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コミカライズ感謝if◇「もしもディランがベルの執事だったら」

このお話は、「悪役令嬢は王子の本性を知らない」ifになります。あったかもしれない世界線のため、好き勝手しております。


ヤンデレ増し、救いなしなので、ifが苦手な方や作品のラブラブを壊したくない方は閲覧をお控え下さい。

"本物のヤンデレ"をご所望の方は気に入っていただけると思いますので、ぜひご覧ください。

 ある日突然、前世の記憶が甦った。"君と奏でる交声曲"という、乙女ゲームの記憶である。日本の女子大学生として生きていた頃の記憶が映画を見るように思い出された。


「お嬢様!」


 体がビクリと震えて目が覚める。汗だくで身体中が気持ち悪い。荒くなった息を整えるように激しく胸を上下させ、瞬きを繰り返す。目の前には美しい美貌に心配の色を乗せながらこちらを覗き込んでいる人物がいた。


「……王子……?」

「は?」


 金色の眩いほどの髪に、青い瞳。彼は乙女ゲームの登場人物である、ディラン・ヴェルメリオに違いなかった。物語での彼は、この国の第二王子である。

 しかし、目の前の彼は訝しげに眉を潜めただけだった。


「なにそれ、嫌味ですか? もう元気みたいなので、俺は失礼しますね」


 ディランはふんっと鼻を鳴らすと水差しとコップを置いて部屋を出ていった。突然頭に流れ込んできた記憶と、彼の存在に混乱していた脳みそがだんだんと冷静になってくる。前世を思い出す前の、まだ何も知らなかった頃の記憶ではディランは王子ではなかった。

 彼は、王家に捨てられた私生児である。


 捨てられた、という言い方は適切ではないかもしれない。なぜなら、ディランは私の父が王様を説得しなければ処刑されていた身であるからだ。魔力持ちではない私生児は、王家の汚点。故に秘密裏に殺されそうになっていた。


 それを私の父は不憫に思ったようで、タイバス家が彼を監視するという名目でディランを引き取り使用人とした。王族特有の美しい金髪であるものの、彼を王族として扱ってはいけない。多くの葛藤があり、結局歳の近い私の執事としたのだった。

 前世を思い出すまでは父の言ったことなど全く理解できなかったけれど、今ならなんとなく分かる。ディランは生意気で私の言うワガママをいつも馬鹿にしながらも、なんだかんだ叶えてくれる優秀な執事であった。


「ゲームと全然違うんだけど……」


 私、ベルティーア・タイバスはディランの婚約者である悪役令嬢だった。ゲーム内では。

 この調子だと我が推しであるアスワド・クリルヴェル様も全く異なる人生を歩んでいるということだろうか。一目でもいいから見たかったとガッカリしたが、それよりうっかりとは言えディランに"王子"などと言ったのは失言だった。まずは謝らなければ。


 のそのそとベッドから降りて、部屋から出る。しかし、扉を開けた瞬間に探そうと思っていたディランがすぐ目の前にいて驚いた。


「あ、えーっと。ディランさっきはごめんなさい」

「さっき?」

「その、王子なんてうっかり言っちゃったから……」


 私がそう言えば、ディランは驚いたように目を見開いた。


「お嬢様にそんな気遣いができるなんて珍しいこともあるものですね」

「ちょっと、失礼でしょ」

「そうですか? いつもいつも突飛な遊びに俺を巻き込んで、どれだけ苦労してると?」

「いいじゃない。どうせ暇してるくせに」


 いつも言っていた口調でそのまま言えば、ディランは押し黙った。どうやら図星らしい。

 突飛な遊びと彼は言うけど、今考えれば私の行動は前世の影響を受けまくってたと思う。鬼ごっこやかくれんぼ、果てにはトランプを作ったりして、ディランと一緒に遊んでいた。


