第112話『一撃必殺』
光る粒子を追いかけるアリアに続いてアスワドとシエルが辺りを警戒しながら歩を進める。たどり着いた場所は、生徒会に入る前にディランに呼び出された、特別棟にある生徒会室の前だった。
「なるほどね……」
「そういえば、特別棟は確認していなかったな」
アリアは納得するように頷き、アスワドは感心した。まるで考え付かなかった場所だった。
「こんなに目立つ場所を二人は忘れていたのかい?」
「いや、俺もなぜ思い付かなかったのか不思議なくらいだ」
「どうせ結界かなんか張られてたんじゃない? 知らないけど」
投げやりなアリアの言葉にアスワドは呆れたようにため息を吐いた。あまり無防備に動かないで欲しいのだが、今のアリアに何を言っても無駄な気がする。
「ラプラスは精神に干渉する魔法を使うから、何か意識がそらされる魔法がかかってても可笑しくない」
生徒会の証であるカードを差し込みながらアリアは静かにそう付け加えた。開いた扉を我先にと進もうとするアリアを、アスワドが引き留めた。
「待ってくれ、さすがに俺が先に行く」
「いいわよ、危ないから」
「危ないから俺が先に行くんだろ」
「でも、」
「アリア」
アスワドに反発するように言いつのろうとしたアリアの言葉は無情にも遮られた。いつもは見ることのないアスワドの咎めるような強い口調と剣幕に、さすがのアリアも黙るしかなかった。
「俺はラプラスみたいに魔法を使うことはできないし、アリアを守ってあげられる保障はない。でも、壁くらいにはなれる」
「……っ、そういう考え方、私が嫌いって知ってるでしょ」
「アリア、お前はベルを助けるんだろ。ラプラスと戦って、勝つんだろ」
いつもは、アリアに甘くてなんでも許してくれるアスワドが、今ばっかりは厳しい視線でアリアを見ていた。
「なら、勝つことだけ考えろ。他のことは、俺たちに任せてくれればいい。俺は、アリアを信じてる。だから、お前の前に立つんだ。分かったか?」
「……うん」
アスワドはそれだけ言ってアリアに背中を向け、さっさと生徒会室へ繋がる階段を上っていった。少しだけ勢いの無くなったアリアに、シエルはにっこりと笑いかけた。
「アズは君が大切なんだ。理解してやってくれ。男とは、時に辛い決断もしなければならないからね!」
「あんなアズ、初めてみたかもしれないわ」
「……アスワドは、騎士になるのだろう? いつでも、危険の伴う仕事だ」
シエルの言葉に、アリアは弾かれたように後ろを振り返り彼を見た。シエルは寂しそうに微笑んでいる。彼の美貌も相まって、今にも消えてしまいそうな雰囲気だった。
アズの夢は、騎士になること。シエルの父親も聖騎士団長だから、思うところがあるのかもしれない。
(そうよね。騎士って、安全な仕事じゃない。もしかしたら、巻き込まれて、死ぬかもしれない。戦争があれば、前線に赴くのはアズたちなのよ)
サッと顔色が悪くなったアリアの背中を、シエルはそっと擦った。慰めるような優しい手付きに、アリアは詰めていた息を吐く。
「騎士の家族っていうのは結構大変だけどさ、アスワドの厳しさや真面目さは騎士に向いていると僕は思うよ。君のボーイフレンドは素敵だね」
「……当たり前よ!」
(何を今さら怖じ気づいてるんだか!)
アリアは自分の頬を思い切り叩いて、オカリナを握り締めた。アスワドから幼い頃にもらった思い出のもの。手のひらサイズのそれを、アリアはいつもお守りのように身に付けていた。
「よし、行くわよ」
アリアは目の前の階段を睨みながら、生徒会室へ進むために階段を上った。生徒会室の扉の前には既にアスワドがいて、大きな扉を確認するように触っていた。
「随分遅かったな」
「体力が落ちただけ」
若干不機嫌そうにそう言ったアスワドに、アリアはシエルと話し込んでいたことを誤魔化すように大きく息を吸った。長い階段を上って疲れたのは確かだから、嘘ではない。
呼吸を整えているアリアに、アスワドは途端に申し訳なさそうな顔をして視線を泳がせた。
「ご、ごめん。配慮が足りなかったよな」
「気にしないでいいわ。待たれても困るし」
バッサリとそう言ってのけたアリアに、アスワドは内心へこんだ。好きな女の子をわざわざ苦労させるような趣味など、アスワドにはない。
アリアが本心からそう言っていることも分かっているからこそなんとなくやるせない。
「それより、中で何かしてる様子はある?」
「いや、何も……」
ドガッと何かがぶつかる大きな音が、生徒会室の中から聞こえた。アリアが扉を開けようとしたのを割り込むように、アスワドが体を滑り込ませ先頭に出る。勢いのまま開いた扉の目の前には、予想外の人物が傷だらけで転がっていた。
「シュヴァルツ……!?」
そう叫んだのは誰だったのか。尋常ではない彼の様子に、アリアも思わず体を一歩引いた。怯えるアリアを庇うようにアスワドが立ち、シエルはシュヴァルツに駆け寄る。
「シュヴァルツ様、一体どうしたんです? その傷は」
「お前には関係ない」
シエルの手を弾いたシュヴァルツは曲がった眼鏡を外して地面に落とした。そしてゆらりと立ち上がり、眼鏡を思い切り踏んで壊す。ところどころに血が滲んでおり、目蓋が切れているようでだらだらと流れる血を乱雑に服の袖で拭った。
「アリア、ここにいろよ」
