第12話 『今世の弟Ⅲ』
今なんて言った? いや、今、なんて言われた? 可愛い可愛い私の弟の口からとんでもない言葉が飛び出た気がしたんだけど。あれ? 白昼夢?
完全にフリーズした私を、ウィルがまた鼻で嗤う。
「これだから、お嬢サマは。なんの苦労もしたことないんだろ」
ウィルはバカにするように、見下すというよりは侮蔑するような視線を私に向けた。私、何か悪いことした?
「ぇ……っと、ウィル、私が何かしたかしら?」
「その口調うぜぇ」
腕を組んだウィルは私よりも背は低いのに、異常な威圧感があった。
ウィル、お姉ちゃん泣きそうだよ。
私は本当に兄弟運がないらしい。さっきまでは可愛い男の子だったのに内側にそんなひん曲がった性格があったなんて。
ウィルはあの夫婦の子供じゃないらしいからきっとまともな教育も受けてないんだろう。口が悪すぎる。ちらりとウィルを見ると、ウィルは歪んだ笑みを浮かべる。
「なに、怒った? おれをあの夫婦のところに返せば? いいぜ別に。あんたと馴れ合う気はねぇし」
そう吐き捨てた彼に、私はストンっと表情を無くした。
「だいたい━━……」
「黙りなさい」
まだ文句を続けようとするウィルの言葉を鋭い声で遮る。ウィルは一瞬怯んだようだったけど、すぐに眉を寄せて、あ? と私を睨んだ。
完全にヤンキーである。言っておくけど、私、ヤンキーの扱いには長けていると自負してますから。
「ウィル・タイバス。よく聞きなさい。貴方は今日からタイバス家の次期当主で、私たちの家族です。私の父は貴方の父で、私の母は貴方の母でもあります」
ウィルに負けないほど鋭く睨むと、ウィルは一歩たじろいだ。こんなお子ちゃまヤンキーなんて全然怖くもなんともない。
「いいですか。ベルティーア・タイバスは貴方の姉です。お姉様です。分かったら、言葉遣いに気を付けなさい」
してやったりとニヤリと笑う。きっと私は今までで一番悪役令嬢らしいだろう。ウィルは俯いて、プルプル肩を震わせていた。あら? 泣かせちゃったかしら?
このくらいで泣くなんて、と内心せせら笑っていると、ウィルが勢いよく顔を上げた。瞳に涙は浮かんでいない。ただひたすら怒っていた。反省の一つもないかんじですか?
「あんた、何なの? マジでうざいんだけど」
ウィルは思い切り舌打ちをして、近くにいた使用人に自分の部屋を聞き、足早に階段を上っていく。玄関に取り残された私はポカンと間抜けな顔で口を開くしかない。
私の今世の弟は一筋縄ではいかないらしい。
◇◆◇
「━━━っていうことがあったんです」
ウィルが来てから三日後の午後、私は弟を王子に紹介することが出来なかった。なぜなら、ウィルは食事の時以外部屋に籠ってしまっているからだ。
私たち(特にお姉様)と仲良くなるつもりはないと無言で意思表示をしている。
「それは災難だったね。残念だな、俺の義弟に会いたかったのに」
「え、私の弟ですけど?」
自分を指差して王子に抗議するように言うと、にっこり微笑まれた。
「彼は部屋に閉じ籠もってるの?」
「そうなんです。食事とトイレとお風呂以外は全然出て来てくれないんです。一回、お風呂についていったら怒鳴られました」
「は? ついていったの? 一緒に入る気?」
「いや、そういうつもりは無かったんですけど……」
取り敢えず仲良くなりたくて、と言うと王子は眉間を押さえてうつむいた。
「本当、他の男にそういうことしないでね……。いや、義弟もダメだけど」
「話がしたかっただけなんです!」
お風呂場までついていった私は、ウィルの容赦ない罵倒を受けた。
『キモい。近付くな。変態』
可愛い顔をした弟に全力で罵られた。
死ぬ。もっと悪人面してくれていたらダメージも少なくなるのに、なんでこんなに可愛らしいんだ。チビッ子ヤンキーのくせに!