「……そんなに嫌ならもうこれから誘わないわ」

「俺以外の誰と遊ぶって言うんです?」

「え、えーっと、お父様、とか?」


 首を傾げてそういえば、ディランは少しほっとしたように息を吐いた。しかしすぐに貼り付けたような笑みを浮かべる。


「旦那様はお忙しい方ですから無理ですよ」

「それもそうね」

「仕方ないので、俺が遊んで差し上げます」

「はぁ、本当に生意気」


 頬を膨らませれば、ディランは可笑しそうにクスクス笑った。


 ◆◆◆


「お見合い……?」

「そうよ。そろそろ婚約者がいないとって、お父様が」


 学園に入学する一年前、婚約の話が舞い込んできた。これでも由緒正しいタイバス家の令嬢。変なところには嫁がされるはずはない。

 髪をいじりながら本を読んでいるとガシャンッとポットが割れる音がした。


「え、ディラン? 大丈夫?」

「ぁ、はい。お嬢様、そのお見合いはいつなのでしょう?」

「明日よ」

「明日……? そんな急に?」

「早めに決めておきたいじゃない」


 貴族に生まれた以上、政略結婚は免れないのだから早く旦那の顔を見慣れたほうがいいだろう。見知った顔には好意を抱きやすいと言うし。


「……駄目だ……」

「なにが?」

「──いいえ。なんでもありません」


 割れたポットを片付けながら、ディランはそれはそれは美しい顔で笑った。


 結論を言えば、私の婚約者探しは全く成功しなかった。お見合い中に突然相手が苦しみ始めたり、どこかを怪我したり、不気味なことが続いた。怪奇現象以外の何物でもない。

 次第に婚約を申し込んでくる人もいなくなり、呪いの娘と呼ばれるようになった。


「どうして……どうしてこんなことに。私は何もしていないのに……っ!」


 社交界もまともに顔を出せず、どんどん心が沈んでいく。目の前で人が傷つく様を見るのは心が痛む。

 部屋でひっそりと泣く私を慰めたのはディランだった。


「大丈夫です、お嬢様。お嬢様は何も悪くないですよ。俺がずっと側にいますからね」


 私をそっと抱き締めてくれるディランとの距離感がおかしいことは分かっている。主と執事の距離ではない。

 でも少しだけ、甘えてしまいたいと思ったのが間違いだったのだろうか。



 ある日、我が家にクリルヴェル家が来た。王都への観光ついでに寄ったらしい。私たちが家族旅行したときにクリルヴェル家の領地にお邪魔したから、そのよしみである。

 クリルヴェル家といえば、私の推しであるアスワド・クリルヴェル様の実家だ。

 あわよくばと思ってそっと部屋から顔を出して窺い見た。ディランはお客様のお迎えに駆り出されているので今はいない。


 部屋から顔を出しただけで会えるわけがないか、とがっかりしていると不意に声が聞こえた。


「……ご令嬢?」


 不思議そうにこちらを見て声をかけてくれたのはアスワド様本人だった。顔がボッと赤くなって、そしてすぐに真っ青になる。


「あ、わ、私に近づかないでください! 怪我をしてしまいます!」


 思わず突き放すように腕を張ったが、彼はキョトンとしてちょっとよろけただけだった。


「怪我? どうして?」

「だ、だって私は呪いの娘だから……」

「呪いの娘? 貴女のような美しい方が?」


 彼は真面目にそう言っている。美しいだなんて、初めて言われたから照れてしまって強く拒絶もできなかった。


「何をしているんです?」


 その場に響いた声に、ビクリと肩を揺らす。

 にっこりとお手本のように微笑んだディランがこちらに近付いてくる。


「駄目ですよ、お嬢様。部屋から出ては」

「わ、分かってるの、でも」

「彼に怪我を負わせたいのですか?」


 ディランの言葉に黙り込む。なぜ私の周りがこんなに異常なのか分からない。もしかしたら、前世のある"私"という存在がバグを起こしているのかもしれない、と考えたことはあるが真相は闇の中だ。


「お客様も、お戻りになってください」

「いや、俺はこの方と話してて……。すごく綺麗な人だから、もう少し話してもいいか?」


 アスワド様の言葉にブワッと顔が赤くなった。ドンドンと太鼓を鳴らしたように胸が激しく高鳴る。


「お前みたいな蠅がいるから、ベルは俺のものにならないんだ」

「──え?」


 ボソリと呟いたディランの言葉は聞こえず、聞き返すと、不自然に外の風が強くなった。三人で目を見開いている間にも、風は強まっていく。近くにある大きなガラス窓にヒビが入り、本能的に逃げようと思った瞬間、その場で足を引っかけられたように転んだ。


