第20話 『真夜中の宴Ⅰ』
ダンスホールは、沢山の人で溢れ返っていた。キラキラと照明が彼らの装飾品を反射して眩しい。まだパーティーは始まっていないようで、皆シャンパンを片手に小さな声で喋っていた。
「ベル」
お父様に名前を呼ばれてハッと我に返る。緊張からか呼吸がしにくい。お母様が私の両肩に手を置いて、囁くように呟いた。
「堂々となさい。貴女は今、王族の婚約者よ」
恐る恐る前を向けば、ちらほらと視線が自分に向いているのが分かった。
ヒソヒソと何かを呟かれている気配がする。こういうのって基本良いことは言われない。
失神して倒れてしまいたい気持ちに襲われる。もう少し頭を上げれば真っ赤なカーペットの向こうに王座があるはずだが、王族に挨拶をしない限りは見ることはできない。
俯いたまま、お父様を先頭に王座の方まで歩く。カーペットに沿って歩けばいいので、ひたすら赤い絨毯を見つめていた。
お父様の足取りが緩くなるのを見て、ぶつからないように細心の注意を払いながらその場に止まる。お父様が跪いたので、私たちもそれに倣ってその場に頭を垂れた。
「ジーク・タイバスにございます。我が王。本日のご招待、誠に感謝申し上げます。今日の良き日に陛下のご尊顔を拝せ、至極の慶びに存じます」
「面を上げよ。よく来たな。ジーク」
王様の許可が出たお父様は頭を上げられる。
今度は真っ赤なドレスが動いた。
「シルリア・タイバスにございます。我が王」
「面を上げよ。久しぶりだな、シリィ。体調はどうか」
「お心遣い痛み入ります」
お父様もお母様もかなり王様と親しいようだ。お母様のことは愛称で呼んでいるし。
ふと、物凄い重圧が自分にかかった気がした。皆の視線が、自分に向いている。
まだ頭を垂れているウィルがちらりとこちらを窺った。王様も、王子も待っている。他の貴族も、こちらを見てる気配がした。第二王子の婚約者はどんな顔をしているのか。美しいタイバス家の娘はどのような者なのか。
これは自意識過剰などではない。ヒソヒソとなんとなく聞こえる。
黙って固まっていても始まらないので腹を括ることにした。王子とのお見合いのように、私なら出来るはず。今日この日のためにここ数日はお母様の鬼レッスンを受けたのだから。
お父様にも負けない、腹の底から出した声で。お母様にも負けない、美しく通る声で。恥をかくことは許されない。家の為にも、婚約者の為にも。
大丈夫。
私には、出来るはず。
「お初お目にかかります。ベルティーア・タイバスにございます。我が王」
思ったよりも、凛とした声が出た。一番驚いたのは、きっと私。顔の角度をきっちりと揃え、ギリギリ王様の顔が見えないようになっている。
「面を上げよ。私の義娘にあたることになるな。我が息子を頼む」
「勿体ないお言葉です」
王様との会話とも呼べないやり取りを終えて、ようやく肩の力が抜けた。今度はウィルが緊張しながらも挨拶をしていた。
王様から許可をもらえたので、もう顔を上げられる。
そう思って顔を上げ、飛び込んできた景色に目を疑った。
玉座には緩やかな金髪に緑の瞳をした麗しい男性が堂々と座っている。王子と同じ髪色だ。王様だと人目で分かった。
隣にいる王妃様は色白で、髪も白っぽい。真っ赤に色付く唇が妖艶であまり笑わず、うっすら微笑んでいるような気もするし、そうじゃない気もする。
その下の段に、恐らく王太子様。
金髪に、緑の瞳。配色は王様と変わらず雰囲気も似ている。王子とは全く正反対のイケメンだった。
王子が美少年なら、王太子は美丈夫って感じだ。線は細くなく、儚さなんて微塵もない。野生的な美しさとでも言えそうな顔つき。
色彩は王様に似ているが、顔のパーツは王妃様よりな気がする。しかし、こんなに野性的になるものだろうか。
いや、そんなものはどうでもいい。自国の王家だからどうでもよくはないんだけど!
