『ペネロペの話』
私の父は、恐ろしい人だ。
「ペネロペは今日も可愛いね」
父と母の血を色濃く受け継ぐ私を、父は溺愛している。それはもう、甘すぎだろうと私自身が思うほどだ。
私の名前は、ペネロープ・ヴェルメリオ。王弟の父を持つ王族の端くれである。
王族である父が魔力持ちであるように、私も魔法が使える。私の魔力は瞳に宿っており、時折魔方陣のような紋様が瞳に浮かぶことがあった。
母が初めてそれを見た時は大層驚き、慌てて父を呼んだ。
父は分かっていたかのように薄く微笑んでいただけだったが、私はその時から父がとんでもない人であると気付いてしまった。
魔力を通して世界を見れば、父は圧倒的な強者だった。
普通の人間であれば体内をゆるく巡っている魔力が、父は身体を覆うほどに溢れかえっている。しかもそれが屋敷を満たし、母を守っていた。
所々に飾られてある屋敷の装飾品は、全て父が作り出した魔法道具だ。
その魔法道具たちは、私には作用しない。
全て、母を対象に作られている。
幼いながらに、父が強者であること。そして母を異常なほど愛していることを理解した。
それは魔力を保持するがゆえに気付けたことだった。
母は魔力持ちではない。だから、父の異常さを知らない。
この国の魔力持ちは、父と父の兄弟である国王陛下と王女様だけだ。陛下は一体どんな心持ちで父を見ていたのだろう。恐ろしくて仕方がなかったのではないだろうか。
強者に対する畏怖が幼い私の身体を襲った。魔力持ちにしか感じられない一種の恐怖だったように思う。
父から溢れ出る魔力を見た瞬間、私は思わず母の手を握った。私が恐怖に背筋を凍らせると、父の魔力がぐらりと揺らぐ。
そして父の表情が、分かりやすいほど歪んだのだ。いつも笑顔で溶けるほど私を甘やかす父の笑顔以外の顔を見た。
傷付けた、と思った。私が父を怖がったことが、バレた。
父は何かに怯えるように唇を震わせた。瞳が揺らぎ、私以上に何かに怯えている。
次の瞬間、父の魔力がおかしくなった。何が正常かどうかなんで、魔力を見たばかりの私には分からなかったが、おかしいことだけはなんとなく分かった。
父の魔力が黒くなる。黒く黒く澱んでいく。
カタカタと家具が揺れ、屋敷だけが地震が起きたように震えていた。
私は混乱して、恐怖に身体を強ばらせるばかりだった。父の魔力が溢れ出して止まらなくなる。黒く澱んだそれが、私の方に、来て。
「ディラン様!!」
気がつけば、私は母に抱き締められていた。父が夢から覚めたように瞬かせる。
黒い魔力も霧散して何事もなかったように落ち着いた。
ほっとしたのもつかの間、今度は母から溢れ出る怒気に私はギクリとした。怒った母はとんでもなく恐ろしいのだ。
「ディラン様、今何をしようとしましたか」
「……べ、ベル……。ごめん、その驚いて……」
「驚いて? 驚いて、ペネロペを傷付けようとしたんですか」
父は何度か口を開けたり閉じたりして、結局萎えた花のように項垂れた。
「ペネロペ、怖かったでしょう。気分転換に、おじいさまとおばあさまに会いにいきましょうね」
母は優しく私の頭を撫で、私を抱き上げ玄関の方へ進んでいく。父に背を向けた母の肩越しに、絶望に染まった父の表情が見えた。
「ま、まって、ベル!」
「待ちません。一度実家へ行ってペネロペを預けてきます。それから、二人で話しましょう」
「ごめん、本当にごめん、もうしないから」
「謝るのは私ではなく、ペネロペに対してでしょう」
「ごめん、ペネロペ。怖がらせて」
父の言葉に私はコクコクと頷いた。ここで父と母に仲違いして欲しくない。
母の剣幕に私の方が泣きそうだった。
