『仲直りのためには』
ディラン様のペネロペ威嚇事件(自分でもネーミングセンスがないのは分かっている)から一ヶ月経過した今日。
私はアリアたち夫婦が住まう屋敷で、美味しい紅茶を啜っていた。
ディラン様は私が屋敷の外へ出るのを大層嫌っているが、アリアと会うことだけは許してくれる。
お互いの屋敷で交互に開くお茶会という名の愚痴大会。今回はアリアの家へ行く日だったので、思う存分夫への愚痴を撒き散らしていた。
どれだけ彼を愛していても、同じ屋根の下他人が暮らせば募る不満もあるわけで。ペネロペがアリアの息子ーーアリスと遊んでいるのをいいことに、この前の喧嘩の流れをアリアに話す。
普段全く喧嘩しない私たちの夫婦喧嘩についてアリアは楽しげに聞いてくれた。
「ーーでさ、もうありえないと思わない? いくら嫉妬深い性格だからって、やって良いことと悪いことがあるわ。喧嘩売ってるのかしら?」
「喧嘩売ってるっていうか、もう喧嘩したんでしょ」
怒り出すと止まらない私の性格を知っているのか、アリアはにやにやとしながら私に尋ねる。
「ベルの怒りはどのくらい続いたわけ?」
「一週間」
「結婚5年目にして最長ね」
「離婚しようかと思った」
「馬鹿、冗談でもそんなこと言うんじゃないわ」
不貞腐れ唇を尖らせて言った言葉に、アリアが慌てたように反応した。もちろん離婚なんてする気は全くないけど、口に出すと少しばかり溜飲が下がるのだ。
「ペネロペちゃんだけ実家送りにして、貴女は王子と一緒に屋敷の中でにゃんにゃん……」
「はぁ? 怒ってるのに抱かれる気分になんかならないわ」
「それはそうか。ごめんごめん、睨まないでよ〜」
「ロマンス小説の読み過ぎよ、アリア。そんなのが許されるのは空想の世界でだけ」
ディラン様といえど、そんなことをされたらさすがに手が出る。あと一週間は怒りが長引くだろうし、彼も彼なりに私の性格を把握しているのでそんな迂闊な行動はしない。
私の怒りが飛躍するギリギリを攻める節はあるけど。
「まぁでも、やりすぎよね。私もアリスがそんなことされたらブチギレ案件よ。一週間どころか、アズを家にも入れないわ。顔も見たくないし」
「そうよねぇ」
「結局仲直りはできたんでしょう?」
「えぇ。今はね。あの後謝られたんだけど、強引に実家に帰って、しばらくディラン様の元には帰らなかったけどね」
「え? え???」
アリアが目を白黒させている。
うん、私、実は結構本気で怒っていたのである。
ディラン様に屋敷に引き摺り込まれたけど、それで諦めるような性格はしていない。
むしろ怒りが燃え上がったのだから、ディラン様のあの行動は悪手だった。
「それ大丈夫なの?」
「全然大丈夫じゃなかったわ。しばらく実家にへばりついていたけど、陛下がわざわざ我が家へいらして」
「陛下!?」
アリアは驚きに目を剥く。
もちろん、陛下とはディラン様の兄でありヴェルメリオ王国の現国王ーーギルヴァルト・ヴェルメリオ国王陛下である。
「そう、陛下が『少しだけでも会ってやってくれ。そろそろ首都が消えるかもしれない』って」
死んだ目で私に言ってきた国王を無碍にはできなかった。手紙でも良いのに、わざわざ出向いてくれたあたり本当に制御できなくなっていたのだろう。
ちなみにウィルにもシュヴァルツにも、なんなら娘のペネロペにも早く仲直りしろとめちゃくちゃ懇願されていた。
「アズはそんなこと一言も言ってなかったような……」
「彼もなんだかんだ、アリアのことしか興味ないからね」
「でもそれはリアルタイムで聞きたかった」
「ただの夫婦喧嘩よ」
うふふ、と笑うとアリアはげっそりとした顔をした。まるであの時の陛下の顔を見ているようだ。
「それで会って仲直り?」
「それなら平和でいいんだけどね。実は陛下って魔法道具を作れるんだけど、その中に誓約っていう契約書みたいな魔法道具があるの」
「嫌な予感」
「それを一枚譲っていただいて、『ペネロペには二度と危害を加えません』っていう契約を結んだわ。それで安心したから、ようやく気持ちも晴れて、仲直りできたの」
「こわ! ベル怖いよ! 徹底的すぎる」
「ディラン様に関してはよく理解してるから。あの人は理性より感情が先に来るタイプだもの」
アリアはすっかり冷めてしまった紅茶を飲み、ため息をついた。疲れたように眉間を揉んでいる。
「とにかく首都が壊滅しなくて良かった。今は仲良く?」
「うーん、それがね。そのことで少し相談があって」
アリアは嫌そうな顔をして私を見た。
夫婦の喧嘩に巻き込んだりしないからそんな顔しないで欲しい。
「実は、喧嘩以来一回も……営んでないの」
「はぁ!? うそ、まじで? 王子って性欲モンスターなのに?」
「そうそう。なんかそんな気分じゃなくて。多分まだ怒りを引きずってたからだと思うんだけど……。二週間目あたりから少し申し訳なく感じてきてさ。怒りすぎたかなって。だからと言って、今までのすげない態度を変えることもできなくて」
「王子から誘ってきたりしなかったの?」
「屋敷に帰ってからの一週間は頑張ってくれてたんだけど、寝たふりしたり手を払い退けたり……あれ、なんかディラン様が可哀想に思えてきた」
