第23話 『兄弟喧嘩』
その場に佇んでいたのは王太子と同じ金髪を輝かせ、宝石のような青い瞳をどんよりと曇らせた私の婚約者だった。呆然としている私をちらりと一瞥する。
まずい。これは、非常に、まずい。
王子には王太子と二人で話すなと言われていた。不可抗力であったとはいえ、最悪である。
「……お前、居たのか」
「えぇ、兄上を探して。確か『お前を私の側室にしてやる。悪いことはしない。あいつから離れろ』でしたっけ?」
ニコニコと気味が悪いほどにこやかに笑う王子は色んな意味で怖い。王太子は怖じ気づく様子もなく、淡々と対応する。
「聞いていたのか。趣味が悪い」
「弟の婚約者を取ろうとする兄上に言われたくないです」
「お前の婚約者をどうしようが私の勝手だろう」
私が想像していたよりも王子はにこやかに毒を吐く。王太子は眉間にシワを寄せ、イライラしているようだった。
二人の間に入っていこうか。いや、それは王子の神経を逆撫でするだけな気がする……。
「……聞き捨てなりませんね」
ぶわっと突風が吹いて髪が巻き上げられた。
王子の雰囲気ががらりと変わる。ニコニコの笑顔が嘘のように無表情になっていて、ヒヤリと背筋が冷えた。
こんなに怒った王子は見たことがない。
殺気なのか、魔力なのかは分からないけれど何らかの圧力がかかっているような重たい空気が漂う。
「ベルを、兄上の側室? ふざけるな」
口調が崩れて風も強くなる。
王太子には大して驚いた様子もない。
「私に刃向かうのか?」
「貴方は、俺の大切なものをいつも奪っていく」
奪う、というワードに王太子がピクリと反応した。花が引きちぎれんばかりに揺れる。私が割り込む暇もなく、突風から自分を守るので精一杯だった。
「許さない。俺からベルを奪うなんて許さない」
王子は鋭く王太子を睨み付け、地を這うような低い声で唸るように言った。
途端、バリンッと凄まじい音がして温室のガラス張りの窓が砕け散る。驚いて息を飲むが、ガラスの破片は落ちてこない。時が止まったように空中で停止していた。
「……なるほどな。私に刃を向けるとは、随分いい身分になったじゃないか。そんなに婚約者が大切か」
「えぇ、勿論です」
王子がにこりと笑うと、破片の先が王太子に集中する。
これは不敬などでは済まされない。反逆罪……。王太子を殺人未遂なんて良くて一族投獄。
「殿下! 駄目です!!」
気が付けば叫んでいた。
同じ王族であっても、後ろ楯のない王子を庇う者なんていない。王子の母親である側室様も亡くなったそうだし、王子の方が断然不利だ。
ここで人生を棒に振る必要なんてない。それも、私が側室に誘われただけなのに。
「落ち着いてください! 寝惚けてるだけですよね!?」
王太子が、はぁ? と言うように私を見たが、そんなことに構っていられない。馬鹿と言われようが、アホと言われようが王子の行動をせめて事故だったと言えるように。もう遅いかもしれないけど、今なら三人だけでどうにかなる。
お願いします! 王子なら伝わるって信じてます!
「ベルは、ベルは兄上の味方をするの……?」
「……は?」
私の努力も虚しく、王子は正気じゃないようで冷静な判断が出来てない。ガラス片がカチャカキャと不穏な音をたてた。
王子の絶望したような目が私を捕らえた瞬間、白い光が王子を襲った。弾き飛ばされて、ガシャンッと物が壊れる音がする。
「殿下!?」
派手な音がし、砂煙のたった場所に慌てて駆け寄る。兄弟喧嘩のレベルを越えてるでしょ。
王子の隙をついて攻撃をしたのはきっと王太子。王太子を見ると指をポキポキ鳴らして、静かに王子を見ていた。
空中に止まっていたガラス片はそのまま地面に落ちていく。
「ディラン、お前はつくづく甘い。興奮するといつも周りが見えない。魔力が強いだけで、コントロールはまだ未熟だ。それで私に楯突くなど、私が王族であり王太子であることを忘れたか。この愚か者」
王太子は冷たい言葉で王子を嬲る。
目の前の王子は花壇の煉瓦で切ったような切り傷が多くあった。
「しっかりしてください! 聞こえますか!?」
頭から血が流れている。
意識があるのかも分からない。
取り敢えずハンカチを取り出して止血をしようと思ったが、あの美少女にあげてしまった。仕方なく、ドレスのリボンを煉瓦の破片で切る。
太ももの傷も酷いのでキツく巻き付けた。
「……お前に婚約者など要らぬだろう。だから私が側室にしてやると言ったんだ。お前のような落ちこぼれよりも次期王の側室の方がよっぽど需要がある」
王太子の言葉を聞き流しながら王子の怪我の処置をしているとピクリと王子が動いた。
意識がある!
