第100話『狂愛に塗れる』
「ベルちゃん、大丈夫?」
ざわざわと昼休み特有の喧騒にハッと我に帰った。さっきまで授業をしていたはずなのに、いつの間に終わっていたのだろう。
隣の席に座るララは心配そうに私を見つめている。この前の放課後から、私はぼうっと物思いに耽ることが増えた。ララと二人でルスト先生に頼まれた雑用をして、それで……そこからどうしたのか記憶がない。気がついたら作業は終わっていて、ララに声をかけられてようやく夢から覚めたように意識が浮上した。気づかないうちに寝ていたとララからは言われたけど、そんな急に居眠りすることがあるだろうか。
「……大丈夫よ」
そして突然居眠りをしてしまったその放課後から、私は意識が飛ぶことが多発した。ふっと視界が暗くなって、我に返ったら時間が過ぎているなんてことはよくある。
可笑しい。突然寝てしまうなんて今まで起きたことなど無かった。
もしかしたら、体調が悪いのかもしれないと青ざめたのも記憶に新しい。しばらく休暇を取った方がいいのかもしれない。気を張りすぎて疲れが溜まっているのかもしれないし……。
でも、ガルヴァーニがいつ動くか分からない今、休む暇なんてあるのだろうか。ディラン様の側を離れるのも不安だ。
アリアに相談してみようかと考えたりもしたけど、絶対休めと言われる。でも、今は休みたくない。
暗い表情をしていた私を見て、ララは心配そうに眉尻を下げた。
「ベルちゃん、気分悪いんじゃないの? 熱ある?」
ララの手が隣から伸びてきて、おでこにひたりと当てられる。熱があるはずはないけれど、ひんやりとしたララの冷たい手は案外気持ちが良かった。ぼんやりとなされるがままになっていると、ぐいっと腕を引かれる。
「ベル! ご飯いこう!」
私の腕を思い切り掴んだのはアリアで、その顔は少し怒っている。側にはアズもいて、若干顔を歪めていた。
腕を引かれるまま、食堂に連れていかれ空いた席に無理矢理座らされる。そして目の前にドンッとグラタンが置かれ、向かいの席にアリアとアズが座った。二人の前にも料理が置かれている。
「ベル……貴女、どういうつもりよ」
「……え?」
「最近変だわ。ボーッとしてて、ラプラスばっかり見つめて! 一体どうしたの?」
「ララを見つめて……?」
「そうよ! 授業中もラプラスの方見てるし、この前は生徒会室でもラプラスの話したでしょう!? 死にたいの!?」
アリアの凄い剣幕に、さっきまで霧がかかったようにぼんやりしていた意識がはっきりとしてくる。カシャンッとスプーンが皿の上に落ちる。
「それって、いつ?」
「いつって……昨日の話よ」
昨日、昨日。何をしたっけ。ララと話してから、生徒会に行って━━それから、あれ、ディラン様と会った記憶がない。アリアともアズとも会った気がしない。
私は何をしていた?
「その、ベルも意図的じゃないだろうけど、ディラン様に他の男の話はしない方がいいと思う、よ……」
言葉を選びながらそう言ったアズに、私は背筋が冷えるような心地になる。おぼえていない。何も、自分が何をしたのか。
私は無意識のうちにディラン様を傷付けるようなことをしたってこと?
「わ、私、何も覚えてない……」
「……え?」
「ん? どういうことだ?」
アリアは考え込むように腕を組んで押し黙る。アズは意味が分からないと訝しげだった。
「━━貴女もしかして、精神魔法を……」
「ベルちゃん、体調は大丈夫?」
するりと首に回る腕に、体を強張らせる。その仕草を私に出来るのは、ディラン様ただ一人で……。頭を撫でられた途端、意識が途絶えた。
□■□
食堂でベルに抱き付く男をアリアはこれでもかと睨み付けた。
「この下衆が」
「口の悪い女だなあ」
ベルの首に顔を埋めてクスクス笑うラプラスはベルに向ける無邪気な表情など全く見せない。ぼんやりと暗いベルの瞳は遥か彼方を見ているように焦点が合っていない。
「ベルを精神魔法で操っているのね」
「魔力も持たない人間がよく調べたものだ。……あぁ、お前、なんだか嫌な感じがするな」
殺しておこうか。
そうラプラスが呟いた途端、アリアは思い切り吹き飛ばされた。あまりの早業に、隣にいたアズも反応できない。
「アリア!?」
ガシャンガシャンと音を立てて食堂をめちゃくちゃにしながらアリアは何とか体勢を立て直そうと咄嗟に受け身をとり、着地した。
