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第13話 『今世の弟Ⅳ』

「取り乱してすみませんでした」


 鼻を啜ったウィルの瞳は真っ赤だった。

 柔らかい客間のソファーに腰をかけてちり紙で鼻をかむ。


「あと、ディラン第二王子殿下、ありがとうございました」


 あのヤンキーとは思えないほど深く深く頭を下げるウィルに、少し瞠目した。


「殿下なんて止めてよ。そうだなあ。あ、お兄様って呼んでほしいな」

「え……いいんですか?」

「もちろん」


 楽しそうに笑う王子にウィルは少し戸惑う。私もえっと身を乗り出した。


「あの、えっと……」

「うん?」

「ディ……ディラン兄様……」


 モゴモゴと口を動かして恥ずかしそうに顔を真っ赤にしたウィルが小さく呟く。王子は満足そうに微笑んだ。

 待って。私は?


 期待するように私も隣からウィルをガン見するけど顔を赤くしたウィルはフイッと視線から逃れるようにそっぽを向く。

 おいいいいい!


「ベル、やっぱり嫌われてるんじゃない?」

「えぇ!」


 ガックリと肩を落としてうなだれると、王子は声を上げて笑う。


「ウィル、お姉様のこと嫌いなの? そうなの?」

「……別に」

「じゃあ、どうしてそんなに素っ気ないの?」

「風呂についてきた」

「え、あ……」


 ウィルにピシャリと言われて、今度は私が口ごもる。確かにあれは気持ち悪い……。嫌いになってしまっても仕方ないことかもしれない。


「はー、おもしろい。あ、そろそろ帰る時間だ」

「え? もうそんな時間ですか?」


 おもむろに王子が立とうとしたので、私も立ち上がって見送る準備をする。

 やっぱり最近帰るのが早い気がする。今までが異常だっただけかもしれないけど。少しずつ仕事をしてるんだろうな……。


「ディラン兄様、ありがとうございました」

「今度は一緒に遊ぼうね」

「もちろんです!」


 王子はウィルの頭を撫でると、ウィルは気持ち良さそうに目を細める。

 それ、私の仕事だから。


 むーっと顔をしかめると、王子がこちらを見て笑った。


「ベルもしてほしいの?」

「そっちじゃないです!」

「でも一応、俺はベルにとっても年上だけど?」


 確かにそうだ。王子は私の一歳年上である。兄弟でいえば年子か。


「ほら、おいで」


 王子がひょいっと手招きする。ウズウズしてたのがバレていたようだ。

 私は前世も今世も上に兄弟がいない。お兄ちゃんがいたらこんな感じだろうな、お姉ちゃんがいたらこんな感じだろうなと妄想するくらいである。

 王子がお兄ちゃんか……。


 気恥ずかしさも感じながらおずおずと頭を下げると、優しく撫でられた。


「お兄ちゃん……」

「ん? お兄ちゃんもいいね」


 王子はそう言って嬉しそうに微笑む。

 こんなに優しい兄は絶対いない。


「それじゃあ、ベル、ウィル、またね」

「はい。待っています!」

「お気をつけて」


 しっかり頭を下げて、王子が出ていったのを確認してから、私も玄関の外に出る。


「え、おい!」

「すぐ戻るわ! 王子に言い忘れたことがあったの!」


 ウィルの制止の声すらも王子の時とは全く違って少し悲しくなりながら、王子を見つけて声をかける。


「あの! 王子!」

「え? あれ、ベル?」


 私の声を聞いて驚いたように王子が振り向く。馬車に乗る直前だった。ギリギリセーフ。


「王子、ありがとうございました」


 少し乱れたドレスを正して深く、深く頭を下げる。ウィルの前ではちょっと話せないことだからここまで追いかけた。


「ウィルのことです。あそこまでしていただけるなんて……。本当は姉である私がしなければならないことでした」


 本当にありがとうございます、ともう一度頭を下げる。王子の慌てるような戸惑うような気配がした。


「ベル、顔を上げて。俺はなにもしてないよ」

「そんなことないです。ウィルがあんなに嬉しそうに笑ったのも、王子のおかげです」


 真剣にそう言うと、王子は少し笑った。


「俺は部屋を出るように仕向けただけだよ。彼が次期当主になれるかどうかはベル次第だ」

「私ですか?」

「俺はウィルと向き合うことはできないから」


 ふと王子の表情が曇った。


「同情は誘えても、ベルみたいにまっすぐぶつかることはできない。彼に本当の愛情をあげられるのは君だけだよ」

「そんなこと」


 私の言葉を無視して王子は緩く首を横に振る。


「向き合うって意外と怖いんだ。特にウィルは」


 自分を見ている気がして、と王子は自嘲した。


「その人を理解するって簡単なようですごく骨が折れる。ベルはすごいよ」


 言ってもらえるほど大したことをしていない。向き合うなんて大層なことをしている自覚はないし、実際に相手を理解しているかどうかも分からない。ただ、自分に何ができるか考えたときに相手の側に寄り添うことしか浮かばなかった。

