第106話『癒しの娘』
部屋で伏すアリアに、アスワドが話しかける。
「アリア、大丈夫か?」
「これが大丈夫に見えるの!?」
ガッと顔をあげ、アリアは叫んだ。アリアの剣幕に、アスワドは怯むことなく、むしろ悲しげな表情を見せた。それを見たアリアは八つ当たりしてしまったことを恥じるように俯く。
「これ以上、どうしろっていうの……。ベルと王子は連れていかれたし、なのに居場所が分からない。しかも魔力持ち? 敵うわけ……っ」
学園内全てを探し回っても、二人はおろか、ガルヴァーニさえ見つからなかった。アリアの焦りは当然と言えた。どれだけ気丈に振る舞っていても心が折れそうになる。
珍しく落ち込み、参っている様子のアリアを見かねてアスワドは優しく抱き締めた。
「落ち着け。ゆっくり、深呼吸して、考えよう。二人で」
「……うん」
派手にガルヴァーニが暴れまわった後の学園はそれはもう混乱状態だった。しかし、それは生徒だけで教師は微塵も動じてなかったし、帰路を素早く封鎖された。生徒は人質のように学園内に軟禁状態で、未だ混乱が続いている。
学園はめちゃくちゃで、親友の居場所も分からない。アリアが衰弱するのも無理はない。
その時、部屋の外が騒がしいことに気付く。今までずっと煩かったが、さっきとはまた違った雰囲気で叫ぶ声があちらこちらから聞こえる。
「ホールに集合! 全校生徒、ホールに集合せよ!」
随分と強引なアナウンスではあるが、混乱状態の生徒には希望を与えるものでもある。アリアとアスワドも目を合わせ、情報収集のために立ち上がった。
◆◇◆
「アリア! アズ!」
アリアとアスワドをホールで出迎えたのはシエルだった。いつもの女性の姿ではなく、男子用の制服を着こなしている。
「心配したんだよ、姿が見えないし、巻き込まれたって聞いたから」
「巻き込まれたのはベルと王子よ。目の前で見てたのに……不甲斐ないわ」
歯噛みするアリアを見て、さすがのシエルも励ますように肩を叩いた。その手はすぐにアスワドによって弾かれたが、シエルが堪える様子はない。
「君のせいじゃないよ。僕なんかなんにも状況が把握できてないんだよ?」
「自慢げに言うことじゃないわ」
むんっと胸を張ったシエルに、アリアも思わず笑ってしまう。笑顔になったアリアに、アスワドもシエルもほっと胸を撫で下ろした。落ち込んでいるアリアはらしくない。
「生徒の皆様、お集まり頂きありがとうございます」
演台に立ち、マイクを使ってそう言ったのは頭の禿げた校長だった。入学式の日に見たその姿にわずかに首を傾げる。こんな局面で出てくるような人物にも思えないのだが、これはアリアの偏見だろうか。
生徒は落ち着くどころか、恐怖に怯え声を上げている。早く帰せ、どうなっている、家に言い付ける、など言いたい放題だった。
「混乱もありますでしょう、怯えもございますでしょう。しかしご安心ください! 貴方方はすぐに解放されます!」
長々と入学式に話していた校長とは雰囲気が違う。何か不穏な気配を感じてアリアとアスワドは身構える。シエルだけは「別人のように堂々としているね!」なんて感心していた。
「ガルヴァーニ様に祝福を!」
校長の腕に煌めいている、あれは。
「耳を塞いで!」
アリアの大声は、喧騒のせいで周りにいたアスワドとシエルにしか聞こえなかった。全力で耳を塞ぎ、声を遮断する。あの腕輪はミラが持っていたものだ。あとからベルに聞いて、それが魔法道具であったと知った。
「『眠りなさい』」
ホールの喧騒が静まり、生徒は呆けたまま動かなくなった。眠る、というよりこれはもう廃人にしてしまったのではないかとホールの様子に己の目を疑う。
演台に立っていた校長は魔法道具の反動か、泡を吹いて倒れていた。もしかしたら校長もガルヴァーニに操られているだけかもしれない。
「アズ、シエル、大丈夫?」
「なんとか……」
「ちょっと頭が痛いくらいだよ」
二人とも耳を塞いでいたおかげて直接的なダメージは防げたようだがやはり完全には防げなかったようだ。アリアはポケットに忍ばせていたオカリナを取り出す。
「アリア……?」
見慣れたそのオカリナに、アスワドは眉を寄せる。アリアは思い切り息を吸い込んで、ホール全体に音を響かせるように吹いた。軽やかなメロディーが空気を浄化するように響く。
アリアは確信した。どういう原理か分からないが、ヒロインの体には精神魔法が効きにくいらしい。これは先天的なものではなく、音楽で人を癒せるスキルを身に付けてから耐性のある体質になった。ミラの時はホリデー前で、まだこのスキルを身に付けていなかったので、まんまと策にハマったわけだけど。
思い出せ、思い出せ。
ヒロインの、私の力を。
ヒロインに、不思議な力があることは確かだ。音楽で人を癒すなど、中々できることではない。ヒロインは特別。では、何が特別なのか。
桃色の髪? 黄金の瞳? 稀有な才能?