「危ない!」


 ガシャンッと凄まじい音を立ててガラスが割れる。ディランは私を守るように覆い被さっていたけれど、足がズキズキと痛んだ。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」

「う、うぅ、痛い……っ」

「あぁ、足が……」


 足首からドクドクと血が流れていく。その様子を、ディランはぼんやりと見つめているようだった。


「頑張りましたね、お嬢様」

「……え?」


 騒ぎに駆けつけた使用人たちを押し退けて、アスワド様はディランに掴みかかった。


「お前、何をした!?」

「お嬢様を守りました」

「違う! あの言葉といい、突然吹き出した強風といい、お前……っ」

「あまり、興奮しないでくださいよ」


 ガラスで切った足首はボロボロだった。こんなのじゃ、婚約者どころかお嫁にさえ行けない。


 自室に運ばれ、医者に見てもらう。医者は表情を暗くして深刻そうに両親に言った。


「腱が切れていて、あまりにも傷が深いです。不幸なことに、鋭いガラスが食い込んだのでしょう……。おそらく、いままでのように歩くことは難しいかと……」


 目の前が真っ暗になるとはこのことだ。ショックで呆然とした私は、気がついたらベッドで横になっていた。外は暗く、かなりの時間が経っていたらしい。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「……これが大丈夫に見えるの? 足が痛くて、今にも泣きそうよ」


 足はピクリとも動かせない。少しでも傷を悪化させれば歩けなくなると言われた。


「……そうですね。可哀想に」


 窓から差し込む月明かりに照らされたディランはハッとするほど美しい。特徴的な、青い瞳をどろりと惚けさせ、彼は言った。


「大丈夫。俺は、どんなベルになっても側にいるよ」


 ゾワッと背筋に悪寒が走った。いつものディランじゃない。私を愛称で呼ぶなんておかしい。

 この人は、誰だ。

 恐ろしくて仕方がないのに、彼が私の手を優しく撫でることを拒絶することができなかった。


 ◆◆◆


 学園への入学も目前というこの時期に、王家の誕生日パーティーへ招待された。呪いの娘と言われる私は社交界へ招かれることすらなかったはずだったが、王家へ一度も挨拶をしたことのない私への慈悲だろうか。

 王家は私を忌避せず招待状を送ってくれた。この招待を無下にすることは許されない。


「お嬢様。パーティーへ行くのはお止めください」


 足を怪我して部屋から出ることさえ難しくなった私は、1日の大半を自室で過ごす。父も母も弟も暇さえあれば遊びに来て話し相手になってくれていたが、それでも一番顔を合わせるのは執事であるディランだった。

 甲斐甲斐しく私の世話をやき、その度に嬉しそうに笑みを浮かべた。主である私の不幸を喜ぶようなその表情がとても恐ろしく感じる。


 暗い海の底のような瞳で私を見るディランと目を合わせ、首を振った。堅い決意を胸に宿す。


「王家の招待は絶対よ。行くわ」

「ですが、お嬢様は足を怪我しておられます。王も事情を知れば、許してくださるのでは」

「いいじゃない。素敵なパーティーに参加したところでバチなど当たらないわ。気分転換にも良いでしょう。もしかしたら、私を見初めてくださる方がいるかもしれないわ」


 私を見初めてくれる人──そんな人、いないことを私が一番よく分かっている。

 傷の付いた足と、呪いの娘。不吉の象徴みたいな令嬢だ。どれだけ見目が良くても、娶ってくれる人がいるだろうか。タイバス家にこれ以上迷惑をかけないよう、早く嫁ぎたいのに。