 私はそれしか出来なかったから。今も(前世)も。


「そんな、言われるほど私はすごくないです」

「ベルって俺より年下だよね? 時々年上なんじゃないかと勘違いしそうになるよ」


 ギクッと内心焦るけど顔はなんとか笑顔を保った。引き釣ってないか心配だ。王子が鋭すぎる。


「いや、でも、感謝しています」

「うーん、じゃあ、ご褒美貰おうかな」

「ご褒美?」


 きょとんと首を傾げると、王子が爽やかに笑う。嬉しいことがあるときの微笑みだ。


「撫でて」

「え?」

「頭、撫でて」


 はい、と頭を下げる王子にわけがわからず狼狽える。金色の柔らかそうな髪がさらさらと風に揺られた。

 王子の頭を撫でる……?


「ほら、早く。最近、覚えることが多くて疲れてるんだ。誉めてほしいな」

「え、ですが、王子の頭を撫でるなんて……」


 王子は割りきれない私に痺れを切らしたのか、さ迷わせていた私の手を掴んで自分の頭に持っていく。

 ふわっと柔らかい感触と、滑るうななめらかさ。艶やかで、天使の輪が綺麗に(かたど)られる。


 こ、これは……!


 ふわふわの髪の毛を夢中で撫でていると、王子が笑ったのが分かった。だめだ、この感触癖になる。


「王子の髪はさらさらでふわふわですね」

「さらさらでふわふわってどっちなの」


 癖っ毛じゃないのに、こんなにほわってなるのは何でだろう……。私は癖っ毛でくるくるだから羨ましい。


「ベルはふわふわだよね」

「え、そうですか?」

「うん。緩くウェーブがかかってて可愛いよ」


 髪はかなり気にかけているので手入れを欠かしたことはない。そこを褒められると素直にうれしい。


「あ、ありがとうございます」


 てれてれと礼を述べると、王子は優しく微笑んだ。やっぱり王子は優しいお兄ちゃんだよ。

 しばらく王子の髪の毛を堪能していると、さすがに従者が焦ったように声をかけた。


「あの、ディラン王子……」

「ああ、そうだね。ごめん」

「すみません! 引き留めてしまって」


 王子と、従者にも頭を下げる。従者は頭を下げた私に焦ったようにお辞儀して、そそくさと後ろに下がった。


「じゃあね、ベル」

「はい。お気をつけてお帰り下さい」


 王子の馬車が見えなくなるまでしっかり深く頭を下げた。




 家の玄関を開けると、ウィルが立っていた。


「え、ウィル? 待っていたの?」

「別に」


 明らかに見送ったときと同じ立ち位置で、腕を組んでいた。可愛いところもあるじゃないか。


「あんたは、ディラン兄様の婚約者なの?」


 話しかけられたことが嬉しくて思わず頬を緩ませるが、私と王子との格差に内心涙を流す。


「そうよ。今のところね」

「ふぅん……」


 ウィルはそれっきり黙ってうつ向いた。

 ウィルの意図が分からず首を傾げるが、あまりしつこいのも嫌かと開きかけていた口を閉じた。王子曰く、小うるさい姉らしいから。


「絶対ディラン兄様と結婚してね」

「え?」


 なんで? と続けようとした言葉はウィルの声によって遮られた。


「そしたら、ディラン兄様はおれの本当の兄になるじゃないか」

「……あ、うん」


 懐きすぎじゃないか。

 王子が羨ましくて仕方がないぞ。

 表情は笑ってるけど目は死んでると思う。せっかくの弟を王子にとられた気分である。


「それに……」


 ウィルがまだ何かを話そうとするので顔を上げると、顔を赤くしてモジモジしていた。


 可愛い……。ずっとモジモジしてなよ。

 そんなこと言ったらぶっ殺されそうなので黙っておく。


「それに、ディラン兄様は、姉様を幸せにしてくれると思う」

「……ん?」

「ディラン兄様は優しいから、きっと姉様を大切にしてくれると思う」


 恥ずかしさからか、目を潤ませながら吐き捨てるようにそう言った。

 私は感動で目を潤ませる。


「え? お姉様のことを考えてくれてるの?」

「うっせーな! そんなんじゃねぇ! ただディラン兄様と本当の兄弟に……!」

「うんうん、ほらもう一度言ってごらん?」


 姉様、姉様だって!

 もうこの際呼び方は気にしない。取り敢えず姉として認めてくれたことが何より嬉しい。


「うぜぇ!」


 ウィルは顔を真っ赤にしながら、私を罵倒して階段を駆け上り、自分の部屋の扉をバタンッと閉めた。


「ツンデレかあああ」


 私は、玄関先でしばらく一人悶えていた。

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