第113話『狂瀾を既倒に廻らす』
私を守るように囲う檻の中で、ひたすらディラン様が勝つように祈ることしかできない。でも不思議と、彼がガルヴァーニに負けるとは思えなかった。
「残念ながら、俺は至って健康的な精神状態なんだよね」
「だからどうした?」
「そんな人間の精神を乗っ取れるわけないじゃん」
どうやら図星だったようで、ディラン様の言葉にガルヴァーニは押し黙った。ディラン様が言うように、ガルヴァーニには覇気がない。今まで対峙したときはいつも圧迫されるほどの雰囲気を纏っていたのに、今はそれが無い。
ディラン様が指を鳴らせば、ガルヴァーニにバラの蔓が巻き付き拘束する。
「心の中って無敵なんだね。想像すればなんでも出来る」
「余裕ぶるのもそこまでだよ」
ガルヴァーニは蔓をさっき身体から吹き出した黒い煙で消し去り不敵に笑った。
「逆だよ、ディラン。無敵じゃない。心の柔い部分っていうのは、普通よりずっと傷付きやすいんだよ」
ガルヴァーニのその言葉と共に、手のひらに光が集まり、地面に向かって攻撃した。鋭い光線と爆発音に思わず目を瞑る。
「ディラン様!」
光がおさまらずに目がチカチカする。どうしよう、ディラン様が怪我をしてしまったかもしれない。
「なにそれ、光るだけ? 眩しすぎてランプにもなんないよ」
「なっ、なんで……!」
「胸がチクッとしたくらいだけど」
さっきと同じ場所で同じ姿勢のまま、ディラン様はくすくす笑った。
「まさか、尋常じゃない早さで回復しているのか……?」
「さぁ? 知らないけど、俺はベル以外のことじゃ傷付かないよ?」
「……なるほどな」
ガルヴァーニはポツリと呟いて、ちらりとディラン様を見た。
「じゃあ、僕がベルティーアを手篭めにしたと言ったらどうする?」
「は? 無理だろ。ベルは俺が好きなんだから」
「忘れたのか? 僕はベルティーアを操っていたんだぞ? お前の知らない間に何があっても可笑しくはないと思わないか?」
その瞬間、ディラン様の雰囲気が厳しくなった。パチッと一瞬ディラン様の身体に火花が散る。
「わ、私は操られている時の記憶を全て取り戻しましたよ! でもそんなことされてません!」
とんでもない濡れ衣を着せられて慌てて否定をする。今のディラン様ならきっと信じてくれるはずだ。案の定ディラン様は私の方を振り返りふわりと笑った。しかしすぐにガルヴァーニの言葉に表情を固める。
「僕がその部分の記憶を返してないかもしれないし、なんならディランが過去を思い出してる間に眠っているベルに手を出したかもしれな……」
「あ?」
ディラン様は地を這うような低音を響かせる。その剣幕にガルヴァーニも言葉を止めた。
「とんだクズだな。死ね」
ずるりと、ディラン様の影から大きな怪物が現れる。形容しがたい、真っ黒なドロドロとした巨大な怪物。
「喰っていいぞ」
ガパリと怪物が口を開ける。
今のガルヴァーニは、魂のままだ。今ここでディラン様がガルヴァーニを食べてしまえば、それは魂の統合ということになってしまわないだろうか。反発しあって、ディラン様が消えてしまったら……!
