。先程の無礼の数々、御許しください」
膝を付いて誠意を示したい……!
なのに、王子が邪魔をする。下に下がろうとする私と、それを阻止する王子との見えない攻防戦が繰り広げられていることを王太子は知らない。
「もういい。分かった。ベルティーア・タイバス、お前の進言は王太子として受け止めよう。ディラン、お前は自分の婚約者に感謝するんだな」
そう言って若干口角を上げ、初めて王太子の嘲り以外の笑顔を見れた。しかし、それもすぐにしかめっ面に戻り、眠ってしまった王女を抱え直して温室から消えていった。
「は、はぁぁぁぁぁ」
緊張の糸が切れて体が弛緩する。
王子が体を支えてくれてなかったら確実にへたり込んでた。
「ベルは、凄いね」
何も喋らなかった王子が口を開く。殺気立った様子もなく、先程とは打って代わっていつもの声色。ちらりと王子を見上げると、微笑んで私を見ていた。
いつもの、王子だ。
笑ってるし、声も優しい。
「兄上を上手く丸め込むなんて、中々出来ないよ。さすが、俺の婚約者だ」
にっこりと私に笑いかける姿はいつもと変わらない。淀んだ瞳も今は宝石の輝きを取り戻している。
……なのに、こんなに違和感を感じるのはなんでだろう。通常運転に戻ったって、喜ぶべきなのに。
「ごめんね。ベルまで巻き込んじゃって。兄上とはよく喧嘩するんだけど、今回は俺が仕掛けちゃった」
よく喧嘩するなんて嘘だ。
王太子の表情はほとんど変わらなかったけど、確かに動揺していた。王子の反撃は、きっと王太子にとっては予想外だったんだ。
いつもなら、ここで私は怒る。
『なんであんなことしたんですか!』って遠慮なく言っちゃう。だけど、今の王子には出来ない。なんだか、怖かった。
殺気立っていた時よりも、静かに首を絞められているような。
「ねぇ、人ってどうやったら歩けなくなると思う?」
「え?」
突然の問いかけに思わずパチパチと目を間瞬かせた。王子は私のその反応に目を細める。嬉しそうな、満足そうな顔。
「ど、どうしたんですか。急に」
戸惑い、視線をさ迷わせる私に王子はゆらりと近付き、腕を広げて正面から抱きついた。
まだ身長差があるとは言えなくて、王子の顔がちょうど私の耳辺りにくる。遠慮なく髪の下に手を入れられ、きつく抱き締められた。
「ベルの匂いだ……」
「え……?」
訳が分からない。
寂しいのだろうか。今になって怖くなったのだろうか。
よく分からないけれど、さっきからずっと抱き締めてくるから、抱き締め返して欲しいのかもしれない。私も腕を回すと王子は嬉しそうに喉を鳴らして笑った。
「ベルと、どうしたらずっといられるのかな」
「結婚したら……じゃないですか?」
「……そうだね。でも、それじゃあ、足りないと思わない?」
王子の質問が理解できずに首を傾げる。
私から離れた王子の青い、サファイアみたいな瞳に釘付けになる。魔法でもかかったように、魅入ってしまった。
「俺、いつも考えるんだ。どうしたら永遠に一緒にいられるかなって。さっき思い付いたことがあるんだけどね……」
にっこり、王子が微笑む。誰の話も受けつけない。そんな笑顔だった。足を絡め取られて捕らわれそうな感覚に陥る。
「今なら、それを実行できる」
私の髪を一束手に取り、口付けた王子が青い瞳で上目遣いに私を見る。ゾワッと言い様のない悪寒が背筋を駆け上がった。
そして、後悔する。ここに来て、王太子と話してしまったことに。
王子がまだ怒っていて、私を許してないことだけはよく分かった。
「姉様ーー!」
遠くからウィルの声が聞こえてはっと王子の顔が変わった。残念そうに髪を離し、私の手を握りつつ空いた腕を振る。
すると割れていたガラスが枠にはまっていくように直り、壊れた花壇も元通りに直った。王子の魔法だ。
花はさすがに元通りとはいかなかったけど、他は全部来たときと変わらずに配置してある。
そしてパチンッと指を鳴らせば空間が若干歪んだ気がした。
「防音の結界だよ。念のためにね。王女には効かなかったみたいだけど」
王子は目を伏せ、名残惜しそうに手を離した。どこか触れ合っていたいみたいだ。
ウィルの声が近くなる。
王子はさらりと私の頬を撫でた。
「じゃあね、ベル」
「……まっ!」
止める暇もなく王子は暗闇に紛れて消えた。