私の視線を釘付けにしたのは、王太子の椅子の後ろ。そこにポツンと控えるように王子が立っていた。我国の第二王子。
━━私の、婚約者が。
なぜ王子だけが椅子に座っていないのか。
驚いているのは私と、ウィルだけでお父様もお母様も普通にしていた。第一王女であるクラウディア王女はまだ6歳だから王族主催のパーティーには顔を出さない。特に王族の女性は10歳にならないと公には姿を見せないのが普通である。
つまり、この空間には王族が四人のみ。
そのうち三人が玉座に座っており、一人だけ兄の側に控えている。どう考えても可笑しい光景だった。
ウィルが私のドレスの裾を少し握った。
「……姉様。あの、これって……」
「分からないわ。どうなっているの……?」
困惑している私たちに気付いたお父様がこっそりと耳打ちをした。
「王太子殿下とディラン殿下はいつもあの配置だよ。今日が特別ってわけじゃない」
だから慣れろとお父様の目が訴えていた。
「で、でも、王子……ディラン殿下は王族のはずです」
「正直言うと、可笑しなことでもない。王族では特に弟は兄の臣下に下るものだ。側近として将来王となる兄を支えるのが役目。しかも、殿下は側室の子供だ。異を唱える者はいないだろう。王太子殿下がしっかりと弟を臣下として教育していると見えるだろうね」
驚きの事実に目を見張る。
隣で聞いていたウィルも驚いているようだった。
「……ただ」
お父様の低くなった声に耳を寄せる。
顔を上げてみるとお父様は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「王族を非難する気は無いけれどね、あんまりだと思うよ。あれは、臣下の立ち位置だ。王族がいるべき場所じゃない」
お父様はすっと目を眇める。
「自分の婚約者が来る今日この日に、恥を晒すようなことを、殿下もしたくはないだろうね」
ちらりと視線を王家に向けると他の招待客と謁見をしていた。この謁見が終わるまでパーティーは始まらない。勿論、毎回こんなことする訳じゃなくて今回はたまたま王太子の15歳という節目の年だったからこうなったらしい。
憮然とした王太子の後ろに立っている王子はたいして悲観しているような素振りもなく、ただじっと笑みを浮かべていた。
それが、強固な仮面だと言うのが嫌でも分かる。私達の知っている王子は、あんな笑い方はしない。
「ディラン兄様……」
ウィルが唇を噛んで眉を寄せた。
大好きな王子が蔑ろにされ、それでも尚王太子の側で取り繕い笑っている王子を見るのが苦しいのだろう。
私だって、見たくない。王子が王族扱いされない所なんて。せっかく誕生日は楽しく祝えたのに幸せや喜びをこんな風に塗り潰して欲しくなかった。
「ベルティーア様」
そっと囁かれた自分の名前に思わず辺りを見回す。潜むように立っていたのはシュヴァルツだった。いつもとは違って貴族らしい服を着ている。
「シュヴァルツ様」
「このような形で申し訳ありません。このパーティーでディラン殿下の側近は不要と言われまして。リーツィオ家の長男として出席しております。少し話したいことが」
あまり公では話せないことなのか。
言葉の裏に隠されたメッセージを汲み取り、静かに頷き会場の端へ移動した。
ウィルはちらりとこちらを見たが付いては来なかった。
「手早くお伝え致します。ディラン様が"今日は兄上の側に付くことになったからエスコートが出来なくなった。ごめんね"と仰っておられました。ベルティーア様に伝えてほしいと」
少し動揺したものの、なんとか頷いた。
初めてのパーティー。しかも、婚約者のいる令嬢がエスコート無しなんて、酷い。私にも王子にも嫌がらせしてやがる。あの王太子。
内心歯軋りをしていると、目の前の少年からも殺気が飛んでいることに気が付いた。
暗い赤目がギラギラと輝き、表情には微かな怒気が滲んでいる。恐らくガチギレしているであろうシュヴァルツを見ていたらなんとなく肩の力が抜けた。
私よりも腹を立ててるな、この人。
「シュヴァルツ様、せっかく麗しい顏をしていらっしゃるのですから、もう少し笑われては?」
私がそう言えば恨めしそうに睨まれる。
これが落ち着いていられるか、という表情だった。
「私は大丈夫です。というか、私よりも王子の方が心配なのでは?」
「そ、そんなことはありませんが……。ベルティーア様も気になさっているのでは、と」
少し図星だったのか、シュヴァルツは顔を赤くして狼狽えた。正直だなぁと内心笑ってしまう。
「大丈夫ですよ。エスコートが無いのは寂しいですけど、王子も不本意でしょうし、何より一番悔しいのはご本人でしょう」
「……そうですね」
「私が落ち込んでいたら、王子もがっかりしてしまわれます」
ふふふと頬に手を当てて淑女の笑みを溢すとシュヴァルツは驚いたように目を見開いた後、ふっと目尻を緩ませた。
「ベルティーア様の仰る通りですね」
持ち直したらしいシュヴァルツはさっきのしかめっ面とは打って変わり、王子と同じように分厚い貴族の仮面を被っていた。
「では、そろそろ時間のようですし私はこれにて失礼致します」
しっかりと頭を下げて踵を返したシュヴァルツの背中を見て、詰めていた息をゆっくり吐いた。




