第11話 『今世の弟Ⅱ』
バラの薫りが漂う庭に、暖かい陽の光が降り注ぐ。
「ベル……そろそろ落ち着きなよ」
「今日ついに弟がくるんですよ! 落ち着いていられません!」
うろうろとそこら辺を往復しながらそう言うと、王子は何度目か分からない溜め息を吐いた。
「ドレスとか変じゃないですよね?」
「……ベルはさ、婚約者である俺の前で変なドレス着るの?」
「あ……すみません」
また溜め息をつかれた。
「今日はシュヴァルツ様はいらっしゃらないんですか?」
王子の鋭い視線が痛すぎて思わず話題を変える。美しい金髪がキラリと輝いた。
「うん。そろそろアイツも仕事覚えなきゃならないからなあ」
最近、シュヴァルツが遊びに来ることが減った。
私が王子妃教育をする時期に、王子も本格的に仕事を覚えていく。夫婦同時進行の修行である。主人である王子に合わせて家臣の仕事も増えていくのだろう。
シュヴァルツは家臣の中でも側近っていう重要なポジションだし、大臣の息子らしいし。大変さは人一倍だ。
「ベルともこうやって遊べなくなるね」
ちらりと王子を盗み見ると、王子は少し寂しそうに笑っていた。
「……楽しかったですか?」
敢えて何がとは言わない。恐る恐る聞くと私の問いに王子はゆっくり頷く。
「とても。人生で一番楽しい日々だった」
この時、王子は心から笑っていたと思う。きっと、本当に楽しいと思ってくれていた。よかった。ほっと胸を撫で下ろして、私も感謝の言葉を口にした。
「今日まで私の我が儘をきいてくれてありがとうございます。私も、すごく楽しくて充実した日々でした」
私のできる最大の感謝と優しい笑顔を浮かべて王子にそう言った。王子は少し瞠目したあと、呆れたように笑って首を傾げた。
「なにその、これで終わりみたいな言い方。ベルは俺の婚約者なんだから我が儘なんていつでも聞くのに」
「そう、ですね」
一瞬、ドキリとした。
私は、ずっと王子の婚約者ではいられない。学園に入れば、尚更王子とはもう一緒にいられなくなる。それでも、彼が幸せになる様子を間近で見ていたいと思うのは我が儘だろうか。
王子にはヒロインと結婚して、幸せになってもらいたいと心から思う。彼は幸せになるべき人物だ。だが、こうやって私達と遊んでも、彼の根本的な傷の癒しにはならない。
王子が幸せになれたら、精一杯祝福する。できれば結婚式にも呼んで欲しい。ヒロインのブーケトスを私に定めてくれたら尚良し。
「それに本格的に仕事が始まるまであと数ヶ月はあるよ」
王子の声にハッと我に返った。
王子の幸せを願っているのに、私が幸せになってどうする!
「そうですね、沢山遊びましょうね!」
気を紛らわせるように勢いよくそう言うと、王子も賛同するように頷いた。
「ベルをいじめるのは楽しいからね」
「いじめるって……」
剣呑な視線を送ると、王子はまた笑う。いつものからかうようなものではなく、愛しむような優しい微笑みだった。
「ベル。俺も君に感謝しているんだ」
王子が私の手を優しく包む。
ビックリして王子を見ると、青い瞳が優しく細められた。
「俺に幸せをくれてありがとう。あの日、真剣に向き合ってくれたことには今でも感謝してる」
どうしようもなく、目頭が熱くなる。
今言うこと? 泣かせる気なの?