「まぁ、喧嘩の内容的には彼が100%悪いようだからあまり気に病む必要もないだろうけど……」
とはいえ、私の夫はあのディラン様。実は結構繊細ボーイ。
断られると心に響くし、しっかり落ち込む人だ。
「最近ではディラン様も遠慮したのか何もしてこなくなったわ」
「可哀想……」
アリアが悲しそうに眉尻を下げた。さすがにやりすぎだったっぽい。
同じ寝室で、私を抱きしめて眠るここ数日のディラン様を思い出し、少々胸が痛んだ。
『ベル……こっち向いてよ……。ごめんね。俺が悪いんだ。お願いだから嫌いにならないで……』
今にも泣き出しそうな声で私を呼びながら、ひたすら許しを乞う彼。そこで明るく許してあげれば良かったのよね……。
私が無駄に意地を張ってしまったせいで、彼に悲しい思いをさせてしまったと反省する。
「喧嘩の理由がどうであれ、もう解決したなら潔く仲直りすれば良いだけなのに、長引かせちゃって……。ちょっとしつこかったかなって反省してるの」
「ベルにも気持ちの整理が必要だし、仕方ないんじゃない?」
「それはそう。まぁとりあえず、完全仲直りのために一つ秘策を練ってきたの」
「秘策?」
「『私がプレゼントよ! 作戦』」
「まぁじで思ってたけど壊滅的にネーミングセンスないよね」
アリアの呆れたような目を無視して、話を続ける。
「せっかくだから、お詫びの印に素敵な下着でも着て待っていようかと思って」
「なるほど。だから"私がプレゼントよ!" なのね。良いと思うけど、それって腹上死覚悟よね?」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ。でも、下着って大事だと思わない? この世界の下着ってなんだかおむつみたいだし単色ばっかりだし」
「ドロワーズも楽ですごく良いんだけどね。前世のランジェリーを知ってるだけに見た目が気になるわよね」
この世界の下着は、すべてドロワーズで白一色のものが多い。時々染色したものを見かけるけど、どれもこれも青とか赤一色で、白が一番マシに見えるほど。
前世でよく見るスケスケの下着や際どいものは娼婦が着用するもので、奥ゆかしい貴族の淑女はかぼちゃ型のドロワーズで完全防御する。
ちなみに男性は薄いボクサー型のパンツで、そこは普通なんだ、と安心した。スラックスからかぼちゃパンツが出てきたらそれはそれで感激すると思うのだが。
「だからさ、一緒に行かない? 下着屋さん」
「私はいいけど、予約とか」
「実は予約はしてあるの」
「拒否権がないじゃない」
アリアはぶつぶつ文句を言いつつも、それなりに乗り気のようで、すぐに馬車を手配してくれた。
「娼館付近の店だから、途中まで馬車で行ってそこからは徒歩で行きましょう」
「分かったわ」
馬車の準備ができてすぐに出発した。
治安が悪い地区もあるので護衛を付けつつ、できるだけ身分がバレないよう派手な服装は控える。
ローブを羽織って馬車を降り、予約してくれた侍女を先頭に薄暗い路地裏を進んだ。
現れたのは王冠のマークを掘った木の看板が吊るされている、アンティークな店。路地裏にあっても外装は綺麗なその店にほっと息を吐いた。
扉を開けると、巨乳の美女が現れる。ルージュの唇は魅惑的にぷっくりと膨らんでいた。
「いらっしゃいませ。本日ご予約されていたベルティーア様とアリア様でしょうか」
「はい」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
トルソーに飾られた様々な下着を見つつ、店の奥へ案内される。待って、思ったよりデザイン際どくない?
店の雰囲気に気圧される私に対して、アリアは案外ノリノリで店主であろう女性に着いて行った。
店の奥は応接間になっているようで、革張りのソファーが二つ、向かい合うように鎮座している。
「わたくしはセクシーランジェリーショップ『ラナンキュラス』の店主であるラナと申します。本日はどのようなランジェリーをご要望でしょうか?」
「とりあえず人気の商品を見てもいいかしら?」
「承知いたしました。商品を取って参りますので、しばらくお待ちください」
ラナは美しい黒猫のような笑みを浮かべ、部屋を立ち去った。
私は小声でアリアに話しかける。
「思ったより、攻めてるデザインだったわね……」
「あら、最高じゃない。しばらくはマンネリ化せずにすみそうね」
「貴女とアズにマンネリ化なんてないでしょ」
「刺激が欲しい時だってあるのよ」
アリアは目を細め、にやりと笑った。
「それに、ここのランジェリーは特にベルに似合いそうね。デザインが大人っぽいから、さらに色気を引き出してくれるわよ」
「え、私は別に色気とかないけど……」
「無自覚か。王子が閉じ込めておきたくなるのも当然ね。……いや、外に出ないから他人からの評価がわからないのかしら」
アリアはふむ、と考えるような仕草をしてから、「いいわ、貴女を最高にセクシーな女にしてあげる」と私の肩を労わるように叩いた。
「アリアが選んでくれるの?」
「もちろん。任せてよ」
「心強いわ」
ーーこの時、どうしてこんな約束を取り付けてしまったのか。数時間後、酷く後悔することも知らず、私は意気揚々と頷いたのだった。




