『熱帯夜』
私は今、うっすい丈の短いガウンを着て、ベッドの端に座っている。
夕陽が赤々と差し込む窓辺を見て、もうすぐ夫が帰ってくる時間だ、と心臓が早鐘を打った。
あの後、店主から紹介された大人しい下着を、アリアは全て却下した。
彼女が指定した下着は、隠すつもりありますか? と聞いてしまいたいほど布面積の小さなもので。
え? 本当に着るの? と何度も聞きたくなった。
アリアは淡々と、黒と白の下着を指さして「試着してきて」と無慈悲に宣った。着方のわからない私を手伝ってくれる店主の顔を見れない。
下着姿の私を見て、彼女がぽっと頬を赤らめたので似合っていると信じたい。
家に帰ってから勢いがあるうちに、身体を清めて下着を着た。ルティは買ってきたものを見て、「お嬢様にもこんな趣味が」と少し嬉しそうにしていた。数年前の貴女なら顔を真っ赤にして照れていただろうに……。
彼女もそれなりに経験してきたということだろうか。
胸をやたらと寄せられ、下着の中にこんもりと山ができる。溢れんばかりの乳を見て、見栄を張って小さめサイズを買うんじゃなかった、と遠い目になった。私のわがままボディは留まるところを知らず、まだまだ成長中である。胸も尻もこれ以上はいらないが、母から遺伝した体型だ。諦める他ない。
しかもTバックだから、お尻が丸出し。こんな下着、今まで一度も履いたことがないから絶対ビックリされるよね。裸の方がマシな気がしてきた。下着の紐にやたらと肉が食い込んで煽情的に見えるし。
多分、そうなるよう設計されたデザインだと思うけど……アウトだわ。ただの痴女にしか見えない。
胸も下半身も足も、何もかも心許ない。こんな網々のタイツ履いたことがないし、このガーターベルトは必要なのだろうか。金属が太ももに当たって冷たいのがやけに気になる。
やめておけば良かった……と後悔しても遅い。
我ながらなんと間抜けで浅はかな仲直り方法だろうか。
ディラン様にドン引かれたらどうしよう。しばらく立ち直れない。仲直りどころか、ショックで寝込みそうだ。
頭の中でぐるぐる考えていると、玄関が開く音がした。「ただいま」と呟くような小さな声がホールに響く。
ディラン様は私と一緒に住み始めてから、"行ってきます"と"ただいま"を覚えた。家を出る時帰る時は必ず言うように私が教えたから。
ディラン様は誰も出迎えに来ないことを不審に思ったのだろう。困惑したような雰囲気がここまで伝わってくるようだった。
「ベル、ペネロペがいないんだ、け……ど、え?」
突然目の前に現れた夫に、心臓がドッドッと激しいビートを刻み始めた。やばい。羞恥で死ねる。
不思議なことに、ディラン様は私がどこにいるのか自然と分かる。今も屋敷の寝室にいるのが分かったから、ここまで瞬間移動してきたのだ。
驚いて固まる彼の方を見れない。だって私の顔、絶対真っ赤になってる。
しかし、このまま沈黙を貫くわけにはいかない。本来の目的は仲直りすることなんだから。
「お、おかえりなさいませ……。ペネロペは、私の実家で父母に見てもらっています。今日はあちらに泊まらせる予定です」
「えっ……え??」
酷く混乱している様子だが、彼の海のような青い瞳は熱心に私の身体を見ていた。熱い視線が焦げつくようだ。
恥ずかしくなって、自分の身体をぎゅっと抱きしめた。
「先日喧嘩してから、ディラン様は何度も謝ってくださったのに、そっけない態度をとってしまい申し訳ありません」
「いや、それは俺が悪いから……。ところでその格好は__」
「そ、その、お詫びの印に!」
お詫びの印ってなんだ。こんな身体張る必要あったの?
頭の中で自分の声が反響するけど、今更後悔したって遅いんだってば!