「王子! 分かりますか? おう……!」
殿下と呼ぶのも忘れて必死に呼んでいると王子の腕が伸びてきて、キツく抱き締められた。王子の匂いと、血の匂い。
頭に乗った煉瓦の破片が王子が身動きをする度にパラパラ落ちる。動いたらダメだと言いたいのに胸に顔を押し付けられて呼吸をするので精一杯だった。
今、王子は絶対正気じゃない。いつもはもっと賢い選択が出来るはずなのに。
「うっ……!」
立ち上がろうとした王子が呻いたので慌てて体を支える。右足を引き摺りながらもなんとか立ち上がれた。
にも関わらず、私を抱き締める手の力だけは緩まない。
「王子、駄目です! 取り敢えず手当てをしないと……」
なんとか胸から顔を上げ、王子に小声で訴える。
じっと前だけを見ていた王子が、こちらを向いた。乱れた金髪から覗いた青い瞳は今までにないほど妖しい光を灯していて、危ない。蛇に睨まれた蛙のように竦んでしまった。
「いいよ、別に。ベルが兄上の味方をしたって、結局俺の婚約者なんだから」
「味方なんてしてません! よく考えてください。寧ろ王子のためです!」
すぐに反論したら王子の瞳に少しだけ光が戻った。強ばっていた表情もゆるゆると和らぐ。
「俺の、ため、か」
「そうです! このままじゃ、婚約どころじゃありません。遊べなくなるどころか一生会えなくなるかもしれませんよ!」
王子は投獄で済むかもしれないが、ここにいた私は命の保障ができない。王族が事を荒立てたくなくて、タイバス家の目論見にしてしまう可能性だって無いわけではないのだ。
そうなれば、お父様もお母様もウィルも被害を被る。私がここに鉢合わせたという事実がどれだけ被害を拡大させるか想像ができないから怖いのだ。変に利用されたくない。
「じゃあ、消さなきゃね」
「……え?」
「俺とベルが会えなくなるなんて、考えられないもの」
私の肩を抱いたまま、王子が王太子に視線を戻す。
「はっ! 私を消す? そうなればお前の婚約者一族は確実に処刑だ」
「そう? なら、俺も一緒に死ぬ」
違う! 王子、違うよ!!!
想像した未来に涙を浮かべながら必死に王子の腕のなかで首を振る。
「お前の婚約者は死にたくないらしいが?」
「……」
パチパチと体に魔力を纏いながら王太子が嘲笑った。王太子も戦う気だ。
王子の顔は前髪で隠れてよく見えない。
嫌な予感がしてぎゅっと力の限り抱きついた。最後の足掻きだ。これで無理なら……仕方ない。私は魔法なんて使えないから、二人を止める術を持たない。
「だめ、です」
ふと、一瞬だけ、王子の体の力が抜ける。が、すぐにまた掌に魔力を貯めた。
「……ベルは、死にたくないよね」
正気に戻ったかと思ったが、そうではなかった。ただただぼんやりと目を眇めている。
「でも、無理だよ」
憎しみに顔を歪めた王子が唇を悔しげに噛んだ。
━━ベルだけは、あげられそうにない
最後の言葉は突風とバチバチという火花のような音でよく聞こえなかった。
え、これ、もし相討ちになって王太子が勝っちゃったら、王子が死んじゃうよね? そんでついでにそばにいる私も死ぬよね? あれ?
ある可能性に気付いて勢いよく王子を見たら目があって、にっこり微笑まれた。その笑みはなんですか。
悲鳴をあげる間もなく、王子の手が振り上げられた。




