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第22話 『王太子との邂逅』

 温室には沢山の花が咲き乱れていた。見たことのあるものから、見たことがないものまで。水やりの手間を省くためか、所々に水が引かれてある。

 温室はガラス張りになっていて月明かりが照明の代わりになっているようだ。夜ということも相まって、神聖な雰囲気を漂わせている。月明かりを頼りに少し歩いてみることにした……が。


「おい、誰かいるのか」


 突然声がしてビクンッと肩が跳ねた。

 え、え? 今度は誰!?


 何も疚しいことなんて無いのに、見つかった! って気がしてしまうのはなぜだろう。この人の声に威圧感があるからだろうか。


「答えぬか」


 咎めるような静かな声に再び肩を震わせてから慌てて身分を明かした。


「わ、わたくしはタイバス家長女のベルティーア・タイバスにございます」


 ここにいるってことは少なくとも不審者ではない。どこかの貴族か、王族か。いや、王族は流石に無いだろう。


「タイバス……。あぁ、あいつの婚約者か」


 ざっと砂が擦れる音がして相手がこちらに近付いているのが分かった。自分の後ろの方にいたらしい。

 いや、まって。タイバス家って言ってこんなに冷静ってことは私よりも位の高い貴族ってことだろうか。そんな人物に会ったことが無かったため素直に驚くし、焦る。タイバスって言ったら大体の人が下手に出るはずなのだが。

 しかもあいつの婚約者って? 第二王子のことをあいつ呼び。まさか……。


「このちんちくりんが美しいとは。世も末だな」


 失礼な台詞と共に月明かりの下に姿を現したのは意思の強そうな緑の瞳と、金色の美しい髪。手を腰に当て、すらっと立っているのは我が国の王太子。未来の王様。名前は……そう。

 ギルヴァルト・ヴェルメリオ。

 ディラン第二王子の腹違いの兄で、王子を蔑ろにした張本人。


 まずい。なんでここで会ってしまったんだ。


 緊張から汗が滲んだ手のひらをぎゅっと握る。目の前の王太子は不機嫌そうに眉を寄せた。


「お前はタイバス家の長女だろう。王太子を前にして、ずっとそこに突っ立っているつもりか」


 王太子に指摘され、慌てて膝をつく。

 私の失態は、全て我が家の責任。さっきシエルに言ったくせに自分が出来ないなんて。ダメすぎる。


「申し訳ありません。ご無礼をお許しください、王太子殿下」

「ふん」


 王太子は偉そうに鼻を鳴らし、じっと私を見てきた。しーんと突き刺すような沈黙が流れる。これはどうするべきなのか……。


「お前、ベルティーアと言ったか」

「は、はい!」


 そっとその場を離れようとしたらすぐに話しかけられた。王太子は私に近付いてきているのか、声が近かった。顔を下げているせいで彼がどこにいるのかが分からない。


「あいつの婚約者が美しい娘などというから、どんな奴かと思ってみたが……。別段、大したことはない」


 私はじっと黙っておく。相手も返事を求めているような感じはしない。罵りに来ただけ? それなら楽でいいんだけれど。


 王子妃に相応しくないなんて影で言われているのは知っている。成功すると妬まれてしまうのは仕方がない。殺害予告紛いの手紙が届いたりもしたが、もちろん焼いて灰にしてやった。


「まぁ、でも、悪くはない」


 下げていた顎をぐいっと持ち上げられる。

 王太子の突然の行動に驚いていると、綺麗な顔がにやりと意地悪そうに歪んだ。


「ベルティーア・タイバス。お前を私の側室にしてやろう」

「……そ、側室?」

「そうだ。ありがたく思え」


 い、意味が分からない……。

 自分の弟の婚約者を側室って頭可笑しいんじゃないの? 側室は王様のみが持つ特権で世継ぎを多く産むための制度だと言われている。魔力を保持した王家には子供が生まれにくいらしい。


「お言葉ですが、王太子殿下。わたくしはディラン様の婚約者にございます」

「だからどうした。あいつのものは私のものだ」


 聞いたことのあるセリフである。

 この人横暴すぎないか!


「わたくしになど価値はないと思うのですが」

「そうだな、お前に価値はない。私にとっては」


 さらに顎を引かれ、顔がくっ付きそうな距離になる。顎を取り戻そうと引いてみるが、相手の方が強くて難しい。

 思わず顔をしかめると王太子はくっと喉の奥で笑った。


「聞いたぞ。あいつは大層お前のことを大事にしているそうじゃないか。頻繁にタイバス家へ行って。本当に、心底気に食わない」


 ぎりぎりと顎と言うよりもはや頬を掴んでいる王太子を我慢出来ずに睨み付けた。どうしてそこまで王子に固執するんだ。


「何故、そこまで王子……ディラン殿下を毛嫌いするのですか?」


 思わず口をついて出てきた疑問に、王太子は邪悪な笑みを崩さない。


「強いて言うなら教育だ」

「……教育……?」

「次期王である私に逆らわないように。私に謀反しようと思わないように。私を越そうなどと姑息なことは考えないように。私の思う通りに動かせるように。あいつの魔力は国を滅ぼしかねない。だから、俺が教育してやっているんだ」


 教育?