「……え?」
小さくそう呟いたアスワドの声に反応する暇もなく、彼は走り出す。何が起こっているのか分からずに、アリアは混乱した。
しかし次の瞬間、そこにはシュヴァルツを刺そうとした女と、ナイフを持った女の手首を握るシエルの姿があった。
「ルスト先生……!?」
突然現れた人物に目を白黒させるしかない。
「……私の剣を止めるか」
「うーん、レディーには優しくしたいんだけどなぁ」
シエルがにっこり笑った瞬間、女の後ろからアスワドが奇襲をする。女が身を捩ったのを見て、シエルは思わず手を離した。
「おま、なんで手を離すんだ!?」
「だって、レディーの手首を折ることなんてできないよ! 僕の怪力だったら今ので脱臼してたからね!?」
「……捻挫くらいはしてるだろ。あの様子だと」
アスワドたちから距離を取った女はナイフを持っていた方の手をプラリと脱力させた。さっきのせいで力が入らないのだろう。
「どけ! これは僕と姉上の勝負だ!」
「いや、どう見てもボロボロじゃないですか。このままだと危険です。ていうか、ルスト先生はシュヴァルツ様の姉だったんですね」
「シュヴァルツ様の姉君だったのか! なるほど! 美しいわけだ!」
わいわいと騒ぐ三人に、シュヴァルツの姉であるルストは嘲笑うように口角を上げた。
「そんな風に固まって、お前らの姫は無事なのか?」
ルストのその言葉に、アリアの方を見るが彼女は一人でポツンと立っているだけだ。
「魔力もないお前たちには見えないよ」
しかし、聞こえるのはラプラスの声。思わずアスワドとシエルも身構えるが、まったく気配が分からない。魔法を使われてしまえば魔力なしにはお手上げ状態だ。
「どうして認識妨害の魔法をかけていたのにここが分かったのかなぁ。もしかして、校長しくじった? まぁいいや。どうせここで全員殺してお仕舞いさ」
声は聞こえるのに、姿が見えない。認識妨害。恐らく、その魔法を特別棟にもかけていたし今自分自身にもかけているのだ。だから、シエルもアスワドもラプラスの姿が見えない。アリアは黙ったままだった。
「どうやって殺してやろうか。絶望的な死の方が面白いよね。あ、それとも死ぬ夢を見続ける方がいいかな? 愛しい人を殺す夢でもいいよ! どっちにしろ、まずは君の精神を壊して……」
「さっきからうだうだうるせぇよ」
さっきまで沈黙していたアリアの、可愛らしい声にドスが混じる。
「耳元で喋んな。位置バレバレだわ」
腰に力を入れて、思い切り肘を後ろに叩き込む。
(位置は、私の後ろだ)
オカリナを吹いた時のように、身体に巡る不思議な力をラプラスの腹に叩き込む。肘にめり込む、確かな感触があった。
アリアが触ったせいなのか、ラプラスの姿がアスワドやシエルにも見えた。
アリアはすかさずラプラスの胸ぐらを掴み、背負い投げをお見舞いする。地面に叩きつけたつもりが、僅かに力が足りず、途中でずるりと投げ出す形になった。
「クソっ、力が足りないわ!」
決めきれなかった技に、アリアは歯噛みする。
「っ、この女!」
「ルスト」
シュヴァルツに牽制されてうまく身動きの取れなかったルストが、怒りに顔を染めた。それを素早く止めたのはラプラス本人だった。
「……おい、小娘。お前、どういうことだ?」
「なにが?」
「なぜ、お前が魔法を使える?」
腹に叩き込まれたあの打撃には、魔力に近い何らかの力が込められていた。しかも、ラプラスの使う魔法を打ち消すほどのものだ。あの一瞬の不意打ちで認識妨害の魔法は解けてしまったし、恐らくここにいる人間にこの魔法は意味を成さない。認識妨害魔法は、簡単な魔法であるがゆえに厄介であり、そしてトリックが解ければすぐに無効化される。
(ピンクの髪に金の瞳など、見たことがない。───金の瞳……?)
『ごめんなさい、ガルヴァーニ。全部私が悪いの』
視界が一瞬ぶれたのは、さっきの打撃のせいじゃない。頭が割れるように痛かった。どうして、いままで気づかなかったのか。
(この、この娘は───)
あの女に似ている。
「うぁっ……っ!」
心臓が、抉られたように痛んだ。ボロボロになった魂に、さらなる杭が打たれようとしている。
ピクリとも動かなくなったラプラスを訝しげに見ていたアリアはジロリとラプラスを睨んで見下ろす。
「ベルと王子はどこ?」
時間がない、とガルヴァーニは本能的に悟った。そして、この小娘を自分は殺せないということにも気が付いた。
「……『動くな』!」
ゴプリと口の端から血が流れる。この身体も、限界だ。不意打ちにピタリと動かなくなったアリアたちを置いて、ガルヴァーニは走り出す。早く、早くディランの身体を手に入れなければ。
「待て!」
アリアの叫びを無視して、ディランとベルを監禁していた部屋に飛び込む。この部屋には、アリアたちは入ってこれないはずだ。さすがにディランを閉じ込めるのにお粗末な魔法を使うことはなかった。
許可された者しか入れない部屋に入り、天蓋を開けて中を見る。ベルとディランと……クララも眠っていた。
「……余計なことをされてないと願うしかないな」
ディランの頭に触れて、魂を移すための呪文を唱える。扉を激しく叩く音がするのは、あの小娘のせいだろう。思ったより、魔法の効きが悪い。
魔法が完成した途端、意識がブツリと途切れた。




