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第111話『パンドラの箱』

『愛しています』


 そのたった一言に、涙が溢れた。暖かくて、優しい想いのこもったベルの本音。

 あぁ、俺は必要とされていたんだな。

 なんて、陳腐なことを思った。俺が一番して欲しかったこと。


 ベルが、好きだった。

 彼女の仕草も微笑みも声も全て。

 君の唯一になりたくて、でもそれは強欲なただの願望だ。母親にさえ疎まれた記憶があまりにも辛く、もうベルでさえ俺を愛してくれるはずがないと何の根拠もなく拒絶したかった。傷付きたく、なかった。


 でも、こんなに嬉しい。

 君の愛は、俺とは違う。

 だけど、凄く愛しいよ。

 ベルの気持ちはいつも暖かい。


「泣かないで下さいよ」


 バラの蔓が緩んでいくのが分かった。

 俺の涙をベルが指で掬い取る。そして労るように、そっと頬にキスをされた。

 俺の心に影響されたのか、身体を這っていた痛々しい蔓は光の粒子になって消えていった。

 消えていくバラの蔓にベルは驚愕の色を浮かべる。さっとベルの腰に回して、自分の方に抱き寄せた。


「え、わっ! ディラン様?」


 精神だけだというのになんとなく甘い匂いがする。魂がぴったりと嵌まるような不思議な感覚に、前世からずっと彼女を探していたんじゃないかと思える程だった。

 首に顔を埋めて呼吸をした。ベルは慣れているのかじっとしたままだ。


「好き、好きだよ」

「知ってます。ディラン様の気持ちを私はちゃんと信じていますよ」

「ねぇ、俺、もっと、甘えていいのかな?」

「そんなの今さらです。思う存分甘えて下さい」


 俺はもう随分彼女に甘えてしまっている。

 依存して、自分だけでは立てないほどに。

 このままここにいれたら幸せなのに、と邪な気持ちが頭を過った。


「ベル」

「はい」

「今だけ、今だけでいい。俺の懺悔を聞いて欲しい」


 ベルが息を飲んだのが分かった。そしてはい、と静かに返事をする。

 あぁ、怖い。怖いなぁ。

 気持ちを伝えるって、とてつもなく怖い。


「昔から俺は、独りが怖くて仕方ない。弱くて、ビビりだ。自分が大切にしたいもの以外は大して興味もないくせに、大事だと思ったらとことん依存してしまう」


 大切にしたいもの、なんて言葉を濁すなど卑怯だ。ベルしか、愛せないくせに。察して欲しいと、甘えが出てる。駄目だ。ちゃんと言わなきゃ。きっとこれが俺の醜さを彼女に伝えられる、最初で最後の機会なんだから。


 言葉が止まり中々次を言い出せない俺を慰めるように、優しくベルが頭を撫でた。

 少し落ち着いて、涙が出そうになった。信じて話して欲しいと、彼女は待ってくれている。


「ベルは……大切だ。だけど、その大切はきっと普通じゃない。異常に、愛してる。それはもう比べ物にならない。……ごめん、ごめんなさい、ベル。俺はきっと君に依存して生きていく。君の側にいないと壊れてしまう。ベルと一緒にいるために、俺は生きてるから。ベルを愛してることだけが、俺が俺でいられる唯一の理由なんだ」


 またポロポロと涙が溢れた。駄目だ。ここは駄目だ。感情が直結していて上手く制御できない。バラの蔓が無くなった代わりにポツポツと雨が降ってきた。真っ暗な空間の中、空も無いのに大粒の雨が降る。


「俺は、怖いんだ。本当は、何もかも怖い。人を信じることが怖いし、裏切られることも怖い。だから、ベルの気持ちを受け入れてしまうのも本当は怖かった。嬉しかったよ。死ぬほど嬉しかったけど同時に疑ったのも事実だった」


 ぎゅうっとベルを抱き締めて気持ちを沈めようと頭を擦り付ける。

 これは、懺悔なんかじゃない。ただ、俺が自己満足したいだけ。全てを知った上で受け入れて欲しいだけ。醜すぎる。どこまで自分勝手なんだ。


「ごめん、ごめん。好きになってごめん。こんな俺を許して。君を愛することを許して。嫌わないで」


 許しを乞い、愛を強請(ねだ)る。愛して、とはどうしても言えなかった。


「大丈夫です。許しますよ」


 ベルはそっと口付けをして、どこから取り出したのか雨が降りしきる中、傘を差した。そっと差し出された傘の下で微笑む彼女を呆然と見る。


「貴方が愛せない貴方自身を、私は愛します。貴方が許せない貴方の醜さを私は許します。そう、自分を卑下しないで。誰にも愛されないなんて、悲しいこと言わないで下さい。ディラン様が私を愛してくれているように、私もディラン様を愛していますよ。今は、自分の嫌いな所が目について自信を持てないかもしれませんが、私はディラン様の良いところを沢山知ってます。もちろん、嫌なところも」


 ビクリと肩を震わせれば、優しく背中を擦られた。不安そうな気持ちが全面に出ていたのか、またベルからキスを贈られた。


「きっと、今日、ディラン様のことをいっぱい知ることができました。貴方が嫌悪する、貴方の本性を。それでも、私は変わらず貴方を愛しています、ディラン様。悲しさにくれる日は、こうして私が雨を凌いでみせますから」