あの日、王子の孤独を埋めようとしたのは間違ってなかったってことだよね。私の方こそ、救われた。
前世を持つという、異様さ。未来を知っているという、イレギュラーな存在。本来のベルティーアならしないようなことをした。令嬢として、王族の婚約者として有り得ないことを沢山した。こちらこそ、こんな奇異の存在を受け入れてくれてありがとう。
気がつけば私はボロボロ泣いていた。
「ああ、ほら。泣くと目が腫れちゃうよ」
王子は困ったように笑いながら私の涙を高級そうな服の袖で拭ってくれた。いつも人をからかうくせにこういう時優しいよなあ、王子は。
やっぱり彼には幸せになってもらいたい。
◇◆◇
王子を見送った後、ぶち腫れた目を冷水で冷やす。
「今からベルの新しい弟が来るんだけど……。大丈夫?」
「もう少し、もう少し待ってください」
玄関で弟が来るのをお父様と待っているのだが、中々腫れが引かない。こんなんじゃ新しい弟に悪い印象を持たれてしまう。王子があんなこと言うから……。
思い出したらまた泣きそうになったので慌てて思考を切り替えた。
「お父様、私の弟のお名前を教えてくれますか?」
「名前? 私から聞くよりも彼から直接聞いた方がいいんじゃないかな」
「確かに、そうですね」
二人で話していると、玄関のドアがガチャリと開いて、使用人が入ってきた。目に当てていた氷嚢を素早く背中に隠す。
彼は礼儀正しくお辞儀をして、言葉を続けた。
「当主様、ベルティーア様。ティレフィア家の方々がご到着されました」
「お通ししろ」
「御意に」
メイドは恭しく礼をして、またドアの向こうに消えていった。私は近くにいた侍女に氷嚢を渡して、身なりを整える。
ついに、来る。私の弟が。
「さ、来るよ」
お父様の声を合図にしたように、大きな扉を使用人が開いて三人の人が入ってきた。太った女の人に、わりとイケメンな男性と、私よりも少し背の低い子供。子供は女性の背後にいて、シルバーグレーの髪がちょこんっと覗いている程度だ。
きっとあの子が私の弟。
「お久しぶりです、ジーク当主様。ティレフィア家当主のバハル・ティレフィアと申します」
「ご機嫌麗しゅう、当主様。バハルの妻、メルリと申しますわ。こちらが我が子です」
バハルが美しく頭を垂れ、真っ赤な唇を歪めたメルリが後ろにいた子供の首根っこを掴んで私たちの前に押し出した。メルリが少年の肩を強く押すので、彼が少しよろける。
子供に対する扱いが雑だな……。
ちらりとお父様を見ると、お父様も感じたらしく、思い切り顔をしかめていた。私たち、本家に言わせてみれば我が子にそんな扱いするなんて有り得ない。
眉を寄せつつも、目の前に出された子供に目を向けると私は雷に打たれるような衝撃を受けた。
キラキラと光る癖のあるシルバーグレーの髪の毛に、くりっと大きな青がかった瞳。白い肌にうっすらと桜色の頬と小さな赤い唇がよく映える。王子とはまた違う美しさを持つ美少年だった。
王子は美しくて儚くてどこか影のある感じだけど、彼は可愛いが似合う人物だ。二人とも大きな瞳に白い肌を持っているのにこんなに違いを感じるのは彼の幼さゆえか。
じっと黙りこんだ少年は、メルリに小突かれて渋々膝を折り曲げた。
「初めまして。おれ……じゃない。私はウィルと申します。これから宜しくお願いします……」
可愛いウィルは挨拶も可愛かった。これはぜひとも、お姉さまと呼んでもらいたい。
「うふふ、では、私たちはこれで失礼しますわ。ウィル。無礼を働くんじゃないわよ。帰ってきたら承知しないからね」
メルリは化粧を塗ったくった顔を歪めて、ウィルを鋭い眼光で睨んだ。
「メルリ。言葉に気を付けろ。失礼します、当主様」
ティレフィア家の当主も適当にメルリを叱って我が家を出ていった。お父様は黙って笑っていたが、なかなか黒いオーラを出していらっしゃる……。
「ウィルはね、彼らの実の子供ではないんだ」
「え?」
「あの、当主がいただろう? アイツが娼婦に産ませた子だよ。跡継ぎがいなかったから産ませたらしいけど、もうティレフィア家には長男ができたからね」
「用済みってことですか……」
「そんなところだ」
お父様はひそひそと私に耳打ちをして、にっこり微笑んだ。最後に、仲良くしてくれ、と言い残しウィルに向き直る。
「ウィル、ようこそタイバス家へ。私たちはこれから家族だ。仲良くしよう、と言ってもすぐには受け入れられないよね。そうだなあ……」
お父様は私の肩を抱いて、私をウィルの前へ連れてきた。
「お父様?」
「まずはこの子と仲良くしないかい? 私の娘なんだけど……」
「お父様、自分で言いますわ」
くるりとお父様の方を向いてそう言うと、お父様は笑いながら肩を竦めた。
「そうだね。ごめんごめん。あ、もうこんな時間か……もっと話したかったんだけど私も仕事があるから失礼するね。じゃあ、ウィル、ベル、今夜の晩餐で会おう」
お父様は時計を見ると申し訳なさそうに目尻を下げ、颯爽と踵を返した。
残されたのは私と、ウィルだけ。気まずい雰囲気が流れる。なんだろう。このいたたまれなさ。
「えっと……ウィルと呼んでいいかしら? 私はベルティーア。貴方の姉になるの。そうね、できればお姉さまと呼んで欲しいわ」
にっこりと怖がらせないように微笑むと、黙り込んでいたウィルがちらりとこちらを盗み見た。目が合ったので、またにっこり笑う。
ウィルは私を頭の先から足の先まで舐めるように見た後、可愛らしい顔を可愛らしく歪めてふっと鼻で嗤った。
……嗤った?
「なんだ、このちんちくりん」
可愛らしい口からとんでもない暴言を吐き出された。