「マジかよ。今時の令嬢ってみんな武道派なわけ?」
「私とベルが特別なだけよ」
ふん、と不敵に笑うアリアは抜刀したアズに目を剥く。
「だめよ! アズ!」
アリアの声に、ピタリと彼の剣が止まった。咄嗟にラプラスを斬ろうとした刃は、ベルの首筋ギリギリにあった。
ベルを盾にしたラプラスに、アズはギリギリと歯を食いしばる。
「お前は……アリアを……ッ」
「すぐに頭に血が昇る男って、馬鹿っぽくてやだな」
あはは、と笑ったラプラスに、アズの手が怒りに震える。アリアは取り敢えず食堂にいた生徒に食堂から出るように大声で指示をする。急にドンパチが始まったせいで、皆怯えて素直に従ってくれた。
(ここで問題なのは王子を呼ぶか否か、ね)
ディランが怒り狂えば、おそらくこの学園は潰れるだろうし、最悪自分達も死ぬ。昨日の生徒会の空気はかなり酷かったのだ。
『ララは凄いんですよ。頭がいいんです』
『隣の席なので、いつも勉強を教えてもらうんですよ』
『可愛らしくて、なんだか守りたくなってきます』
最後の言葉を言った瞬間、ディランは持っていたペンを折ったのだが、ベルはそんなことに気付くこともなくペラペラと楽しそうにラプラスとの思い出を話していた。ベルがこんな迂闊なことをするなんて、とも思っていたが、どうやら最近二人は微妙にすれ違っているようだったのでベルの作戦かな、なんて思ったりしたのだ。
ディランに嫉妬してほしくて、そんなことをいったのかなぁ、痛い目みても知らないんだから、なんて考えた自分をアリアは殴りたくなった。ベルは、そんなことをする人間じゃない。誰よりもディランについて知っているのに、わざわざ煽るようなことはしない。
「最悪ね」
してやられた。
ラプラスほどの力があれば、ベルを操るなど朝飯前なのだろう。
「まさかベルを操られるなんて……」
「ま、僕の精神魔法は一流だからね」
アリアを守るように立つアズを挟んでラプラスと会話をする。騒ぎを聞き付けてディランが来るのも時間の問題だった。
「ベルは魔法が効きにくくて苦労したよ。でも、悩みや苦しみが無い人間なんていない。僕の魔法は負の感情を助長させるものだからな。ディランとの関係に苦しむベルはいつもよりずっと操りやすい」
ベルはぽっかりと感情の浮かばない瞳のまま、ラプラスに動かされるように立ち上がって彼の隣に立つ。
「大丈夫。僕は壊れたベルだって愛せるから」
咄嗟に、アリアは歌を歌う。
壊れた、という言葉があまりにも恐ろしくて、人形のようになったベルの姿を連想してしまった。口を開き、アリアが美しい歌声を響かせると、ラプラスの肩がぴくりと動いた。
「それ、止めろよ。不快だ」
眉をこれでもかとしかめたラプラスは一瞬でアリアとアズの視界から消えた。しかし、次の瞬間にはアズは鳩尾を殴られたような衝撃を受け、アリアも口を手で塞がれるようにして壁に押し付けられた。
「ガッ……げほっげぇっ」
鳩尾を思い切り殴られたアズは剣を落として、その場に蹲り嘔吐した。
「アズッ……ぐっ、ぅぅ」
「魔力なしが魔力持ちに立ち向かうなんて馬鹿なことするよね」
ラプラスはにこりと笑って空いた手をアリアの首に回す。ぐっと首を絞められたアリアは思わず呻いた。
(想像以上に馬鹿力だわ)
アリアはキッとララを睨み、足をラプラスの股間に向かって思い切り叩き込もうとした瞬間、彼の膝を足の間に挟まれ身体を抑え込まれる。腕でも抵抗しているけど力が違いすぎる。
いよいよ意識が落ちそうだと思った瞬間、ラプラスの制服の裾をアズが掴んだ。アズは思い切り手を引いて、ラプラスを力の限り投げる。ラプラスは不意打ちに驚いてアリアから距離を取った。
「あーあー、ゲロッちゃってまぁ……」
「うるせぇ……」
口を制服で雑に拭ったアズに、ララは嫌そうに肩を竦めた。アリアは首が解放され、激しく咳き込む。
「アリア、大丈夫か?」
「げほっ……アズこそ大丈夫? 顔色が悪いわ」
「あぁ、ちょっとしんどいな」
体力を根こそぎ持っていかれたアリアとアズではラプラスとはもう戦えない。どうしたものかと悩むアリアの視線の先には、ラプラスに後ろから抱き締められたベルの姿が見えた。
王子に見られたらまずいな……なんて考えた瞬間、ドォンッと壁が爆発したような音がする。
「終わった」
瞳孔を思い切り開いたまま、ララを睨み付けるディランの姿に、アリアはひっそりと肩を落とした。




