第15話 『可愛い弟』
恐ろしすぎて振り向けない。王子はまだ変声期きてないはずなのになぜそんな低い声が出るのだろう。
「ディラン様、お帰りなさいませ」
「……シュヴァルツ。何してたの?」
真顔のシュヴァルツが席を立ち、王子に向かって深くお辞儀する。なんだろう、この差は。私は一応シュヴァルツの主の婚約者なんだけどな。
「ベルティーア様とお話を」
「へぇ。ベルと? どんな話?」
「ただの世間話です」
シュヴァルツは元々この答えを用意していたのかと疑うぐらい王子の質問に迷いなく答えた。
王子の対応は全てシュヴァルツがしてくれる。ほっと胸を撫で下ろしていると、ベル、と王子の咎めるような声が聞こえた。
え、私?
わけが分からず固まっていると、また王子に名前を呼ばれた。ギギギ……と油の刺していないブリキのおもちゃのごとく後ろを振り返る。後ろには顔を青くしたウィルとすっと目を細めて私を凝視する王子がいた。
「ベル、何の話をしてたの?」
「……」
矛先がこちらに向かった!
助けを求めるようにシュヴァルツを向くが、シュヴァルツは目を合わせてくれない。一人でどうにかしろと。
「俺には言えないことなの?」
「い、いえ……」
言えなくはない。
もういいや、正直に言っちゃおう。王子に嘘はつきたくない。正直に言っても困るのはシュヴァルツだ。だって、王子の誕生日を祝って欲しいって言ったのはシュヴァルツだし。
若干罪悪感を感じながらも、まぁいっかと軽い気持ちで言おうとしたらゾワッと唐突に悪寒がした。真後ろからの殺気がすごい。シュヴァルツはやっぱり暗殺とかしてると思う。
私は何も知らないことにした。
「えーっと、王子は私の噂を知っていますか?」
「噂……?」
後ろからの殺気が消えたことに安堵しながら、コテンと首を傾げた王子を見る。この人こそ絶世の美男子だと思う。
「自分では言いにくいんですけど……美しい娘って」
「あぁ、あれか。ベルがあんまりパーティーに来ないから貴族たちが勝手に言い始めたんだよ。まぁ、タイバス家の当主も否定しなかったからね」
「美しい娘?」
ずっと王子の後ろに隠れるように立っていたウィルが顔を出す。癖のあるふわふわの髪の毛がぴょこんと揺れた。
「美しい娘って誰ですか?」
「どっかの知らない令嬢のことよ」
「ベルのことだよ」
絶対にウィルにはからかわれるから言いたくなかったのに、王子が言いやがった。ウィルが王子の言葉を聞いて、一瞬フリーズした後眉間にシワを寄せた。
「は? あんたが美しい娘?」
「こら、お姉様でしょ」
人差し指を立てて睨むと、ウィルは小さく舌打ちしてからお姉様、と言い直した。
王子がいるとウィルが素直なので助かる。私の言うことを聞いたら王子に褒めてもらえるからだ。今も偉いね、と王子に頭を撫でてもらっている。
ウィルは王子の背中にしがみついて私にだけ見えるようにベーっと舌を出した。
「ディラン兄様! この人ぜんっぜん美しくないですよ!」
「えぇ? そうかなぁ。俺は十分可愛いと思うけど」
王子は困ったように笑うと、私をちらりと横目で見た。美しいと誰も言わないのはなぜ。
「ほら、よく見てごらん? 可愛いから」
ね? と私に同意を求めるようにあざとく首を傾げる王子の方が可愛いと思います。
ウィルは王子の言った通り、じーっと私を観察する。なんとなく恥ずかしくていたたまれない。ニキビは……ない。大丈夫。ツルツルお肌だから大丈夫。
とてつもなく長い時間見られてる気がして、そろそろ顔に穴が空くんじゃないかって時、漸くウィルが口を開いた。
「ふつう」
シーンと辺りが静まり返る。風が吹き、葉と葉が擦れ合う音しか聞こえない。
「えーっと、ウィル」
珍しく焦ったような苦笑いの王子がウィルの肩に手を置いた。
「その、ベルが傷付いちゃうだろう?」
「え? 本当のことを言っただけですけど」
グサッと久しぶりにウィルの矢を受けた。ウィルの毒舌には大分耐性がついたと思ってたんだけどなぁ。