 じゃあ、5歳の王子にしたことも、全て教育だと言うのか。


「あいつは、独りでいいんだ。周りにあいつを手懐ける奴が現れてはいけない。あいつを肯定する人物が現れてはいけない。そんな人物が現れ奴が執着すれば、王などあってないようなもの。私の言いたいことが、分かるか」


 王太子の顔には、私は邪魔だと書いてある。つまり、王子と一緒にいる私が邪魔だと。確かに、王子を思うがままに操れる人は危険人物である。

 正直言うと王子を操れる人間なんて現れないと思うが、それでも危険な芽は摘んでおきたいのだろう。


「そもそも、婚約者なんてあいつにいてはならないんだ。あいつの血の混じった子などいらん」


 ブツブツと不穏なことを言い出すこの王太子にドン引きしてしまう。

 確かに、この王太子はきちんと次期王の教育をされているのだろう。王子と違って自分のことを私と言い、王子が自分を脅かす存在であることはちゃんと認識できている。無意識かもしれないが、王子への恐れもあるように思えた。王太子は王子に対して相当コンプレックスがあるようだ。


 だけど、王にしては私欲に走りすぎている気がする。弟に対する劣等感が自制心に勝って権限を乱用し、王太子だから許されるととんでもない思い違いをしているようだった。

 これでは先が思いやられる。


「だからお前を私の側室にしてやる。悪いことはしない。あいつから離れろ」


 ぐっとほっぺたに力を入れられ、痛いと声を上げそうになった。絶対赤くなってる。

 私の美しい珠のような肌に傷をつけるなど……許せん! ぎろりと王太子を睨み付ければ、少し動揺したのか手の力が緩んだ。


「王太子殿下。今から申し上げます言葉は一臣下としての意見だとお思い下さい。要らぬ世話だと思われるのであれば、聞き流して下さって結構です」


 この王太子がさらっと聞き流すくらいで済めばいいが。

 私の反発するような態度に王太子の機嫌が急降下した。空気が張り詰め、ピリピリする。王となる素質はあるのに、とても勿体ない。


「お言葉ですが、王太子殿下のそのお考えは、あまりにも幼稚すぎます」

「……っ!」

「王子が恐ろしいのは分かります。王子は特に王家のみが受け継ぐ魔法を使いこなせるとか。しかし、それを恐れていては王など務まりません。臣下を縛り付けて置くだけでは、後で痛い目を見ます」


 臣下も人だ。

 王に忠誠を誓った身であっても、己のすること為すこと全て否定されたら不満だって溜まる。大切なものを奪われたと思ったら、尚更だ。


「奪うだけでは、忠誠など誓えません」

「貴様っ……!」


 カッと顔を赤くして王太子が腕を振り上げた。殴られると目を瞑る。


「……?」


 歯を喰い縛って衝撃に備えるが、思ったような痛みは来ない。恐る恐る目を開けると腕を振り上げたまま、赤い顔でプルプル震えている王太子が見えた。

 なんだろうと内心首を傾げていると振り上げていた腕はゆるゆると下がり、私の頬を掴んでいた手も力なく離れていった。


 しばらく黙ったままの王太子だったが、自分を落ち着かせるように短く息を吐く。


「……いや、そう、だな。お前は……悪くない」


 いきなり改心したような王太子になんだろうと思っていると、"こんなガキに……"と呟いていたから多分子供に手をだそうとした自分を戒めているんだなと勝手に解釈した。


「………王には、そのような心構えが必要だと思うか」


 ぶつぶつと呟いていた王太子が突然聞いてきた。聞いているかどうか分からないほど小さな声だったが、私は間髪入れずに答える。


「思います」

「では……!」


 唐突に大声を出しながら私の肩をガシッと掴んだ王太子に驚く。え、怖い。


「では……私は、王になれると思うか」


 懇願するような緑の目。

 王太子って言うほどだから、次の王は貴方しかいないんじゃないの?


 口を開こうとしたその瞬間、私と王太子の間を稲妻のような物が横切った。

 ちょっと間が空いてドオオオンッと花壇が壊れる。何が何だか分からず声も出せない私とは違い、王太子は今までで一番目をつり上げた。


「兄上、俺の婚約者に何か用ですか」


 爆発音が収まった後に聞こえたのはよく知った声だった。

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