「待ってください、ディラン様!」
咄嗟に出た言葉にディラン様がピタリと止まった。連動するように怪物も止まった。
クルリ、とディラン様がこちらを向く。真っ黒な光を移さない瞳で真顔のディラン様は正直めちゃくちゃ怖かった。
「なんで止めるの? コイツを庇うつもり?」
「違いま……」
「ほら、ベルティーアは僕の味方なんだよ」
「違う!!! 私はディラン様の味方よ! 適当なこと言わないで!」
ガルヴァーニに利用されたようでイラッとして言い返す。ディラン様は私が入っている檻に近づいて鉄格子の隙間から私の頬を撫でた。
「大丈夫。俺はベルを信じてる」
「私は、ディラン様の味方ですから、それだけは忘れないでください」
「うん。分かってる。もう、疑ってもいないよ。本当に。だけどさ……」
ディラン様の後ろで存在感を放つ黒い物体は、消えるどころかさらに巨大化した。思わず青ざめる。怒りがおさまるどころか、悪化している。
ディラン様はクルリとまたガルヴァーニの方を向き、ひょいっと指を動かした。そうすれば、怪物から手のようなものが生えてガルヴァーニをやすやすと捕らえた。
「やっぱりお前、弱体化してるね」
「……っ、うるさい!」
「こんな簡単に捕まえられるなんて先祖の名折れだよ」
ディラン様の挑発するような言い草に、ガルヴァーニは顔を赤くした。口を開いたガルヴァーニに被せるように、今度はディラン様が話し出す。
「ムカついてるんだよね。俺はベルだけ信じてるからお前の話なんて聞く価値なんてないわけだけどさ。お前がベルの名前呼んで、会話をしてることさえ死ぬほど嫌なんだよ。しかもそれを俺の心の中でやるだなんて殺してほしいとしか思えないなぁ」
「別に会話したわけじゃ……」
「ベルは黙ってて」
ディラン様の強い口調に何も言えずに押し黙る。まずい、火に油を注いだかもしれない。
「で、でも、もしガルヴァーニを殺せばディラン様の魂も一緒に消えてしまうかもしれないんです!」
「ベルもさ、分かってるよね?」
殺気がこちらに向いたことにひぇっと悲鳴をあげた。
「俺の中で他の男の名前を呼ばないで」
「……はい」
理不尽だ……と一瞬思ったけれど、土足で心に踏み入られて攻撃されて、苛立たない方がおかしい。ディラン様が怒るのも当然であるような気がした。
しかし、このままでは駄目だ。ディラン様が本気でガルヴァーニを消してしまう。どうしようと考えあぐねていると、突然、美しい音色が響いてきた。これはもしかして、アリアのオカリナの音……?
「うぁあぁあああ! クソッ! 止めろ!!」
ディラン様に捕まったままだったガルヴァーニが叫び声を上げて悶えた。皮膚からは焦げたように煙が上がっている。
そしてそのまま、灰になってあっと言う間に消えてしまった。あっけない終わりに私は呆然とする。
「終わったみたいだね。さっきアリア嬢の気配を感じたけど、取り敢えず俺の中からは消えたよ」
気が付けば檻は消えていて、あの真っ黒な怪物もいなくなっていた。アリアの気配? ヒロインって魔法とか使えたっけ?
「難しいことは後にしよう。あとは、俺たちが無事に目を覚めるだけだよ」
「もう、帰らなきゃいけないんですね」
消えかけている自分の身体に、終わりが近いことを悟る。ディラン様は優しく微笑んだ。
「寂しいし、ずっとここで一緒にいたい。でも、目が覚めてもベルは側にいてくれるでしょ?」
「もちろんですよ」
「なら、何の心配もない」
ディラン様がそっと私に口づけしてくれる。自然と目を閉じるように、フッと意識が遠のいた。
◇◇◇
「ベル! よかった、目が覚めた?」
叫ぶ声に吊られるように目を覚ました。目の前には、心配そうに私を見つめるディラン様の姿があった。
「…えっ……ゴホッケホッ」
喋ろうとした途端、喉が詰まったように声が出なかった。というか、喉が乾いて痛いくらいだ。ディラン様が慌てて水差しからグラスに水を注いで渡してくれる。渡されたそれをすぐに飲み干した。
「ここは……私の部屋ではないですね……?」
「うん、俺の部屋。一番安全だから」
「ガルヴァーニに閉じ込められていた部屋は? 一体どうなったんですか?」
