第99話『思慕は大罪』
幼い頃から何をしても上手くいった。
語学を習えばすぐに読み書きができ、魔法を使えばすぐに上達してしまう。馬術も、言語学も楽器も、何だって出来た。一流と呼ばれるプロよりも上手くこなせている自信があったし、実際に人並み以上の才能を持っていたと言えるだろう。
挫折なんてしない。
上手くいかないと嘆くこともない。
誰かと比べて悔しがることなどあり得ない。
俺はもってる側だ。恵まれている人間だ。
なのに、どうして俺の周りには誰もいないのだろう。好きなように魔法を使って、神からの才能で遊び、周りに一目置かれる。そんな人生は幻想でしかなかった。
どんな打算があったって、兄上の側には人がいた。頼りになる友人も。敵の多い父上にさえ彼を慕う側近がいたし、王妃には血の繋がった息子と娘がいる。シュヴァルツには父と姉が、ベルにだって家族がいる。
ふと、集中力が切れたとき。自分が生きていることに疑問を感じることがあった。真っ暗な深淵の中で、自分の人生を振り返って気付くのだ。
俺は孤独なのだ、と。
人は俺を嫌った。恐れた。近づかないように、怯えていつしかいない存在のように扱われた。それとは対とするように己の側近は自分を神を見るかのように崇め、忠誠を誓っていたけれど俺にはそれが他の人間の向ける畏怖の念と同じものにしか見えなかった。そのくせ、一番側にいて欲しい時には家族を優先するのだから笑えてくる。一体彼は俺をなんだと思っているのだろう。感情の無い怪物か何かだと?
いつも世界で取り残されている。世界に排斥されたように、俺の存在は希薄で、この世に存在しない幽霊のようだった。
本当に、化物になってしまえば誰かの視線を自分に向けられたのだろうか。世界を揺るがすような悪事を働いたら、世界中の人間が俺を認識してくれるのだろうか。
その思いはまるで注目されたいから悪戯を仕掛ける子供のようだった。俺は何故生きている。才能があったって、力があったって、俺は、ただの人間なのに。皆と同じように眠くなって腹減って、好きなことも楽しいことも知っている。
愛されたかった。認めてもらいたかった。自分を見て欲しかった。
「大好きよ」って頬に触れてくれるだけでよかった。痛くても辛くても貴女の愛情が欲しかった。
『この化物!! アンタな、か、×まなきゃよかった! ×××××××! 私に━━、消……!』
俺は、この世界にいらないの?
「……くだらない」
発した声は掠れていて、自室によく響いた。まさか自分の寝言で起きたのだろうかと体を起こすと、両目からポロポロと涙が溢れる。
「?」
何か、悪い夢でも見たのだろうか。
思い出そうと試みるが、霞かがったように何も覚えていない。
「……どうでもいいか」
無性にベルに会いたい気分だ。
◆◇◆
代わり映えしない一日は、機械的に過ぎて行く。教師の言葉なんて一度聞けば大体頭に入ってくるし、教科書も見れば出来る。むしろなぜ周りが理解できないのか分からない。一体どこに躓く要素があるのだろう。
「よく出来ていますね。流石です」
解き終わった問題を見て、媚びを売るように微笑む教師に微笑みを返しながら、心のなかで唾を吐いた。俺のことなどどうでも良いくせに。
人生は窮屈だ。
かつては退屈だと思っていたが、どうやら違うらしい。人間であるためには、それなりに上手く立ち回る必要があるようだった。協調性が無さすぎるのはだめ。感情を無闇に表に出すのもだめ。人より突出すれば、食いつくされるか潰されるかの二択。
きっと俺は食いつくされも潰されもしない。そんな範疇に収まる力じゃないから。なにせ、化物らしいので。"人間だったら"のハナシ。
今日は嫌な気分だなぁ、と暗くなる思考にうんざりした。きっと昨夜の夢のせいだ。どんな夢をみたのか全く覚えていないが、楽しい夢でないことは確かだ。なにせ、こんなに気分が悪いのだから。
それでも、どうしようもないこんな人生には唯一の宝物があった。明らかに逸脱した俺を、真っ直ぐに好いてくれる人。深淵の外で、じっと俺を待ってくれるようなそんな人。
こっち側に来てくれないかなぁ、なんてのは望みすぎだって分かっている。分かっているけど、求めることを止められない。ベルの思いは眩しくて美しくて、時々目がくらんで見えなくなる。
