第110話『悪役令嬢は王子の本性を知る』
ヤンデレ度★★★★★
そこは、暗い暗い、底無しの沼みたいな場所だった。なにかがあるわけでもない。ただただ暗いだけ。恐らく、ディラン様の記憶を見た後に来た暗闇と同じ場所だ。
急速に落下していくのを感じたのも最初だけで、後からは落ちているのかすらも分からなくなった。でも足は地に着かないし、自分の声すら聞こえない。
ふと下を見てみると、ぼんやりと明かりのようなものが見えた。
これが、ディラン様の衷心。彼の本性。
すべては、ここから来ている。
私の心は思い出から作られていたけど、ディラン様は違う。本当に何もない。空っぽだ。
唯一あるとすれば、扉の前の秘密基地と私の体に纏わりついてくる生暖かい風。暗闇の中でも、その風だけはずっと私に付きまとってくる。
徐々に明かりが鮮明になり、中央に人がいるのがはっきり見えた。ディラン様を守るように蝋燭のような灯りが辺りを照らしている。浮いていると思ったランプは剥き出しの蝋燭だったようだ。
ふわっと体が落下速度を落とした。風がするすると私を巻き込んで、上手く着地させてくれる。ディラン様からは数メートル離れていた。
「あっ、んん? あー」
声が出る。
さっきまで空気がないように自分の声すら聞こえなかったのに、よく声が響いた。取り敢えず裸足のままペタペタと地面を歩いて光の方へ迷いなく進む。
途中まで行って、ふと体が止まった。
自分の意思じゃない。ただ、体が動かない。
鎖が巻き付いているわけでもないのに、これ以上進めなかった。もしかして拒まれてる……?
驚いて1メートルほど先にいるディラン様を見た。今度は顔がはっきり見えて、彼の惨状がよく分かる。
呆然と立ったままのディラン様の足元からは真っ赤なバラが蔓を伸ばし、彼の手足に巻き付いていた。その蔓は首まで及び、彼の顔すら傷付けようと上を向いている。所々に毒々しい真っ赤な花を咲かせ、一瞬ディラン様の血かと思ったほどだ。
金色の髪は蝋燭に照らされて絹糸のようにさらさらと顔を覆い、なんとか前髪から覗く青い瞳は闇より深くぼんやりと足元を見つめているだけ。
子供の姿じゃない、今の姿でそこに縛られるディラン様はあまりに痛々しい。
体が動かないことは無視をして、話しかけることにした。
「……ディラン様───きゃあああ!?」
たった数文字。
ほとんど喋ってない。単語だけ。
それなのに、ディラン様の指先がピクリと動き、私の足元からバラの蔓が伸びてきた。
私の体を雁字搦めにして、その棘で傷付ける。想像以上の痛みから、呻き声が漏れる。
「ぁ……べ、ベル? ねぇ、ベルなの?」
うつ向いていた顔を上げて、初めてディラン様が反応を示した。私はほっとして棘も忘れて思い切り首を振った。
「そうです! ベルティーアです!」
「───なんで、………なんで来るんだ!?」
「いっ!?」
待て待て待て。
めっちゃ痛いんですけど。バラの棘が食い込んでくるんですけど。
突っ込みながら、食いしばってなんとか堪える。これは長期戦は見込めない。早めにキリを着けないと本当に私もボロボロになる。
唇を震わせてディラン様がこちらを睨む。いっそ、憎悪すら向けられているような鋭い視線だった。
「──俺、頑張ったよ。ベルのこと考えて、我が儘言わないようにして自立して努力して、だって、君に嫌われたくないから。気持ち悪いって思われたくないから、だから俺、ずっと隠してきたのに……」
「ディラン様……落ち着いてください、大丈夫です」
「何が大丈夫なんだよ!?」
ドカンッと暗闇のどこかで爆発音がした。
そうだ。ここは彼の心の中。何だってできるんだ。
「無責任なこと言って! ベルはいいだろ!? 俺なんか居なくたって、きっと幸せに暮らしてしまう。俺が死んだっていつか忘れる。君は友達も、家族も、なにもかも持ってる。だけど、俺は違う。違うんだよ。俺には、ベル以外は価値あるものに思えない」
かくんと項垂れてディラン様はポタポタと涙を流した。
違う。それこそ違う。
酷い思い違いだ。
「ディラン様、違います。間違ってます。貴方を失って悲しまない人がいるなんて嘘です。貴方が気づいていないだけで友人もいます。家族にだって私がなるじゃないですか」
ディラン様はまた反応しなくなった。
足元を見つめてさっきと同じ体勢のまま、ぼんやりとしている。私は蔓から抜け出そうと体を捩るが、痛くて無理だった。
「ディラン様! 私、貴方が好きだって言いました! 告白しましたよね!? 好きなんです。貴方が、必要なんです!」
必死で懇願した。
こっちを見て。気付いて。
貴方の存在意義はここにある。
気付いて。お願い、ちゃんと、見て。
「分かってない……君は何も分かってない!」
叫んだディラン様の声は涙で濡れていた。
「友達なんてそんなの、どうでもいいよ。ねぇ、分かる? 俺はベルだけ欲しい。君の中で存在意義が欲しい。君の中で生きていたい。好きなんてそんなもんじゃない。もう、苦しいくらいだ。苦しくて苦しくてたまらない。
──ベル、これが最後だよ。俺のこと、本当に知りたいの?」
私は躊躇わず首肯した。ふっとディラン様は笑う。
ひどく、寂しそうに。悲しそうに。
どうしてそんな顔をするの?