「ベルはあのあと三日間ずっと寝てたんだよ。もう目覚めないんじゃないかって気が気じゃなかった」
「三日!?」
驚いて目を見開いた私を、ディラン様は抱き締める。少し窶れていた気がしたのも気のせいではなかったようだ。
「え、じゃあガルヴァーニは……?」
「ガルヴァーニは俺の中で一度消えたでしょ? あれでラプラスの記憶からガルヴァーニの記憶が消えたみたいで、今は魔法が使えないし、廃人みたいに呆然としてる。俺を操ろうとしたわけだから当然極刑は免れない状態だったんだけど、王族の先祖ってこととラプラス自身は被害者であることから終身刑に落ち着いたよ。きっと兄上も王家の揉め事を大事にしたくなかったんだと思うけどね。だからラプラスは秘密裏に隔離されて監視されることになった。あ、助けてなんて甘いこと言わないでよ」
「さすがに言いませんよ。ディラン様の命が脅かされたんですから、それ相応の報いは受けてもらわないといけません。……でも、そうですね。ラプラスは、被害者ですよね」
ガルヴァーニのせいで、一生を失ったラプラスはさすがに不憫だ。ラプラスの前世がヴェルメリオ王だったとしても、それは今世には全く関係ないことなのに。
「アイツのためにそんな顔しないで。優しすぎるとつけ込まれるよ」
「……そうですね。すみません。罪は罪ですから、同情なんてしてられませんよね。……ぁ、シュヴァルツ様は大丈夫でした?」
「いや、やっぱり向こう側だったよ。ディラン様の手で処刑してくれ、なんて言うから、俺を人殺しにするつもりかって言ってやった。罰として領地で謹慎はしてもらうけど、それが終わればまた側近として雇うよ。俺の言うこと聞いてくれる従者は貴重だし」
「雇うって…ディラン様も随分とドライというかなんというか……」
どうやらこの三日で色々話が片付いたことは察することができた。この際、気になることは聞いてしまおう。
「ディラン様が仰っていたアリアの魔力って何だったんです?」
「それがよく分からなくて、アリア嬢もあまり触れてほしくないみたいだから聞かなかった」
「え!? じゃあ、陛下に報告もしてないんですか?」
「うん。別にどうでもいいし。それにあれは魔力に近い力であって、魔法じゃない」
ディラン様の鋭い考察に、思わず息を飲んだ。アリア──ヒロインの力は、ゲーム内でも不思議な癒しの力としか記載されていない。魔法がある世界で魔法ではなく、癒しの力と表現される。そもそもこの世界の魔法には他者を回復させるような都合のいい魔法は無いし、確かに、"魔力に近い力"というのが最も適切な言葉かもしれない。アリアも上手く説明できないからこそ、掘り下げて欲しくなかったのだろう。
クララの持つ先天的な力みたいなものかもしれないし……。
「あ、クララは!? あの子も終身刑ですか?」
「いや、詳しい処遇は決まっていないけど、ガルヴァーニに洗脳されてたってことでお咎め無しじゃない?」
「よかった……」
あんなに小さな子が終身刑になるのはさすがに見てられない。彼女はガルヴァーニの味方だったけど、私たちを助けてくれた恩人でもある。
「俺は、ベルが無事だったらそれでいいよ」
ディラン様が拗ねたようにそう言って、私の手を握った。
「でも、クララのお陰でディラン様の心の中へ行けたし、私はディラン様のことを沢山知れました」
「……うん」
上半身を起こして、ディラン様の頭を撫でる。いつ触ってもサラサラで羨ましい。
「もっともっと、ディラン様のこと好きになりましたよ」
心からの言葉とともにふわりと微笑むと、手を握っていた手のひらが首に回され、激しく口付けされた。私もそれに応えるようにディラン様の首に腕を回す。
「俺も、俺も、ベルのこと大好き。愛してる。俺を助けてくれてありがとう。見捨てずに側にいてくれてありがとう。今の俺があるのはベルのお陰だ」
「じゃあ、今の私があるのもディラン様のお陰です。──ふふ、泣き虫ですね」
はらはらと彼はいつも美しく泣く。泣き虫なディラン様の頬にキスを送り、優しく背中に手を添えた。
「俺の涙は全部ベルのものだから」
「あら、私の前でだけ涙を見せてくれるんですか?」
「ベルの前じゃないと、泣けないよ」
ディラン様は困ったように、でも酷く幸せそうに微笑んだ。