彼女の好きは、俺の好きとは到底釣り合わないものだから仕方の無いことだった。その壁は、意外にも大きくて厚い。陰と陽のように、俺とベルの間には越えられない壁がある。ベルは美しくて、眩しくて、いつかこちらが消えてしまいそうなほどだけどベルになら殺されてもいいかなと思えるのだ。もちろん彼女も道連れにするつもりだけれど。
俺の世界には光が満ちている。それを暗闇からぼんやり覗くくらいが俺には丁度いい。むしろ過ぎた幸福だ。こちらに来て欲しいなんて思ってはいけない。
「あ、こんにちは。ディラン様」
生徒会室でニッコリ俺に微笑みかけたのはベルだった。鬱々としていた心がすうっと明るくなって、愛情で溢れる。ゆるゆると上がった口角をそのままに、彼女に近付こうとして、そこにいる第三者に気付く。
水色の髪に、サファイヤのような輝く瞳。見た目は随分と変わっていたが、それが魔法学者の卵であるラプラス・ブアメードであることはすぐに見当がついた。
さっと部屋を見渡すが、生徒会メンバーは誰一人としていない。どろっと心が澱むような心地になる。
「ベル、アリア嬢とアスワドは?」
「二人は今日日直なんです」
どうやらベルはラプラスと二人きりでいたことに何の違和感もないらしく、にこりと無邪気に微笑んで見せた。
前回少し不機嫌になったのに、もしかして忘れたのだろうか。俺は取り敢えずベルのことはおいといて、なぜかここにいるラプラスを問い詰めることに決めた。
「ラプラス・ブアメード……だったかな。悪いけれど、ここは生徒会室で部外者は立ち入り禁止なんだ。帰ってくれる?」
口調が強くなったことにしまったと思いながらも内心は腸が煮えくり返りそうなほど苛立っていた。なんたって、ベルとの距離が近い。一体何をしていたらそんな距離になるのか。
……浮気?
一瞬浮かんだ単語を高速で頭から追い払う。そんなことを考えてしまえば、きっと俺はコイツを殺してしまう。しかもベルの前で。
「ご、ごめんなさい。ララは私が入れたんです」
「……どうして?」
「言語学を教えてもらいたくて」
照れたように微笑むベルが今は憎かった。だから、近いって。二人で机に座って勉強? わざわざここで? 勘弁して欲しい。
多少強引に、ベルの腕を掴んで椅子から立ち上がらせた。ベルは驚いたように目を丸くしていたけれど、知ったことではない。
「勉強なら俺が教えるよ」
「いえ、ララはすごく教えるのが上手で……」
「俺よりも?」
「……まぁ、そうですね」
睨んでそう訊いたら、肯定が返ってきたので思わずベルの腕を掴む手が緩んだ。はじめは驚いて声も出なかったが、じわじわと意味を理解してくれば内側から魔力が涌き出るような感覚に襲われる。
ベルが、俺と誰かを比べることなんて、無かったのに。いつでも、「ディラン様が一番ですよ」と笑ってくれていたのに。
「あ、あの、僕、帰ります」
発散できない魔力が体内で燻って熱かった。ギロリとラプラスを睨めば、彼は怯えたように肩を震わせた。
「ベルに二度と近付くな」
「……! ディラン様!」
「っ、だって……!」
知ってるよ。ベルの隣の席の奴だって。友達だって。でも、クラスで仲が良くて、こんな風に二人きりで勉強していたら不安にもなる。
ベルの咎めるような視線に胸がじりじりと焦げるように痛かった。ベルに否定されるのは、辛い。
「ごめんなさい、ララ。せっかく教えてくれたのに」
「ううん、いいんだ。またね、ベルちゃん」
ラプラスには、優しい声色で話しかける。その甘やかすような声は、俺のものなのに。どうして。
ベルに笑いかけられるこの男を、殺したい。殺してしまいたい。
「ディラン様、ララは私の友達ですよ?」
パタンッと扉が閉まると同時に、ベルは不機嫌そうにそう言った。なんで、俺をそんな冷たい眼で見るの。
「ご、ごめ……」
「もういいです。ララも気にしてなさそうですし」
どうして、何から何までラプラスが中心の話し方をするんだ。俺より、アイツが良くなったのか。
ベルは俺が好きなんだろう!
そう叫んで問い詰めたいけど、嫌われたくない。これ以上、あんな素っ気ない態度をとって欲しくなかった。
「……ごめん」
ベルにだけは捨てられたくない。




