最終話『純白の花嫁』
鏡の中に佇む自分を見つめる。歳を重ねた私は──美しかった。花嫁にだけ許された純白のドレスに身を包み、試しに微笑んでみる。我ながら、完璧だ。これならディラン様の隣に立っても多少は存在感を保てるだろう。
ガルヴァーニの事件から5年経ち、私は今日、ディラン様と本当の家族になる。
学園での一年目が嘘のように、その後は何事もなく過ごすことができた。現国王が学園の警備や監視を強化したことも原因だろうけれど。どうやら学園を王家の支配下に置くつもりらしい。
巻き込まれた生徒たちは夢か現か曖昧だったようだ。こればっかりはガルヴァーニの精神魔法に感謝するしかない。王家の先祖が大胆な事件を起こしたとなれば王族の信頼に関わる。
「ベル、入るわよ!」
ノックもそこそこに控え室に入ってきたのはアリアだった。アリアの大きくなったお腹に微笑ましくなる。二人は学園を卒業した後すぐに結婚した。アズもあっさり聖騎士試験に合格して、つい先日屋敷を購入したらしい。出世コースまっしぐらとはこのことだ。
「とっっっても綺麗ね!」
「ありがとう。アズは? 心配してるんじゃない?」
「アズは外よ。他の男が新郎より先に花嫁の姿を見れるわけないじゃない!」
アリアはそう言ってケラケラ笑った。そして、不意にそっと手を取られる。
「本当におめでとう、ベル。私たち、よく頑張ったわ。あとは死ぬほど、幸せになってやりましょう」
「そうね。本当に」
「私はやっと夢が叶ったわよ」
「夢?」
「貴女の結婚式に出席すること」
にっこり微笑んだアリアを思わず見つめる。そういえば、前世からよく言っていた。
急に可笑しくなって、笑ってしまった。
「ふふ、そうね。世界を越えて夢が叶うだなんて変な話だわ。私も、貴女の子供と遊ぶのが夢だからそろそろ叶いそうね」
「そう言えばそれ昔からよく言っていたわね」
その時、こんこんとノックの音がした。アリアは私からパッと離れてじゃあね、と言ってそそくさと扉の方へ向かった。扉を開けるとそこにはミラ様がいて、予想外の人物に慌てて礼をする。アリアもノックしたのがアズだと思ったようで驚いた様子でぎこちなく礼をした。
「アリア嬢は楽にして頂戴。大切な身体だもの」
「あ、ありがとうございます。それでは失礼します」
アリアは逃げるようにその場を後にした。アリアがミラ様の回復を手伝っていたはずだから、多少は仲良くなったと思ったんだけど、まだ意外と距離があるらしい。アリアは正直すぎて、ミラ様と相性が悪そうだから仕方がないか。
「ベルティーア様。本日は本当におめでとうございます」
「もったいないお言葉でございます。王妃陛下」
「これからは義理とはいえ姉妹ですよ。そんなに畏まらなくてもいいのです」
「は、はい」
ミラ様は随分と回復して、私たちが学園を卒業する年に現国王と結婚した。今は正式に王妃として政務をなさっている。
「貴女には沢山の苦労と迷惑をかけました」
「もう謝罪は十分ですから、謝らないでくださいね」
先に釘を刺しておけば、ミラ様は困ったように笑った。
「これはほんの気持ちです。ディラン様が捨ててしまうかもしれないですけれど、どうぞお使いになって」
「これ……」
淡いリボンに包まれていたのは可愛らしい刺繍のあるハンカチだった。こんなに美しく丁寧に縫われている刺繍は珍しい。しかも、とても細かく。
「美しい刺繍ですね。職人のものですか?」
「いいえ、わたくしが縫いました」
「え!?」
「いらなかったら捨てても良いです」
「す、捨てるわけないです! 使います! ありがとうございます」
ペコリと頭を下げたら微かに笑われた。そしてするりと私に背を向ける。
「あまり長居するとディラン様に妬かれてしまいますからね」
部屋から出ていく直前、ミラ様が振り向き美しいその容貌に上品な微笑を浮かべた。
「これからよろしくお願いしますね、ベル」
親愛のこもった言葉に胸が暖かくなる。これからは、国王陛下もミラ様も家族なのだから、仲良くしたい。
ミラ様が出ていって数分もたたないうちに準備のために声をかけられた。結婚式の仕様は前世とあまり変わらないみたいで、私はお父様とバージンロードを歩くことになっている。
「ベル、おめでとう」
お父様は寂しそうに微笑んで、そう言った。そんな顔をされると、こちらが泣いてしまうじゃない。
開かれた扉の向こうには、眩しいほどのシャンデリアと赤いカーペットが敷かれてあった。やはり王族の結婚式は規模が違う。
想像していた数倍大きな式に、思わずポカンと口を開けてしまった。下見に来たときはあまり思わなかったけれど、こうやって人が沢山入ると圧巻される。
そっか、私、ディラン様のお嫁さんになるんだ。
参列者の中には沢山の見知った顔があった。アリアと目が合い、小さく手を振られた。アズもそれに気づいて手を振ってくれる。アリアの後ろにいる背の高いご令嬢はシエルかな……? すごい跳び跳ねてアピールしてくるけど悪目立ちしてない?