 心から願う私の本音を誰よりも許さないのは、目の前の執事だ。ディランは途端に瞳から光を消し、素早く私の手首を掴んでベッドに押し付けた。

 主の許可なく触れるなど、許してはいけない無礼だ。でももう、私の主としての権限などどこにもない。

 彼は彼の意思で私に逆らっている。


「ベル、君を一番好きで、君のために命さえ捨てられるのは俺だけだ」

「そんなの、分からないじゃない」

「どんな男よりも君を愛せる自信がある」

「私は、タイバス家に富をもたらす男性のもとへ嫁ぐわ」


 ハッキリと、愛されることよりも身分が大切だと告げる。いつかは言わないといけないことだった。こんな喧嘩するような形で言うつもりはなかったけれど、でも、仕方がない。

 ディランの行動は目に余る。


 しかし、次の瞬間、鋭い音を立ててランプが割れた。唯一の光源であった光が消え、月明かりのみが部屋を照らす。

 突然のことに驚く暇もないまま、両手を片手で押さえられ、激しくキスをされた。ファーストキスだった。


 頭を固定され、逃げることができない。まさかディランがこんな暴挙に出るなんて。

 所詮、執事だと、私の使用人だと侮っていたのが悪かったのだろうか。


 唇を抉じ開けるように舌が咥内に滑り込み、めちゃくちゃに荒らされる。全力で抵抗するも、足が動かせないことやディランの力の強さもあり、大した妨害にもならない。

 止めて、と心が叫んだ。泣いてしまいそうだった。


 やっと口が離れた頃には息も絶え絶えで、荒く呼吸を繰り返す気力しか残っていない。

 いつもは青いはずの瞳を黒々と輝かせ、ディランは薄く微笑んだ。部屋の暗さと、輝く月のような金髪が対照的で不気味だった。


 怖くて怖くて仕方がないのに、彼は天から舞い降りた神のように人間離れした美しさを体現している。それは場違いにも見惚れてしまうほど色気のあるものだった。ディランは唇を妖艶に濡らし、愛を囁く。


「ベル、君を愛している。君は俺の命そのものだ。愛してる。側にいたい。どこにも行かないで」


 低く掠れた声で愛を請う彼に甘くなるのは私の悪いところ。そっと髪を撫でてあげると、懐く猫のようにすり寄ってくる。

 暗い部屋と、美しい彼。


 彼が覆い被さってきた。部屋の湿度が急に高くなったことが嫌でもわかった。背筋に冷や汗が流れる。これ以上は、駄目だ。戻れなくなる。

 ひどく湿った空気。ディランが私の首筋に顔を埋めた。はっと口から息が漏れる。

 ボロボロと堪えていたはずの涙が溢れた。喉がひきつり、思わず声が出る。


 ディランはびっくりしたように体を退かした。泣いている私を見て、戸惑ったように手で頬を包んだ。


「べ、ベル……。泣かないで」

「泣かせたのは、あなたでしょ」

「ごめん。ごめんね。もうしないよ」


 彼は涙を拭うように何度も目の下をなぞり、泣き止ませようと必死だった。


「なんで、急にこんなことするのよ」

「……ごめん。君を、俺のものにしようと思って……」

「私は、私のものよ。貴方のものじゃない」

「……そうだね。ごめん」


 ディランはしょぼくれたまま、黙って私の頬を撫でていた。涙が止まった後も、ずっと。

 そっと彼を見上げると、今度は彼が泣きそうな顔をしていた。


「どうしてそんな顔をするの」

「……俺を、嫌わないで。嫌いにならないで」


 ディランは子どものように私の肩に顔を押し当てる。涙で濡れたような震えた声だ。

 私は何も言えなかった。


 ◆◆◆


 足の具合が良くないため、パーティー会場では車椅子を使うことになった。まだ歩けるほど回復はしていない。それでも、美しいドレスに身を包み、化粧を施す。

 久しぶりに鏡の向こうに見える自分はあまり顔色が良いとは言えない。ずいぶんと疲れたような顔をしている。……いつからこんなに暗い表情をするようになったのかしら。


「ベル、大丈夫かい? あまり無理をしないようにね」


 顔色の悪い私を見て、お父様が囁く。私はヘラりと笑って頷いた。私を愛してくれる家族に迷惑をかけていることが、何よりも心苦しい。


 パーティーの間、ディランは屋敷に待機させることにした。その命令を下した途端、彼は呆然とした後、連れていってくれと私に縋り付いたが何を仕出かすか分からない彼を連れていけるわけがない。

