第107話 『初代王妃』
目を開けた瞬間、海の景色が広がる。自分がいる場所が浜辺であるということに気が付くのは早かった。家族旅行で行った島によく似ているけど、よくよく見れば違う。
浜辺のところどころにあるゴミや汚い海をみれば、とても観光地とは思えない。
「ようこそ、おいでくださいました。心から歓迎いたします」
凛と響く声に、思わず後ろを振り向く。そこにはゆったりとした白いドレスに身を包んだ美しい女性がいた。金色の瞳が印象的で、目が離せない。さっきまで、ディラン様とクララといたはずなんだけど……。
「えっと、貴女は……」
「私はクララです。ここはクララの心の中。私の能力は、心の橋渡しですからここはただの通過点だと思って頂いてかまいません」
クララは先程と打って変わって、ハキハキと丁寧な言葉遣いで話した。別人のようなその姿に思わずなめるように見てしまう。
不躾なその視線に、彼女はふんわりと笑った。
「あ、ごめんなさい。ジロジロ見てしまって……」
「いえいえ、貴女が驚くのも無理はないのですよ」
優しいその声色と雰囲気に、誰かが重なる。誰だろう。誰かに似ている……。
「ベルティーア様。貴女には、前世の記憶がありますね?」
突然言われた言葉が理解出来ず、がちりと固まる。その一瞬の沈黙が肯定だと取られたようで、慌てて否定した。
「いえ、私は」
「隠さなくてもよいのです。今のわたくしの力は人の記憶を知ることができるものですから、初めから知っています。質問が意地悪でしたね」
クララは申し訳なさそうに眉を下げて謝った。"今のわたくし"とは? 引っ掛かる言葉に首を傾げた。
「ここはクララの心の中です。心の中という神聖な場所には、持ち主個人の思い出や幸せ、はたまた夢や不安だったこと恐ろしかったこと、様々なものが詰め込まれています。ここは王都から遠くはなれた辺境の地。人々に忘れられた浜辺です」
「なぜ、そんな場所が……」
私の心の中は沢山の物で溢れていた。好きな物、気に入った物、思い入れのある物が沢山あった。
「唯一のわたくしの思い出が、ガルヴァーニと見たこの海だったからです。クララは初めて美しいものに出会いました。そして、感動しました」
海に沈む夕日が、私たちを照らす。さっきから沈む気配のないその太陽はまるで静止画のようだ。それでも波は押し寄せては返っていく。
きっと、クララが見た景色がそのまま再現されている。
「前世というものは、誰でもあるのです。クララもガルヴァーニにもラプラスにも、もちろん、ディランにも」
クララは自嘲するように笑う。
「クララはあまりにも自我がないので、前世の存在であるわたくしがここを管理しています」
「クララは前世の存在を知っているのですか?」
「いいえ。基本的に、前世は思い出すことはありません。なぜなら、前世とは今現在の通過点でしかないからです。魂が新たな人生を歩むのに、前の記憶は必要ない」
「……それは、私が前世を思い出したことに意味があるということでしょうか」
「そうですね。意味はあります。貴女の魂が思い出すことを選んだのです」
まっすぐこちらを見つめるクララの視線に、私はそらすことが出来なかった。
「クララの前世は、初代王妃です」
「……えっ?」
「前の名はクラーラ・ティーン。もう捨てた名前ですけれど」
「クラーラ・ティーン」
それは、間違いなくこの国の初代王妃。ヴェルメリオ国王の正妻であった女性の名である。
慌ててその場に平伏した。肖像画とは違うから全く気付かなかった。やはり絵ではあてにならない。
「クラーラは死んだのですから、そう畏まらないで。今はただのクララです」
「いえ、いえ。偉大なる国母に祝福を」
頭を下げたままの私に、彼女は困ったように笑う。
「お願いです。このままでは貴女と話せません。どうか顔を上げて」
「王妃陛下のご尊顔を拝せること、恐悦至極に存じます」
王族への最上級の敬意を示す。
初代王妃であれば、たとえ亡くなったとしても陛下でいいだろう。
「重要なのは、わたくしの前世ではないです。ガルヴァーニと、ラプラス、そしてディランのことです」
「ラプラス……?」
ディラン様とガルヴァーニのことなら分かる。だけど、ラプラスはもう魂を取り込まれてしまった人物だ。
「ベルティーア様、なぜ、ラプラスは魔法が使え、ガルヴァーニに適応することができたのでしょう?」
「……それは、彼がガルヴァーニの子孫だからでは?」
「それも理由の一つです。ですが、魔法というものは血筋、そして魂と深い関係があります。ディランが先祖返りと言われるように前世の因果と強く結び付いているのです。わたくしも前世は王族の端くれですから、魔法を使えました。その影響か、クララは魔力とまではいきませんが、先天的に不思議な力を宿しています」