 ベルは傘を離して、思い切り抱きついてきた。さっきまで降っていたはずの雨が、霧のように弾けて消えた。暖かい体温を逃がさないように、強く強く抱き締めた。


「私は側にいますから、不安になったら頼ればいいんです。辛くなったら言えばいいんです。信頼って言うのはそのために存在するんですよ」


 だから、私を信じてみて下さい、そうベルは言う。ベルを信じるのが一番怖いのに、随分と軽く言うなぁ。じっとベルの深い紫の瞳を見つめた。


「もしもベルが裏切ったらどうするの?」

「え、私がですか?」


 ベルがうーん、と唸る。それは考えたことなかったです、なんて呟いて悩むように首を傾げた。


「そんなこと、無いと思いますけど」

「他に好きな人ができるとか。俺が面倒臭くなったとか。色々あるでしょ?」

「んー……?」

「ちゃんと考えて。ベルはどうするの?」


 腕に力を込めて更にキツく拘束する。さすがに苦しかったのか、ベルが呻き声を上げた。


「信じて、でも裏切られたら。ベルが俺から離れようとしたら、その時は本当に足を奪うよ? 冗談じゃない。捕まえて束縛してぐちゃぐちゃにしちゃうからね」


 それでもいい? なんて聞けば、さすがのベルも顔色を悪くした。


「さ、さすがにそれは……。もっと優しくいきましょうよ」

「それくらいの覚悟を持ってくれたら、俺もベルを信じられる」


 俺だって自分の精神(こころ)をここまで許したんだ。今まで誰にも干渉されなかった俺の弱い部分を。

 詰めるように睨んだら、ベルは一瞬きょとんとしてクスクス笑った。


「ディラン様ばっかりっていうのもずるいので、私も教えて差し上げますね」

「……なにを?」

「実は私も、自分の心の中に行ったんです。ガルヴァーニの影響によるものなんですけれど」

「え!? 何かされた!? 大丈夫なの?」


 忘れてた。今、こんな風に寝てる場合じゃないのに。ガッとベルの肩をつかめば、大丈夫ですから、と笑われた。


「その時にですね、私が本能的に守ってる宝物を見ることができたんです」

「たからもの?」

「なんだと思います?」


 ベルの宝物……しかも、心の奥に隠してる。そんなの、分かるわけがない。物なのか人なのかはたまた記憶なのか……。


「アスワドだったらアイツを殺す」

「物騒なこと言わないで下さいよ。頭は良いのにこういうところはとんと疎いですね。さっき言いましたよ、私。ディラン様を愛してるって」

「えっ……もしかして、俺?」

「ふふ、どうして思い付かないんですか。心の奥で、大事そうにディラン様を守ってました」


 ベルはそう言った後、ちらりと不安そうにこちらを見た。上目遣いが可愛くて、変な声が出そうになる。というか、え? ベルの心の中に俺がいたの??


「それで、えっと、引かないで下さいね? 私、心の中でディラン様を、棺桶に閉じ込めていたんです」

「棺桶? 俺、ベルに殺されたの?」


 自分で言っといて、ゾクゾクと背中が痺れるような快感が脳を支配した。ベルはその性格から考えて、人を傷付けることなんてできない。しない、ではなくできない質なのだ。

 そんなベルから殺しや死が連想される棺桶に閉じ込められるなど、どれほど強い思いを向けられているのか。


「違いますよ! 憶測ですけど、きっと、ディラン様を死ぬほど愛してるとか、死ぬまで一緒にいたいとかそんな感情の表れだと思っ……」


 その瞬間、ブワッと花が咲き乱れた。さっきから、雨が降ったり花が咲いたり、俺の脳内は随分と忙しないようだ。

 たまらなくなって、ベルに噛みつくようなキスをした。


「ディラ……んぅっ」

「ベル、俺、俺すごく嬉しくて、どうしよう」

「良かったです。引かれなくて」

「引くわけない……俺の方が過激だし。でも、嬉しい。本当に、すごく」


 今ならなんでもできる気がした。ベルさえ側にいれば、なんでも。──たとえ、ガルヴァーニがここに来たって。


「来るね」

「え?」


 ベルを離して、指を鳴らす。そうすれば、彼女は檻のようなものに閉じ込められた。心の中というのは魔法よりずっと融通が効くらしい。


「さすがだね、ディラン。僕の気配が分かるのか?」


 ベルが後ろでひゅっと息を飲んだのが分かった。金髪に青い瞳。面白いほど俺と同じ色彩を纏う、ガルヴァーニの姿がそこにあった。容姿が違っても、その気配は同じだ。


「ほんっと──ムカつくなぁ。僕の計画をめちゃくちゃにしてさァ。あのピンク頭の小娘も、お前らも」


 ピンク頭の小娘ってことは、アリアが何かしたのだろうか。あの女はどこか不思議な雰囲気があるから、なにか特別な力があったのかもしれない。苛立ったようにガルヴァーニは俺たちを睨んだのでバカにするように鼻で笑ってやった。


「お前の魂は随分と削れているんだな。随分と気配が小さくて気づくのに手間取ったよ」

「……っ、僕を馬鹿にするのも大概にしろよ!」


 禍々しい気配が、ガルヴァーニの体から吹き出した。なんだ、あの煙。ボヤ騒ぎを俺の精神世界で起こさないで欲しい。


「ディラン様……」


 不安そうなベルに、にっこりと微笑んだ。大丈夫。ベルがいれば、俺は負けない。


「ハッ! 守るための結界が檻だなんて趣味が悪いな。さながら魔王のようだぞ」

「黒い煙吹き出したお前に言われたくないが、あながち間違いじゃないかもな」


 いいじゃないか、魔王。

 化け物の俺にぴったりだ。

 お望み通り、魔王が勇者に大勝利する最高のバッドエンドにしてやるよ。



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