 私と話した男性を射殺すかのように睨み付ける様子が目に浮かぶ。

 当日まで私を説得し続けたディランに首を横に振り続け、結局侍女のルティをお供に王家のパーティーに参加した。



 パーティーは案の定、楽しいものではなかった。私に向けられる悪意の視線に心がどんどん沈んでいく。こんなことなら来なければ良かった。

 会場から離れたところにある温室までルティに車椅子を押してもらう。


「お嬢様……」

「私は大丈夫よ。ルティ」


 心配そうな声色で声をかけるルティに優しく微笑む。ルティは無表情のままだが、躊躇うように息を吸い、小さなため息を吐いた。


 温室は見たことのない花で溢れていた。美しい花弁には水が付いており、反射してキラキラと輝く。


「美しいわね」

「はい」


 ルティは花がよく見えるように車椅子の速度を落とした。私が目線を花に向けるとゆっくり止まる。

 小さいのに、どうしてこんなに力強く花を咲かせることができるのだろう。花が咲いているだけで、心が揺さぶられるようだ。


「こんなところで何をしている?」


 突然かけられた声に反射的に振り返る。ルティは慌てて膝を付いた。

 私は思わず目を見開く。そこにはこの国の王太子が立っていた。挨拶をしようと頭を下げる。


「お初にお目にかかります。わたくしはタイバス家長女のベルティーア・タイバスと申します」

「……なるほど、タイバス家の……」


 王太子は車椅子を見てから、納得したように頷いた。私の噂は王家にまで伝わっているらしい。


「楽にしてくれ。足が悪いのだろう。私に気を使う必要はない」


 王太子は思いの外優しい声で言った。私はそっと顔を上げる。

 凛々しく鋭い雰囲気を持った方だが、私を見つめる目は慈愛に満ちていた。


「パーティーは楽しいか?」

「……あ、はい。もちろんでございます」

「そう固くならなくてもいい。正直に言ってくれ」

「……その、少し疲れました」

「そうか。ならばここでゆっくりしていくといい」


 王太子は微笑んで、ルティを下がらせた。まさか二人きりになるとは思わず、恐れ多くて何を話せば良いのか分からない。


「私の話し相手になってくれないか?」

「そ、そんな私ごときが殿下のお相手などつとまりません!」

「少しだけで良い。私も人の多いパーティーには疲れたんだ。頼む」

「……──私でよければ」


 王太子は嬉しそうに頷いて、車椅子をベンチの方へ寄せた。ベンチに彼が座り、私はその前で車椅子に座っている。

 こんな高貴な方と話すなど、緊張してどうにかなりそうだ。


「知っていると思うが、私はギルヴァルト・ヴェルメリオ。この国の王太子だ。親しい者からはギルと呼ばれている」

「わたくしは……」

「自己紹介は先ほど聞いた。ベルティーアだろう?」


 名前を呼ばれたのが恥ずかしいやら申し訳ないやらで私は顔を青くしたり赤くしたりした。殿下はおかしそうにクスクスと笑う。

 そして美しい緑色の瞳を足に向けた。


「どうして怪我をしてしまったんだ?」

「ガラスが割れて……その拍子に」


 殿下は痛ましそうに顔をしかめて、じっと私の足元を見た。ドレスからは包帯の巻かれた足首がはみ出している。


「痛そうだ……。気の毒に」


 男らしくも滑らかな指が私の足首を撫でるように触った。

 こんな高貴な方が、私の足を触っている。やめさせなくてはならないと思う反面、驚きに体が硬直した。


 その瞬間、私の目に突如激しい閃光が突き刺さる。


「──っ!」


 目が痛い。白と黒に点滅して、目の奥が焼けるようだった。電気が脳の中で暴れているみたいだ。


「あぁ、かわいそうなお嬢様」


 囁くように背後から聞こえた声に私は背筋が凍る思いがした。この声は、ディランだ。

 屋敷に置いてきたはずの彼が、なぜここにいる。


「ディラン、あなたどうやってここに……」

「どうやって? 魔法を使えば簡単なことですよ」


 するりと首に巻き付いてくる腕に体から血の気が失せていく。いまだに目は痛いままで視界ははっきりしない。


「で、殿下は……!」

「あぁ、君に触った蝿のこと? そこで伸びていますよ」

「なんてことを……!」


 悲鳴に近い叫び声を上げる。高貴な王太子殿下に怪我をさせたとなれば、ただでは済まない。ディランは私の執事であり、使用人の不手際は主の責任だ。