つまり、前世と血筋、この二つがそろえば魔力持ちとして最強ということだ。クララは今世では王族の血筋ではなかったから、魔法は使えない。逆に、血筋と魂、その二つを持つのがディラン様なのだろう。
「魔力が、血筋と共に薄れていくということを知っていますか?」
「はい。現在の王族もどんどんと魔力量が減ってきていると聞きました」
「そうです。魔力持ちは、いずれ絶滅する運命。だから、王家に魔力なしであるガルヴァーニが産まれたことはある意味自然なことでした。彼はそれが許せなかったようですが」
クラーラ王妃は悲しそうに視線を下げた。
「普通に考えれば、魔力なしであるガルヴァーニの子孫から魔力持ちが現れるなんてあり得ません。不可能に近い。……なのに、ラプラスは産まれてしまった。ガルヴァーニの子孫で、魔力持ちとして。誂えたようにぴったりの人物に、ガルヴァーニが違和感を感じないはずがない。ですが、もう彼も正気ではないですし判断力も低下しているでしょう。彼が蘇るには、ラプラスを乗っ取るしかないのですから。しかも、ラプラスは魔力を保持するだけでなく、ガルヴァーニの封印されていた聖書に触れた。天文学レベルの確率です。なぜ、こんな悲劇が起きてしまったのか。ガルヴァーニは聖書のなかでその魂さえも消えていくはずだったのに」
美しい彼女の金色の瞳からぼろぼろと涙が溢れた。波の音が大きくなる。
「ラプラスの前世は、ヴェルメリオです。わたくしの、前世の夫。間違いありません」
ラプラスの前世が、ヴェルメリオ国王?
その瞬間、雷が落ちたように、唐突に全てのことが繋がった。ヴェルメリオ初代国王がラプラスの前世なら、彼が魔力持ちであることに説明がつく。それだけじゃない。ラプラスがガルヴァーニに体を明け渡した理由も、うまく適応できた理由も、全てが解決する。
二人は、双子だった。
双子は魂の片割れ。
「こんな形で、償いをし一緒になるだなんて、なんてなんて悲しいことでしょう」
二つに割れたはずの魂が、元に戻った。
兄が弟の魂を食い、身体を乗っ取るという方法で。ラプラスがガルヴァーニの器になることは偶然でもなんでもない。必然に近い、確定された未来だった。
「ベルティーア様。きっと、ガルヴァーニはディランを器にはできません。肉体と魂が結ぶ関係は、そう単純なものではないからです。最悪、ガルヴァーニの魂もディランの魂も消えてしまいます」
「そんな……っ!」
「特に、ディランは今危うい状況。全てを諦めて、ガルヴァーニに身体を明け渡す可能性もあります。それが成功するかは別として」
クララの言葉に、何度も何度も頷く。失敗してはいけない。なんとしてでも、ディラン様を助け出さなくては。
「貴女はこれからディランと彼の記憶を"一緒に"追体験してもらいます」
「一緒に?」
「貴女の気配を感じた方が彼も多少は安定するでしょう。ですが、それだけでは不十分です。貴女が、ディランを取り戻すのです。なんとしてでも、生きる理由を与えてあげてください」
「生きる、理由」
「ディランは、弱い。だから、自分で自分を愛してあげられない」
「……はい」
「貴女が救うのです」
クララの言葉に、力強く頷く。
「ディランの激情に呑み込まれてはいけません。呑み込まれれば、貴女は一生彼の魂に縛られます」
恐ろしいことをさらりと言いながら、彼女は手を翳してブラックホールのようなものを作り出す。もしかして、この中に飛び込まなければならないのだろうか。
「この奥に、ディランの魂があります。まっすぐ歩いて、決して後ろを振り返らないように。ディランへの悪意をもってはいけませんよ。すぐに弾かれてしまいますから」
悪意って、なんだろう。そんなもの持ったことないけど……。少々不安にかられながらブラックホールの目の前に立った。
「王妃陛下、本当にありがとうございました」
「いいのですよ」
ふわりと微笑んだ彼女に背を向けて、暗闇に踏み出す。
「わたくしも、貴女にお願いがありますから」
え? と思った時にはもう暗闇に足を踏み出した後で、振り返ることなどできない。
「どうか、悲しいあの双子を救ってあげてください。苦しみから、解放してあげて下さい。そして……」
"殺してあげて"
この言葉を最後に、世界は暗闇に包まれた。後ろにあった夕日の光も感じず、前に進むしかないことを悟る。
とんでもない爆弾を落としてきたと思いつつ、今はディラン様を救うために歩みを進めた。