私の気持ちは届かないの?
好きだって、言ったのに。
私の思考が働いたのはそこまでだった。
「ぇ………っぁああぁぁぁあ!」
ガツンッと脳を直接揺さぶられるような衝撃。内臓を絞られるような気持ち悪さ。体をバラバラにされるみたいに心が痛い。苦しい。何、これ。
巡るのはきっと、ディラン様の思いだ。だけどそれはあまりにも過激で脳が焼き消されてしまいそう。
好き、大好き愛してるよ、君だけだ。君がいたら何もいらない。あぁ、綺麗だ。好き好き好き好き。可愛い。誰にも見せたくない。俺を見て。俺だけを感じて。俺だけ。ねぇ、俺だけを好きになって。なんで他の人に笑いかけるの。愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。
「俺の気持ちは重い? 迷惑? そうだよね。だって、こんなに好きだもの。ベルでも堪えきれない。潰されて、壊れちゃう。痛いでしょ? 精神に直接他人の感情を押し付けられるなんて、拷問と同じだよ」
拷問だと言うわりには随分と愉快そうに笑う。
「壊れたら、治して。また壊して、ずっとここにいよう? 死ぬまで、ずぅっと。俺の重すぎる愛で君を壊してあげるから」
もう、気分が悪くて口もきけない。
精神的にズタボロにされた気分だ。
胸がムカムカして吐きそう。
愛とか、好きとか、ディラン様はずっとそれを言ってる。俺だけとか、独占欲の塊みたいなこと考えて。
私のこと、そんなに好きなんですね。
ふっと笑みが溢れた。
「た、しかに……重いです、ね」
ハッとディラン様の肩が揺れて、一瞬で瞳が涙で潤んだ。自分で言ってたくせに、自分で傷付くんだ、とまた笑う。
ここは、所詮心の中。
だから物理的な問題なんてあるわけなくて、全ては自分の心の持ちよう。
私は意を決して身体中に力を込める。そして今までずっと絡み付いてきていたバラの蔓をブチブチと豪快に千切っていく。
さすがにこの絵面にディラン様も絶句した。
「ふぅ、中々手強かったですよ」
バラの蔓が媒介だったのか、心の声はもう聞こえない。
「ディラン様のお気持ち、よく分かりました」
私はとんとんと胸辺りを叩いて笑う。
ディラン様は呆然として口を開けているだけだ。
「いやぁ、中々堪えますね。私も、一方的なのは気に障るので」
気が付けば体が固まることなんてなかった。着実にディラン様との距離を縮められている。
近づく度にディラン様は恐怖を浮かべた。
「怯えないで下さい。何もしませんよ」
にっこりといい笑顔で微笑むがディラン様は首を振るだけ。どんだけ信用ないんだ、と内心項垂れる。
「ディラン様は、私すら拒んでますね」
ふっと寂しそうに視線を落とすとディラン様は瞠目した。
「ちが、違う! 嫌われたくなくて……」
「寂しいですよ。私ってそんなに頼りないですか?」
「ベルが……壊れると思ったから」
「そんな柔に見えます?」
「……」
そう聞くと流石にディラン様も黙った。
バラの蔓を無惨に千切ったのが衝撃的だったらしい。
「もっと甘えてもらって結構ですよ」
バラの棘が侵食してきそうな頬を両手で包む。びくりとディラン様が震えた。
怯えたような、だけどどこか安心したようなディラン様の表情に優しく微笑む。
本当に、子供みたいな人だ。
「ディラン様、想いっていうのはこうやって伝えるものです」
「やめ、怖い、お願い拒絶しないで」
「大丈夫です」
コツンとおでこを合わせて、ついでに目も合わせる。綺麗なブルーだなぁ。
孤独の中にいる貴方に。
寂しそうに笑う貴方に。
大好きな優しい貴方に。
たった一言。私の想いを乗せて。
『愛しています』