 ディランだけでなく、私も、最悪家族にまで罪が及ぶ。


「ディラン! あなた何をしたか分かっているの!?」

「えぇ、もちろん。王太子に魔法をぶつけた」


 あっけらかんとまるで何事もなかったように言うディランに私は悪寒が止まらなかった。


「あなたも、私も……死刑よ」

「そんなことはさせませんよ」

「させないとかそういう話じゃなくて……!」

「なら、王を殺してきましょうか?」


 私は息をのんだ。もう何がなんだか分からない。彼は、何を言っている。


「そうすれば、死刑を下す人間が消えますよ」

「……ディラン……」

「もう君を誰にも触れさせたりしないから、安心して」


 狂気にまみれた声色は、いつもよりずっと低く腹の底に響く。


「お願いディラン……。正気に戻って……」

「最初からずっと、正気だよ。俺は、ベルを愛しすぎただけなんだ」


 ベルを手に入れたくて仕方がない、と彼は私の頬に触れながら言った。目が痛いし、傷付いた足がズキズキと痛む。

 私は本当に、呪われているのかもしれない。私のせいで、ディランまで変わってしまったのだろうか。


「私は、ディランを好きになどならないわ」

「そうかな。でも、それでもいいよ。君を腕に抱き締めていられるなら、これ以上の幸福はないから」


 ディランには私の言葉すら届かない。

 あぁ、でももし、一つでも歯車が違っていたら。

 私が貴族ではなく平民で、ディランと出会っていたら。もしくは、彼が王族として地位を得られていたら。

 きっと、私たちの結末は全く違ったものだった。


「ほら、もう何も見えないでしょう?」


 ディランに目を撫でられ、そこでようやく気付いた。本当だ。目が見えない。あの閃光に神経がやられてしまったらしい。


「俺を見てくれないのは悲しいけど、でもこれでベルの綺麗な瞳を独り占めできるね」


 瞬きはできるのに、目の前はずっと真っ暗だった。私の瞳は死んだ魚のように濁っているはずなのに、ディランは綺麗だと言う。

 もう、見えないのに。なんの機能もない瞳を、彼は宝石を愛でるように撫でた。


「あなたの魔法なの?」

「……そうだよ」

「魔法が、使えたの」

「うん」

「ずっと昔から?」

「産まれた時から」


 私はゆっくりと息を吐き出した。今さら何も思わなかったが、なぜかそこで、私は初めてディランを一人の人間として認識した。執事でも、王族でもない。ただのディランは、どんなことを思ってどんな行動をして、何を感じていたのだろうと思った。

 彼はどうして、王族ではなく私の執事という道を選んだのか。

 私は、彼の主というだけで、彼を何も知らなかった。


「──ディラン、最後に答えなさい」

「はい、なんなりと。お嬢様」


 きっと彼が私をお嬢様と言うのは最後だろう。

 ディランは素直に膝を付いた。靴の擦れる音が静かな温室に響く。


「私は、どうして呪われていたの」


 ディランはしばらく何も言わなかった。沈黙したまま、彼は私を車椅子から抱き上げどこかへ走り出す。どこかは分からない。もう、私には景色をみるための目がないから。

 魔法を使っているのか、気が付いた時には土の匂いのする場所にいた。おそらく、森の中だ。

 扉を開けたような音がして、次に柔らかいクッションの上に座らされた。ベットの上かもしれない。

 ディランは私の耳元に唇を寄せた。息を吸う音が鮮明に聞こえる。


「俺が君を愛した(呪った)んだ」


 あぁ、やっぱり、あなただったのね。

 なんだかおかしくなって、私は笑う。

 私の乾いた笑いを喰らうように、ディランの湿った唇が私の口を塞いだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヤンデレみがマシマシのディラン様尊い… 拗れに拗れまくったディラン様のメンタル大好きです…!
[一言] わー!if話更新ありがとうございますm(*_ _)m 途中まで読んだことあるなーって思ってたら、新しい展開もあって、うきうきわくわくでした୧⃛(๑⃙⃘•ω•๑⃙⃘)୨⃛ この王太子はイケ…
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