ええい、ままよ! とガウンを取り払う。遠くにいるとまじまじ見られてしまうので、慌ててディラン様に抱きついた。照れてる顔を見られたくないからでもある。
「……??? お詫びの、印?」
「え、えぇ……。あの、気に入らなければ……ひぅっ!?」
そっと剥き出しのくびれに指が這う。身体の線を確かめるように、背中から腰、お尻、太ももを彼の手が撫で回した。
はぁ、と色気のあるため息が頭上から聞こえる。仕事終わりのディラン様から薫る香水と汗の混じった匂いに眩暈がした。
「ベルを俺の好きにしていいってことだよね?」
そっと見上げた彼は、いつもの優しい王子様のような顔をしていない。瞳をギラギラと滾らせた、男の顔をしていた。
彼のこの表情を見ると、背筋がゾクゾクとする。
「お風呂入ってないけど、ごめんね」
かろうじてそれだけ断りを入れ、ディラン様は私に噛み付くようなキスをした。息もできないほど激しく、口内と頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
「ん、ふっ、あぅ」
頭をがっちり掴まれながら、ベッドの方まで後退しそのまま押し倒された。
私の太ももに添えられた手は優しいのに、逃げられないように拘束する力強さもある。
舌を喰まれ、ちゅうっと吸いついてからようやく唇が離れた。前髪を気だるげにかきあげた彼は、獰猛な獣のように目を細め唇を濡らす。
「……いやらしい格好だね」
私を見下ろしその姿を見て、彼は意地悪い笑みを浮かべた。目に焼き付けるようにじっと見て、時折吸い付くようにキスをする。
どうやら彼はタイツに隠れていない太ももがお気に召したようで、しきりに触れてはその柔らかさを堪能しているようだった。……そういえば、ディラン様って足フェチだったような。
「ベルは可愛いね。こんなふうに仲直りしようとしてくれたんだ。冷たくされたのは確かに悲しかったけど、もうそんなのどうでも良くなっちゃった」
うっとりと恍惚とした表情で、私の胸に顔を埋めた。ピリッとした刺激に声をあげると、彼の瞳孔が開く。
「可愛い……壊しちゃいたい」
私の腰を抱く彼の腕に力が込められる。
下着の横紐を弄ぶように軽く弾かれ、びくりと身体が跳ねた。ディラン様は私の首筋をぢゅっと強めに吸い、赤い花を散らした。
舌が蠢く感覚に、自然と腰が浮く。恥骨をなぞるように撫でられ、一際甘い声が喉から漏れた。
「あぁ、ベル。綺麗だ。大好き。愛してるよ」
私も、と返した言葉は彼のキスによって口の中に飲み込まれてしまった。
◇◆◇
し、死ぬかと思った。
昨日の夕方から夜明けまでノンストップ。ペネロペがいないせいか、やけに解放的な夜だった。
刺激どころか、三途の川を渡りかけた。危なすぎる。
「で、ディラン様……」
声はガサガサ。そりゃ、あれだけ叫べばそうなる。
ディラン様は心配そうに水を飲ませてくれた。
甲斐甲斐しいのはありがたいけど、水くらい自分で飲めるから、その、口移しは……。
親鳥が雛の面倒を見るように、お風呂からベッドシーツの交換まで何から何までディラン様がしてくれた。……魔法で一瞬だったけど。
あの紙のような下着は、無惨な姿で床に打ち捨てられていた。ディラン様が魔法で綺麗にしていたけど、もしかしてまた使う気だろうか。こんな激しい夜が待っているならごめん被りたい。
裸の私をシーツで巻き付けて、抱き枕のようにぎゅっと抱えられる。生身で抱き合うと際限がないので、事後はいつもこんな感じだ。
「下着はアリア嬢と買いに行ったの?」
「そうです。よく分かりましたね」
「あんな下着、絶対ベルは選ばないでしょ」
ディラン様は楽しそうに笑って、今度アスワドに土産を持たせよう、と上機嫌だった。
「こんな素敵なプレゼントが待ってるなら、冷たくされるのもいい気がしてきた」
「揶揄わないでください」
頬を膨らませると、突き出した唇に優しくキスが落とされる。
「可愛いなぁ。ベルはどんどん可愛くなっていくね。こんなに可愛いくて大丈夫かなぁ。心配になっちゃう」
「……もう、ディラン様ったら」
照れる私を愛おしげに見つめ、ディラン様は私の身体に巻いていたシーツを剥ぎ取った。裸体が晒され、慌てて背中を向ける。
しかし、すぐに彼の腕の中に閉じ込められた。
「な、なっ!? まさか……! え、もう無理です。無理無理。本当に死んじゃいますから。か、勘弁してくださ__!!」
一晩どころか、丸一日抱き潰された私は、合計3回、三途の川を渡りかけることになる。
この日から2ヶ月後、妊娠が発覚するのだが、それはまた別のお話。