どれをとっても特異なことには変わりないが、なにか決定的なものを見落としている気がする。アリアはオカリナを吹きながらずっと考えていた。
「……リア、アリア!」
アスワドの叫び声にハッとオカリナから口を離す。気がつけば生徒は皆床に倒れて眠っていた。さっきより幾分か顔色がいいことにほっとする。
オカリナを吹いただけで息の上がっている自分に気付き、アリアは驚いた。額には汗が滲んでいて、疲労感に襲われる。ぼうっとしているとアスワドから抱きつかれた。
「よかった……。消えてしまうかと思った……」
消え入りそうなアスワドの声にアリアはパチパチと目を瞬かせる。抱きついたままアリアを離さないアスワドを見かねて、説明を求めるようにシエルを見た。
「アリア、君のお陰で僕たちの体調も回復したし、生徒も糸が切れたように眠ったんだけど……その、オカリナを吹いてる間、アリアがなんか、光ってて……」
「はぁ? ひかる? 人間が発光するわけないじゃない」
「いや、でもキラキラーって! 僕は美しくて見惚れてしまったよ!」
珍しく言い淀んだ様子のシエルだったが、すぐに明るく感激を言葉にする。光ってるなんて、自ら発光しているみたいであまり格好がいいとは思えず、アリアは複雑な気持ちになった。
「……アリアは、知らないかもしれないが、俺たちはディラン様の護衛をするためにホリデーに王城へ行ったんだ」
「知ってるわよ、それくらい」
「そこで、人生で初めて魔法というものに触れた」
アスワドは不安げに、今までみたことないほど困りきった顔でアリアを見つめる。その瞳の奥に燻る暗い暗い影に、アリアは目を見開いた。
アスワドは、馬鹿じゃない。むしろ、要領がよく賢い部類だ。勘は特に冴えていて、悟るのが早い。
アスワドの表情に、閃くのは早かった。アリアも、勘の良さでいえば誰にも負けないほど冴えている。アスワドのこの表情と、アリアの発光。さらに不思議な癒しの力。
導きだされる答えは一つ。
(私も魔法を使える……?)
アリアの使える力が癒しの力ではなく、精神魔法に対抗できる魔法だったら? すべての辻褄が合う。だけど、魔法を使えるのは王族だけだ。それはつまり、アリアに王族の血が混じっているということに他ならない。
突然うまれた身分の差に、さすがのアスワドも動揺を隠せていないのだろう。だが━━。
「確信するには早すぎるわ」
アスワドを引き離して、アリアは考えた。この力を、全力で引き出すしかない。幸い、さっきオカリナを吹いた感覚は覚えている。あんな感じで魔法を放てばいいわけだ。
さまざまな可能性を考え、行動する。でないと、本当に死んでしまうかもしれない。
アリアは演台に登り、校長の腕につけてあった腕輪を拾った。校長も今は気絶しているだけのようで先程の危うさはない。
魔法道具である腕輪は、アリアの手に渡った瞬間、弾けてキラキラと光になる。
(ほぼ確定ね)
理屈は分からないし、自分が魔法を使えるようになった原因も分からない。でも、今はそれでもいいだろう。ガルヴァーニに対抗しうる力を持っている、その事実だけあればいいのだ。
わずかに希望を感じたところで、さっき光になったはずの腕輪の残骸が消えることなく風に乗るように移動していることに気付く。
(もしかして、魔力って持ち主に還ったりするのかしら)
自分でも素晴らしい直感だと思いながら、この光を追うことに決める。
「アズ! シエル! こっちよ!」
生徒を丁寧に寝かせていた二人はアリアの声に顔を上げ、彼女の後をついていくのだった。