「ふ、ふふふふ」
私が不気味に笑い出すと、王子とシュヴァルツがギョッとしたようにこちらを見た。
「だ、大丈夫だよ! ベルは可愛いから!」
「そうですよ。ベルティーア様は十分美しいので今のままでいいと思います」
「大丈夫です。私は所詮お世辞でも美女にはなれない女ですよ」
むうっと頬を膨らませると、黙っていたウィルが王子に近付いてそっと耳打ちした。
「おれ、何かまずいことしましたか?」
「うーん、ウィルはもう少し気を遣おうね」
何を話しているかは聞こえないが、王子が諦めたようにため息をついた。
ウィルはキョトンとして何が悪かったのか全く分かってない。最初の被害が私で良かった。どんなに顔が良くても女の子にお世辞一つ言えない男はモテないどころか当主になれるかも危うい。
社交界は嘘の溜まり場だ━━とお父様から聞いた。
ここは姉として注意をしようと口を開きかけると、トンっと身体に柔らかい衝撃が走る。腹部を見ると、クルクルのシルバーグレーが楽しそうに踊っていた。
「ウィル? どうし……」
「ごめんなさい、お姉様」
顔を上げたウィルの青がかった瞳にはうっすら水の膜が張っていた。光に反射してなおさら輝いて見える。
「素直に言うのは恥ずかしくて……。ごめんなさいお姉様傷ついちゃったよね。お姉様は……凄く綺麗だよ」
ふわっと唇をほころばせて、天使のような笑顔を炸裂させる我が弟。綺麗だよ、と言う瞬間に私のドレスを軽く握るのがあざとい。可愛い。天使。天使だ。
「ウィ……ウィル! なんて可愛いの!」
「こんな感じでいいんですか?」
ウィルを抱き締めようと伸ばした腕は見事にかわされ、空を切った。
「え?」
「ディラン兄様が気を遣えって言ったから」
絶望したように王子を見ると王子は眉間に手を当て、俯いていた。シュヴァルツもなんとなく困ったような顔をしている。
「ウィル……全然気を遣えてないと思うのだけど」
「なんで? ディラン兄様の言うとおりにしたよ?」
「気を遣ってたら、王子に言われたからやったなんて馬鹿正直に言わないわ」
諭すようにそう言うとウィルはむすっと明らかに不機嫌になった。
「……ちゃんとしたのに」
「言って良いことと悪いことの区別をつけようね」
にっこりと優しく頭を撫でるが、ウィルはプイッと私の手を逃れて王子の方へ走る。
「ディラン兄様……。おれ、駄目でしたか?」
「そうだね。ちゃんと訂正できたのは良かったよ。だけど嘘は相手にバレないように吐くものだ。分かったかい?」
「バレないように……?」
「ちょ、ウィルに変なこと吹き込まないで下さいよ!」
ウィルは手を顎に当てて考える素振りをする。
「分かりました。ディラン兄様!」
元気よく返事をするウィルとは対照的に私は頭を抱えた。ウィルが毒される。王子に毒されてしまう。
「ベルはウィルが俺に毒されるとか思ってるんでしょ。ひどいなぁ」
王子って読心術とか持っているんじゃないかって時々本気で疑う。
でも当主になる上で避けられないだろうことはさすがの私にも分かった。社交界は嘘の溜まり場だからね。嘘を極めれば怖いものなしだ。王子もそれを分かっていてウィルに教えているのだろう。
「いえ、むしろ有難いです。ウィルが嘘を極めれば社交界の貴公子になること間違い無しです」
「社交界の貴公子……安っぽい二つ名ですね」
「ていうか、そのままじゃない?」
シュヴァルツは呆れたように私を見て、王子はケラケラと肩を揺らして笑う。
馬鹿にされてる……。
「そろそろお暇しようか。シュヴァルツ」
「ディラン様がそうおっしゃるなら」
いちいち王子至上な奴だな。
半目でシュヴァルツを見るが当の本人はどこ吹く風でスンっとすましている。王子もこれが日常茶飯事なのか特に不思議がることはなかった。
ウィルが王子と話しているとシュヴァルツが近付いてきてすれ違いざまに囁かれる。
「誕生日、お願いしますね」
シュヴァルツを安心させるため、私は深く頷いた。