お母様は静かに泣いていてウィルは珍しく涙を堪えている様子だった。そんなに険しい顔をしてたら婚約者が逃げちゃうわ。
国王夫妻も並んで私をじっと見ていた。目があったミラ様がそっと微笑んでくれる。
バージンロードが終わり、新郎であるディラン様の手を取る。さっきまで周りを見ていたから気付かなかったけど、とんでもないことになっている。イケメンが格好よくなると、目が潰れるほどの光を放つらしい。長い人生の中で初めて知った。ベール越しでこんなに眩しいとかあり得るの?
「誓いの言葉を」
この世界では、神父の代わりに教主が式を取り仕切る。きっと教主を結婚式に呼べるのなんて王家と一部の貴族だけだろうけれど。
「新郎となる私は、新婦となる貴女を妻とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います」
「新郎に従います」
形式通りの言葉を述べ、指輪を交換する。この世界でも、左手の薬指に指輪を嵌めるのは既婚者の証であるようだ。
「誓いのキスを」
指輪を交換し終え、ゆっくりとベールが上げられた。近くで見るディラン様は、とても格好いい。かっこよくて、かっこよくて涙がでそうだ。
「ベル、すっごく綺麗だよ」
「ディ、ディラン様、も、素敵です」
「泣かないで。ベルの泣いてる姿は、俺だけが見ていたい」
触れるだけの優しいキスは、無垢で純真でファーストキスを捧げるみたいに神聖だった。雨のような拍手が、私たちを祝福する。
堪えきれなかった涙が頬を伝う。こんなに、こんなに幸せなことがあるだろうか。
「一生をかけて、ベルを幸せにするよ。これからも、よろしくね」
「私も、ディラン様を幸せにします。きっと、これからも喧嘩することとか、上手くいかないこととか、あると、思うんですけど……っ」
泣きそうになるのを堪えながら、なんとか言葉を続ける。気を抜けば泣き崩れてしまいそうだった。
「でも、私は、ずっとディラン様のことを愛していますから!」
ディラン様は眩しいものを見るように目を細めてほんのり頬を赤らめた。
「俺も、ベルのこと愛してる。ベルがおばあちゃんになっても、生まれ変わっても、ずっと、君を愛し続ける。ベルは俺が生きる理由だから」
「ディラン様も、泣きそうじゃないですか」
「ふ、ふふ、ダメだなぁ。格好悪いや」
ディラン様は恥ずかしそうにはにかんで目を潤ませた。幸福とは、こういうことを言うのだろう。握られた手が暖かくて、嬉しくてディラン様と過ごせるこれからが楽しみで仕方がなかった。
「ベル、俺の家族になってくれてありがとう。生涯、君を大切にするよ」
甘いディラン様の惚けるようなその声に、私は彼に抱きつくことで応えたのだった。
二人の物語はこれにておしまいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。