「お、お母様。私は大丈夫、お父様と仲直りして……」
「いいえ。お父様は良くないことをした。私が怒ることをしたのよ」
母が扉に手をかける。
扉は鍵がかかったように開かなかった。
「……ディラン様、開けて下さい」
「……やだ……」
「開けて」
「……でも」
「必ずここに帰ってきます。約束しましょう。だから開けて下さい」
「無理だ……だって、帰ってこなかったら、俺は一生後悔する……」
ぶわりと、母から怒りが溢れた。父がビクリと身体を震わせる。
「開けなさい」
「………」
扉が、音を立てて開いた。扉の前に立っていたのは、この屋敷の使用人のシュヴァルツで。
無表情のまま私を抱き上げた。
突然現れたシュヴァルツに驚く私と母は、一瞬だけ固まった。その一瞬が、命取りだったらしい。
私だけ、外に出された。
溢れる魔力に背中を押された気がしたのだ。すぐに後ろを振り返り、母を探す。
母はまだ驚いた表情のまま、私を見ていた。
全てがゆっくり見えるのは、この魔力の籠った瞳のせいだろうか。
「逃がさないよ、ベル」
父の聞いたこともないような低い声と同時に、母を後ろから抱き締めるように腕が伸び、勢いよく扉が締まった。
あれだけ不穏だった屋敷は、外から見ると不気味なほど静まり返っている。
「タイバス家へ向かいましょうか。ペネロープ様」
──お母様、お父様に捕まっちゃったのね。
屋敷全体が父の魔力で雁字搦めにされている。母がひどいことされていないといいけれど。
シュヴァルツに連れられて、馬車に乗り母の実家へ向かう。
「ペネロープ様、恐ろしくはなかったですか」
馬車の中で、シュヴァルツが聞いた。彼が私に話しかけるのはとても珍しいことだった。
「恐ろしいって、お父様が?」
「えぇ。怯えていたでしょう」
怯え。
確かに、私はあの時恐怖を感じた。優しい優しい父が、まるで化け物のように思ったのだ。
「実際、お父様は恐ろしい方よ。お母様をああやって閉じ込めてしまうんですもの」
「それは……」
「でも、それなら私も同じね」
父が化け物だというのなら、私も化け物に違いない。
「だって、お母様が屋敷から逃げようとしたら、私も同じことをするもの」
にっこりと微笑んで、シュヴァルツを見る。
「それが、"愛"でしょう?」
シュヴァルツはうっすらと口元を歪めて笑った。彼だって、十分不気味な人だと思うけれど。
「貴女は、ディラン様によく似ていますね」
「娘だもの。お父様は嫌がるでしょうけど」
クスクスと笑い、あの時の父を思い出す。
私が父に怯えた途端、彼は私を襲おうとした。理由はよく分かっている。
父と私はよく似ているからこそ、分かってしまうのだ。
娘が自分に怯えたら、愛する妻は娘を思って自分から遠ざけてしまうだろう。娘と共に実家に帰って、距離を取ろうとする。
別に私が実家へ居ろうが屋敷へ居ろうが父はどうでもいいだろうが、母は違う。屋敷には必ず母がいないと駄目だ。
側に母がいないと、父はおかしくなってしまう。
私がタイバス家へ行く以上、母も着いていくことになるから、父はそれを危惧したわけだ。
ちなみに私は母が父の付き添い無しに外出したところを見たことがないので、この予想はおそらく合っている。
あの時私を見つめた父の瞳が、私が邪魔だと雄弁に語っていた。
「お父様が私を気にくわなくても当然よね。むしろここまで愛してくれていることが奇跡のようだわ」
まぁ、母ゆずりのこの容姿のおかげだろうけど。
シュヴァルツは沈黙してから、いつもと変らぬ無表情で私を見た。
「ペネロープ様、貴女は『先祖返り』ですか?」
ほぼ確信に近い聞き方だった。
私はなにも言わず、ただ柔らかく微笑んでみせた。