「可愛いんです、本当に! あの口でお姉様と呼ばれたいんです! 口が悪いのもギャップがあってなんか、もう……!」
暴言を吐かれるのが自分じゃなければ完全にあれは萌えだ。もちろん、自分じゃなければ。
「ウィルの話いつまで続くの? 俺すっごく面白くないんだけど」
この話を延々と聞かされている王子はげんなりと頬杖をついた。そして、しばらく私を睨んた後、閃いたように顔を上げる。
「ねぇ、ウィルに会わせてくれない?」
「部屋から出て来てくれたらですね……」
「大丈夫だよ。ウィルは絶対出てきてくれる」
「え……何か作戦が!?」
こくりと頷いた王子は親指で自分を指す。意味が分からず首を傾げると、王子はふふふっと美しく笑う。ぐっと立てた親指と麗しいご尊顔が似合わない。
「俺がなんとかしてみせる」
◇◆◇
ひょっこりと壁から顔を出して、王子の様子を窺う。王子は今、ウィルの部屋の前に立っています。
俺がなんとかするって王子の名を使うってことですか! 流石です、王子!
そして、その王子の婚約者は一応私なんですけどね! 権力あると思うんですが!
私が行くと引っ込んでしまうかもしれないのでこうやって壁で待機させてもらっている。王子は大丈夫だと笑ったけれど暴言を吐かれたら泣きそうなのでここで待機すると言い張った。王子が壁に隠れている私を一瞥してから、目の前の扉を叩く。
「初めまして、ウィルくん。僕はディランって言うんだけど。お父様のお話が退屈で、君と遊びたいんだ。ここ、開けてくれないかな?」
おお、王子の社交モードだ。初めて会った時以来かな。王子は一人称を私、僕、俺で使い分けている。本当に器用な人だ。
突然の来訪に、ウィルの部屋が恐る恐る開いた。どこかの貴族のご子息かもしれないしね。次期当主である自覚はなんとなくあるようだ。
「えっと……ディラン……様? あの、姉がいたはずですけど」
姉! 姉って言った!?
ウィルの姉発言に壁を叩きながら悶えていると、王子の鋭い視線を感じた。慌てて顔を引き締める。
「あの?」
「ああ、いや、ごめんね。姉って彼女のことだろう?」
意趣返しかなんなのか、私が壁に隠れていることを王子がバラした。
なんてことを!
ウィルははっとしたようにこちらを見ると、急いで部屋の扉を閉じようとするが、王子が足を挟んでそれを阻止する。ガッて鈍い音がしたけど大丈夫? 足の骨折れてない??
「ちょ、放してください!」
「俺、ベルの婚約者なんだ」
「……は?」
一人称を切り替えて、王子はにっこり笑った。ウィルはついていけずに目を白黒させる。
「俺の本名教えてあげようか。ディラン・ヴェルメリオ。この国の第二王子だよ」
王子が不敵に笑うと、ウィルの顔がさっと青くなる。まずいと感じたのか、扉を閉じるのを止めた。
「……不敬をお許しください……」
「大丈夫、大丈夫。そんな固くならないで。ほら俺はベルの婚約者だし、君の未来の義兄だし……なにより、君と同じだしね」
「同じ……?」
ウィルは興味を引かれたのか、王子を見つめる。王子はにっこりと優しく笑った。
「俺も君と同じで、だぁれにも必要とされない人間だよ」
「……」
ディラン様がからかうようにそういうと、ウィルはむっと不機嫌そうに口を結んだ。
「俺は家族に見限られたんだ。まぁ有名な話だからいつか耳にするだろうよ」
王子が微笑みながらも時折寂しそうに目を伏せて話す様子を、ウィルはずっと見つめていた。少し戸惑い、瞳をうるうるさせながら王子の話に聞き入っている。
「でも、君は俺とは違うだろう? タイバス家に選ばれたんだ。頼れる父も、優しい母も、ちょっと小うるさい姉もいる。幸せだろう? みんな君を受け入れようとしてくれているんだよ」
今、聞き捨てならない言葉を拾いました。ちょっと小うるさい姉ってなんですか。
私の剣呑な視線を感じたのか、王子は意地悪そうに私を見た。あからさまに頬を膨らませるとクスクス笑われる。
「まぁ、君の姉は俺が貰っちゃうけど」
王子は肩を竦めて、ウィルに微笑みかけた。ウィルは黙ったまま、まだ瞳をうるうるさせていた。瞬きをしたら溢れそうだ。
「だから、手遅れになる前に君も向き合わなきゃ。意地を張ってばかりじゃ何も変わらないよ。ウィル、君ならできる」
王子は綺麗な手をウィルの頭に乗せて、くしゃくしゃ撫でた。柔らかそうなシルバーグレーが揺れる度に、ウィルの瞳から涙が落ちる。ウィルは王子に撫でられながら静かに泣いた。
感動と、ほんの少しの寂しさを感じながら私は、ひっそりと涙を拭った。




